表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/32

第十八話 竜に溺れた娘

 私には憧れの人がいた。

 その人は動かない。

 額の中で静かに微笑みを浮かべるだけだ。


「マリア!」


 私を呼ぶ声が聞こえる。

 母が探しているようだ。

 ここだと返事をしようと思ったが、今自分がいるのは神聖な場所であることを思い出し、口を閉じた。

 意識を視線の先に戻す。


「マリアったら、またここにいたの」


 背後の扉が開いた。

 返事はしなかったが、母はすぐに私をみつけた。

 それもそのはず、私はいつもここにいるのだから。

 母は私の隣に立ち、私と同じものを見つめた。


「本当にお美しいわね」

「うん」


 『月竜ユリウス』が人であった時の肖像画前。

 そこは子供の頃から、私の特等席だった。


 肖像画は月竜教教会の一室に飾られていた。

 この部屋は、一般の信者は入ることが出来ない。

 それどころか、内部の関係者でも一部の上位の人間しか入ることは出来ない。

 だか、私は入ることが出来た。

 それは私がユリウス様の守護を受けた、特別な血を引いているからだ。

 なんでも、ユリウス様が人であった時に愛した女性の一族が私の御先祖様らしい。

 だから私の一族は月竜教の中でそれなりの地位を貰い、丁重に扱われてきた。


 小さい頃からその話を母から何度も聞かされてきた私は、いつからか『自分もいつか、ユリウス様に愛されるようになるのだ』と思うようになっていた。

 いつかきっと、私を迎えに来てくれるのだと信じていた。

 ユリウス様が迎えに来てくれた時、恥ずかしくない自分でいるために私はがむしゃらにがんばった。

 やらなくていいと言われた『武術』も『魔法』も『勉強』も精一杯やり、自分が思う完璧な女を目指した。

 そんな私を周りは煙たがり、離れていった。


 今思えば当たり前だ。

 私は周りを見下していた。

 ユリウス様に選ばれない奴らだと。

 私は特別なんだ。

 そんな考えが言動や態度から滲み出ていた。


 母は始めは私を誉めていた。

 だが歳を重ねるにつれ、誉めてくれなくなった。

 ユリウス様に心酔する私を、心配しているようだった。


 そしてある日、私に婚約しろと言ってきた。

 冗談じゃない。

 私は『ユリウス様のもの』なのに。


 私は家を飛び出した。

 ユリウス様なら、私がどこにいても分かるはずだ。

 迎えに来てくれるその日まで、私は逞しく生きていくのだと決めた。

 一人で生きていく自信があった。

 上手くいくと思っていた。

 だか、私は世間知らずだった。


 教養や力量には自信があるが、それを発揮する機会を掴むまでの手段が分からない。

 そもそも、一般常識も不充分だった。

 当然のように私は痛い目をみた。

 財産は無くなったが、体は穢れなかったので幸運だったと思う。


 一人に疲れた私は自分の魅力を使い、守って貰うことを覚えた。

 ユリウス様に捧げるために純潔は守ったが、それで揉めることもあった。


 一層疲れた私は、穏やかに暮らしながらユリウス様を待つことにした。

 辺境にある小さな村に身を寄せることにしたのだ。

 かなり遠かったが、ちょうどその村に行くという商人の馬車に乗せて貰えることになった。

 しかし不運なことに、その馬車が魔物の襲撃に遭ってしまった。

 魔物自体は強くなかったが数が多かった。

 私は自分の身を守ることで精一杯で……商人も馬車に乗っていた人も皆死んだ。

 魔物の隙をついて逃げることは出来たが、女一人の足では村までは遠すぎた。

 三日程歩いたところで、私は倒れてしまった。


 次に意識が回復したのはベッドの上だった。


「気がついたか? 母さん! 起きたよ!」

「私は……」


 知らない天井、知らない青年。

 普通なら警戒するところかもしれないが、生きてベッドの上で寝ていられることに言いようの無い安らぎを覚えた。


「あんた、倒れてたんだよ。大丈夫か?」


 知らない青年は、平凡だが人の良さそうな好青年だった。

 田舎独特の口調が更に安心出来た。

 とても好感が持てた。


「大丈夫ですわ。ありがとうございます。ここはどこなのかしら」

「ここは名前もない偏狭の村さ」


 幸運なことに、目的地の村だったようだ。

 更に幸運は続いた。

 この青年、リクハルトは村長の息子である上に、私を気に入ったようで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれ、生活に困ることは無かった。


 そして、数日経ったある日。

 リクハルトは私に求婚してきた。


 私は考えた。

 以前の私なら問答無用で拒否だ。

 考えるのも馬鹿らしい。

 だが今の私は違った。

 私は自信を失っていた。

 私は本当に選ばれた人間なのだろうか。

 ユリウス様は迎えに来てくれるのだろうか。

 考えている私の目に、村の長閑な景色が映る。


 こんなにゆっくりとした時間を過ごしたことは無かった。

 こんなに心が穏やかになったことは無かった。


「お受けします」


 私はリクハルトと婚約することにした。

 リクハルトには婚約者がいたと聞いていたが、彼が私を選んだというのならそれでいいだろう。

 知ったことではない。


 彼は村の人が集まる場で私を紹介した。

 私は村の人から祝福を向けた。

 リクハルトは嬉しそうだったが、私は何も感じなかった。

 この村に来てから、私は私で無くなったような気がしていた。


 更に数日が経った。

 私の体はすっかり元通りになり、リクハルトとの関係も良好だった。

 ただ一線だけはどうしても超える気にはならず、婚姻が済んでからだと先延ばしにして逃げていた。

 リクハルトは我慢しているようだったが、無理やりしようとすることはなかった。

 夫婦になるのだから、いつか受け入れなければいけないことだと分かっているが……。

 『このままで良いのだろうか』という迷いが、頭の中から離れなかった。


 胸に僅かな迷いを抱えながら過ごしていたある日、彼の母親から私のように外から来た人が、しばらくこの村に住むことになったという話を聞いた。

 始めは大した興味も無く聞き流していた。

 だがその人の特徴を聞いた時、身体に雷が落ちたような感覚に襲われた。


『黄金の髪、紫水晶の瞳の美しい人』


 脳裏に浮かぶ肖像画。

 ユリウス様だ、間違いない。

 その瞬間、私は『私』を思い出していた。


 やっと、やっと……!


 きっとユリウス様が迎えに来てくださったのだ!

 私はやっぱり特別だった!

 聞くところによると、ユリウス様は記憶を無くされているらしい。

 それで私を迎えにくるのが遅くなったのかと納得した。

 早く会いたい。

 私のユリウス様に早く会いたい!


 ユリウス様がいるという家に辿り着いた。

 逸る気持ちを抑えながら体裁を整え、扉を叩いた。

 少しすると扉はゆっくりと開き、そこから姿を現したのは――。


 ああ、やっと……お会いできた。

 実物の方がもっと綺麗。


「どちらさま?」


 ユリウス様の声だ。

 肖像画で姿はずっと見続けてきていたが、声を聞くのは初めてだ。

 こんなお声だったのかと、声まで美しいのかと更に心酔した。


「……ユリウス様」


 名前を呼ぶと返事があった。

 返事が返ってくる。

 肖像画では無い。

 本物のユリウス様だ。


 ユリウス様は、不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。

 そうだ、いつまでも悦に浸っている場合ではない。

 やることをやらなければ。


 ユリウス様は、リクハルトが捨てた女のところで匿われていた。

 しかもその女と恋人関係になったと言っているらしい。

 馬鹿馬鹿しい。

 ユリウス様の恋人は私だ。

 昔から決まっていることである。

 ユリウス様にふさわしいのは私しかいない。

 私こそが恋人だと名乗ることにした。

 記憶喪失というのであれば、自分が寄り添うべきだ。


「貴方のマリアですわ!」


 私はユリウス様の胸に飛び込んだ。

 触れることが喜びをかみしめた。

 ユリウス様の匂いだ。

 腰が砕けそうになる。

 いつまでもこうしていたい。


 だが、予想外のことが起こった。

 ユリウス様が倒れたのだ。

 記憶を失っている影響かもしれない。

 心配だ。

 私がユリウス様を支えるのだと改めて心に誓った。


 その後は、夢中になってユリウス様を追いかけた。

 ユリウス様は少し戸惑っているようだったけれど、その様子さえも素敵だった。


 リクハルトとユリウス様が揉めたことがあった。

 きっと私のことで、リクハルトがユリウス様の手を煩わせたのだろう。

 でもリクハルトが敵うわけが無い。

 少し痛い目に遭わせて、あしらっていた様子も素敵だった。

 ユリウス様にリクハルトの傍にいてやれと言われたのでそうしたが、私の頭の中はユリウス様でいっぱいだった。


 早くユリウス様に愛されたい。

 独占したい。


 二人きりになる機会はすぐにやって来た。

 あのユリウス様に魔法を教えるなんて、夢にも思わなかった。

 楽しくて、嬉しくて、幸せな時間だった。

 やはり私はユリウス様のものなのだ。


 早くユリウス様と確かな絆が欲しい。

 私は強引な手段にでた。


 いや、考えて動いたのではない。

 我慢出来なかった。

 あの眼差し、脳に響く声、美しい身体。

 愛されたい、抱かれたい。

 私は欲望のままに動いた。


 戸惑うユリウス様は、想像とは違ったが余計に燃えた。

 この瞬間の為に今まで色んな苦境に耐えてきたのだ!


 上手くいっていたのに……邪魔が入った。

 本当に忌々しい。

 あれがなければ、私とユリウス様はひとつになれていたというのに。


 でも、良いこともあった。

 ユリウス様が初めて私の名前を呼んでくれた。

 そして信頼していると言ってくれた。

 嬉しかった。

 涙が出そうな程嬉しかった。


 その後、リクハルトと元婚約者が現れた。

 続きがしたかったのに、無粋な奴らだ。

 二人は私の姿を見て勘違いをしていた。

 そして女の方が、事もあろうかユリウス様の頬を打った。

 なんという罰当たりな、無礼な女なのだろう。

 あの女はきっと不幸になる。


 その後二人だけではなく、村の人達にも勘違いされたユリウス様は、とても心を痛めている様子だった。

 でも私は嬉しかった。

 ユリウス様には私さえいればいいのだ。


 やっと村を出て、二人きりの幸せな時間が送れるようになると思ったのに、ユリウス様は無礼な女の呼び出しを受けて、私を置いて行ってしまった。

 心底腹が立った。

 ユリウス様を呼び出すなんて何様だ!

 私からユリウス様を引き離すなんて!

 ただの田舎娘のくせに、生意気にも程がある。


 苛々していると当の本人が現れた。

 ユリウス様を呼び出しおいて、自分は行かないのか問い質したが、心当たりがないようだった。

 どういうことなのだろうか。

 嫌な予感がして、リクハルトを探した。

 リクハルトは、愚かにもユリウス様に対抗心を持っていたように見えた。

 彼を拒んでいた私が、ユリウス様に身を捧げようとしていたのを見て何か馬鹿なことをしようとしているのかもしれないと思った。

 その予感は的中した。

 いや、予想以上に愚かなことをしていた。


 辺り一帯に『異変』に現れた。

 まさに天変地異だ。

 すぐに『竜の逆鱗』だと分かった。

 終わったと思った。

 私は死ぬのだと。


 光の輪の中、ユリウス様が姿を現した。

 竜のお姿で。

 神々しい。

 恐れも忘れて見惚れた。

 気高く、美しい黄金竜。

 あれがユリウス様なのだ。


 だが寂しそうに、お辛そうに見えた。

 私は思い出した。


 そうだ、ユリウス様には私しかいないのだ。

 私がユリウス様のお心を鎮めなければ、癒してさしあげなければ!


 私は声を嗄らしながら、ユリウス様の名前を叫んだ。

 どうか私のユリウス様に戻って!

 隣であの田舎娘も叫んでいて邪魔だったが、私の声はきっとユリウス様に届くはず。


 ユリウス様の動きが止まった。

 災いも止まった。


 私の声は届いた、届いたのだ。

 やっぱり、私はユリウス様に選ばれた女なのだ。

 心が満たされ、いつの間にか流していた涙が更に溢れた。


 だが、ユリウス様は姿を消した。


 私を残して。


 でも私は絶望していない。

 ユリウス様は、黄金の鱗を私に授けてくれた。

 体の一部を与えてくれたのだ。


 これは竜の加護だ。

 鱗自体にも守ってくれる力があるが、人の世界でも守ってくれる。

 これを持っている限り、誰も私を害することは出来ない。

 

 ユリウス様は、私を想ってこれを授けてくれたのだ。

 この鱗こそユリウス様の愛の証なのだ。

 あの田舎娘も一緒にというのが不快だが、ユリウス様は慈悲深い方だから仕方がない。


 私は待つ。

 もう『私』を忘れたりはしない。

 いつまでも、この命がある限りユリウス様を待つ。


 私はマリア、月竜ユリウスに愛された女なのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ