悪人気取りのとあるたくらみ
私の名はロシェ・ワーズワース。マリスル王国のワーズワース公爵家の長女で、第一王子のレナト・マリスルの婚約者でもある。
……しかし、私はレナトと結婚する気はない。なぜなら、レナトには他に結ばれるべき相手がいるから。
どうしてそんなことが分かるのかって? それは私が実は転生者で、ここが前世でプレイしていた乙女ゲームの世界だから――まあ、このあたりは説明すると長くなるので省略しよう。
私のゲームでの本来の役柄は主人公のライバル令嬢。レナトは攻略対象の一人だ。
私は転生したことに気づいてすぐ、ある決意を固めた。
――私は悪役に徹して婚約を解消し、何としてでもレナトと本来のヒロインをくっつけなければ!
そのために私は、「自分の悪評を学園中に広める」ことを目標に、学園に通うことにした。したのだが、なかなかこれが上手くいかない。おかしい、もっと簡単にことが進むと思っていたのに。
そんなとき、私はひとりの下級生についてある噂をつかんだ。
これを悪評を広めるために利用しない手はない。
私はさっそく侍女のエレインに必要なものと場所の手配を頼んだ。
――放課後。
私は寮の自室でひとりの下級生と向き合っていた。彼女の名はアルル・ヴォーデン。小柄で、ふわふわとした巻き髪が特徴的な、小動物のような可憐さを備えた1年生だ。けれど対面の椅子に腰かけている今の彼女は暗い表情でうつむき、不安からか小刻みに身体を震わせている。
無理もない。アルルの実家は街で洋裁屋をいとなんでいる。すなわち平民の出の一般生徒だ。けれど公爵令嬢である私の部屋に一人で来るようにと呼びつけられた。なにか気づかぬうちに大変な粗相をしでかしたのではないか――そう考えるのが普通だろう。
私はたっぷりと間を取ったあと、「顔を上げなさい」と高飛車な声で言い放った。
今にも泣きだしそうなアルルに、私は重々しく告げる。
「――アルルさん、今日どうしてここに呼ばれたのかは分かっているわね?」
……そう、まずはジャブだ。何をしたのか把握できていない相手に「何が悪いか分かってるよね?」と威圧する。この訊き方は本当にいやらしい。当然何が悪かったかなんて分かっていないのだが、「分かりません……」と答えれば「は? なんで分からないの?」と返され、「分かってます……」と答えると「じゃあ何なのか言ってごらん?」と返され、どちらにせよそこからねちねちと問いつめられる。何が悪いのかって、あなたの頭の中に存在してることなんだからエスパーでもない限り分かるわけないじゃない?
けれど今はわたしは攻撃側だ。だから遠慮なくこの手を使わせてもらう! アルルには自分が何をやらかしたのか分かってないはずだから、ここは「分かりません」と答えるはず。そこで第二撃へ繋げ――
「はい、分かってます……。ワーズワース様の耳にも届いてらしたんですね……」
――られない。えっ? 分かってるの?
……しまった。これは想定外だ。「そう、分からないのね。あれだけのことをやらかしておいて……」と厳しい顔つきで攻め立てる予定が完全に狂った。
しかもアルルは諦めを帯びた表情でこちらを見上げ、これ以上口を開く様子がない。……仕方ない。予定を変更だ。私はアルルが何に罪悪感を覚えているのか分からないまま攻め立てることにした。
「貴方、とんでもないことをしでかしたわね……。これがどれだけ重大なことが分かっているのかしら?」
「はい。もう覚悟はできています。――わたしはこの学園を、去ります」
「え?」
「え?」
え? 学園をやめるの? なんで? しかも彼女の顔には強い決意の色が現れていた。これは相当なことをやらかしてるな……。
彼女がなにをしでかしたのかは私には分からない。しかし学園をやめられては困る。私は彼女に悪評を広めてもらわなければならないのだ。
咳払いをしてごまかし、私は厳しい表情のまま続ける。
「アルルさん、貴方にはここをやめる前にやってもらわなければならないことがあるの。今日はそのためにここに呼んだのよ」
「わたしがやらなければならないこと……?」
「そう。これを作るのよ」
そう言って、私は机の上に置いておいた図面を手渡す。
それに目を通したアルルの顔が驚きに染まり、そして次には泣きそうな顔になった。
「そ、そんな……! たしかにうちは洋裁屋ですが、こんなものを作るのは、いまは……」
「黙りなさい!」
私が一喝すると、ひっ、とアルルが悲鳴を上げる。普段のほんわかした雰囲気の彼女を怯えさせることに心が痛んでしまうが、それをこらえて続ける。
「この私――ロシェ・ワーズワースが作れと言ったのよ? あなたは作らなければならない。それ以外の選択肢はないの」
「そんな……! どうか、お慈悲を……!」
「慈悲? 私は神様じゃないから、あいにくそんなものは持ち合わせてないの。まあ、材料と代金くらいは与えてあげるけどね!」
「え?」
「え?」
アルルはそれまでの悲壮な表情から一転、ぽかんとした顔に変わった。え? 私は何かおかしなことを言っただろうか。
「あの、ロシェ様……。材料を私めどもに提供してくださるのですか? しかも、代金まで?」
「? そうに決まってるじゃない。こんな大掛かりなもの、そうでもしなければ作れないでしょう?」
「ロシェ様……。あなた様は……」
何故だか分からないが、アルルが涙ぐんでしまう。うん? これは苛め抜く作戦が効いてるってことでいいのかな?
とりあえず私は畳みかけて攻め立てることにした。
「それだけじゃないわ。あなた達にはこれを作ってもらう……。ただし、期間は3日後の午後5時までよ!」
「3日後の午後5時……! つまり、6月10日の午後5時までにということですか……!?」
「そうよ。文句ある? 本当なら明日にでも欲しいくらいなんだけど、せっかくだから3日も待ってあげることにしたの。寛大な私の処置に感謝しなさい?」
ぴしゃりと言い放ち、ふんと鼻を鳴らす。
完璧だ。高慢ちきなわがまま娘を演じられている、はずだ。
「これまでこの世界に存在しなかったものを3日で作れという無理難題を押し付ける」。本当はアルルが寮の夕食の残りをこっそりと実家に持ち帰っていることに対する罰として与える予定だったけど、まあいい。これで私の評判が下がることは間違いない!
アルルは私の言葉を聞くと、しばらくの間うつむいて身体を震わせていたが、ついにはわっと泣き出した。
「ロシェ様……! あなたは、あなたは……! 何もかもご存知でいらしたのですね……!」
「え? ああ、うん。そうよ、だからこれは罰なの。エレイン!」
私が指を鳴らすと、扉の前で待っていたエレインが大きな包みをアルルの前に置いた。
「あなたは今すぐに実家に戻ってこれを作る。必要な材料が足りなければこのエレインに言いつけなさい。……ちょっとアルルさん、あなた聞いてるの?」
「はい……! 10日の午後5時に必ずお届けします……! 必ず……!」
「そ、そう? 分かっているのならいいのだけれど。じゃあ、私は夕食をとりに行くから。いいこと、あなたには食事をしている暇などないのだからね。そんな暇があったら手を動かして、これを作りなさい!」
「は、はい! 必ず!」
そう言って私はアルルを残して部屋を出て行く。ぎい、という音を立ててドアが閉まる音が聞こえた。
……ふう。なんだかアルルの様子がおかしかったような気もしたが、これで大丈夫だろう。数日後には私がけなげな下級生に無理難題を押し付けたことが学園中に広まっているに違いない。
私は安心して食堂へ向かった。
――数日後。
私はエレインからの報告を聞いてわなわなと身体を震わせる。
「な……! そんな……!」
「お嬢様、これは当然の結果であるようにエレインは考えますが」
「そんなはずは……。なんで……なんで……!?」
いつものポーカーフェイスのエレインを横目に、私は思わず部屋の中で叫んでしまった。
「なんで私が『親戚の借金を負わされたアルル・ヴォーデンの洋裁屋に仕事をあたえ、アルルを退学の危機から救った素晴らしい人格者』になってるの!?」
「お嬢様……。もしかして本気でまた『ご自分の悪評を広める』ことに取り組んでおられたのですか?」
「エレイン!」
私はあきれ顔の侍女の首元を掴んでゆっさゆっさ振り回す。それを意にも介さず「何でしょうか」と続けるエレイン。
「何があったのか、説明しなさい!」
「はい。実は――」
――アルル・ヴォーデンの一家は街で洋裁屋を営みながらつつましく暮らしていたが、放蕩者だったアルルの叔父がアルルの父を保証人にして大金を借り、夜逃げしていたことが二週間前に判明。一家は急に金策に負われることとなった。
けれど降って湧いた巨額の借金に対して返済金を用立てることができるわけがない。
そこで手を付けたのがアルルの学費のための貯金だった。魔術学園の学費は庶民には高額だが、一家はアルルに期待をかけてこつこつと積み立て、すでに彼女の卒業までの学費を貯めることに成功していた。
それが今回の借金返済で全額消えてしまった――。学費を払うことができないと知ったアルルは学園を辞めて洋裁屋を継ぐことを決意。彼女が寮の食事の残り物を家に持ち帰っていたのは、苦しい家計を少しでも助けるためだったのだ。
それが一転、彼女は学園に通い続けることができるようになった。すっかり諦めて荷物をまとめていたアルルに対し、なんとワーズワース嬢が6月10日――学費の納入期限のまさにその日を期限に大口の仕事を依頼。その代金で今期の学費を納入でき、彼女は学園にいられるようになったのだ。
さらに――。
「私がアルルに作らせた『巨大ぬいぐるみ』が、貴族令嬢の間で大流行中ですって!?」
「はい。今やヴォーデン洋裁店には注文が殺到し、3ヶ月待ちでうれしい悲鳴をあげているとか……。それもあって、お嬢様の評判はさらに高まっております。アイデアを気前よく渡し、アルル嬢が今後学園に通い続けられるように手配した、と……。」
「ちょ、ちょっと。私はあの巨大ぬいぐるみを注文したのは自分のためで、別にそんなんじゃ……。それに、許可なんて……」
「出しましたよ? このエレインが確かにお訊きしました」
「いつ! どこでよ!」
「朝の6時、お嬢様を起こしに行ったときに『そういえばあの巨大ぬいぐるみは、ヴォーデン洋裁店に権利を与えるおつもりですよね?』と私めが伺ったら、『ふにゃ……いいわよ別に……』とおっしゃっておりました」
「私、それ完全に寝ぼけてるじゃない! 無効よ無効!」
「お嬢様、とはいってももう注文が確定している状態です。いまから権利のことをあれこれ言いだすと、他のご令嬢方にご迷惑がかかります」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
「私のせいでしょうね」
「分かってるんじゃない! もう!」
……そのあと涙を目から溢れさせたアルル嬢が訪問してきて、「ありがとうございます……! わたし、ワーズワース様のおかげでここに通うことができます!」と何度も何度もお礼を言われ、私は何も言えなくなってしまったのだった。
悪評を広めるのって難しいなあ……。
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同じシリーズで短編をもう一つ書きました。
「乙女ゲームのライバル令嬢に転生したけど、悪役に徹したい(入学直後編)」
https://ncode.syosetu.com/n8245ev/