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間隙の街

作者: 霧咲悠

 今日もまた、棺が運び込まれている。

 重い音をたてて棺を引き摺る墓守。表情のない顔で淡々と職務をこなすその姿は、もはやこの街と共にプログラムされたシステムのようだ。

 見渡す限りの墓場。広大な大地に広がる大小様々な大きさの墓は地平線の向こうまで続いており、余すところなく墓石群が一面を覆っている。そしてその隙間を縫って建てられた、人間が生活を営む為の街。最低限の家屋だけが建ち、あとは墓石が乱立していた。

 墓石の中には、オベリスクのように屹立しているものや十字架、石を積み上げただけのものもある。風葬などされた者達は棺に入れられ、皆一様に埋められた。亡骸は一切外気に触れることなく、日の光のあたらない場所で安らかに眠っている。

 そしてそれらの墓全てが、一人の人間が生きていた証であり、亡くなった証明でもある。

 次々と命を落とし、冷たい棺に入れられて土の下に眠る死者達。人間は死者を恐れ、墓場という一つの場所に隔離し、閉じ込め監視をした。

 墓守はそんな死者達を見守り、人間の世界に再び戻っていかないようにここで監視する役目を負っている。死後の世界と現世とを隔てるこの世界で、関所の如く死者を管理し、続々とやってくる彼らの未練を晴らすのだ。現世に戻らせない為に。そして、安らかに死後の世界へと旅立てるように。

 頭上、天高く流れる三途の川へ、一切の未練を振り払った魂が無数に浮かび飛んでいっている。ここは現世でも死後の世界でもない、間隙の世界。


 ――今日もまた、棺がひとつ、運び込まれた。


   * * *


「それではおじいさん、いってきます」

 少女のその言葉に、おじいさんと呼ばれた老人が返事をする。

「ああ、行ってこい。儂もそろそろ出かけるとしよう」

 抑揚のない声に見送られ、少女は家の扉を開いた。外に出てまず最初に目につくのは、最近作られた墓石だった。確か親の期待に心を病み、人を殺した挙句に死んでしまった男だと老人からは聞いている。少女はその横を通り抜け、すたすたと墓場の中を歩いていく。未練を捨てた魂がオーブのように宙を漂っていた。

 老人は墓守だ。毎日、溢れ返るほどの棺を運び墓を建てるのが墓守の仕事で、今朝も二十もの死者が運ばれてくるのだと淡々と少女に語っていた。

 この世界では老人に限らず殆どの人間が墓守として過ごしている。そして墓守に対して数十倍もの墓があり、それは留まる事を知らずに増え続けている。しかしここは流刑地ではない。墓守は死者の抱える未練を聞き、それを解消して現世との繋がりを断つ。そうして成仏した魂は死後の世界、所謂天国などと呼ばれる場所へ行くことができるようになるのだ。

「……さて、着いた」

 黙々と歩き続けていた少女は、とある門の前で立ち止まった。横には『立ち入り厳禁』の看板が。少女が閂を外して鋼鉄の格子を掌で押すと、門は滑りの良い様子で音もなく開いた。

 門を潜った少女は丁寧に門を閉じて鍵をかける。そこにも看板が一つ置いてあり『外出厳禁』の文字が書かれていた。それらの警告文に対して、少女は一切動じずに足を進めていく。だが問題はない。看板の対象者は少女ら人間ではなく、この世界にごまんといる死者達だからだ。

 鉄格子を隔てて此方側には全く墓石が存在していなかった。門を通る前までは夥しいほどの墓が乱立していたというのにだ。墓の代わりに幾本もの樹が鬱蒼と茂っていた。

 やがて森を抜けると大きな広場に出た。周囲は木々に囲まれている筈だが、その果ては遠く視認する事はできなかった。そして他と比べて何よりも異質なのが、その中で動いている無数の人の姿だ。しかし他の死者と違い棺で眠るでもなく、また墓守を全てかき集めてもこれほどまでの人数は揃わない。

「こんにちは、皆さん。今日もお話を聞きに来ました」

 少女の言葉にふらふらと動いていた者達は動きを止め、そして少女の前に行列を作り始めた。孤独に亡くなった彼らは、彼女に自らの口惜しい思いを聞いて貰いたがっていた。

 彼らは全て、現世で人知れず亡くなるか殺されるかして、そのまま誰にも気付かれないまま墓も建てられず、弔ってもらえなかった者達だ。それを少女や墓守達は「野良亡者」と呼んでいる。墓に収まる事なく外を出歩き、隙あらば現世へと舞い戻り自らの未練や悔恨を晴らそうとする連中だ。

 死者が現世に戻る事は禁止されている。それは守るべきルールだ。しかし墓守の数に対して死者はおろか野良亡者でさえ圧倒的に多い。故に自らの強い意志で勝手に現世へと下り、幽霊だ悪霊だなどと騒がれてしまう者が現れてしまうのだった。

 未だ正式な墓守ではない少女だったが、こうした事情から自らの修行も兼ねて野良亡者の相手を時折していた。

「それじゃあ最初の人からどうぞ。好きなだけ話してください、あなたの遺してきた思いを」


   * * *


 幾度も日が沈み、昇った。光る球が宙を漂う中、少女は座っていた。目の前には二つの墓。彼らから話を聞くのはこれで何度目だろう。その姿は見えず、死者の声は音を持たないが言葉は確かに頭の中に響いてくる。

 少女がいるのは自宅から暫く歩いた先の丘陵。そこに二つ並んで建てられた墓石の前に座り込み、生前は夫婦だった死者達の嘆きに耳を傾けていた。光球が頬を掠め、そよ風が髪を揺らす。他の墓石が無数に乱立している中、二人の死者は肩を寄せ合うようにして埋葬されていた。

『……私達の息子が昔、ある日突然いなくなってしまったんです』

『俺は何度も警察に頼んだんだけどな、ついにあいつは見つかる事なく捜査が打ち切られちまったんだ』

『私達はあの子の帰りをずっと待っていました。けれど我が家に帰ってくる事は二度となく、手元にやってきたのは捜査で唯一見つかった、私が編んであげたマフラーだけでした』

『結局俺も女房も、あいつが帰ってくる前に病気を患ってそのままぽっくり逝っちまったのさ。……けど、だけどよ、俺はもう一度あいつが家に帰ってくるまでは、死んでも死にきれねえんだ!』

『せめてあの子は無事に生きていて欲しい、そう信じる事だけが心の支えだったんです。でも後悔もありました。死んでしまってからは尚更です。もっと沢山話をしていれば良かった。私たちが生きている内に、あの子がいなくなってしまう前に……』

 何度となく聞かされた彼らの後悔。姿は見えず、もはや彼らに動かせる肉体は無いのだが、それでも確かに頭の中に響く声色は震え、既に失ってしまった思い出に慟哭していた。それが今の少女には痛いほど分かる。

 この世界の人間は皆、死者への感受性が強く、感情が共鳴する事で精神的にも成長していく。それ故に彼らの心は、死者の嘆きを聞く時のみ限りなく鋭敏となるのだ。死者の持つ感情を共有し、その未練を晴らす。そうして墓守たちは死者の魂を空へと還してきた。

「……お二人とも、とてもよく息子さんの事を想っていらっしゃるのですね。私にもその気持ち、痛いほど伝わってきます。突然いなくなってそのまま帰ってこないなんて……抑えようのない不安で胸が張り裂けそうです」

 感情を共有しているからこその、せめてもの慰め。苦しみは分かち合う者がいれば和らぐものだ。ただ、少女の感じている想いは本物だった。今この時だけは、行方知れずとなった彼らの息子の安否が不安で仕方がなく、泣く事の出来ない二人の代わりに彼女がその双眸から大粒の涙を止め処なく溢れさせていた。

『……あんたに一体何が分かる。俺たちは同情して欲しいんじゃない、もう一度でいいから息子に会いたいだけなんだ!』

 しかし返ってくるのはそんな突き放すような切実な言葉。未だ現世とあの世の間隙に位置するこの世界に、こうして彼らを縛り付けている最たるもの。決して戻ってこないあの日を求めて、叶うはずもない願いをひたすら希っている。

 少女がその言葉を聞くのも何度目だろうか。彼らの後悔を聞き、慰め、そしてお前に自分たちは救えないのだと言外に含ませて突っ撥ねられる。これまで幾度も幾度も繰り返したやり取り。少女も彼らの未練を晴らそうと何度も話を聞きに来ていた。しかし投げかけられるのは、我が子に再び会いたいという悲痛な叫びだけだった。

 少女には彼らの未練を晴らす事が出来ず、初めて話を聞いた時からずっと考えあぐねていた。経験が圧倒的に少なく墓守ですらない少女には、こういう死者への効果的な対処法が分からずにいたのであった。

 やがて諦めたように少女は立ち上がると、何も言わずにその場を去る事に決めた。目を赤く泣き腫らし、その頬に残る涙の跡はまだ乾かずに残っていた。少女は二つ並んだ墓石に背を向けながら、自身の無力さを痛感していた。


「どうだ、死者の相手には慣れたか?」

 不意に背後から投げかけられる声に、少女はゆっくりと振り向く。そこには棺を抱えた老人が、少女の様子を窺うように立っていた。

「いいえ……私はまだ全然、死者の方々の気持ちに応えられないようです」

「そうか? まあ確かに姿は幼いが、お前はちゃんと死者と向き合っている。それで充分だ」

 墓守達は生物ではなく、食事を摂取したり成長することはない。また、感情も最初から持ち合わせてなどいない。そんな彼らは死者を空に還す事で歳を重ねて成長していく。死者の未練を取り除き、魂を墓から解放してやる事によって姿形が成長し、その際に死者が発した感情も獲得していく。若い墓守ほどその経験は少なく、死者を還せば還すほど年老いていく。

「そんなことありません。私はいつか立派な墓守になって、野良亡者の方々も空に還せるようになりたいんです。なのに……」

「お前は昔からそれを言っているな。ふむ、目標があるのは良いことだ。私は死者から受け取った感情が混沌としてしまって、もう目を輝かせて夢を語る事もなくなってしまったな。……なあに、お前ならきっとその目標を果たせるさ」

 少女の頭に手をぽんと置くと、老人は棺を担いで去って行った。声こそ感情のないものだったが、口元には微かだが確かに笑みが浮かんでいた。その表情はまさしく、長年世話をしてきた少女に対する親のそれだった。

 老人の背中を見送った少女は静かに一礼をする。そして次に話を聞く死者を探して歩き始めた。墓守の多くはまず新たな棺を丁重に埋葬しなければならないので、手の空いているものは少ない。その分、未だ棺や亡骸を埋葬する仕事のない自身が死者の話を聞き、少しでも役に立たなければと少女は考えていた。


   * * *


 その日の少女は、鋼鉄の鉄格子で隔離されている野良亡者の広場へと足を向けていた。

 野良亡者は一体何故あのような鉄格子で隔離され、内と外からそれぞれ死者の移動を禁じる必要があるのかと少女は考える。それは野良亡者がその強い未練によって現世に下ってしまうことにより、墓守達から「悪しき者」「不浄な者」という評価をされているからだ。勿論一部の墓守はその限りではないが、大凡の認識はそうであった。

 さらに、野良亡者の持つ未練の強さによって、それが普通の死者にも伝播していってしまうことも理由の一つに挙げられる。野良亡者の持つ強い感情の波が死者たちに伝播して、しっかりと弔われたにも関わらず現世への未練を大きく膨らませてしまう。そうなってしまったら墓守も中々手がつけられず、更に悪霊として現世を騒がせる可能性を孕んだ死者が増えるのである。

 ただ唯一救われる点があるとすれば、野良亡者は全てこの広場内にしか現れないということだろう。であるならば辺り一帯を鉄格子で囲い、完全に隔離してしまえばいい。そう先達の墓守たちは考えたのだった。

「……でもやっぱり、そんなの良くないよ。あの人達は皆、誰にも弔われずひっそりと死んでしまっただけなのに。生きていた頃の思い残しが大きいか小さいかの違いで、こうも彼らの扱いが変わってしまうなんて」

 少女は納得がいかないという様子でぽつりと呟いた。既に門を潜り、今は森の中を一人歩いていた。

「野良亡者の人達も、ちゃんと空に還してあげたいな……」

 やがて視界が開け、野良亡者たちが所狭しとひしめき合う広場に着いた。

『おお、来てくれたのか、今日は俺の話を聞いてくれよ!』

『私が先よ、聞いてもらうのをずっと待っていたんだから!』

 互いが互いを押し退け合い、我先にと少女の眼前にやってきた。その様子はまるで餌に群がる魚のようだ。彼らは死者と違い自らの意思で動けるので、まるで生きている時と同じような振る舞いをする。しかしその姿は亡くなってしまった彼らの亡骸そのものの容貌をしており、四肢のどれかを欠損している者、頭が割れて頭蓋が陥没している者、虫に食い荒らされたのか眼窩がぽっかりと空いている者……並べ立てれば枚挙に暇が無いが、凄惨な最期だったのだろうとは想像に難くない。彼らはみな孤独な死を迎えた為か、野良亡者となってからは強く孤独を恐れており、少女の行動は彼女が想っている以上に彼らを救っているのだろう。

「はい、順番になってくださいね」

 殺到する野良亡者たちを整列させながら、少女は思った。幾ら話を聞こうとも、どれだけ想いに共感しようとも、自分では彼らを空に還すには未熟だ。――自分では、まだ救えない。


『――僕の話、聞いてくれるんですか?』

 そう心細そうに、しかし嬉しそうに言ったのは、全身の肉が削げ落ちて皮と骨だけになった姿の青年だった。大方、最近になって野良亡者としてここへやってきて、何が何だか分からぬまま列に混ざってみたというところだろうか。

「はい、貴方の思い残している事全部、好きなだけ私に話してください」

『だけど……こんな醜い姿だし、僕の話なんか聞いてもらうのは申し訳ないですよ』

 そう寂しそうに呟いた青年は自身の体を見下ろした。飢えて亡くなったのだろうか。殆ど骨に見える体は、風が吹けばぽきりと折れてしまいそうな枯れ枝のようだった。

「いえ、私は気にしません。ただ現世に未練があるなら、それを教えてもらいたいのです」

 少女はそっとその手に触れた。決して力を込めず、折れてしまわないようにそっと指を滑らす。彼女は野良亡者達の姿に対して嫌悪感を覚える事は一切ない。それは魂ばかりが満ちているこの世界で、姿に意味はないと知っているからだ。今宙を漂っている光球も目の前にいる青年も、魂に優劣はない。

『……僕は、やっと死ねたんです』

 少女の言葉に安心したのか、青年はぽつりぽつりと語り始める。少女は何も言わずに耳を傾け、続きを促した。

『死ぬまでは、それは酷い有様でした。僕は何処とも知れない場所に閉じ込められて、僕を監禁した人に毎日パンと水を与えられていました。僕はそれを黙々と食べるだけ』

 青年は記憶のページを一枚一枚捲っていくように、瞼を閉じて思い返していた。不意にその眉間に皺が寄る。苦悶の表情を浮かべているようで、その感情が伝わった少女は、底冷えのするような諦念を感じ取った。

『僕は飢えで体がどんどん弱っていくのが分かりました。そして犯人は、時々僕を閉じ込めた部屋に入ってきて散々暴力を振るってくるんです。弱った体にそれは辛く、早く死なないかと考えていました。でも犯人は僕が死なないギリギリで止めるんです。それが酷く苦痛でした』

 そう言って細い腕をさする青年。肋骨の浮き出た体が目に痛い。

『僕は犯人に一矢報いてやろうと思ったんです。それで死んでしまったとしても、この苦痛に比べたらむしろ死ぬほうがマシだと思って。そしてとうとう最後の力を振り絞って、彼の腕に噛み付いたんです。そうしたら僕の反撃に驚いたのか犯人は扉も閉めずにすぐ逃げてしまって。少し拍子抜けしてしまいましたよ、今までの苦しみはいったい何だったのかってね。それから他にも閉じ込められている人が居たので、僕は鍵を探して彼らを助けようとしました。でも何とか全員助ける事が出来て気が抜けた僕は、その場でもう動けなくなってしまって……』

 青年の話から、彼が亡くなった経緯は分かった。しかし彼の抱える未練を察しとることまでは出来なかった。そこで少女は、単刀直入に尋ねた。

「それでは、あなたの思い残したことは何ですか?」

『思い残した事か、どうなんだろう……ああ強いて言えば、監禁されてからもう家族の顔を一度も見ていないですかねえ』

 それが未練なのだろうか。しかし少女は、青年の気の抜けた表情からそれを本気で惜しんでいるとは思えなかった。

 そんな時ふと、少女の中で閃いた考えがあった。あの丘陵で眠る夫婦、彼らの息子とはもしや目の前の青年なのではないだろうか?


   * * *


 数日後、少女は自宅から空の棺を背負って野良亡者の広場へと急いだ。棺は老人の物で、自宅からこっそりと借りてきたのだった。

「この前話を聞いた方、いらっしゃいますか?」

 その言葉にあの日話を聞いた全ての野良亡者がぞろぞろと集まる。少女は視線を巡らせ、その中に目当ての姿を認めた。すぐさま駆け寄ると背負っていた棺を下ろし、蓋を開きながら言う。

「あの、貴方に会わせたい方達がいるんです。でもそれがこの広場の外なので、姿を隠す為にこの棺の中に入ってくれませんか?」

 一息に捲し立てる少女。突然の事に青年は戸惑うが、素直に棺の中へと横たわった。少女が蓋を閉じる直前、青年は一つ尋ねた。

『あの、僕はこれでどうやって動けば……』

「私が背負って行くんです!」

 少女は棺側面の留め具から伸びる革の紐に腕を通し、再び棺を背負う。すると踵を返してもと来た道をまっすぐに走って行った。

「他の皆さんごめんなさい、今日はお話を聞けないんです! でもまた近い内に来ますので!」

 どよめく他の者たちを背に、少女はそう言い放つと森の中へと消えていった。


 隔離された一角から抜け出し、青年をそこから連れ出した少女。自分でも何をしているのかは分かっている。明らかにこの世界の秩序を乱す行為だ。

 それでも少女は足を止めない。あの頑なな老夫婦に彼を会せればきっと何かが変わるかもしれない、という確信めいた予感が彼女にはあった。その理由の内、この青年こそが彼らの息子なのではないかという根拠のない思い込みが多分に占めてはいたが。

『あの……すいません重いですよね。それにしても、どうして僕を?』

「自分の子供が失踪した事を未だ未練に想う方々がいるんですが、何者かに監禁されてしまったという貴方の話を聞いて、もしかしたらと思ったんです。……根拠はないですけど、どうか一度だけ会ってみてください!」

 広場から駆け続け、漸く丘陵まで道のり半ばという所。少女の家が見えてきた。そのまま通過しようとしたが、彼女は思わず足を止めてしまった。目の前に予想もしていなかった人物が現れたからだ。

『……あれ、この墓は』

「えっ……お、おじいさん?」

 少女の前に立つ人物。彼女の面倒を今まで見てくれた、言わば親のような存在の老人。しかし今は鋭く少女を睨みつけていた。墓守として働く時の冷淡さが今の彼から見て取れる。

「その棺はどうした。棺の中身は何だ?」

「ええと……その」

 怒鳴る訳でもなくただ尋ねるだけの言葉。しかしこちらの心意を見透かすようなその瞳を前に、少女は怯んでしまった。

「……いや、言わなくてもいい。中に居る者は野良亡者だろう?」

 自らの背後に隠す存在を容易に言い当てられてしまった少女は、覚悟を決めて立ち向かう事にした。彼をあの夫婦の元へと送り届けるのは彼らの為、そして自身の懊悩を消す為でもあるのだから。

「はい、そうです。でも私は彼を送り返す事はしません。会わせたい方がいるんです」

「そうか。しかしその行動がどう意味を持つかも分かっているか?」

「もちろんです。責任はきちんと取ります。しかし、これだけは必ず果たしたいのです!」

 老人に叫ぶ少女。棺の中の青年は依然として黙ったままだが、この際それでも構わない。最悪押し通ってでも進むつもりだった少女は、しかし老人の返事に思わず間の抜けた返答をしてしまうのだった。

「そうか、頑張って行って来い」

「私は――……は?」

 少女に歩み寄り、頭にぽんと手を乗せる老人。既にその顔にあるのは、墓守ではなく親としての表情だった。

「儂も昔は野良亡者達を相手に、何とか未練を晴らしてやろうと躍起になった事があってな。お前はあの頃の儂にそっくりだ。お前が覚悟を決めてやった事ならば、儂は何も言わんよ」

「……ありがとうございます!」

 礼もそこそこに、少女は駆ける。見送った老人は彼らの家の前に建つ墓石を眺め、少女に背負われていた野良亡者が彼だけに伝えた言葉を考えていた。


 丘陵に着く。少女は息をつく間もなく老夫婦の墓に向かって尋ねた。背負っていた棺を地面に下ろす。

「あのっ、見てください! この人が貴方達の息子さんではありませんか?」

 棺の蓋を開くと体を起こす青年。その姿を確認したのか、驚いたように老夫婦は叫んだ。――歓喜の声ではなく、幾分か嫌悪の混じった驚愕の声で。

『な、何だこいつはっ? こんな惨めな姿になったのが俺たちの息子だというのか?』

『そんな、なんてこと……』

 生気からは程遠い生ける屍のような青年の容貌に、二人は悲鳴を上げる。その反応を予想していた青年は、若干自嘲気味に呟いた。

『はは……そりゃこの見た目じゃあね。でも、違いますよ。僕は彼らの子供じゃないです』

「えっ?」

 青年の口から出た言葉に、少女は絶句した。ここに来てまさか違うだなんて。自分の中でほとんど確信していた為、それは少女にとって衝撃的な事実であった。しかし少女が二の句を告げる前に、背後から土を踏みしめる音が届く。真っ白になった思考のまま、少女は機械的に後ろを振り返った。

 振り返った先には土に塗れた棺を担ぐ、老人の姿があった。その棺の中にある亡骸は誰のものか、少女には心当たりがあった。自宅の前に建っていた墓の主だ。

「おじいさん、どうして?」

「お前と話している間、そこの青年が儂だけに語り掛けてきたんだ。家の前にある墓の主に見覚えがあるとな。実を言うとその時に『自分は野良亡者だ』と彼から聞いたんだよ」

 少女は予想だにしていなかった展開に言葉を失う。そして彼が棺を下ろし蓋を開けると、老夫婦が今度は歓喜の声を上げた。車に轢かれて亡くなったのか、亡骸の身体は一部がひしゃげていた。

『おお、俺たちの息子だ! ……死んでいたのか』

「こいつには弔ってくれる人がいたようだな。だが残念ながら、用があるのは貴方たちではない」

 老人はそう言って少女が連れてきた青年を見る。青年は眼下の亡骸を見つめ、静かに言葉を紡いだ。

『……僕達を監禁して暴力を与えていたのは、彼です。間違いありません。僕は彼を見つけて漸く自分の思い残しに気付きましたよ。……僕は彼から一言でも謝罪が欲しかった』

『か、監禁? 暴力? 何を言っているんですか貴方は、うちの息子がそんなこと』

『ふざけるな、デタラメ言うんじゃないぞ小僧! 勝手に人様に向かって訳の分からん言い掛かりをつけるのはやめろ、この化け物が!』

 青年に対する暴言に対して少女は思わず一歩踏み出した。しかし彼女が感情的になって叫ぶ前に、老人が静かな声で返答した。

「事実だよ。実際にこの男は何人も殺してしまっている。墓守にはそういう事も分かるのさ。それとここでは見た目の差異など関係ない。現世と同じものさしで物事を測るのはやめてもらおうか。貴方たちだって冷たい土の下で眠っていることに変わりはないのだから」

 老人は淡々と告げて彼らを黙らせる。咎めるような声色に老夫婦は揃って口を噤み、場に重苦しい空気が流れた。

『――俺は、自分に期待をかける両親が嫌で仕方なかったんだ。何をするにも口を挟み、事ある毎に俺を叱り付けて。俺は両親の人形じゃない。理想や期待を一方的に押し付けられるのが、ひたすらプレッシャーだった。……だから、手当たり次第に人を攫って八つ当たりをしていた』

 やがてその沈黙を破って語りだしたのは少女でも老人でも、野良亡者の青年でもなかった。老人の足元の棺で横たわる、老夫婦の息子であり青年を監禁していたという男だった。

『そんな、どうして、一体どういうこと? あなた本当にそんなことをしていたの? 答えなさいっ!』

『……ふん』

 肉体があれば今すぐ詰め寄らんという勢いで発せられた母親の叱責に、男は鼻を鳴らしただけだった。そしてまるでそんな声など聞こえていないかのような態度で、彼は少女に向かって話しかけた。

『墓守のお嬢さん、あの二人を成仏させてやろうっていうのかい?』

 意図の分からない問いかけに戸惑いつつも、少女は頷いた。その為に自分は今ここにいるのだから。

「はい、そのつもりです」

『そうか。でも、一つだけ頼みを聞いてくれないか。アイツらを絶対に成仏させないで欲しいんだ』

「……は?」

 意表を突かれ、つい間抜けな声を出してしまった。

『あんな奴ら、ずっとこの世界に閉じ込めておくべきだ。どうせ生まれ変わってもまたロクな人間にならないに決まってる。他人を蔑み貶めることでしか自分たちの価値を確かめられず、世間の目や体裁ばかりを気にして外面だけは良い。そんな奴らなんだよ』

「貴方は、実の両親をそんな風に言うのですか?」

『両親だって? はっ、笑わせんなよ。一体アイツらが俺に、いつ、何をしてくれたって言うんだ? 俺がいつ親の愛なんてものを感じたって言うんだ、ええっ!』

 怨嗟の含まれた声が、徐々に荒げられていく。突然の剣幕に少女は一歩だけ後ずさった。老人や青年は何も言わず男の言葉を聞いていた。老夫婦はというと、我が子の信じられない物言いに言葉を失っていた。

『俺は小さい子供の頃から、何もかも両親に強制されていたんだ。その時はまだ親の言うことは全て正しいんだって無条件に受け入れていたよ。でも成長していくと共に違和感を感じ始めた。俺のやる事成す事全てに水を差して「あれは駄目だお前に相応しくない」「こっちの方があなたに似合う」と、俺の意思なんて一切許さずに理想を押し付けてくるんだ。小さな失敗一つで俺の人格を否定する程までに怒鳴り散らして、アイツらの言うことに従わなければ暴力だって振るわれた。それも全部「躾」なんだと』

『そ、そんな言い方ないじゃないの! 私達はいつも、あなたのことを思って……』

『そうだ、折角大事に育ててやったのになんだその言い草は!』

『黙れよ。そもそも、その見下すような言葉が気に食わねぇ。高圧的な態度に、勝手に施しを与えたつもりでいることに、その程度で俺を育てたと偉ぶることに腹が立つ!』

 思わず口を挟んだ両親に吐き捨てるように行った男。彼らの反論も許さずに続ける。そこからは止まらなかった。

『アンタらは俺に何を求めてた? いつも「お前は自分達の誇りだ」なんて言ってたよな。一体何を誇っていたんだ? 殴ればすぐに従う扱いやすいガキだった事か? それとも言われるままに優等生として振舞ってた事か? そりゃあ俺はじっと堪えて耐えていたから、アンタらには手の掛からない子供に思えたんだろう。だが俺は着せ替え人形でも、身に着けて見せびらかすアクセサリーじゃないんだ。粗暴で質の低い友達とは関わるな? 箔がつくから名門校に行け? いい加減にしろよ、子供まで自分のステータスにしたいのか。自分が遂げられなかった理想を俺に押し付けようってのか。自分達が意地汚く掻き集めた地位や資産だけじゃまだ満足いかなかったっていうのかよ! アンタらの所為で……っ、アンタらが俺の人生を狂わせたんだ!』

 実際に聞こえている訳ではないのに、少女はあまりの絶叫に耳を塞いでしまいたくなった。まるで獣の咆哮のようだ。文字通り、魂の叫び。嘘偽りの無い彼の怒りだった。

 男は感極まったのか暫く黙っていたが、平静を取り戻したのか再び話し始めた。

『だから、我慢の限界になった俺は家を飛び出して一人で暮らすことにした。家の中にあった金をありったけ持ち出して遠くまで逃げて、本当に些細な抵抗だったけど、俺は初めて自らの意思で抵抗したんだ』

「しかし何故、他人を監禁なんてしたのですか。そんな事をする必要なんて……」

『それが俺の、両親に対する復讐だったんだ。どこまでも世間体を気にする奴らだからな、息子が極悪人の犯罪者にでもなれば発狂して死ぬんじゃないかと思ったのさ。なるべく罪が重くなるように、できる限り苦しめてから殺してた。……正直、攫った人は誰でも良かった。彼に特別な恨みがあったとかじゃあないんだ。だけど、今更謝るつもりもないよ。復讐とはいえ俺は確かに赦されない事をしたんだ。私情で多くの人を巻き込んだ俺は、赦されるべきじゃないと思ってる』

 最後の言葉は青年へと向けられたものだ。突然矛先が自分に向いたと分かった青年は、残念そうに答えた。

『そうですか……貴方から謝罪の言葉は貰えないんですね』

『ああ。どこまでも俺の事を憎んでくれていい。それくらいの覚悟はしているよ』

 男と青年の会話を聞いた少女は、思わず口を挟んだ。

「覚悟……覚悟ですか。行動の善し悪しを今論じるのは不毛です。けれど、それでは誠実とは言えません。貴方が自らの行いを償いたいというのであれば、一身に恨みを受けるのではなく、まずは彼の要求に従うべきではありませんか。一言謝って欲しい、そう言われたら貴方は詫びるのが誠実な振る舞いだと思いますよ?」

 少女は続ける。膨大な怒りの感情に隠れて最初は分からなかったが、今になって漸く男のもう一つの感情を感じたのだ。恐らく彼自身も気付いていないであろうそれを、紐解くように言葉にする。

「いくら押し付けられた生き方とはいえ、貴方はずっと清廉潔白であろうと過ごしていました。一時の気の迷いで間違いを起こしてもその本質は簡単には変えられません。貴方は今、彼に謝罪をしたくて仕方がないでしょう。内心では、一切関係の無い人々を手にかけて一言も謝るつもりがないと言い放った自分を責め、罪悪感を感じている」

『何を、言っているんだ……』

「貴方が本当に望んでいたのは両親への復讐ではありません。今まで一度も言えなかった自分の気持ちを、両親に分かってもらいたかったのでしょう? しかしその方法が分からない貴方は、不器用にも自分が罪を犯す事でしかそれを形に出来なかった。ただ少し勇気を出して正面から伝えれば良かっただけなのに。そしてそれも、たった今成し遂げられました。……全て意味の無い行動だったと認めたくないから謝らないなんて、不誠実ですよ」

 老人の足元にある棺を見下ろし、亡骸を見据える。

「貴方の本当の未練は、復讐の完遂ではなく――手にかけた人々への謝罪です。貴方はまた、自分だけ耐えたままで過ごすつもりですか」

 彼女の言葉は男に、秘められた感情を自覚させた。認めたくない事実。忌み嫌っていた両親の押し付けに気付かぬ内に屈し、自身が彼らの望む人間になってしまっていた事。しかしそれ以上に、自責の念に囚われていた事。知覚した途端、身悶えするような後悔に襲われた。

『そんな……でも、俺は』

「認めてしまえば良いんです。ここには責める者も、嗤う者も、赦しや裁きを与える者も居ません。誰もが平等に自分と向き合う世界です。しがらみを捨てて素直になるのは、きっとこれが最期の機会ですよ。恥じることはありません」

『……分かった、ありがとう』

 男は礼を言うと、改まった様子で青年に語りかける。

『君に、謝りたい。どれだけ謝罪しても咎は無くならないだろうけれど、それでも謝らせてくれ。――本当にすまないことをした。自分勝手な理由で無関係な君を、君達を傷つけた。何もない場所に閉じ込めて理不尽にも暴力を与えてしまった。何人もの生涯を無理矢理に終わらせ、そのくせ君に反撃されたら怖くなって逃げ出してしまった。無責任にも皆を閉じ込めたままその場から去ってしまった。せめて、自分が殺めた人に供養の一つでもするべきだった。申し訳ない。君からしたら何を今更と、全て終わってしまってからふざけた事を抜かすなと思うだろうが……悪かった』

 男は閉じ込めていた思いを吐き出し、心の底からの懺悔を行っていた。まるで自身が棺に横たわり安穏と眠っていた事さえ申し訳なく思う程に。突如として彼の胸中に渦巻きだした後悔の念を、少女はひしひしと感じ取っていた。

『もう、いいですよ。謝ってくれてありがとうございます。僕は特に思い残していた事も無いので、それだけで充分ですよ。貴方も内に抱えていたものを吐き出せたようで良かった。それにしても……いつも僕を殴りながら口にしていた呪詛が、まさか両親に向けていたものだったとはね』

 亡くなってから達観したのだろうか。そこに怒りの感情は微塵もなく、青年は穏やかな様子で応えた。

 少女はその瞬間に、青年と男の中にある未練が霧散し、彼らの心がふっと軽くなるのを感じた。

『どうやら、僕はもう空へ還っていけそうです。――貴女は立派な墓守でしたよ。僕は確かに救われました』

『俺もだ。ありがとうお嬢さん。これで思い残すことはなくなった』

 二人分の棺がその輪郭を靄のように滲ませる。そして各々から光球が顔を覗かせた。

「もうよろしいのですか?」

『ああ。もうアイツらが空に還ろうがどうなろうがどうでもいい。漸く両親の呪縛から解放された気分だ。最高だよ』

「そうですか。それでは」

『じゃあな』

『さようなら』

 二つの魂が緩やかに浮かび上がると、遥か彼方を目指して漂いだした。彼らから受け取った感謝の言葉を噛み締め、少女は滔々と涙を流していた。


「……さて、貴方たちはどうするつもりかな」

 その光景を見届けた老人は、今までずっと黙り込んでいた老夫婦へと声をかける。彼らもまた、知らずの内に我が子を苦しめていたのだと自覚して、最早叶わないと分かっていながらも、既に空へ還った男へ赦しを乞うていた。

『俺はずっと、あいつの為にと様々な事を強制していた。しかし良かれと思ってやったそれは、本当の意味ではあいつの為ではなかったというのか……』

「本当の意味もなにも、彼の事を思っていたというなら滑稽だな。子供の真意も見抜けないで、勝手に施しを与えたつもりになっている者を間抜けと言わずして何と呼ぼうか」

 老人は厳しさを含ませた声色で言い放つ。彼の念頭にあったのは少女の事だ。子供はいつまでも未熟なままではない。自らの庇護下に置いていると思い続けているのは、自分の方だった。

「それで念願の我が子と対面できた訳だが、貴方たちは空へ還るのか?」

『そうだな、もう思い残すことは何も……』

「彼のたっての願いが、貴方たちをここへ縛り付けておくことだったが?」

『……それは、そうだが』

 老人の言葉に、老夫婦は逡巡した。

 これは流石に戯れが過ぎただろうか。老人は意地の悪い質問をしたと内心笑みを浮かべ、すぐに発言を撤回する。

「冗談だ。真剣にその願いに従うか悩んでいるなら、それは無駄というものだぞ」

『む、無駄?』

「ああ。誰にも取り返しのつかない失敗は存在するが、それと同じようにやり直しの機会だって誰にも与えられるんだ。聖人君子や極悪人問わず、死ねば此処へ運ばれて転生の準備をする。失敗をした者は生まれ変わらない方が良いなど誰が決めた? そんな取捨選択を行うならこの世界は必要ない、魂の処理場でも作ればいい。同じ失敗を繰り返さない為に魂は巡るんだ」

『もう一度、やり直す……』

 彼は老人の言葉を反芻した。もう一度現世に生まれて子供が出来たら、今度はすれ違う事無く愛せるだろうかと考える。

「まあ、地平線の向こうまで続く墓場も有限だからな。さっさと成仏して、転生の順番待ちをしていて貰いたいというのが本音だよ」

 そう冗談めかして言った老人は空を指した。そこには広大な川が流れ、先程の二人の魂がゆらりゆらりと浮かび上がっていた。

『ありがとうございます、私達も空へ還ることにしますね。……小さな墓守さんもありがとう、何度も私達の話を聞いてくれて』

『……苛々して君に辛辣な事を言ってしまって悪かった。随分自分勝手だったね』

 二つの墓から同時に光球が現れた。それらはふわりと少女に一礼するように飛ぶと、互いに寄り添うように漂い始めた。

 老人が少女の頭を撫でる。少女は俯いていたが、やがて涙の跡を拭うと顔を上げた。

「やっぱり、死者を見送るのは慣れないです」

「そのうちお前も泣かずにすむさ。これが儂らの存在意義なのだから。……お前はよくやったよ。さあ帰ろう」

 老人の言葉に頷くと、少女は歩き出した。彼女達のいた場所には棺も墓石も残っておらず、初めから何もなかったかのように静かだった。しかし、そこにもいつか新たな墓が建つのだろう。


   * * *


 人が死に、そして生まれる。それは開闢以来幾度となく繰り返され、一度たりとも変わったことはない。

 現世とあの世、その間隙に存在する世界があった。死者はそこに全ての思いを置いて行き、空っぽの状態で次の生を迎える。それを手伝うのが墓守だ。

 無数の死者を見送り、少女の姿はあれから随分と成長していた。世話になっていた老人は既におらず、最期の死者を空に還した事で職務を全うして静かな眠りについた。それからというものの、大人になった少女は新たな墓守として懸命に働いている。

 ――今日もまた、棺で眠る死者がひとり運ばれた。

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