第三話 猫娘(まーにゃん)の里
お楽しみ頂けると幸いです。
「うなぎーっうなぎー!」
黄と黒の虎模様をした立派な毛皮の背中でイチが楽しそうに叫んでいた。
虎男の汪閃はイチを背負ったまま川に入ると、川沿いの水面にごそごそと手を突っ込んでは腕を引き抜く作業を繰り返している。
「イチ、ウナギはなかなか居ないもんだ。今日は違うので我慢しておけ?」
「うーぅー、トラぁ頑張れぇー!」
幸いな事にナマズを1匹捕らえた汪閃がその鋭い爪に1尺ほどの立派な黒い魚体を引っ掻けて戻ってくるとそこには焚火を起したサクが頬杖ついてボンヤリと座っていた。
「サク如何した?」
「問われたサクははっと我に返ると周囲をふり返り、周囲に探し人が居ない事に気が付いた。」
「お侍さんは?」
「はて、また上流で魚取りでは?」
虎人の汪閃が川に入ると察しの良い川魚共はこぞって岩陰や穴倉に潜ってしまう。だからこそ川床の穴に手を突っ込んで魚を探していた訳なのだが、袴石の場合は少し様子が違った。
彼が川に足を踏み入れても魚共は落石が川に落ちた程度にしか警戒しなかった。
そこを刀で弾いて次々と仕留める。以前も野宿の際に披露した彼の漁の腕は中々の物であった。
果たして上流から帰って来た袴石は略手ぶらであった。
イチがブウブウと文句を言うが袴石は苦笑するのみで言い訳もしない。
結局、汪閃が取ったナマズで腹を満たしたイチがくうくうと寝息を立てる傍らサクは袴石に思い切って声を掛けた。
「なあ、お侍さん。」
「前にも言ったが仲間は其れがしの事を『徳』と呼ぶでござる。」
「じゃあトクさん。あんた国に戻れば待人がいるのかい?...その...子供とか...ごにょとか。」
最後の方はごにょごにょと良く聞こえなかったが袴石は問いに答えた。
「妻も子供もおらんでござるよ。勤めを果たすまで我らに休息は無いでござるからな。」
膝を抱える様に俯いていたサクだったが、頭を上げると袴石を覗き込むように首を傾げた。
「本当?お勤めって何?」
「大蛇でござる。この国には今大蛇が蔓延してござるよ。奴らは狡猾で人知れず村や町を掌握し人々を食いつくす。人を食らった大蛇達は進化するでござる。3つ首以上の大蛇は卵を産み増えるので早めに退治する必要がござる。」
「うちの村見たいに大勢が食われちゃうって事なのね?」
「そうでござる。我らは将軍様直々に大蛇駆除を任された同心の集まりだったのでござったが。」
「だった?」
「実は我らが根城を六首の大蛇に襲われて棟梁が殺されたでござる。奴は其れだけでなく将軍様から下寵頂いた霊験あらたかな玉を丸のみにして持ち去ったのでござるよ。玉を取り戻すまで戻ってはならんとのお達しで手分けして探しておるでござる。」
「そう..なんだ...」
サクは目を瞑った。
しばらくすると袴石は眠ったサクの頭をそっと撫でてやった。
◇
田園の向こうには山々が見え、晴天の空の下微かに山向こうから煙が立ち上っている。
青草の茂る田舎道を歩いていると前方より陣笠を被った胴抜き袴姿の侍がやって来た。侍が腰に差す大小の刀の柄は朱色の糸で巻かれている。
淡々と歩くその侍は、あと20尺程度に近づいた時いきなり刀に手を掛けた。
先頭を歩いていた汪閃は背中のイチを袴石に向かって放りなげるとメキメキと音を立て踏ん張った。
そして突然の事にオロオロしているサク目の前から一瞬で消え失せ、次の瞬間には前方で刀を振り回す見知らぬ侍と汪閃との戦いが始まっていた。
汪閃の攻撃は腕が霞むほどに凄まじかったが侍の剣もまた神速であった。
イチをサクに渡した袴石があちこち刃が欠けた刀で割って入るまでの十数秒の間で交わされた斬撃の数はお互い百を軽く超えたであろう。
ガキィイン
刀と刀がぶつかり朱柄の侍の手が止まった時、その侍は陣笠の奥から低い声でこう言った。
「袴!何故止める!」
「落ち着け赤石殿、これは仲間でござる。」
「我らが同心に虎なぞおらん!」
「まあそう言わず剣を引くでござる。六つ首はここにいる汪閃の故郷近くに潜伏して居るでござる。慣れぬ土地故案内して貰うでござるよ。」
「むう、道案内か。ならば良かろう。先ほどの腕では到底奴らには叶わぬだろうからな。それより聞け!我等サムライマスターの師匠が討たれた。」
「なっ?!鎌石殿が?」
一行は話しながら宿場を目指した。
後半日も歩けば小さいながらも宿場があるという。
「しかしグランドマスターの称号を持つ鎌石殿が討たれるとは、敵は手練れが多数だったのでござろうか?」
先頭を黙々とあるく朱柄の侍『赤石』に袴石が話しかけると彼は振り向きもせずに大声で怒鳴った。
「奴ら卑怯にも火攻めを使いおった。儂は師匠に言われて酒を買いに出とったから難を逃れたがやつら1本、2本{注:首}といった雑兵が肉壁となり師匠を火で囲いよったのだ。」
「そうか...しかしあの人の事だから案外生きておるかもしれんぞ?」
「そうだなっ!たかが油の火だ。収まったら掘り返して見よう。」
そんな会話を呆れた様に聞きながら虎男の汪閃は袴石の着物の裾をちょんちょんと引っ張った。
「おい、袴石の旦那。このままその宿場に行くのは危なく無いか?」
小声で言ったのだが前方で赤石が怒鳴った。
「儂は腹が減って居る!腹が減っては奴らを斬る事も出来んから宿場に行くのだっ!」
大声で怒鳴り散らす赤石は意外な事に耳は良い様だった。
「この先を左に逸れればマオニャンの隠れ里がある。俺達の仲間も逃げ込んでいるかも知れないのでそこへ向かうのは如何だろうか?」
「飯は?!」
「たんまり食わして貰えるはずだ。」
「トラ!早う案内せいっ!」
◇
「汪閃様、この者達は何ですか?切り捨ててしまいましょうか?」
「猫娘!飯じゃっ!」
「ねーこ、にゃーにゃー。」
「人間の子供っ!早く汪閃様から降りんと叩き切るぞっ!」
マオニャンの里には猫人の若い娘達が数人の虎人と共に暮らしていた。
この地方の遊郭に囚われていたのを獅子王を尋ねる旅路の汪閃達が通りかかった際に助け出して隠したのだ。その後北上中に六つ首の追手に襲われ汪閃の兄は毒を食らいそれが元で病に倒れたという。
「我らを追って来た追手は辛うじて葬りましたが元々少人数で行脚していた我らは散り散りになり、兄は自分たちだけでも先に進むと言って聞かず..。」
「汪閃様、ご無事でなにより!王太子様は?」
一人の屈強な虎人が猫娘の報を聞いて駆け込んで来た。刀傷で片目が無かった。
「タイガ殿、兄は崩御した。」
イチの手を取ったサクがそっと袴石の耳元に囁いた。
「ねえ、もしかして...」
刀傷の武人は音を立てて片膝を付くと臣下の礼を取った姿勢で視線を落としたまま叫んだ。
「それでは貴方様が今から我らが王です、汪閃様!」
◇
「えーん、トラぁあ。」
イチが泣きべそをかいているがいるが何の事は無い。汪閃が負ぶってくれないのでぐずっているだけである。
「イチ、他の者の前でそれをやると色々面倒なのだ。ここにいるお初が負ぶってくれるから暫く我慢してくれぬか?」
まったく王の威厳が無いがこれが汪閃である。
「初めて対峙した時に爪筋に何かを感じたが、やはり正統派の流れを組む武術を体得しておったでござるか?」
隣では袴石が御猪口を片手にほろ酔い気分で、赤石に至っては物凄い勢いで飯を食ったと思えばそのまま倒れ込む様に眠ってしまった。
「なあ徳さん。その酒美味いのか?ちょっとおくれよ。」
サクが御猪口に手を伸ばすがピシリと袴石に手を手たかれて引っ込める。
お初と呼ばれた赤い着物を纏った三毛猫娘はイチを優しくおぶうとゆっくりと揺すってあやしていた。暫くすると背中からすうすうと寝息が聞こえてくる。
「して、袴石殿。この村にはタイガと部下の3名がたどり着いていた。彼らなら1本、2本{首の大蛇}といった雑兵の100人は相手出来る。俺も雑兵なら一人で50人は相手できる自信がある。」
「そこなんだが、何故それ程強者揃いのお主らが攻め滅ばされたのか不思議に思っておった。」
「罠に嵌められたのだ。」
虎人の国はここから南方に行った高い山脈の中にあった。
天然の要塞である切り立つ山々は馬での行軍を困難とし、歩兵も細長い列に成らざる得ない。
虎人達はその並外れた脚力で山肌を飛ぶように駆け、一対一では人間の10人隊長が束になって掛かっても負け知らずだった。其れゆえ彼らは少数ながらも独立した王国を維持していた。
ある時、虎人の王に隣接の城主が宴会の誘いをした。
虎人と周辺国の関係は良好でお互い不可侵を守り交易をする仲であった。
なので王は王子たちと十数名の腕に自信がある側近を連れて城を訪れた。
城の中庭で催された宴会は酒樽が並べられ、虎人も人間も大いに酔った。
「そして、宴たけなわになった時。城主が化けたのだ。そう、本物の城主は既に六つ首に食われておったのよ。」
「何と!?」
「ああ、その後押し寄せた3つ首や4つ首の群を見て我は身近にいた兄を抱えて逃げ出した。兄は随分酔っぱらっておったから危ないと思ったのだ。奴らの中には白い五つ首も居た様に思えたがそれは言訳。そう、私は父を見捨てたのだ。その事で兄からは随分責められたものだ。」
「賢明な判断でござったよ。例え手下共を全て倒したとしても六つ首は別格でござる。此方が大勢で囲まない限り勝てないでござろう。」
「ふっ、俺より遥かに強い袴石殿がそう言うくらいだ、奴は相当に強いのだろう。実際六つ首を見た時は震えが来た。奴の右から3本目の首が黄金に輝いておった...」
それを聞いた袴石の眼光が一瞬鋭く光った。
「汪閃殿、奴は我らが命より大切な玉を飲み込んでおる。玉の力でお揃い程の力を付けてもおる。じゃが、その首を切って吐き出させれば我等でも倒せると信じているでござるよ。」
◇
「という訳で、サクとイチは留守番でござる。」
イチは汪閃の尻尾を引っ張り抗議していたがサクは目を合わせようともしなかった。
猫娘達の村には虎人一人を残し、汪閃達4人と同心2人は宿場を目指した。
しかし宿場手前で同心達は姿を消す。
「いらっしゃい。あら虎の人達、もう戻って来たのかい?」
宿の女将が愛想よく出迎えてくれた。
しかし半月程前にこの宿を発ってすぐに大蛇共に襲われたのだ、この宿が無関係とは到底思えなかった。
「路銀が心もとないのでね、皆同じ部屋でお願いするが良いか?」
「飯は如何されます?」
「握り飯に魚を付けてくれるか?酒は要らんが灯りの油を一瓶欲しい。」
飯を食うと早々に眠りに付いた汪閃達だったが夜も更けて来た頃、ムクリと一人また一人起き上がった。
「汪閃様、蛇共の匂いがします。」
「うむ、予定通りだな。では皆離れんように付いてこい。」
そっと布団を抜け出した虎人達は闇夜に跳躍した。
「やはり襲って来ました!」
たどり着いた先はすこし小高い山の斜面、抜け出した旅籠が良く見えた。
旅籠からは火の手が上がり人々が走る回る影が見える。大蛇では無く汪閃達が放った火の手だった。
「奴ら裏山を伝って戻る様です。」
タイガが鼻をヒクヒクさせながら報告すると同心達は刀を抜いた。
「お前らは先回りして敵の足止めをしろ。我らが後ろから一網打尽にしてくれる!」
赤石が脱兎の如く駆け出した。袴石もそれに続く。旅籠の火事を目の当たりにした敵の一行は暫く首をうねうねうねうね相談していたがやがて来た山道をえっちらおっちら油壺を抱えて引き返し始めた。彼らが向かった先には山中を切り開いた野原に戦陣が設けられ、四つ首の大蛇が指揮を取っていた。彼は名を『金光』と言った。
「シャアアアア!」(金光様、直ぐ近くで火の手が上がりました!)
「シャアアアアア!」(何ぃ!?者共出陣じゃっ!)
部隊が本陣に合流する手前でタイガ達が立ちふさがり石を投げて敵の油壺を割ると油まみれの1本首共に向かって火を放った。1本首共は50匹程居たが皆油壺を持って動きが鈍重になっていた事と火に炙られ動揺した事からタイガ達にとっては一方的な殺戮の場となった。
後ろから追いついてきた赤石も燃え盛る蛇共をバッサバッサと切り倒す。やがて本陣から二つ首共が押し寄せて来たが同心達が加わった彼らの勢いは衰える事がなかった。
そして本陣ではいち早くたどり付いた汪閃が4つ首の金光と一対一で向き合っていた。汪閃の足元には三つ首の大蛇が一体、物言わぬ体で転がっている。
「こやつを一撃とは中々やる。しかし我を同じとは思うなよ?」
「何だ四つ首ともなるとその姿で人語を流暢に語る様になるのか?そもそもお前らの頭にはそれぞれ脳みそが入っているのか?」
「愚弄するか獣の分際で、我が太刀受けて見よ!」
金光は細い腕で刀を抜いて斬りかかった。
ひょいと避けた汪閃だったが遅れて襲い掛かってきた4つの蛇の咢に肩を掠られ膝を付いた。
「ぐっ毒か?卑劣な...」
「馬鹿め、これが我らの戦い方よ!」
蛇の大顎が汪閃の頭を齧ろうと襲い掛かる。汪閃は力を振り絞って毒牙を掻い潜ると必殺の爪で四つ首の腹を掻っ捌いた。
「グおおお...」
「汪閃っ!大丈夫でござるか?何故一人で突っ走った?」
雑兵共を倒し尽くした袴石達が本陣に倒れる汪閃を見つけて駆け寄ってきた。
「兄貴の..兄貴の 仇を討ちたかったんだ。」
「とにかく汪閃を里迄連れて行くでござる。」
「いいや、儂はこのまま敵の城迄駆け上る!」
「赤石殿っ!」
袴石の制止も聞かず赤石は駆け出してしまった。
残された袴石達は汪閃を宿まで担ぎ込むと荷車を借用して里へと走った。
彼らが生きている事をしった宿場の者達は皆一様に膝を付き天を仰いだ。
そう、執念深い大蛇共がこれを許して於く筈がなかったのだ。
◇
タイガが毒を吸い出したにも拘わらずパンパンに腫れあがった肩や顔で苦しそうに呻く汪閃の元に翌朝サクが訪れた。
彼女の足は泥に汚れ目には隈が出来ていた。
サクを見た袴石は驚くがその手に握られていた物を見て頷いた。
直ぐにお初が呼ばれサクが持ち込んだ木の根をすり潰して汪閃の傷に塗り込む。
「サク、助かった。」
袴石が頭を下げるとサクはプイッと横を向いて小さく呟いた。
「別にトラの為に取って来たんじゃないだから。」
第三話 「猫娘の里」終わり。(第四話につづく)
読んで頂いて有難うございます。