第三話 西国、更に北へ
西国に至る大街道は大きな荷物を背負った馬や人で賑わっている。
その大多数は勿論人間だが中央を目指す者の一部にはふさふさとした三角耳を持つ猫人や籠に乗った陸亀の亜人も見られた。猫人は客商売に聡く長寿な陸亀の亜人は目利きの必要な商売に向いているのだ。
西国への街道は中央から見ればかなり南に位置するのだが、それでも虎人は珍しく人目を付いた。ましてや美しい少女をその背に乗せてのっしのっしと歩く偉丈夫ならなおさらの事である。
一方彼らと同行する娘サクは旅の間を通じて袴石との夫婦旅行を演じ続けた。そして宿場に着くと必ず「虎人達とは途中で一緒になった旅仲間だ」と説明するのだった。
さて、西の都へ向かう街道の途中には「生世」と呼ばれる風光明媚な宿場町があった。山と海に囲まれた場所で山道を超えて生世の町を見降ろした旅人達はその景色の美しさを堪能しながら海岸沿いの街道を歩いた。
そして浜辺に近い街道での事であった。
相変わらず娘のイチに背中を乗っ取られた虎人の王である汪閃は目の前で虐められている亀の亜人を見かけた。
緑色の甲羅は明るい太陽の光を受けてまるでエメラルドの様にキラキラと輝いていた。
その亀は数人の男達に取り囲まれ棒で殴られてはいたが、硬い甲羅に阻まれてダメージは受けて居無さそうにみえたので汪閃は亀を無視して通り過ぎようとした。その時、
ぬっ
亀の甲羅の中から水掻きの付いた甲羅と同じ緑色だがぬるっとした肌質の腕がびよよーんと伸びたのだ。腕は道行く汪閃の足首を掴もうとする。
「たすけっ..。え?」
亀は甲羅の中から助けを求めようとしたのだが、汪閃はヒョイと軽くジャンプして亀の腕をすりぬけるとそのまま歩き去ろうとした。
「ちょっと、待ってよ。あいたっ!この野郎、大人しく殴られていたら調子に乗りやがって、コラ、コオラッ、甲羅、甲羅、甲羅、甲羅、甲羅、甲羅、甲羅!」
突然立ち上がった亀は今まで殴っていた男達をフルボッコに殴り始めた。男達は突然の事に慌てふためくばかりで叩きのめされていった。
その様子を後ろから楽しそうに見ていたのはサクである。
一方、サクの連れ人である袴石は額に手を当て渋い顔であった。
対照的なサクはケタケタ腹を押さえて笑いながらこう言った。
「亀の野郎また失敗してるよ。あはははは。」
◇
「同心、孔雀石です。見た通り亀の亜人です。」
「はぁっ?同心ともあろう者が何故道で殴られておった?」
汪閃の疑問も当然である。
「いえ、アレは任務でして...あそこで貴方が助けに入ってくれて、お礼に良い頃へ連れて行きますという流れでここへご案内するという筋書きだったのですが...」
「また失敗したね。きひひひ!」
「お前!サクっではないか?!まだ袴とつるんでいたのか。言って於くが俺はこれまでに2回しかこの任務に失敗した事が無い!1回目は5年目にお前らと会った時、2回目は今日この日だっ!」
「なぁに?サクにも見捨てられたの?聞かせてその話。」
茶屋、「竜宮城」の狭いテーブルで大人達が顔を突き合わせるようにコソコソ話しているとイチが隣のテーブルから首を突っ込んで来た。
「あの時はねえ、私が知らんぷりして行こうとしたらコイツ尻を触ろうとしたのよ。そしたら..プッ思い出したら笑いが止まらなくなっちゃった。」
「あっ儂は想像が付いたぞ。」と汪閃。
「クスクス、えっとねそこに居る徳さんが激怒して伸びて来た手を剣で滅多切りにしたの。でもこいつの腕ってぶよぶよしていて全然斬れなかったんだけどね。」
「あんな鈍ら刀に斬られるようなら同心などしておらんわっ!」
イチは「徳さん」って誰?と首をかしげたが、サクの傍らで可哀そうな程小さく縮こまっている袴石を見て、「ははあ、そういう事か」と納得した様に顎を小さく縦に振った。
「ねえ、私達外でお話ししながらお茶してるから皆は中でゆっくり打ち合わせしてっ!」
そう言ってイチがサクを表へ連れ出したので男衆は狭いテーブルを囲む様に頭を突き合わせて打ち合わせの続きを始めるのだった。
「いいかよく聞け?この度、長い空白を得て不在だった我らが同心の棟梁の座に副棟梁が就かれる事となった。」
「亀!それが大蛇の残党となんの関係がある?」
「黙って聞いて居ろ、この傷トラ。」
傷トラという妙な字を付けられたタイガが嘆いた。
「袴石殿の同輩とは思えない無い口の悪さだな。」
「亀は特別口が悪いでござるよ。それ以上に女癖も悪いでござるから汪閃殿も注意でござるよ。」
「けっ虎に引っ付いている小娘なんて俺の範疇じゃないね...てててててて!こらその手を放せ!顔が拉げるっ?!」
「うちの娘の何処が気に入ら無いって言うんだ。バテレン人の言う天使ってやつでさえイチの寝顔には叶わないだぜ?あれ、こいつ泡ふいてら...おいおい袴石殿、こいつ本当に同心なのか?」
「汪閃殿...頭蓋骨を鷲掴みにされては流石の亀も逃げようがござらん。それに孔雀の得意技は戦いよりも寧ろ諜報でござるよ。忍び込んだ事がばれて袋叩きにあっても亀の甲羅の中に逃げ込んで、そのままごろごろ転がって逃げるのでござるよ。」
泡を噴いた亀に追加で運ばれて来た酒を少々孔口元に注いでやると、気が付いた亀は頭をブルブルと振りながらまた甲羅の中に引っ込んでしまった。
そして甲羅の中からは声が聞こえて来る。
「とにかく、新しい棟梁の命で袴石から情報のあった西国より北の地に逃げた大蛇の残党を狩る事になった。」
汪閃の右腕である片目に傷のある虎人、タイガが驚いた様に言った。
「袴石殿、いつの間に連絡を取っていたんだい?」
「鳩に文を携えたでござるよ。可愛いでござるよ。」
「鳩か..。俺も好きだぜ...じゅる...」
タイガの好きは少し違う気もするが袴石は話の続きを促した。
「して孔雀、何時攻め込むのじゃ。」
「ていうかお前達を待ってたんだよ!この鈍足袴!」
「待つ?まてまて、他の同心はもう此処に来ているのか?師匠か?赤石か?」
「残念でした。そして俺には幸運でした!師匠と赤の両名は既に西国を出立し今頃現地で大蛇共が逃げ出さないか見張っている。」
「むっ?他に生きている同心と言えば...」
「「それは私達。皇姉妹に決まっているでしょう?」」
先ほどから酒を運んでいた2人の女中が突然顔を上げたと思うと揃って声を上げた。二人共美人だが掘りの深い顔をしている。そして姉妹だという二人の顔つきは似ている様でそこはかとなく微妙であった。しかし彼女達は姉妹を強調しながらピッタリ声を合わせて話し続ける。
「「袴石さん。お久しぶりね」」
「済まん、某は用事を思い出したので先に幾でござる。皆は後からゆっくりくるでござる。」
「「あら、私達姉妹と一緒の旅の方が楽しくてよ」」
「いや、お主ら本当の姉妹ではござらんであろう?」
「「何言ってるの本物の姉妹よ!だってこんなに息ピッタリじゃないの!」..でもね。」
口元に小さなホクロがある方の同心が言った。
「男性の好みは別々なのよね...私...毛深いのが好き...」
そういって汪閃の胸元に腕を鎮めると、もうひとりの同心は
「私は..淡泊なのが好き...」
といって袴石の頬に腕を絡めようとする。
そこへ表からイチとサクが戻ってきた物だから店内は大騒ぎになった。
「何厚化粧のババアといちゃついているんだっ、おっとう!」
「徳さん!あんた昼間っから商売女の、しかも年増を引っ掻けてっ!」
「「小娘共!誰が年増じゃっ!このふくよかな色香が分からんのか。」」
「ふくよかあぁ?確かに胸はデカいけどタルンタルンの間違えだろう?紐が無きゃずり落ちてしまうタルンタルン、二の腕もタルンタルンなんだろう?!」
イチの言葉にサクがこめかみを押さえた。
「えっとーイチちゃん...。今のは流石に言い過ぎだとサクお姉ちゃんも思うかなあ。ていうか、二の腕は油断したら直ぐだからね?イチちゃんも良く覚えて於くのよ。」
「ええええー!くそう3対1かよー!イチだけにっ!」
父親である汪閃がそんなイチを諭した。
「イチ、上手い事言った風に纏めても無駄だ、ちっとも上手く無い。それから、とにかく言い過ぎだ。一緒に戦って頂ける同心の御姉妹に非礼を詫びなさい。」
「うっうっー、おっとうのバカァアアア!」
イチはそう言って表へ走りだして行く。
「やれやれ、また姫の御機嫌が...振り出しに戻りましたなあ殿。」
タイガの眼に涙が浮かぶ。
「いいや、同心殿達と合流できたんだちゃんと目的に向かって進んでいる...はず。」
「…」
かくして同心の皇姉妹と孔雀石に合流した一行は、不貞腐れるイチを引き連れて西国に向かって南西に街道を進む事となったのであった。
◇
ふわふわした長毛をこよなく愛す皇・姉のしつようなボディータッチに汪閃の娘イチが再三ブチ切れたのであるが物語が進まないので割愛する。また、皇・妹が毎夜袴石に言い寄るのだが、サクの硬いガードに阻まれて敗走する事になったののだがそちらも別の機会で。
ある朝サクが言った。
「あの、皇さん達ってあんまり強く無いですよね?名前に石って字も付いて居ないし、本当に同心なんですよね?」
すかさず皇姉妹は見事な呼吸でポーズを決めながら言った。
「「私達は二人で一つの大きな力を発揮するからよ」」
「要するに半人前って事?」
「「お黙りっ‼」」
そうこうしている内にやっと西国に足を踏み入れた一行は、同心の権限で関所を難なく切り抜けるとやがて西国の都に辿り着いた。
その頃になると汪閃の忠臣タイガからお小言が出る様になっていた。
「殿!ちっとも姫と仲直りできて居ないではありませんか。此処から大蛇の根城迄あと半月もございませんぞ?」
とは言っても一時期と違って寝食も風呂も一緒なのである。イチの言い訳としては「女狐が忍び込んでくるから用心の為に同行している」という事なのだが随分関係も改善された物である。
「徳さん、私も毎晩の事で疲れたたわぁ。何だか腰も痛いし。」
「サク、滅法な物を言う出ないでござる。誤解が生まれるでござる。」
同心袴石のに連れ添う娘サクが皇姉妹に流し目を送りながら珍妙な事を言うと袴石は眉を顰めながら諭すのであった。恐らくサクは姉妹を牽制しているのであろうが毎晩の事とはサクの投擲修行に袴石が付き合っているだけである。そのような牽制を入れるサクは実の所少々姉妹の事を疑っていた。そもそもこの姉妹は汪閃や袴石に色目を使う事ばかりに精を出しているが大蛇退治の時は本当に役に立つのであろうか?
黄金で出来た仏像や見上げる程の仏塔。都には訪れた者ならば一度は見て見たい物がたくさん有ったのだが、一同は都見物もそぞろに都を後にすると西北へと向かった。
一行が大蛇が潜伏するという地にたどり着いたのは良く晴れた日の夜とも成れば中秋の丸い名月が見える季節であった。
その地は山に囲まれた盆地に開かれた穀倉地帯で同時に山合いでは茶と栗を名産とする領地であった。領主は西の都の領主「國久」公の異母弟にあたる「葉色」公。名君國久公の名に恥じぬ治世者との巷の噂であったが、彼は近ごろは北の山に住み着いた悪鬼が度々山を降りて来て悪事を働く事に頭を悩ませていた。
「そこで、鷲山という高い山に住み着いた悪鬼共を退治して人々の為になろうという事なのじゃが。袴石、何か?」
袴石達は小さな城下町の茶屋で剣の師匠である鎌石、同僚である赤石の両同心と落ち合った。
城門前に寺々の軒が連ねられた事から寺町と名付けられたその大通りは静かな落ち着いた雰囲気の通りであった。しかし鎌石から説明を聞いた袴石は珍しく意見した。
「師匠、我らは大蛇共を退治に来たはず。それが何故悪鬼に代わってしまったのでござろうか?」
「一つは、どうやらここの殿様が気が付かない内に既に大蛇共が街中に潜伏しておる様じゃ。厄介な事にもしかすると城の中にも潜んでおる奴も居るやもしれん。」
「いやいや、人に上手く化けれるのは少なくとも3本首からでござろう。聞けば2年前にこの地に逃れて来たのは数匹の2本首だっとと言う。多寡が数年で急激に3本首以上の物が増えるとは...」
「袴石、お前この城下で年に居なくなる人数が何人か知っておるか?1,000人だ。既に去年1年で人口の1割が減った計算になる。」
赤石が右手の拳を赤熱しながら憤った。彼は感情の起伏で体に熱を持つのだ。
それを見たサクが慣れた手つきでさっと湯呑をその上に当てて茶を温め直すと何事も無かったかのようにその茶を啜った。
「ならば赤石殿、それほどの大事なれば殿様に直談判してでも...」
「いやいや、だからこその悪鬼退治なのじゃ。実際我らの調査では行方不明者の1割は実際に悪鬼共の仕業と思われておる。残り9割は大蛇共だが狡猾に潜伏した奴らの所為で今其れを具申しても中々通らんだろうと考えておる。そこで我々が悪鬼を討つ。しかしながらそれでも行方不明者が続くとなると殿様も不思議に思うじゃろう。そこへ我らが実はと大蛇の退治を持ちかける。そこから殿様の号令の元に城下一斉に大蛇狩りを行うのじゃ。今度は1匹も南には逃さん様に全て北へ追いやるのじゃ。」
「師匠、それでは残党が今度は船に乗って彼方此方に散ってしまうのでは?実際汪閃殿の虎国には大蛇の残党が卵を抱えて上陸しておるでござる。」
「ふおふぉっふぉっふぉっ。勿論我等とてこの数か月遊んでおった訳ではない。北にある奴らの港を押さえ既に船には爆薬を仕込んでおる。船頭たちは寝返り我らの味方だ。そして大蛇共を積んだ船が沖に出たら船頭達は逃出して最後に船事爆破する事で手筈は付いておる。寧ろ残党と残さず北へ追いやって海上で葬ることこそこの作戦の要じゃ。」
「成程!では師匠やりますか?」
「おうっ!まずは皆で鬼退治じゃっ!」
◇
当然の事の様にサクとイチは留守番となった。
旅籠の前に置かれた足洗い用の長椅子に腰掛て足をブラブラと振りながらイチは隣で日向ぼっこをしているサクに話しかけた。
「なあ、サク姉。」
旅の間に二人は随分仲良く成り、集団の中では年も近かった事も有りいつしかイチはサクの名前の後ろに姉という尊称を付ける様になっていた。
「なあに、いっちゃん。」
サクの方はというと、気を抜くとイチちゃんではなく”いっちゃん”と端折って言う。こういう時にサクは考え事をしている時が多かった。
「ババアどもちょっかい出して無いかなあ...」
ピシッ
突然サクの履物の緒が切れた。
「不吉だわ...行くわよいっちゃん。」
「おう、そうこなくっちゃ!」
◇
中秋の山合いは夜になると底冷えに寒かった。
悪鬼たちは周囲で一番高い山の上の住まい、夜な夜な里に下りて来ては暴虐の限りを尽くすという。ならば彼らの襲撃を里で数日待つという選択肢もあったのだが気温が下がり海が荒れて来ると折角仕掛けた罠に本命の大蛇共を誘い込めなくなるという鎌石の懸念から短期決戦で突入する事が選択された。
しかし幾ら正面突破と言えどもそこは海千山千の同心達の事である。孔雀石が調達した強力な眠り薬を酒窯に仕込み、それを皇姉妹が一つづつ持つと山を登った。当然鬼の斥候に見つかって彼女達は捕まるが里村の長からの貢ぎ物でありこれで暫く村を見逃して欲しいと妖艶な演技ながらに言うと鬼どもは喜び勇んで酒窯を女達共々彼らのアジトへと運んだのだった。
斥候の鬼は皇達よりも頭一つ背が低かった。緑色の肌はかさつき曲がった背中は背骨がゴツゴツと飛び出している。彼らは所謂鬼の中では最下位に位置する存在であった。其れゆえ普段から虐げられた者の鬱憤か里に下りて来た時に率先して村人を襲うのはこれら小鬼達だった。
皇姉妹と薬を仕込んだ酒壺は大鬼達の食卓に運ばれる。
どんぶり程の御猪口に酒を注ぐように命令された皇姉妹は恐れ慄いた演技をしながらも睡眠薬入りの酒をたっぷりと大鬼達に注いで回った。
大鬼達は全部で6人、皆でかい。中でも一際大きく大人の二人分以上も有ろうかという青い大鬼がこの中の首領らしかった。
意外な事に首領は粗野では無かった。彼は只黙々と飯を食い黙って酒を飲んだ。勿論彼女達が持って行った酒は直ぐに大鬼共の胃袋に消えて行き、更には麓の酒蔵から樽事盗んで来た大きな樽が開けられるとそれも直ぐに鬼共の胃袋に消えて行った。
薬の効き目で次第に眠くなる大鬼達。一人また一人と眠りにつくと最後に残った青鬼も静かに目を瞑った。如何やら眠った様だった。
そうなると元気になるのが小鬼達である。手綱が緩んだ200を超える小鬼達がワッと皇と酒樽に群がった。
「「私達を甘く見ないで‼幻想甘夢の術‼」」
小鬼達を皇姉妹の幻術が襲う。幻術に耐性の無い小鬼達はいとも簡単に幻に惑い目の前の何かを掴もうとピョンピョン跳ねだした。
そして皇・妹が腰に隠した火筒に火を付けたのを合図に、虎人を先頭として隠れて様子を伺っていた同心達が雪崩れ込んだのだった。
彼らは煩い小鬼達の首元に鋭い爪や刃を叩き込んで黙らせると、静かになった所で大鬼達の首を順番に討って行く。
「「ふう、何でこんな雑魚共を今までのさばらして於いたのか理解できないわ。」」
「そう言うな、正面切って戦えばこいつらかなり大変な敵だぞ」
「「でも知恵が無いとこんな物ね。やはり大蛇の方が難敵かしら」」
「それは如何かな娘共よ。」
低い腹の底に響く声に姉妹は驚き悲鳴を上げた。
「「きゃあああー」」
「皇っ!」
「「娘って言われた‼聞いた?ねえ、聞いた?」」
「あほう!早う逃げんかっ!」
いつの間にか意識を取り戻した青鬼が痺れる体でゆっくりと起き上がって来た。
他の大鬼達は内2匹を既に倒したがまだ3匹が眠っていてその前に青鬼がたちはざかったのである。
「俺に任せろ!逆鱗火車の太刀!」
同心赤石が体を赤熱させながら空中をクルクルと回りながら青鬼に突進していった。あれなら青鬼に捕まれる心配も無かろうと思った瞬間、赤石は大きな金属音と共に赤石は弾き飛ばされ林の奥に消えて行った。火の消えかけた篝火のなか袴石が目を凝らすと鬼の手には巨大な黒い金棒が握られていた。
「くそう、鬼に金棒ってかっ。食らえ、火筒!」
同心孔雀石の持つ筒から火が噴き、オレンジ色の球が青鬼に目がけて急襲した。
弾は青鬼の体に当たると爆ぜて爆発しパパパッと鬼の胸から血が流れだした。そして鬼はよろよろと辺りを弄る。
「袴石!回り込んで他の鬼を斬れ!このままでは起きてしまう。」
回り込もうとした袴石の頭が有った場所を突然うねりながら風を切って鉄棒がなぎった。しかしいち早く地面を転がって難を逃れた袴石は其処から飛び上がると大きな石を横倒しにしたテーブルに眠る鬼の首に刀を突きさした。
「ぐうう、よくも仲間を!我等を迫害するに飽き足らず罠に掛けて惨殺するとは!お前ら人間は何処まで業の深い生き物なのだっ!」
「争いを好まぬなら人里を襲わなければ良かったのでござる!」
「その発想ですら人間共の理でしか無い事に気づかぬ傲慢さよ!死ねぃっ!」
巨大な鉄棒の嵐が頭上に飛来する。
必殺の凶器を避けて袴石が再度転がった。今度は斜面をゴロゴロと下る。大鬼がそれを追うとチャンスとばかりに目を覚ましかけた残る2匹大鬼の首を鎌石の峻剣が襲った。
山の天気は変わりやすい。
いつの間にか月は分厚い雲に隠れ空では稲光がゴロゴロという音を立てていた。
青鬼が目を凝らして草むらを覗き込むと稲光に光る袴石の顔が浮かび上がった。
磨き上げた石の様な光沢に青鬼も一瞬たじろぐが、それでも右手に持った鉄棒を膂力の限り振り回して来た。
質量とスピードは即ちエネルギーである。それはどんな硬い石でも亀裂を生じさせる。ましてやそれが硬い物であれば猶更欠けやすいだろう。
石仏と化した袴石は鉄棒を躱そうともしなかった。
叩き潰された石地蔵の様に粉々に砕け散る様が目に浮かんだ。稲光がストロボの様に鉄棒の軌跡を映しだす中、袴石は確かにサクが呼ぶ声を聴いた気がした。
◇
袴石が血反吐を吐いて倒れたのを見たサクは無我夢中で飛び出していた。
戦いの優劣はほぼついていた。鬼の鉄棒は袴石の両手で切断され、大鬼は武器を失ったのだ。
只、斬った先が勢いを殺すことなく袴石を襲った。袴石にはそれがある程度予想できた筈である。
なぜ袴石がその様な愚行にでたのか?
それは青鬼明らかだった。今赤石同心に貫かれている青鬼の首を見ればである。
稲光の瞬間、赤石同心が近くに戻ってきている事を感じ取った袴石は自分を囮に使ったのだ。
「やだよ!死んじゃやだよう!」
泣きじゃくるサクの元に皇姉妹が駆け寄った。
「「任せなさい‼同心を回復させる術それこそが私達の真骨頂。ええい裸撫行灯平和‼」」
「きゃっ!」
姉妹が高速の動きで袴石を擦り出すと、釣られて光に包まれた袴石の肌からは見る見るうちに生気がもどり血が止まり傷が癒えて行く。
「皇さん、年増で厚化粧のババアだなんて言ってごめんなさい!有難う!」
「「わざわざ言い直さなくて宜しくてよっ‼」」
その頃、難を逃れた小鬼達を追って鬼の里の奥深くに足を踏み入れた鎌石と汪閃達は大きな洞窟を発見した。
タイガが勇んで足を踏み入れると女の青鬼が両手に十手を持って襲い掛かって来た。
「女を手に掛ける趣味は無い!」
タイガの拳が十手を掻い潜り鬼の腹にのめり込んむ。倒れた鬼の後方には十数人の鬼女に小鬼達が震えながら隠れていた。
「汪閃殿、可哀そうだが禍根を残す訳には如何。」
鎌石の言葉に汪閃が爪を振り上げた所へイチが飛び込んで来た。
「止めてくれ、おっとう。」
「イチっ!何故ここへ?いや、戦いに口を出すんじゃない!」
しかしイチは必死になって懇願した。
「お願いだ、殺さないでくれ。鬼が人を殺したからと鬼の子を殺したら恨みだけが独り歩きしちまう。親と子は別の生き者だろう?殺さないでくれ。」
「しかし、生かして於けば必ず復讐を目論む。親子とは、血の繋がりとはそういう物だ。何処かで断ち切らねば成らんのだ。」
「おいらが受けとめる。こいつらの恨みはおいらが受けとめてやる。だから殺さないでくれ。おい、お前らも恨むなら虎の国の駆け姫を恨め、殺しに来るなら来るがいい。だから今は生きるんだ!」
汪閃には全く分からない理屈だった。だが、汪閃の脳裏にはなぜか旅立つ前に袴石が言った『今はイチ殿の話を聞いてやるでござる。』という言葉が反芻されていた。
汪閃は右手でタイガを制止すると鎌石に一礼し言った。
「グランドマスター、私は娘の思いを叶えてやりたいと思いました。」
鎌石は刀を治めると洞窟の天井を見ながら呟く様に言った。
「厳しい道じゃがのう。」
こうしてイチの手引きで残された鬼の一族は東の山へ逃がされた、多くの鬼の眼には恨みの炎が宿っていた...。残念ながらきっと汪閃の言う通り成長した小鬼の多くは仇の子であるイチを恨み襲うだろう。
第三話「西国、更に北へ」終わり 第四話へ続く
ここまでお読み頂きありがとうございます。