第一話 駆姫
楽しんで頂けると幸いです。
中央から西国に向かう途中の山中に虎人の国があった。
国と言っても険しい山麓を縄張りとしており、人口も100人に見たない小さな村の様な国だった。
しかし虎人達は一騎当千で付近の領主達は彼らと争うことなくうまく交易を続け平和に暮らしていた。
5年程前に麓の領主が大蛇に食われ城が乗っ取られる騒ぎがあった。
その時、虎人達は王を大蛇に殺され屈強な兵を何人も失ったが新たに王となった汪閃という虎人が中央の奉行たちと協力して巨大な大蛇を倒し騒ぎを沈めた。
その功あって虎人達は中央より山麓の段々畑を領地として下寵され、新たに配置された領主との間に友好関係を保ちながら暮らしていた。
これはそんな虎の王が養女にしたという姫の物語である。
◇
「お久しぶりでござる汪閃殿。息災でござったか?」
「袴石殿、来ていただいてありがとうございます。しかし貴方はちっとも年を取りませんね。」
「何だいそれは。私がババアになったっとでも言いたいのかい?」
侍の隣にはそこそこ良い仕立ての着物を着た一人の美女がいた。
「いやいや、サクがこのように美しくも立派に成長した姿を見て感慨にふけっておっただけだ。未だ一緒に旅をしているのか?そろそろ祝言はせんのか?」
途端に顔を真っ赤にしたサクが眼にも止まらぬ速さで腰帯からクナイを投げるが汪閃は事も無げにひょいとそれを躱した。
「サク、汪閃殿だから躱せた物の当たれば大事、自重するでござるよ。」
「だって、こいつが...会うなり変な事を言うから...」
袴石に叱られたサクはモジモジと言訳をする。
どうやら5年経った今も二人の関係が進んでもいないらしい。しかし取り合えず良好である事を見て取った汪閃は我が身を振り返り不覚にも思わず大きなため息を付いてしまった。
「ふううーーっ」
「どうした、汪閃殿?何か気に障ったでござるか?」
「ああ、申し訳ない。ただ貴君らが羨ましかったのだ。実はお呼びしたのは他では無いイチの事なのだ。見て頂いた方が口で説明するより早いと思って今お初に呼びに行かせている。」
猫娘のお初は仲間と共にこの麓の段々畑に囲まれた離屋敷に住んでいる。
彼女たちは領地の畑を耕すと共に山羊を買い育てていた。しかも其れだけでは無い放し飼いの鶏や用水のため池にはコイなどを飼い食料としていたのだ。これらは全て汪閃が周辺の領主に倣って始めた物だった。
トントントントンッ
板間を軽快に走る音がした。大人の足音にしては軽く幼児のそれにしては重い、詰まり立派な少年に成長したイチの足音であろうと思わず崩顔した袴石はガラガラビシャンと障子を叩きつける様に引き開けたイチの姿を見て口をポカンと開けて固まった。
傍らでサクがイヒヒと笑った。
イチはズカズカと袴石の前にやってくると眉を顰め阿呆の様にて口を開けた侍に向かって指を突きつけるとこう言った。
「なんだよっ!似合わないって言いたいのかこの石侍!」
「イチっ命の恩人にそんな言い方をするもんじゃない。」
「うっさい、おっとうのバカ、石侍のバカ、バカバカバカっ!」
トントントントンッ
紅白に立派な黄色の模様の入った美しい着物の裾をたくしあげるとイチ姫は軽快な足音で去って行った。最後に乳母でもある猫娘のお初がスーッと障子戸を閉めると部屋は静寂に包まれた。
「ってイチが姫様の恰好を?!」
ハッと我に返った袴石が叫び声を上げるとお初が冷静に答えた。
「汪閃王の御息女でありますから、当然でございます。」
隣でクスクス笑うサクに気づいた袴石は小さく恨み言を言った。
「サク、さては知っておったな?後で覚えて於くでござるよ。」
「さて、見て頂いた通りイチも美しくなった。年は子細には分からぬが一応13という事にしてある。」
「おおぉ、少女らしい良い顔でござった。しかし...物凄く怒っておったでござるが?」
「それなのだ。ここにいる乳母のお初にも原因が分からぬらしくホトホト弱っておってな。今月の終わりには西の領主のご次男と縁談の顔合わせがあるのじゃがそれにも行かんと駄々をこねておって、偶々貴殿らが近くに戻られているのを知って説得して貰えないかと思ったのだが。」
「あの様子では無理そうでござるな。某など石侍と呼ばれたでござる。」
「お詫びする。」
「じゃあ私が話してきてあげる。但し説得じゃなくて何が気にくわないのか聞いてくるだけだけど、それでも良い?」
サクの提案に汪閃とお初が揃って頭を下げた。そしてサクは袴石をそこに残してイチを追いかけて外へ行ってしまった。
残された袴石横をお初が通り過ぎざまに囁いた。
「おサクちゃん奇麗になりましたね?お子は未だですか?」
固まった侍の横をお初が通り過ぎ、障子をしめて部屋をでると
ビッターン
中から袴石の倒れる音がした。
◇
駆姫。それがイチの付けられたあだ名である。
虎人の子供達に混ざって山々を駆け巡り付いたあだ名であるが、勿論人間の子供であるイチは他の子達と違って体力も瞬発力も何もかもが劣っていた。
そんなイチに駈るという字が付けられたのには理由がある。
「イチ、私だよ。サクだよ。川で体を拭いてやっただろう?覚えて居ないかい?」
木の下から両手を口に当ててサクが叫んだ。
高い木の上でイチは竦みもせず仁王立ちに経って居る。着物は脱いで裾を前で縛った長襦袢姿のイチは上着代わりに山羊の毛皮で出来たチョッキを纏っていた。それは隅で横縞が書き入れられ、遠目からみると白い虎の毛皮の様にも見えた。
サクに気が付いたイチは懐から取り出した縄を使って器用に木を降りて来た。
「思い出したよ。あの石侍と一緒に居た鎌のお姉ちゃんだね。」
「うふふ、最近は鎌を止めてクナイにしたの。見てて、エイッ!」
そういうとサクは先ほど迄イチが昇っていた立派な木の幹にあっと言う間に3本のクナイを略寸分違わぬ近さで打ち立てた。木との距離は約20尺、中々の腕前だ。
「ふん、私だって。」
そう言ってイチは着物の袖を託すと小さな木箱に仕込まれたボウガンを撃った。「トトトッ」それはまるで身軽な獣が駆けるような軽快な音を立ててクナイの近くに3本並んで突き刺さった。この音が字の由来で有った。
「どうだい?」
「へえ、面白い跳び道具だねえ。ここの里で作ってるのかい?」
「まさか、虎はそんなに器用じゃない。山奥にここよりもっと小さな小鬼の村があるんだ。そこの小鬼に山羊と交換で作って貰ったのさ。」
「私も欲しい位だねえ。」
「山羊持っていけば作ってくれるぞ?案内してやろうか?」
イチは屈託のない笑みを浮かべた。先ほど屋敷で毒を吐きまくっていた人物と同じとは到底思えない。
「そうだねえ。お願いしようかねえ。でも聞くところによるとアンタ縁組の顔合わせで出かけにゃきゃ行けないんだってねえ、其れ迄には帰って来れる距離なのかい?」
「...行かねえ!」
「あら、そうかい。親の決めた縁組に行かないなんて余程相手が嫌なんだろうね?」
「相手の事は知らない。でもおっとうが探して来た男だ..悪い奴じゃ無いと思う。」
事前の考えでは縁組の相手が気に入らないから荒れているのでは?とサクは推測していたのだが如何やらそうでも無いらしい。
「なら、他に好きな人でもいるとか?あら、図星だねえ。」
イチは唇を噛み締め俯いた。
「最近...一緒に風呂にも入ってくれねえ。寝てくれねえ...」
「おやおや、オマイさんの年じゃあそれは早かろうに。というかオマイさんの事を女だと認め始めたから照れているだけじゃあないのかい?若い子にありがちなテレだよそれは。で、どこの幼馴染だい?」
「挙句の果てに知らない人間の男と結婚しろとか偉そうに!」
「...はい??」
◇
夕餉にイチは顔を出さなかった。部屋に籠って臥せっているらしい。お初が「食事を運んだので心配しないでください。」というと汪閃が又もや大きなため息を付いた。
傍らでは御猪口を片手にほろ酔いの袴石がサクに尋ねた。
「所で話しを聞いてきたでござる?どうだったでござる?」
「はあ~。それが聞いても手におえないような話だったって落ちでねぇ。」
「何!原因が分かったのか?サク殿教えてくれ!」
「だからぁ、知っても解決できない事なんだってば...ちょっとアンタ王様なんでしょう?土下座とか止めなさいよ。」
慌てたお初に引き起こされた汪閃がそれでも頼み続けるのでサクは「聞いても仕方がないって十分に説明したからね?」と前置きをして話始めた。
◇
「イチには心に決めた人がいるんだ。とは言っても子供心に思っただけでこれから大人になれば変わって行くと私は思ってるんだけどね。」
「何だそんな事か!なら縁談は無しにしてそいつと結婚させれば良い。タイガの所の息子か?それともギンガの所の息子か?」
「あのさあ、イチがもう少し大人になるまで待ってやるって選択肢は王様には無いのかい?タイガさんってあの片目の武将さんだろう?ギンガさんは知らないけど、残念ながら二人の所の息子さんじゃあ無いと思う。なんたって二人で一緒に風呂に入ったり、寝床を共にしたりする仲だそうだからな。キシシシシ。」
お初がポンと膝を叩いてサクの目も見た。やはり乳母だからある程度は気が付いて居たのだろう。
一方、上座に座る汪閃の体からは予想通りというか、凄まじい怒気があふれ出して来た。
5年前、達人の袴石にして惜しい才能と言わしめた虎人の力である。
「どこのだれじゃ~!儂のイチと風呂に入ったガキはあああああ!」
「ひいい、ちょっと落ち着きなって。怖い、怖いから!落ち着かないともう話さないよ!?」
どうにか怒りを鎮めた汪閃であったが、その瞳孔は今だ細く首筋の毛も逆立っていた。
「殿、落ち着いて下さい。今までイチが殿以外と風呂に入ったと言えば私だけですよ?」
「そうか、初。えっ?ではイチの思い人というのはお前なのか?」
「なにトンチキな事言ってるんだろうねこの脳筋な王様は..。アンタだよ、アンタ。イチが昔っから好きだったのはアンタだったろう?」
途端に顔色が悪くなった汪閃は「すこし休ませてくれ」と言い残して寝室へ下がった。
「お初さん、薄々感づいていたんじゃないの?」
「まあ、乳母ですし一緒に居る時間も長いですからあの子が殿に思いを寄せている事は感づいていましたが、まさか良縁を断る程とは...」
サクの隣では袴石が酔っぱらって船を漕いでいた。
「たく、男共はからっきし駄目だねぇ。お初さん、これは私達で解決する他ないよ。」
「おサクさん、そう言えば半月程前にお赤飯を炊いたのよ。」
「あらおめでとう。」
「それから殿がイチも大人だから風呂や寝床を別にすると言い出して。」
「まあ、普通だよね。」
「その頃から外出が多くなったんだけど、大きくなった証拠だと思って様子を見てたら。」
「ふんふん、見てたら。」
「殿が用事の先でそこの領主のご次男坊様を見て偉く気に入られて勝手に縁談を...」
「あちゃあ~。荒れた?」
「いえ、3日程臥せっていたので体が悪いのかと心配した殿が寝所を訪ねた時に爆発して...ちょっと言葉に出せない程口汚く殿を罵倒して部屋から出そうとしたので、私あの子の事叱ったんです。」
「まあ、事情を知らなければ当然ね。」
「それ以来ずうーっとあんな感じで...」
「きっとイチも謝って仲直りしたいと思っている筈よ。あの子には未だ時間が必要なだけさ。問題はどうやって仲直りさせるかだね...」
◇
「ふう~。」
木の上に座るイチがため息を付いた。
足元では村の子供達がくんずほぐれつ遊んでいる。前掛け、ズボン1枚の虎人の子供達が遊んでいる様は高い所から見るとふわふわの毛皮球が波打っている様にも見えた。
「子供の頃は楽しかったなあ。面倒な事は考えずに済んだし...月の物だって来ないし...」
「イチー!山で蛇取ってきたぞー!一緒に食うかー?!」
野良仕事の手伝いから帰る虎人の少年が木の下から声を掛けた。彼の名前はリョウガ、タイガの息子である。
「ひいっバカリョウガ。私が蛇だけは苦手なの知っている癖にっ!」
幼い頃のトラウマで、大蛇に食われかけた事のあるイチは極端に蛇を怖がった。
「ウナギは食べる癖に!うねうねしているのは一緒だろう?」
「ウナギは良いんだよ、ウナギはっ!そうだリョウガ、ウナギ探しに行こうぜ?」
二人は幼馴染だった。リョウガにはキキョウという妹が居て、それにギンガの息子であるクウガを合わせた4人でいつも野山を駆けまわっていた。最近は野良仕事の手伝いで忙しい3人であったが、今日の午後はうまく集まる事が出来たので皆で川へウナギ探しに行った。
かれこれ1時間川辺を探していたところ、上流から丸太を縛った筏が流れてきた。筏の上には緑色の小人が一人、血を流して倒れている。
「おいっ、道具のおっさんじゃないか!」
急いで筏を岸へ引きずり込みと小鬼の頬をぺちぺちと叩くイチ。
すると目を覚ました小鬼はさも恐ろし気に助けを請うのだった。
◇
「イチっ!おいイチったら!」
リョウガの制止を無視してイチは山に向かって駆けて行った。途中の漁師小屋に山歩き用の装備を隠しているのは知っていたが一人で行かすのは心配だった。
「おい、キキョウは小鬼を連れて父上の所に、クウガは殿様に知らせてくれ。俺はイチを追いかける。化け物相手に一人で行ったら食われちまうだろうに...」
一方イチも何故一人で駆けているの良く分からなかった。
リョウガが止めてくれたがそれを振り切って今は山にある猟師小屋で登山用の毛皮で出来た靴や着物に着替えている。武器は小鬼に作って貰った小型のボウガンに矢が10本。後は護身用の小刀位である。
「私..。何ムキになってんだろう...。」
山麓を登りながらイチが呟いた。襲われた小鬼の里まではイチの足でもあと2時間は掛かる。イチは飛ぶように駆けた。
お読み頂き有難うございます。