ことのはじまり五
お壺が倒れているのをようやく喜多さんがみつける。
喜多「やあやあ、お壺。どうした、どうした。これ、芋七来てくれ。可哀想に何かあったみたいだ」
芋七「こりゃ、目を回している。おぉい、水だ水だ」
喜多「お壺やぁい」
喧嘩を止めに来た、近所の人も今度はこっちに集まってくる。
隣の亭主「お壺とは誰のことだ。ところでここのかみさまは?」
芋七「この目を回したのが、かみさま」
隣「はぁ、弥次さん。おめえのかみさまか」
弥次「はい、俺の女房のようでもあり、又無いようでもあり……」
隣「あぁ、分かったぞ。喜多八さまのかみさまか」
喜多八「はい、わっちの女房のようでもあり、又無いようでもあり……」
隣「まあ、なんにせよどっちのだか分からない。おかみさま、やぁいやぁい」
芋七「こりゃ冷たくなってまった。もういけねぇ」
喜多「えぇ、可哀想なことをした。弥次さん、医者を呼びに行って下さいな」
隣「私が元宅さんでも呼んできてあげましょうか」
弥次「そのついでにお寺にも行ってもらいてえな」
そのうち医者が来るやら、灸を据えるやら、よってたかって色々するが、いよいよお壺の顔色は悪くなる。全くもって生気が無くなると、喜多八は思わず泣き出す。
喜多「可哀想に、身籠っているし、今の騒ぎに血が上ったのだろう。仕方ないことだ。ところで、弥次さんおめえも腹が立っているだろうが、どうか大目に見て一緒にこの後始末をして下さい」
弥次「俺を色々な目に遭わせるな」
喜多「いくら勘当同然にした女でもこうなったら親のところに知らせないといけないな。誰を行かせたら良いだろう」
芋七「それはわしでも行ってやろうが、一体全体これがどういう訳かさっぱり分からない。おらが魚屋で預かっていた女は隠居の妾で、片付けたいと言うからこの家へ世話したのだが、喜多の女房とはどういうことだ」
喜多「まあまあ、あとで分かる。その魚屋には預けたのはおいらだ。それより早く親のところへ知らせてやろう。その魚屋に知らせれば、親のとこまでそこから知らせてくれるだろう」
芋七「そんなら、行ってこよう」
と言って芋七は出ていった。近所の人の手伝いでそこらを片付ける。めいめいが悔みを述べ挨拶をして、ひとまずみんな家に戻った。
喜多「それじゃ、わっちもちょっと店に戻ろう。夕べそっと出たっきりだから、あとはいいように頼みます」
そう言うと喜多さんは紙入れから金を二歩(一歩が一両の四分の一)出して弥次さんに渡して出かけようとする。すると、喜多さんの朋輩(同僚)の与九八がやってきた。
与九「おやおや、ここに喜多八どのがいたか。ご隠居がとうとう今朝方、ご臨終なされた」
喜多「そうだろうな」
与九「それについておかみさまが喜多八には暇をくれると仰っていました。あれはいつもこころざしの淫らなものだ。旦那殿が死なれなら尚の事、女主と侮って不埒なことをするだろう。請負人のところへ引き渡してやれとの事です。私もとりなしてはみましたが、どうもきさまはかみさまに、なんぞいやらしい事でも言ったようだ。あんな面の皮の厚い男見るのも嫌だと仰るからしかたがねえ。弥次郎兵衛さまはあなたですか。お聞きの通りでございますから喜多八どのはここでお渡しします」
弥次「承知しました。これ喜多八。あの通りだが、それでいいか」
喜多「いや、もう、良くても悪くても仕方ない。しかし、どこで失敗したのやら」
弥次「全く忌々しい野郎だ。いっそのこと何もかもぶちまけてやろうか」
喜多「あ、これこれ。謝った。拝むから」
与九「また、折を見て嘆願でもしたらいい。なんにしろ、今日は忙しいからまたそのうちに」
与九八は挨拶もそこそこに出ていってしまった。それと入れ違いに芋七が戻ってくる。
芋七「さあ、親元へは知らせたが、これから葬儀の買い物をしないと」
喜多「ご苦労ご苦労。ついでに買い物に着いてきてくれ」
喜多さんは弥次さんに渡した二歩をとって、芋七を引き連れ棺桶などの必要な物を買ってくる。
弥次「おや、てめえは気が利かないな。ついでに酒でも買ってくれば良いものを」
喜多「それを抜かるものか」
喜多さんは棺桶の中から一升徳利と鮪の刺身を取り出して飲み始める。そこへ同じ長屋の人も加わり大酒盛りとなる。酒あとからあとから買い足され、みんな酔っ払う。
芋七「さあさあ、この勢いで仏を棺桶に放り込んでしまおう。ところで寺はどこだ」
弥次「馬鹿を言え。俺の家に寺があってたまるか」
喜多「そいつはつまらねえ」
弥次「とにかく、棺桶を持っていけばどっかに寺があるだろう」
喜多「そうは言っても棺桶を担いで寺町を歩いたってだめだろう」
芋七「それも面白かろう。わしは寺町へ商いに行くがあそこは呼び方が普通の町とは違う。今の時期なら、死んでいこ(新大根)、ゆうれいそう(ホウレンホウ)、化けぎ(分け葱)、卒塔婆の干物に、石塔の立売(裁ち売)なんかはよく売れるから、葬式も買い手があるだろう。はははははっ」
喜多「可哀想に。洒落を言っている場合じゃない。さあさあ早く葬儀をしましょう」
酔っ払いが大勢あつまって、洒落やら無駄口やら言いたい放題言いながら、仏を棺桶に納めて花を手向ける。そこへお壺の父親が涙を拭きながら訪ねてきた。