第九話 『彼』
「今日も『俺』のままか」
ヘルミの家の固い床の上で目覚め、溜息をついた。
期待していた展開にはなっていなかったがそんな気はしていたし、あまり精神的ダメージはない。
ヘルミのお陰で衣食住は確保できているし、悪くない暮らしが出来ている。
『なるようにしかならないか』なんて考える余裕もある。
「さて、起きますか」
そとはまだ仄暗く、自分の持っている感覚でいうと午前六時前くらいだろう。
空気も澄んでいて気持ちが良い。
ベッドを見ると、ヘルミの可愛い寝顔が見えた。
まだ早いしそっとしておこう。
「薪でも割るか」
居候な俺は少しくらい役に立たなければならない。
ヘルミを起こさないよう、物音を立てないように気をつけながら服を着替えて外に出た。
朝飯も作るかな。
※※※
「……美味しい! 幸せぇ!」
薪割りはすぐに終わったので、例の固いパンでフレンチトーストを作った。
いや、トーストじゃないな。
『フレンチバターロールっぽい固いパン』か。
普通に砂糖、牛乳、玉子、シロップを混ぜた液に浸し、バターで焼いただけだ。
材料は、『私』の時とほぼ同じ物があった。
少し質が悪い気がするが気にならない程度だ。
シロップは思っていたより高価だったようで使ってしまったことを謝った。
『今日はユリウスにご褒美貰ったってことで! ありがとぉ』と喜んでくれたが、これから何かする時は余計なことをしてしまわぬよう気をつけなければ。
今日はヘルミのお仕事を手伝う予定だ。
毒蜘蛛の森で薬草を集めるのである。
朝食を取りつつヘルミ先生の講義を聞いている。
「毒蜘蛛の森は『毒』が蔓延しているから、普通の生物は入れないのよぉ」
危険な動物もいないし、いるのは蜘蛛型の魔物『アラクネ』だけ。
アラクネは夜行性なのか日中は姿を現すことはないらしい。
「だから毒さえ平気なら、『誰にも邪魔されない薬草取り放題の楽園』よぉ!」
そんなこと思うのはヘルミだけだろう……逞しいな。
ヘルミが平気なのは、例のガスマスクに『毒防御』の効果がついているからだそうだ。
服に続いてこれもお父さんの形見なんだとか。
『いいもの残してくれたわぁ』と微笑むヘルミはやっぱり逞しい。
それでもガスマスクだけでは防御しきれず、苦しくなることが度々あったそうなのだが、繰り返していくと免疫が出来たのか今では平気らしい。
毒に慣れるってあなた、何処の暗殺者なのですか!
……はっ!
もしかして毒が平気な俺の体も、暗殺者か何かだったのだろうか?
実は美形な暗殺者……?
ありがちである。
多分違うけど。
そんな『暗殺者もどき』な二人で薬草をせっせと取るわだが、何かあった時のための準備をしておくことにした。
雑貨屋の隣にある金物屋で装備を揃え、雑貨屋では薬を購入しておくことに。
――コンコン
支度をしていると、家の扉を叩く音が聞こえた。
「誰か来たぁ?」
「あ、俺出るよ」
ヘルミより扉の近くにいたので俺が対応しよう。
扉を開けるとそこには、ヘルミと同じくらいの若い女性が立っていた。
『綺麗な子だな』、第一印象はそう思った。
腰まである艶やかな菫色の髪は、緩やかに波をうっていて美しい。
瞳は吸い込まれそうな翡翠色。
修道女が着ているような紺色のワンピース姿だが、魅力的な体のラインが見てとれる。
村の人達と雰囲気の違う蠱惑的な美しい女性だった。
「……!」
俺を見ると女性は目を見開き、固まっていた。
いつものリアクションかと思ったが……少し様子が違う。
「どちらさま?」
「……」
目で俺を捉えたまま女性の体は震えている。
どうしたのだろう、トイレか?
問いかけてみたが返事も返ってこない。
「……ユリウス様」
「そうですが」
やっと動き出した彼女の問いかけに返事をすると微かに微笑んだ気がした。
何か引っかかった。
微笑む目に『含み』があったように感じたのだが……。
「覚えていらっしゃらない? 私のこと」
「……はい?」
覚えているも何も初対面ですが。
こういう目立つ人が村に居たら覚えているはずだ、そう思ったのだが……。
「お会いしたかった! マリアです! 貴方のマリアですわ!」
「……え?」
気づけば女性は、俺の体に抱きついていた。
言葉も行動も咄嗟のことで対処出来なかった。
『俺のマリア』?
どうして急に飛びついてくるんだ?
思考回路が追いつかず棒立ちだ。
ただ何となく『嫌な予感』がしている。
「え……!? ちょっとぉ! 何でユリウスに抱きついているのよぉ!」
中にいたヘルミが玄関で起こっている事態に気づき、怒鳴りながらこちらに来ているのが分かった。
だが俺の体は停止したままだ。
ゆっくりと回転し始めた脳は、今まで考え至らなかったのが不思議な可能性を見つけて混乱している。
その可能性とは、『私』が誰かの……『俺』の体を乗っ取っているのではないか、ということだ。
『私』は死後の世界、もしくは知らない世界にやって来て、体が変化したように思い込んでしまっていたけれどそうではない。
誰かの人生を奪っているかもしれない。
そう思うと頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、眩暈がした。
――どうしよう、怖い。
自分に起こっている事態を気楽に捕らえていたのかもしれない。
何故こんなことになっている?
この体は誰?
元の私の体はどうなっているの?
「ユリウス!?」
「ユリウス様!?」
吐き気がして思わずその場にしゃがみこんでしまった。
頭が割れそうだ、視界が……世界がぐらぐら揺れる。
「ちょっと、あんた! ユリウスに何したのよぉ!」
「私は何も……!」
二人は小さくなった俺を挟んで口論を続けている。
頭に響いて煩い、静かにして欲しい。
立ち上がることも出来ず、喋ることも出来ず、吐き気に耐えることしか出来ない。
次第に目の前が白く霞んできた。
……あ、無理かも
遠のく意識を必死に繋ぎとめていたが……駄目だった。
※※※
ああ、頭が痛い。
吐き気も取れない。
最悪の気分で目が覚めた。
覚めた?
どうして自分は眠っていたのか、記憶の最後を手繰り寄せる。
思い出そうとすると、妨害するように頭にズキッと痛みが走った。
痛みを逃がしながらゆっくりと脳を動かす。
ああ、そうか。
俺はヘルミの家で気を失ったのだ。
「? ここは……」
目に入ってきたのは辺り一面に広がる凹凸のある岩の壁。
まるで洞窟の中にいるようだ。
かなり広く、草野球が出来るくらいの空間がある。
「何だ?」
手を付き体を起こしていると、前方に眩しい光の線が見えた。
その線は床の広範囲に広がっている。
立ち上がって全体を見回していると、呪文のような文字がびっしりと書き込まれた多重円だった。
ゲームなんかで見かける『魔方陣』のようだ。
魔方陣の中心には、人が立っていた。
長い金髪で背が高くて、見覚えのある……『俺』だ。
じゃあ私は?
元の姿に戻ったの?
急いで自分の手を見てみた。
『私』の手より指が長く、骨ばっているが綺麗な手。
髪を掴んで見る。
金髪で虹色の艶がある。
『俺』だ、戻ってはいない。
「『俺』が二人?」
どういうことだ?
考えても分かるわけがないが……考える。
答えが見つかる気はしないけれど。
『やあ』
立ち尽くしていると、魔方陣の上に立っていた『彼』が声を掛けてきた。
同じ顔、同じ声の人に話し掛けられるなんて不思議な感じだ。
『彼』は『俺』と違って堂々としている佇まいだ。
あれが本来の姿なのだろうか、見た目と比例していて格好良い。
……と見惚れていても仕方がない。
『彼』に目を向け、応えた。
「何?」
『どうだ? 俺の体の使い心地は。案外楽しそうに見えたが?』
やっぱり、この体の持ち主らしい。
楽しそうに見えた?
どこからか観察していた、ということか?
「使い心地と言われても。分からない。楽しくは……あるかな?」
『そうか。それは良かった。……じゃあ、君にやるよ』
「は? やるって、何を?」
『その体』
「へ?」
『体をやる』、そう言った……よな?
『このボールペン、使い心地いいな』『じゃあ、あげるよ』くらいの気軽さだったが……。
こいつは、何を言っているのだろう。
『いや……いて貰わないと困る』
「はあ?」
『好きに使え。もう、お前がユリウスだ』
「ちょっと、意味が分からない! 説明してよ!」
『……悪い』
そう言うと『彼』は俯き、口を閉ざした。
もう何も話さないつもりなのだろうか。
それでは困る。
問い詰めようと『彼』を目指して駆け出した。
わけが分からないが、あいつが何か知っていることは分かる。
ぶん殴ってでも吐かせてやる!
息巻いて走りだしたが……何かおかしい。
白い霧が立ち込めてきた。
一生懸命走っているのに、一向に『彼』に近づくことが出来ない。
その間にも霧が濃くなっていく。
『俺』の姿も段々見え辛くなってきた。
「ちょっと! 説明しなさいよ!」
叫ぶが返事はない。
声が届いているかも分からない。
「どうなってんのよ!!」
とうとう視界は完全に白で覆われた。
彼の姿も見えない。
自分の姿さえ見えない。
全てが霧に包まれ、意識が遠くなっていくのを感じた。
ああ、また気を失う。
そう思いながら再び意識は途切れた。