第二話 虎男
お楽しみ頂けると幸いです。
山間の道を抜けると青々とした田んぼが広がる大きな平野であった。
胴抜き袴の背中に子供を負ぶった侍と少し離れて後ろを歩く少女の一行はあぜ道を抜けて川辺にたどり着いた。
「魚でも取って今晩の飯にするでござる。その前に、どれ火を起すからイチを連れて川で体を洗って来ると良い。」
「覗いたりしないでよ?」
「勿論でござる。火を起したら拙者は離れて魚を取るでござるからな。足を滑らせん様に気を付けるでござる。」
「ふんっ!イチ、いくよ?」
イチの手を引きススキの茂みえ隠れる様に着物を脱いだサクは冷たい川面にそっと足を付けると思い切ってざぶざぶと水に入って行った。
「ほらアンタもお出で。泥だらけの足を洗ってあげる。」
イチは水が怖いのか小さな頭を振って座り込んだ。仕方がないので裸のまま戻ってきたサクはイチを立たせるとその薄汚れた小さな着物を剥いでやった。
「これも洗っちゃおうか?って!」
サクは何かに驚いたが、直ぐに気を取り直して優しくイチを抱きかかえるとゆっくりと浅瀬にイチを導き足や背中をイチの着物で丁寧に拭ってやった。序に自分の体と着物も洗うと二人はずぶ濡れの着物姿で焚火迄戻って来る。サクの着物はピッタリと体に絡みその小さな凹凸を精巧に映し出していた。
火の回りには約束どおり袴石の姿は無く二人は着物を木の枝に干すとゆっくりと火に当たって暖を取る。
初夏の昼過ぎは焚火が直ぐに要らないと感じる程暖かく、良く絞ったペラペラの着物はあと1刻も火に翳せば乾いてしまうだろう。
暫くして乾いた着物を二人が纏った頃に丁度袴石が戻って来た。
1刻以上も上流の浅瀬で何やら刀を振るっていたが左手にもった青いススキの枝の先には反尺(15センチ)程の川魚がずっしりとぶら下がっていた。
「旨そうな魚だな?」
「どうでござるかな?骨っぽいし鮎では無いので味は良くないと思うが、塩を掛ければ食えん事も無いでござろう。」
そういって袴石は脇差で器用に魚の綿を取り出すと木の枝に差して火で炙り始めた。
袴石は不思議な男であった。大小の刀を腰に差し、言葉使いも武士なのであるが武士の魂である刀で魚は刺すは腹は捌くしススキも切るしとちっとも武士らしくない振る舞いもする。
10本以上並んだ魚串は直ぐに香ばしい匂いを立て始め、涎を垂らしたイチが手を出そうとするがそれの手を「腹を壊すから良く焼けるまでは我慢でござる」と袴石が制止した。やっと許可が出たのは焼き始めてから随分時間が経ってからの事であった。
「旨い!」「うん美味い!」
サクとイチはパクパク魚に食らいつくが袴石はそれほどでもなかった。
寧ろ渋々といった風にチビチビと魚の背を齧る袴石は連れの二人を可哀そうな目で見ながら次にもし町に付いたら二人にもっと美味い物でも食わせてやろうと心に誓うのであった。
ガサガサっ
「何者!?」
ススキの茂みから現れたのは本来この地方には居ない筈の黄色と黒の縞模様をした生物。しかしそれは短いズホンを履き二足歩行をしながら両手を軽く上に持ち上げてこう言った。
「何もしない。只腹が減ってるんだ。」
「虎男とは珍しいでござる。もっと南に行かないと見る事など無いと思っていたが?」
「おいら汪閃って言うんだ。その魚旨そうな匂いだね?」
「汪閃、座ってお前も食うでござるよ。」
若い虎男が大きな体を袴石とサクの間に潜り込ませるとサクは目の前にあった串を両手で掴んでこれは私のだとそっぽを向いた。
その瞬間、虎男の背中で揺らめいていた立派な尻尾がシュンと力なくうな垂れた。
それを見たイチが自分の手に持った串を差し出すと汪閃は嬉しそうに齧りかけの焼き魚を頭からバリバリと頬ばった。
「イチ、お前も食うでござる。汪閃には拙者の分をやるでござるよ。」
その日の野宿では汪閃を布団代わりに幸せそうに熟睡するイチの姿が有った。サクは袴石からも汪閃からも少しだけ距離を置き膝を抱える様にして眠っている。
そこへ村落の方から松明を掲げた村人達がやってきた。焚火の明かりを見てやって来たのだろう。
みな口をつぐんで不安そうに彼らを見ていた。
「あんたら、どこの者だ?」
「拙者たちは旅の者でござる。南へ向かって旅をしているでござるよ。」
「お侍さん、その虎男も仲間なのかい?」
先ほどから汪閃の耳がピクピクと動いている。目を覚ましているが様子を伺っている様だ。
「彼とは今日出会ったのだが、風貌に似合わず温厚な青年の様でござるよ。」
突然村人の後方から声が上がった。
「そんな筈はなか!うちの子供が食われただ。そいつに違いない!」
ざっ
突然立ち上がったサクが鎌を構えたので村人達はどよめきながら手に持った竹棒を構える。
「まて、まて、まて。明日の朝、そちらに出向いて話をしよう。武士に二言は無い。どうでござるか?」
袴石が必死にとりなすと村人達はしぶしぶ帰って行った。
そして翌朝、 汪閃の姿はどこにも見当たらなかった。
◇
「なんだい、虎は逃げちゃったのに何で村に向かうんだい?」
後ろでサクが不満そうに言った。
「ふむ。武士に二言はないと申したでござるからな。それに汪閃からは血の匂いがしなかったでござる。彼は潔白でござるよ。」
袴石の背中にはイチが負ぶわれていたが、どうやら少々傷心気味の様であった。
「トラいなくなっちゃった..。」
「イチ、またどこかで会えるでござるよ。」
しかし村の入口で村長の家を聞き尋ねてみると何人かの村人が既に集まっていて、虎男が居なくなったと正直に言うと「それ、見た事か!」と大騒ぎになった。
「子供は寺に集めろ!男衆は手分けして虎狩りをするぞ!」
バタバタと出て行く村人達を尻目に袴石は年老いた村長にゆっくりと話しかけた。
「村の童が食われたそうで?噛み痕はどんな風でござった?」
年老いた村長は目に掛かるほど伸びた白い眉毛の下で瞬きをしながら袴石を見つめこう言った。
「お侍殿、食われた童は皆行方不明なのですじゃ。ここ数日で童がもう5人もおらんようになりました。山を探しても川を探しても出てきません。そうこうする内に誰かが山から川の方へ降りて来った虎を見たと言いました。それで昨日まで虎を探しておったのですじゃ。」
「ふむ。居なくなった童が最後にいたのは何処か分かりますか?」
村長は裏山の方を指さした。
「子供達の遊び場になってましてな。今は念の為に誰も立ち入らん様に言って聞かせています。」
◇
イチを村長の家に預けた袴石は裏山へ向かった。
後ろからはブツブツ文句を言いながらサクが付いて来る。
「サク、無理してついて来なくてもいいぞ?」
「お前を討つのはこの私だ。逃げない様に見張っているんだ。」
「その割には寝首を欠こうとはしないんだな?」
確かにサクは一度も寝首を狙おうとはしなかった。
「ふんっ!正々堂々仇打ちをしなくちゃ意味が無いんだ!」
出会った頃と違いサクの眼には知性が感じされた。恐らくサクは気づいているのだろう。自分の両親を惨殺したのは5頭大蛇の手の者で袴石はサクの両親を殺したと嘘を付いている事を。
なぜ袴石がその様な嘘を付いたのかは分からなかったが大蛇を倒した後彼はサクにこう言った。
『大蛇を退治すればと思っていたが、未だまだお前に討たれてやる訳には行かなくなった。俺は6首の大蛇を探している。サク、お前はどうする?』
6首の大蛇、そのような恐ろしい妖が本当に存在するのだろうか?
サクは袴石の背中を眺めながらそんな事を思い出していた。
「!」
山間の日陰道に入った瞬間であった。
突然袴石に押し倒されたサクは逃れようともがいた。
口元は鼻ごと手で塞がれ声もあげれない。腰の鎌は抜き取られ近くの草むらに投げられてしまった。
自分を抱きかける様に圧し掛かる袴石を必死で押し戻そうと腕を動かすが侍の腕は頑としてうごかず、サクの細腕からは見る見るうちに力が失っわれて行った。
ぐったりと力を失ったサクの目尻から一筋の涙が零れた時、鉄の様に体を押さえていた戒めが突然放たれたのだった。
「もう大丈夫でござる。」
「ぐっぐすっ。何が大丈夫でござるだこの変態!」
右手で乱れた裾を取り繕いながらサクはトクトクトクと真逆さまにした1小瓶の注ぎ口の様に波打つ小さな胸を左手で押さえてみるが鼓動は一向に収まらない。袴石が投げ捨てた鎌を拾って差し出したのがまた気にくわなくて鎌を投げたがひょいと躱された事が又悔しくて涙がポロポロと零れ落ちた。
「やはり此処から先は危ないのでサクは村長の家で待でござるよ。」
再度拾って来た鎌を差し出され、渋々受け取ったサクは胸を押さえながら山道を戻って行った。
それを見送った袴石が振り返った時、袴石の顔は黒曜石で出来た石像と化していた。
「出てくるでござるよ。汪閃殿!」
「まさか俺だとまで気が付いて居たとは、お侍さん凄いんだね。」
「拙者は山の奥に潜む人食いの妖に用事があるでござる。そこを通すでござるよ。」
汪閃の毛が逆立ち、掌からは鋭い爪がメリメリと生えてくる。
「ダメなんだ...お願いしたけど食べるのを止めてくれないんだ。でも守らない訳には行かない..。そうだろう?だってたった一人の肉親なんだよっ!」
筋肉で膨れ上がった大腿筋で汪閃は一瞬にしてツバメを凌駕する速度にその巨体を加速するとすれ違いざまに袴石を爪で滅多切りにする。
「ぐっ」
しかし逆に汪閃の鋭い爪が酷く傷ついた。中には折れて血を流している爪まであった。
一方、袴石の方も着物を切り裂かれその硬い黒曜石の体には所々爪痕が残されていた。
「むう、汪閃殿...これ程の力を...。残念でござる。」
爪を押さえて一瞬蹲った汪閃の背に袴石が飛びつき後ろから黒曜石の輝きをした腕が太い首筋を締め上げる。汪閃は大暴れして背中から地面に倒れ込み袴石を剥がそうとするが石の様に硬い彼の腕はビクともしなかった。
やがてフラフラと倒れ込んだ汪閃の背から元の人肌姿に戻った袴石が立ち上がった。
袴石はそのまま山道を登って行く。
暫く歩くと小さな沼に面した小道に出た。
沼の反対側には小さな猟師小屋があり彼は迷わずそこを目指す。
ギイ
ドアを開けるとそこにはやせ衰えた虎人が一人横たわっていた。
怪我をしている風はなかったので何らかの病に侵されているのだろう。
ヨロヨロと起き上がった虎人の眼はギラギラと輝いていた。
「貴様から弟の血の匂いがする。信じられんがあの弟を倒したのか?なら今の儂が叶う筈もないな、なにせ今の儂では人間の子供を襲うので手いっぱいだからな...」
乾いた声だった。
「何故村の子供を食ったでござるか?」
「仕方が無かったんだ。儂には使命がある。死ぬわけには行かないんだ。だから童共を食った、それが克服する最後の手段だったからだ...。」
「最後に..。汪閃殿も童殺しに加担していたでござるか?」
「あれは甘い性格でな。最後まで反対して、とうとう出て行きおったよ。」
次の瞬間やせ衰えた虎男は刀で首を刎ねられ絶命した。
袴石は懐から風呂敷を取り出すと跳ねた首を丁寧に包み村に持ち帰った。
◇
「お侍様、どうも有難うございました。」
「うむ、亡くなった童達には可哀そうな事をしたがこれでもう犠牲者は出なでござろう。」
村の入口には村長以下多くの村人達が袴石を見送りに来ていた。
サクとイチはお礼に貰ったダイコンや稗を入れた竹筒などを抱えてホクホク顔である。
「それで、もう一人の虎男の事なんですが...」
「うむ、彼は無関係でござった。それに彼は強い。某に近い腕を持つでござる。同じ虎男というだけで迫害して逆鱗に触れぬ様、そっとしておくが良いでござるよ。」
村長は深々と礼をした。つられて村人達も礼をするが子供達は笑いながら袴石達を見ていた。
彼らに見送られ、川沿いの小道を延々と南へ下っていくと夕暮れ時に丸太を渡しただけの粗末な橋に行き会った。近くには竹林が茂っている。
「今日は此処で野宿するでござるよ。サクは川へ行って水を組んできて欲しいでござる。」
そう言って袴石は眼にも止まらぬ速さで抜刀し青竹を二つ切り出すと両方をサクに渡した。
そして近くの枯れ竹を素早く裂いて火打石で火を付けると皮も剥かずに輪切りにした大根を青竹を縦に裂いた竹ひごの先に差してイチに時々裏返す様に言ってその場を離れた。
川ではサクが水を汲んでいると後ろから誰かが近づいてくる。
「あのー?」
「きゃっ、何だ虎じゃない。アンタ何しに来たの?若しかして仇討ちに来たの?駄目だよお侍の命は私が狙ってるんだから。順番を守りな、順番んを。」
「いや、兄貴は自業自得だと思っているよ。実は迷惑をかけたお詫びにと思って魚を取っていたんだけど。おいらが川に入ろうとすると魚が皆逃げてしまうんだ。それで川べりのあなに手を突っ込んでいたらこれが取れたから...」
「げっ何だい其黒くてうねうねした蛇はっ!」
「それは、ウナギでござるよサク。」
◇
袴石が改めて汪閃の兄を殺して村人に差し出した事を討ち明けたため、場は一時重苦しい雰囲気になったが汪閃はだまって頭を下げたきり一言も文句を言わなかった。
そのうちポタポタとウナギから落ちた油が赤熱した焚火に当たってボッと音を立てると洗った川石を乗せた青竹の鍋からは稗を似た煮汁がグツグツと零れ落ちるとイチの腹の虫がグウウと盛大な音を立てた。
「「うっまああーい!」」
イチとサクが目を白黒させながらウナギを頬一杯に詰め込んでいる。
「こんなうまいもん食った事がない。トラ、また取って来てくれ!」
イチがそう言いってキラキラした目で見ると汪閃はやっと微笑んだ。
「袴石殿、南に進めば我らが虎の国にやがて辿り着きましょうぞ。しかし我国は今や強大な大蛇に支配されております。」
「むう、もしや六首の大蛇ではござらんか?」
「はい、国を追われた兄は北の獅子王に助力を求め国を取り戻す事を望んでおりました。」
「拙者は六首の大蛇を追ってきたでござる。」
「では俺も連れていって下さい。きっと役に立ちます。」
「やったあ、イチは今日もトラと寝るー!」
大喜びしたイチが汪閃のフカフカした胸元に抱き付いた。
それをまじまじと見つめるサクは昼間に袴石に抱きすくめられた件を思い出し頬を赤らめる。
「頬が赤いでござるよサク。感冒だといかんからもっと近くで火に当たるといいでござる。」
そう言って袴石が近づく物だからサクは更に動揺して立ち上がった。
「ひっ火に火照っただけだ。近寄ると鎌で刺すからね!」
汪閃が鼻をヒクヒクとさせながらその様子を笑いながら見ていた。
第二話「虎男」おわり。(第三話につづく)
読んで頂いて有難うございます。
ブクマ等頂けますと作者が喜びますのでどうぞ宜しくお願いします。