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転がる石  作者: ゴスマ
第一幕:大蛇(おろち)
1/9

第一話 両親を殺された娘

お楽しみ頂けると幸いです。

 松脂の匂いがツンと鼻を衝く茶色い瘡蓋のような木肌に力強い緑色針葉を満々と称えた赤松の林を抜けると山合いの湖のほとりには小さな町があった。


 サムライマスターのスキルを持つ剣士、袴石ハカマイシは茶色い山道から眼下を見降ろした。

長旅で喉が乾いたのであろう、風波立つ湖や白壁に赤い屋根が連なる街並みを眺めながら懐から取り出した竹筒から水をぐいっと飲み干すと又歩き出す。


 しかし腰には大小のサムライソードを2本帯刀しているが鞘が綻びお世辞にも立派な恰好とは言えかった。それでも土に汚れた紺の胴袴どうたすき姿のまま町に降りると彼は一目散に飯屋に向かうと居並ぶ客が彼を見てざわめく事などお構いなしに飯屋の女将に言い放った。


 「酒だ。それと握り飯!」


 飯屋の女将は四十路近くの美人だった。やり手の彼女は目尻に皺を寄せながら愛想笑いをする。


 「お侍様、先払いで100文になります。」


 そう言って両手を出した女将に袴石は懐から取り出した金1朱を軽く弾いて渡した。1朱は約450文である。とたんに女将は目尻の皺を更に崩してほくほく顔で厨房へ駆けて行った。


 その時である、恐らく入口の街道界隈から付けてきたのであろう、息を切らした娘が暖簾を掻き分けると座ったばかりの袴石に向かってこう放言した。


 「お前!親の仇だな!仇打ちだ、いざお命頂戴!」


 一瞬飯屋の中が緊張に包まれたが直ぐに客たちは娘に興味を失い各々勝手に飯を食い、あるいは中断された会話に戻っていった。なぜなら娘は両親を惨殺されたショックで見知らぬ旅人を見ると誰彼となく仇討ちを申し込むというこの街ではある種有名人であったからだ。


 「またサクの奴が絡んでるぜ。」


 「可哀そうだが毎度絡まれる旅人達は災難だよな。」

 

 「まあ見てろって。何時も勘違いだって諭されて逃げ帰るんだから。」


 客の男達はみすぼらしい着物姿をした15~6の美しい娘を憐れむ様に眺めながら口々にそう言った。


 しかし意外な事に見ず知らずの侍はサクに向かってこう言ったのである。


 「娘、お前の親御殿は殺されたのか?」


 「しらばっくれるか、この鬼畜めが!」


 少女はサムライの言葉に耳を貸す気は無いようだった。


 「そうか...若しかしたらそれは我の所為かも知れんでござるな。済まん事をした。」


 掴みかけた握り飯を置いて頭を下げた侍に周囲の客は疎かサクまでもポカンと口をあけてしまった。


 しかし直ぐに気を取り直したサクは腰に差した小さな鎌を振りかざすと袴石に向かって振り降ろした。


 「親の仇!」


 キン!


 しかし錆の浮いた鎌の刃先は袴石の胸元には届かなかった。サクの渾身の一撃は左手で抜かれた袴石の脇差しで受け止められたのである。


 「娘、儂の命が欲しくばくれてやる。但し儂が使命を果たしてからにしろ。儂は今からこの先の山に住まうという大蛇おろちに挑む。帰って来れば抵抗せぬから存分に刃を振るうが良い。」


 今度こそ飯屋の中がどっとざわめいた。大蛇とは巨大な蛇の事をさすが、中には妖怪と化す物の居る。特にこの先の山に住まう大蛇は人を丸のみにするほど巨大な多頭の蛇の妖怪と噂されていたのである。一説では奇怪な妖力をも使い来なし今まで幾人もの強者が挑んだが誰も帰って来なかった。


 「嘘をつくな!大蛇に挑んで帰ってきた者は居ない。ならば大蛇に殺される前に私が仇討ちするまでの事!」


 勢いよく鎌を振るうサクの瞳孔は異様に開いていた。正気では無い証拠であった。しかし正気に戻れば彼女も分かっているはずであった。彼女の両親を惨殺したのは目の前の男では無い事を。しかし誰でもいいので仇を作らなくては生に耐えられない程サクの心は悲しみと憎しみで荒みきっていた。


 「女将、馳走になった。徳利を1本頂くが先の代金で足りるであろう。では!」


 侍は酒の入った徳利を1本鷲つかむとサクの狂刀をひらりと避けて駆け出した。それをサクは必死で追う。


 「まっまいどありー!」


 女将が暖簾をくぐり外に向かって大声を上げた時、既に侍とそれを追うサクの姿は小さくなっていた。


 ◇



 「はあ、はあ、はあ..。」


 両ひざに手をやり苦しそうに大きく肩で息をするサクの眼の前で袴石は小川に手を差し入れると水を口に運んだ。小川のヘリには領主名で立札が有り、ここより大蛇が出現するので立ち入りを禁止すると書いて有った。


 「うむ、美味い!そなたもどうじゃ?其方というのも仰々しいな、名は何という?」


 「はあ、はあ、サクだ..はあ..。」


 「そうか、サク。儂は袴石ハカマイシと言う。仲間からはとくと呼ばれておる。それ、長く歩いたから疲れたであろう。これを飲むが良いでござる。」


 そう言って懐から出した竹筒に水を満々と注ぐと袴石はそれをサクに向かって放り投げた。


 水を飲みながらサクは袴石を睨め付ける。額には汗が流れ、粗末な着物の脇元から覗く白い脇元は大きく上下していた。


 それをどこ吹く風と袴石は近くの木の葉を千切ると口に含み噛み始める。


 「もぐもぐ、これは不味いが元気が出る葉である。サクもどうでござる?」


 差し出された青臭い葉をオズオズと受け取ったサクが其れを口に含み一噛みするや否や直ぐに小さな薄紅いろの唇から緑色のどろっとした唾液を吐き出した。


 「ぺっぺっ不味い!」


 そう言いながら鎌を振り回すサクの攻撃をひょいひょいと身軽に避けながら袴石は軽快に笑った。


 「ふははは、我慢して噛んで居ればそのうち元気になるでござるよ。」


 ガサガサ!


 その時茂みの奥で何かが動いた。


 「誰だっ!」


 サクが鎌を構えて恫喝すると茂みから出て来たのはなんと小さな子供であった。


 「小僧、ここは大蛇の住む山へ続く道、早く親もとへ帰るが良いでござる。」


 袴石の忠告をその小さな鼻でフンっと笑い飛ばすと子供は泥に汚れた太もももをボリボリと掻きながらこう反論した。


 「おっさん、大蛇の居場所迄案内してやるから10文よこしな!」


 ◇


 子供の名前は「イチ」と言った。


 「一」なのか「伊地」なのか分からなかったが袴石もサクもそんな事は気にしなかった。


 夕暮れに集めた木切れに火打石で火を付ける袴石にサクは飽きずに鎌を向けて威嚇した。


 「明日になって大蛇に殺される前に私が引導を渡してやる。」

 

 「おっと、サク。その鎌を少し貸すでござる。」


 ひょいと鎌を奪われたサクはそれを取り戻そうとピョンピョン跳ねるが高く翳された鎌に手が届かず、怒りながら袴石の背中に飛びついた。袴石はそのままサクを背中に背負ったまま鎌をブンっと茂みに投げつけると投げた鎌を取りに茂みに分け入っていった。


 「痛い、痛い、枝が痛いって!」


 泣き言を言いながらも必死でしがみ付くサクを背負った袴石が茂みから出て来た時、その手にはサクの鎌と1匹のウサギが握られていた。鎌の先には血が付いて居る、ウサギの血だ。


 「うわあっ!それ食うの?!」


 見すぼらしい身なりのイチが小躍りして喜ぶ。背中にへばりついていたサクも手早く皮を剥がれたウサギが火に掛けられ美味しそうな匂いを立てだすとイチと並んで日の前で目を細め鼻をクンクンさせながら半開きの口から涎を浮かべだした。


 「さあ、遠慮せずに食うでござる。」


 袴石の号令で二つに裂かれたウサギ肉はあっと言う間にイチとサクの胃袋に仕舞われて行った。その様子を微笑みながら袴石は眺めていた。


 ◇


 翌朝、昨日の残り火から紫の煙が立ち昇る中、イチは山を指さして言った。


 「この先の洞窟に大蛇はいる。昼間は寝ている筈だから行くと良いよ。」


 約束の10文を受け取るとイチは目も合わさずに山道を駆け下って行った。


 「ちょっと!あんた本気で大蛇に挑む気?」


 サクの眼からは出会った頃の狂気が薄れていた。


 「大蛇は立ち上がると身の丈10尺(3m)にもなるという。危ないからサクは待っているでござる。必ず戻ってくると約束するでござるよ。」


 「ふんっ!蛇にでもなんでも食われると良いわ!」


 そういって地面にどっかと胡坐を組んだサクを置いて袴石は洞窟の入口へ向かう。しかし洞窟には入らず通り過ぎると彼はそのまま山を登って行った。


 その頃、座り込んだサクの元にイチが戻って来た。


 「お姉ちゃん、逃げなよ。奴らが来るよ?」


 「なにさ、何も居ないよ。脅かすんじゃないよ?」


 それでもぐいぐいと手を引くイチに連れられるように来た道を引き戻すサクであったが、突然イチがサクを茂みに引き込んだ。


 小さな顔がサクの額の真近に迫った。サクは身の危険を感じて構える。


 「なっ!」

 

 「しっ!見つかるっ!」


 小声で囁くイチの真剣な口ぶりにサクは思わず口を噤んだ。小さなイチの体から早い心臓の鼓動が伝わって来た。抱かれたサクが目を閉じて体を預けた時、麓からの道を駆け上ってくる戦闘集団が姿を現した。


 全員が陣笠を被り全く同じ黒っぽい服を着た一団は腰に帯刀はせず、背中に2本の長い鉄の筒のような物を背負っていた。


 「領主様の手下だ。あの侍を殺しに来たんだ。」


 「っ!あいつは私の仇なの。抜け駆けは許さないわ。」


 「諦めなよお姉ちゃん。ここの領主様には逆らえないよ。知ってた?大蛇は殺しちゃ駄目だって領主様が決めたんだよ?」


 そう言って俯きながら手を緩めたイチにサクは詰め寄った。


 「あんた!大蛇がいるっていう洞窟の話は本当なんだろうね?」


 「嘘さ。だって領主様のお達しだから。オロチを殺しにくると皆殺されるんだ。お姉ちゃん、悪い事は言わないから逃げな。」


 「っ!」


 駆け出したサクをイチは追わなかった。悲しそうに後ろ姿を見つめるとやがて背を向けゆっくりと山道を降りる。その手には今朝がた焚火に放り込んだ煙玉と同じものが二つ。小川の畔にたどり着いたイチの傍に馬に乗り立派な鉄の帽子を被った武士が徒歩兵を率いて近づいて来た。


 「どうじゃ?首尾よくしたか?」


 「犬神様..。首尾よく侍は洞窟へ案内しました。他に仲間は居ません。」


 「そうか、如何に手練れとは言え、洞窟で後ろから撃たれては手も足も出まい。それで、今回は誰の手の物と言っておった?よもや中央の依頼では無かろうな?」


 「分かりません。でも刀がそれほど立派な物ではなかったので恐らく討伐に失敗した者の仲間が仇討ちに来たのかと...。」


 「うむ、其れなら良い。流石は元領主の子、しっかりした者よ。ほれ、褒美じゃ。」


 じゃらりと足元に投げ出されたのは紐を通された銭の束、一貫文{1000枚、千文}はあろう。


 「有難うございます。」


 そう言って平伏するイチの前を武士たちは通り過ぎて行った。


 イチは金を大事そうに懐にしまうと屈みながら大きな木の前にやって来た。

 

 そして土を掘って瓶を一つ取り出すとそこへ金を仕舞いながら呟くのだった。


 「金が溜まったら人を雇っておっとうとおっかあを助けたる。そうしたら殺してやる。彼奴ら全員殺してやる。」


 ◇


 「棟梁、明かりも無くこれ以上進むなどあり得ません、恐らく我らは謀れたのかと。」


 黒づくめの部下がそう進言したのは2丁長銃を背負った一行が真っ暗な洞窟を亀の様に慎重に50mも進んだ頃だった。


 

 「むうっあの小童め我らに立てついたのか?急き戻るぞっ!」


  足音を立てながら一行が出口へ向かうと陽光を背負った小柄な人影が一人。


 「撃て!撃ち殺せ!」


  入口近くで男達が背中の拳銃を降ろすと片膝を付いて眩しい光の中心に立ち尽くす人影に銃口の狙いを定めた、その時。


  ズバッ!ザンッ!


 岩陰に隠れていた袴石が舞い出て剣が舞った。次の瞬間銃を構えた男達は血飛沫を上げて物言わぬ死体へと変わり果てる。


  ブンッ!


  刀に付いた血を振り払った袴石はすぐに身を翻すと男達に襲い掛かる。


 「ダーン」


 誰かの銃口から火が噴いた。


 それは洞窟の入口に立ち尽くすサクの頬を掠めると緑が生い茂る山の空へ消え去った。


 へたり


 腰を抜かしたのか、だらんと鎌を降ろしたサクがその場に座り込んだ。


 「ダーン」「ダーン」


 洞窟内からは銃声が響きわたり、そして直ぐに静まり返った。


 「サク。大丈夫でござるか?」


 血飛沫を浴びた袴石がサクを覗き込んだ時、サクは糸が切れた様に泣き出した。


 ◇


 「ふむ、生きておるとは以外じゃ。お主どうやって生き残った?」


 馬上で部下を待つ犬神は山を下りて来た男女を発見する。男は三十路前後の冴えない胴袴姿、女は服装から如何やらそこらの村娘の様だったが二人共随分薄汚れていた。彼は細まった瞳で袴石を厳しく睨みつけると腰の刀にそっと手を掛ける。一方袴石は傍らにサクを抱く様に抱えていて剣を抜ける状態では無い。しかし馬上の犬神の厳しい視線を袴石は凛と跳ね除けた。


 「その黄金の瞳、貴様も人外の化生であろう。吐け、大蛇は何処だ?」


 馬上では自分より劣る筈の人間から誰何された人型がどす黒い妖気が溢れさせた。それは着物を張り割き膨れ上がった体は双頭の大蛇と変化した。


 「ぎゅふっぎゅふっ、イカリデ...ワレラガアルジニ、カケテイタダイタジュツガ、トットケテシマッタッタデハナイカ...」


 「きゃああぁ、化け物!」


 驚き悲鳴を上げたサクの手を小さな白い手がひっぱる。


 「お姉ちゃん!こっち。逃げるんだ!」


 逃げるイチとサク。化け物との間に抜刀した袴石が立ちふさがると、そこへやはり化け物と化した歩兵達が一斉に襲い掛かった。人型を保ってはいるが皆一様に肌に鱗を生やし瞳は爬虫類の様に縦長に光っていた。


 「!」


 瞬く間に3人の人型が斬られた。


 続いてまた二人、三人と切り伏せられて行く。


 「ええい、部下たちをよくも!」


 双頭の化け物と化した犬神が馬から飛び降りて袴石に切りかかるが返す刀で片頭を割られて青色の体液を吹き散らかした。


 「お前たちの主は何処だ?」


 首元を足で押さえつけられた犬神は喉元に刀を突きつけられても口を割らなかった。


 「まあ良い、大凡の見当は付いた。」


 喉元を刺された犬神は断絶間の叫びをあげて動かなくなった。その瞳には既に光が無い。


 化け物共の死体が転がる中で一人立ち上がった袴石はゆっくりと山を下り始めた。


 ◇


 「なに?大蛇狩りが我らの仲間を殺しただと?嘘を付くなイチ、お前の両親が如何なっても良いのか?」


 「それだけは何卒。お願いします口神コウガミ様、嘘なんか言って居ません。」


 「ではその娘は何じゃ?何故ここに連れて来た?」


 口神と呼ばれた武士が大きな口をパカリと開けると真っ赤な舌がチロチロと踊った。


 「我らはその男に狙わて居ます。おびき寄せる為に一緒に連れて来ました。」


 口神の口は益々裂け、そこには鋭い牙が生え始めた。


 「口神様、どうか食べないで下さい。これからも追手を誘い込みます。役に立ちます!」


 必死に土下座するイチの隣では放心したサクがゆっくりと右手を腰の後ろに回した。


 そして帯に差した錆び鎌の柄を握ると手首を返しブンと口神に向かって投げたのだった。


 「ぐおおおおおっ!」


 ぐしゃりっと片目を鎌に貫かれた蛇の化け物はいつの間にか3つに増やした3つの頭の内一つから火を噴いた。


 「おねえちゃんっ!」


 放心したままのサクを救ったのはイチだった。


 体当たりでサクを炎から救うと手を引き逃げ出した。


 「子供が逃げたぞ!反逆者だ、出会え、出会え!一人も逃がす出ないぞ!」


 障子をけ破ったイチは外からとびこんできた黒い影とぶつかり転がった。


 口神はにやりと笑う。


 「よし、そのまま押さえつけろ。前々から旨そうだと思っていた、今日こそ我がそのわっぱを食らってやる。」 


 「おっと、そうはさん、」


 黒い影は袴石だった。


 「何ぃ!?出会え!ええい、なぜ誰も駆けつけん!」


 「誰も来ないぞ?全て切り捨てて来たからな。次はお前の番だ。」


 袴石の手が腰の刀に伸びたかと思うと一瞬閃いた。


 「グ...オ...」


 首を全て落とされた3頭の化け物は頭を失った首から血の雨を拭きながらどうっと倒れた。


 「ひいいいっ!」


 その様子を目のあたりにしたイチが後ずさりをしながらサクに抱き付いた。


 「サクはそのままイチを抱いて動かずに居ろ。儂はこの館の主を屠ってくる。」


 ◇


 「うふふふふ、童の側近達を一太刀で葬るとは。そなた童に仕える気は無いか?」


 木目が美しい板張りの部屋にはひな壇が有り、ひな壇の上には九重の着物を纏った美しい女が一人鎮座していた。部屋の中央で刀を構える袴石の周りには白に赤袴姿の女中達が体から大量の血を流して倒れていた。いや先ほど迄女中達であった者達というのが正確であろう、倒れている者達は皆首から上が複頭の蛇の化身であった。


 「あやかしを主と仰ぐ気は無い。この地の本当の領主は如何した?食らったのか?付近の村々でサクの両親や多くの民を食らったのもお前だな?」


 「ふふふふふ、妖が人を食らうは妖力を増すのに必要な為、何故責める?貴様は今まで自分の為に殺生した事がないのか?」


 「問答無用!将軍の命により、この地にはびこるお前ら妖を切る!」


 「手練れだとは思ったが、やはり中央の手か!こうなればお前を食らった後中央へ攻め入ってくれようぞ!」


  着物を脱ぎ棄てた美女は細い首筋からムクムクと蛇首を生やし、瞬く間に太くなった首筋からは5頭の鎌首をもたげる巨大な蛇となった。


  尻尾は3本も有り、左右の尾は異様に長かった。その長い尾を鞭のように振りかざして袴石に襲い掛かる。しかし袴石は違う事に気を取られていた。


 「5つ?!貴様、首領では無いな?」


  飛び交う尾を躱しながら袴石が誰何するが化け物はカラカラと笑うばかりである。


 「何を寝ぼけた事を?我が蛇神一族で5頭は最高位を示す。100年に一人生まれるかどうかというこの力、お前如き侍が一人や二人で我を倒せると思うなっ!」


  ガキッ


 確かに先ほど迄側近を屠ってきた刀が鱗に弾かれた。


 「ふはははは、その様な鈍ら童には効かん、効かんぞっ!」


 既に女の姿かたちは捨て去っていたが化け物は女口調で哄笑する。


 高所から見下ろしながら徐々に部屋の隅に追い詰めるその目つきは獲物を前にした蛇の物であった。


 その時、部屋の木戸ががらりと開いてイチが飛び込んで来た。


 反射的に刀を向けてしまった袴石が慌てて刀を引くとイチは袴石の左足にがっしと抱き付くと声の限り大声で叫んだ。


 「蛇神様!今です。こいつをやって下さい!その代わりおっとうとおっかあに合わせて下さい!」


 「よくやった小娘、良いとも合わせてやるとも!」


 喜々としてにじり寄る大蛇を前に刀を引いた袴石は諦めたのか動きを止めた。


 「おい侍!勝手にあきらめるな。お前を討つのは私なんだ!」


 遅れて部屋に飛び込んで来たサクが叫んだが袴石は尾っぽに弾かれ盛大に壁板をぶち破りながら飛ばされた。


 そして大蛇は笑いながらひょいとイチの着物を噛み掴むと高々と持ち上げる。


 「ひいっ!蛇神様何をっ」


 「きははは、お前のおっとうとおっかあが童の腹の中で待っとるという事よ。」


 「うそ...だって二人は蛇神様の所で働いているって...言う事を聞いたら合わせくれるって...」


 「うおおお!」


 サクが鎌で五つ首に襲い掛かるが鎌は硬い鱗を突き通す事が出来なかった。よろめいたサクは膝を付き、乱れた着物の裾から白い太ももが露わになるが大蛇はそんなサクを無視してイチを食おうと大口を開けた。


 「うわわああああん、おっとう、おっかあ!」


 イチの鳴き声が板間に響きわたった。

 

 パキリ...何かが折れる音がした。


 それは壊れた板戸を踏んだ音か、それとも堪忍袋が切れた音か、何方かと言うと青竹を勢いよく踏み砕いた様な音にも聞こえた。兎に角そんな音と共に壊れた壁から血まみれの袴石がのっそりと顔を覗かせたのだった。その手にエモノは無く素手である。


 「まだ死んでおらんかったとは驚きじゃ。だがその出血ではそう長く持たんだろう。娘を食った後に踏みつぶしてくれる。」


 「...だ。」


 「ん?」


 「手前の身勝手もこれで終いだ!」


 突然袴石の顔色がどす黒くなった。皮膚は硬い黒曜石の様に光り徒手も同様に黒光りした。背中からは胴抜き袴の背を破り大きな黒い翼が生え、大きく空を切った羽音の後に一瞬で距離を詰めた袴石の徒手がイチを飲もうとした大蛇の真ん中の首をすっぱりと切り落としていた。


 「ぐげっ」


 驚きとも苦悶とも付かない音を出した残った首も次々と切ろ落とされ、大きな図体が音を立てて板間に沈んだ時、イチを抱いた袴石は元の血まみれの人間の姿に戻ると腰を落とした。


 「お前っ!お前...大丈夫か?」


 駆け寄って来たサクがおっかなびっくり袴石の顔を覗き込むが、苦しそうに顰められた口から出た言葉は意外な物だった。


 「大蛇を退治すればと思っていたが未だまだお前に討たれてやる訳には行かなくなった。俺は6首の大蛇を探している。サク、お前はどうする?」


 「そんなもん決まってら。お前を討つまで付いて行く。」

 

 「そうか...そうしろ。」


 そう言ってよろめきながら立ちあがった袴石は尚も啜り泣くイチをひょいと持ち上げると落とした刀を拾うい領主の屋敷を後にした。その後ろ姿を追う様に小柄な少女が歩く姿を騒ぎを聞きつけて集まってきた町の衆が見たそうだ。


 第一話「両親を殺された娘」終わり。(第二話につづく)



読んで頂いて有難う御座います。

この後、もう一話投稿を予定しています。

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