第十四話 危機
※微エロあります
日が落ち始めた薄暗い森。
背の高い木々、人工の明かりがない空間。
都会に染まっていた俺には見慣れない心細くなるような景色が広がっている。
「ユリウス様ぁ。足を痛めてしまいましたわ!」
「……はあ」
まただ。
腕に絡みついてくるこの女は、さっきから何かと足を止めたがる。
そんなに帰りたくないのか!
俺は帰りたい!
「治癒魔法で治せばいいんじゃねえの」
「痛みは治っても疲労はとれませんわ。少し、休んでいきません?」
「日が暮れる前に帰りたい。休んでいる暇は無い」
「でも私、もう歩けませんわ」
狩り中の逞しさはどこにいった!?
見た目はか弱い美女だが、魔物とも戦えるし魔法も使えるし、村の女子の誰よりも逞しいことは分かっているんだぞ!
相手にせずズンズン進んでいたのだが、ついにマリアは歩くことを止めて座り込んでしまった。
実力行使かよ……。
放置して行きたいが、そういうわけにもいかない。
仕方ない、だったら俺も実力行使だ。
「行くぞ」
「え? きゃっ!」
マリアを姫抱っこで抱きかかえ、問答無用で歩き始めた。
時間を稼ごうとしても無駄だ。
このハイスペックな体をもってすれば、これくらい余裕なのだ。
「ああ、ユリウス様の腕に抱かれるなんて……幸せですわ!」
「おい! 引っ張るな! 歩きにくいだろ!」
アリアが首にしがみついてきた。
姫抱っこをされてテンションが上がったのか、楽しそうにきゃあきゃあ呟いている。
そうか……しまった。
これは乙女心をくすぐるシチュエーションだったか。
だが俵のように担ぐわけにもいかないし……まあいいか。
兎に角俺は帰るのだ。
ライラさんの美味しいご飯と、ヘルミのところに帰るったら帰るのだっ!
※※※
「ユリウス様、すっかり暗くなってしまいましたわ」
「……」
日は落ち、辺りは暗闇に包まれてしまった。
まだ森の中で絶賛迷子中だ。
そしてマリアの姫抱っこは、未だ継続中だ。
狩りは体感で四時間程歩いて奥に進んだが、帰ろうとしてからもう五時間くらいは村の方向に歩いた。
何時になったら着くのだ……。
「ユリウス様、暗くなってしまったのでこれ以上闇雲に歩き回っては危険です。野宿するしか仕方ありませんわ」
「……」
「ユリウス様!」
「ああもう! 分かった! 野宿すればいいんだろ! するよ! するから!」
この敗北感はなんだ。
嬉しそうなマリアの顔が癇に障る。
ごめん、ヘルミ……。
マリアと二人だし、心配するよな。
このまま戻れなかったらどうしよう。
ちょっと泣きそうだ。
「ああ……ユリウス様と一夜を共に出来るなんて……」
「妙な言い方するなよ」
「ふふ」
楽しそうだな、おい。
マリアに苛々しても仕方ないので、観念して野宿の支度を始めることにする。
といっても野宿なんてしたことがないので。またマリアに教えて貰うことになった。
マリアは食事を用意してくれるということで、俺は火をくべるための木や食べられそうなものを探すことにした。
木は腐る程ある、森の中なのだから。
簡単に集めることが出来た。
あときのこをいくつか見つけたが、怖いので取らなかった。
マリアに聞けばいいかと一瞬思ったが、マリアも信用なら無い。
麻痺とか幻覚の症状が出ることを知っておきながら、わざと食べさせられそうで嫌だ。
きのこはあきらめて、木の実を探す。
すると枇杷のような実をみつけた。
毒蜘蛛の森の毒も大丈夫な体だ。
多少毒があっても平気だろうと少しかじってみると、記憶にある枇杷そのものだったので、取れるだけとってマリアの所まで持って帰った。
野宿場所に近づくと、良い匂いがした。
この匂いで魔物とか寄って来ないのか気になったが、大丈夫らしい。
マリアはどこからか出してきた分からない鍋で、猪鳥の肉を使った猪鍋っぽいものを作っていた。
少し野菜も入っていたし、調味料もあるようなのでどこで取ったのか聞くと、例の四次元ポケットに入れていたそうだ。
準備万端で来ているじゃないか! 確信犯か!
疲れが増した気がした。
「さあ、召し上がってくださいませ」
「美味そうだな」
「はい。ユリウス様に喜んで頂けるよう丹精込めて作りましたのよ」
「ありがとう。いただきます」
ちなみに、日本の食事の際の挨拶である『いただきます』をいう文化はないようだ。
ヘルミの家でも村長宅でもつい言ってしまったが、そのまま言葉の意味の通り『頂きます』と受け取られ、『ご丁寧に、どうぞ召し上がれ』という感じで返されたのでそのまま気にせず言うようにしている。
「おお、美味いな」
「本当? 嬉しい!」
お世辞抜きで本当に美味かった。
猪鳥の肉も臭みがなく、野菜の旨みも出ていてついつい何杯もお替りしてしまった。
ご馳走様でした。
くそう、良い嫁になりそうじゃないか。
頑張れ、リクハルト!
「ねえ、ユリウス様。このまま村を出ません?」
「断る」
簡単に片付けをすませ、火を見ながら明日のプランを考えているとマリアが隣に座った。
俺はヘルミのところに帰るんだ。
例えば一人で旅に出ることになったとしても、世話になったのに挨拶もせず出て行くなんて考えられない。
「……私よりあの娘の方がよろしいんですの?」
「君のことを覚えていないからな。今はヘルミのそばにいてやりたい。……ごめん」
「そう……ですか」
マリアは俯いて火を見つめていた。
本当に恋人だったのなら申し訳ないけど……。
思ったよりは良い子だということが分かったし心苦しいが。
「ユリウス様、私……我慢しますわ」
「え?」
腕がつきそうな程近くに座っていたのだが更に距離を詰めてきた。
というか距離はない。
腕や足、体の側面がピタリとくっついているし、頭をごろんと倒してきた。
突き飛ばしたいがそういうわけにもいかない。
さりげなく反対側に体を動かして逃げたのだが追いかけてくる。
元々俺はパーソナルスペースが狭い方なのだ。
嫌だなあ。
俺のような中身は偽物じゃなく、本物の男はこういうことをされたら嬉しいのだろうか。
漫画やゲームでは、男って分かりやすい生き物で描かれているけどどうなのだろう。
『私』の知り合いで考えると、実際にも分かりやすそうだ。
「私、今は二番目でも我慢しますわ。でも……二人きりの時だけは可愛がって頂けません?」
「へ?」
甘えているような声に、逸れていた思考が引き戻された。
顔をあげ、こちらを覗き込む瞳は揺れていた。
……上手い、この子甘え方上手いわ。
いつのまにか俺の膝の上に手を置き、もう片方の手は背中に回されている。
横から抱きつかれる形で、豊満な胸も当たっている。
なんという技術……見習いたいぞ。
こうやってリクハルトも落とされたのか、なんて思っていると更に顔が近づいていた。
「ユリウス様……」
「おい、ちょ……」
しまった、油断していた!
首に両手にまわされてバランスを崩してしまった。
その隙に素早く圧し掛かられて……押し倒されてしまった。
「……離れろ」
「嫌ですわ。私はこんなにも貴方に焦がれているのに……少しくらい可愛がってくださってもいいじゃありませんか」
「いいから離れろって、おい」
抗議の声を上げてる一瞬でマリアは下着姿になっていた。
ワンピースなので一枚脱ぐだけだが、それにしても早業だ。
下着はシルクのような光沢のある白い素材の上下だったが、デザインはシンプルなものだった。
あまり派手な下着はこの世界にはないのだろうか。
だがスタイルのいいマリアが着ていると、シンプルな下着も妖艶に見えた。
肌の白さも胸の谷間も思わず触りたくなる気持ちが分かる。
なんて感想を言っている余裕は無いのだった!
「大丈夫。私達だけの秘密です。あの小娘にも言いませんし、誰にも話したりしませんわ」
「そういう問題じゃ……っ!」
力技で吹っ飛ばすわけにもいかず、迷っていると口を塞がれた、口で。
つまりキスをされた。
――ごめん、ヘルミ! そしてこの体の、本来の俺!
心の中で謝りながらマリアの体を押し離した。
体を起こしたので離れてくれるのかと思いきや、すぐに戻ってきてまた再び塞がれてしまった。
今度はさっきより激しく、っていうか舌を入れるな!
まずい、なんだかマーラの加護がかかりだした予感がする……。
これは非常にいけない。
いろんな意味で危険だ。
『私』を失ってしまう!
うわあああん犯される!
ヘルミ、助けてええええ!!
「んぅ、ユリウス様……」
息が上がってきたマリアが色っぽい声を上げている。
そんな声を出すな!
ブラを外すな!
マーラよ去ってくれ!
――シャアアアアァァァ
「ん?」
パニックに陥っていたが、ふと妙な気配を感じた。
何か……周りが妙だ。
「……何か気配しないか?」
「またそんなことを仰って、逃がしませんわ」
「違うって! ほんとに……って聞けよ!」
俺の首に顔を埋めて舌を這わせていたマリアの頭を掴んで止めさせる。
このビッチが!
絶対何かおかしいって!
「本当に何かいるって!」
「ええ? 本当に? きゃああ!」
上から何か来る!
覆い被さってきていたマリアごと、そのまま横に転がった。
なんとか回避することが出来たようだ。
さっきまで自分達がいたところを見ると白い固まりが張りついていた。
蜘蛛の糸だ。
嫌な予感がする。
蜘蛛の糸が飛んできた上の方を見ると……いた。
「う、うわぁ……」
そこには、巨大な蜘蛛がいた。
全身の毛穴がブワッと開き、寒気が走った。
凄くデカイ。
ワゴン車くらいの大きさだ。
蜘蛛は元々大嫌いだ。
その上ワゴン車サイズの蜘蛛だ。
『気持ち悪うううう!! 怖あああああっ!!!!』
拒否反応で声を出すことも出来なかったが、心の中で絶叫した。
「ア、アラクネ!?」
マリアも上を見上げ、驚愕の声をあげていた。
胸ぽろりで。
貴方、防御力ゼロですね。
「杖!」
マリアは急いで杖をとりに走った。
そうだ、俺も剣!
剣を回収しようと駆けている間も、上から次々と糸の追撃が飛んで来る。
勘を頼りに、なんとか回避しながら剣をとることが出来た。
「炎の矢!」
アラクネに炎が放たれた。
マリアも無事に、杖を持つことが出来たようだ。
「ここは毒蜘蛛の森の近くだったようですわね! 追って来なくなるまで離れるか、倒すしかないですわ!」
「倒せるような相手なのか?」
「ユリウス様なら余裕ですわ! 倒して、早く続きをいたしましょう?」
「あのなあ!」
体はハイスペックだが、中身はど素人だぞ!
そして続きって……まだやるつもりか!
「アラクネは再生能力が高く、一気に畳み掛けないと回復してしまいます。今の私の炎の矢の損傷も既に治っているようですわ。弱点は赤い目、炎と光属性。目を潰して動きを鈍らせた後に一気に魔法で倒せればいいのですが……。あれを倒すくらいの威力の魔法だと少し時間がかかりますわ」
「分かった。俺がなんとかしておくからマリアは下がって準備を!」
「ですが……承知しました!」
マリアは一瞬迷っていたが、時間がないと悟ったのか安全なところまで下がり、詠唱を始めた。
さて、格好良くなんとかするなんて言ったがどうしたものか。
体はハイスペックだが、どこまでやれるかは分からない。
案外倒してしまうかもしれないし、やはり中身が素人だと駄目かもしれない。
ただ、今日は狩りで少しだけだが体に馴染んだというか、慣れることが出来たから多少は動けるだろう。
目が弱点だと言っていたから、まずは目を潰そう。
「うわああ。やっぱ気持ち悪ぅ」
改めて見たが、やはり気持ち悪い。
思わず顔を顰めてしまうし、なんだかトイレにも行きたくなってきた。
早くヘルミのところに帰りたい。
アラクネはタランチュラのような肉厚の蜘蛛だった。
胴体にネオンのような蛍光ピンクの斑模様がついているが、斑模様はよく見ると動いていて人の顔のように見える。
頭には弱点の目が八個ついていたが大きさがばらばらで、ぎょろっとした一際大きな赤い目の周りに小さな赤い目が光っていた。
「多分あのぎょろっとしたデカイ目だよなあ」
走って距離を詰める。
近寄る間も糸が吐かれ続ける。
よけ切れないものは切りながら進んだが剣の切れ味が悪く、あまりスパッと気持ちよく切ることが出来ない。
それでも糸は次々と飛んでくる。
ああ、くそう、苛々する!
蜘蛛の近くまで来て胴体に飛び乗り、目を切ろうとしたが飛び上がった瞬間に『待っていました』といった様子で蜘蛛の胴体が割れ、食虫植物のように開いた。
開いた口のふちには鎌のようなものがびっしりとついているし、胴の中は緑の液体がぶくぶくしている。
まずい! こっわ!
とっさに魔法で風を出し、後ろに下がった。
その時の風がカマイタチのようになり、蜘蛛の体内にダメージがいったようでその場でばたばたしはじめた。
これはチャンスかも!?
目を潰そうと構えたが、忙しなく動いている足が邪魔だ。
それならばまず足を切り落としてやろうと険を目標に振り下ろしたのだが――。
カキィン
「ちょ……」
剣が折れ、先がどこかに飛んでいってしまった。
武器が無くなってしまった。
くそ、リクハルトめ!
お前の剣、しょぼいぞ!
仕方がないが魔法でやるしかない。
上手くいった今の風の魔法で足を落とせるか試そう。
出来るだけ落ち着いて、慎重に力を絞って狙う。
「風の鎌!」
鋭利な風が飛んでいき、見事真っ二つに切り裂いた。
……周りの木をごっそりと。
「そこじゃない! 当たってないしもお!」
辺りが開けて戦いやすくはなったが、当のアラクネには何もダメージを与えられていない。
ああ苛々する!!
また力を制御出来なくて失敗だ。
そもそも的を狙うような方法は今の俺には無理だ。
火が弱点だと言っていたし、火で燃やしてしまう方がよさそうだ。
考えている間にアラクネは体制を整え、反撃してきた。
糸を飛ばして俺を捕獲しようと試みながらも距離をつめてくる。
糸の動きも見えるし、かわすことは容易い。
だが、体が勝手に動きはするが頭が追いつかない状態でどうも余裕がない。
――キシャアアアア!!
「ぐっ!!」
「ユリウス様!?」
なんとか上手く魔法を使えないか試行錯誤しながら避けていると隙が出来たのか、アラクネの太い足の一撃を食らってしまった。
結構痛かったが、痛みは一瞬で消えたので大丈夫そうだ。
「平気だ! 俺はいいから! 準備を続けてくれ!」
「でも……!」
「マリアを信用して頑張ってんだからさ! マリアも俺を信用してくれよ!」
心配して駆け寄ろうとしてきたマリアを制止する。
大丈夫だから、早くしてくれー!
マリアを見ると、何故かきらきら瞳を輝かせながらこちらを見ていた。
「お任せください! 命に代えても成功させてみせますわ!!」
「いや、命に代えたら駄目だから」
突っ込みは届いたかどうか分からないが、詠唱を再開したようだ。
上手く戦えてはいないが、このまま時間稼ぎが出来そうかと思っていた矢先、アラクネが俺への攻撃を止め、マリアの方に向かいだした。
気づかれた!
マリアに近づくのを止めなければならない。
なんとかしなければ……!
魔法は失敗する、ややこしいことを考えている余裕がない。
アラクネの胴体の側面を目掛けて思いきり走り、蹴り込んだ。
すると木々をなぎ倒しながら十メートル程後ろへ吹っ飛んでいった。
マリアからも離れた。
また予想以上の威力で焦ったが引き離し成功だ。
最初からこうすれば良かった。
薄々思っていたけど、でも気持ち悪いからなるべく接触したくなかったわけで……。
そうは言っていられなくなったが。
吹っ飛んだアラクネが体制を立て直す前に、再度飛び蹴りをお見舞いする。
今度は先程より勢い良く吹っ飛び、ダメージが聞いているような気がした。
なんだか倒せそうな気がしてきた。
立て直そうともがいているアラクネに素早く近づき、気持ち悪いが足を掴む。
「掴んでいたら流石に的が外れるなんて事はないだろ。『炎の壁』!」
アラクネの下から上へ轟音と共に炎が昇る。
威力はやはり調整出来ておらず、アラクネを十匹くらいまとめて焼いてしまえそうな火柱が上がった。
――ギュアアアアアアアア!!!
燃え上がる炎の中からアラクネの断末魔が聞こえた。
少しすると声は聞こえなくなり炎が消えた後には、消し炭となったただの黒い塊にしか見えないアラクネの末路が残った。
「はは……倒した。って、いうかオーバーキル」
「ユリウス様!!」
乾いた笑いを漏らしていると、背中に柔らかい感触が当たった。
例の二つの山だ。
「ユリウス様ったら、私を信用しているなんて仰っておきながら、一人で倒してしまって……。私の出番がありませんでしたわ! ふふっ」
「ああ、ごめん」
「許しませんわ、ふふっ」
何が楽しいのか分からないがとっても上機嫌だ。
戦闘で興奮してハイになっているのか?
俺は疲れた……。
気持ち悪い蜘蛛を触ってしまったし、凄く風呂に入りたい。
「マリア!」
「ユリウス!」
項垂れていると、暗闇から俺達を呼ぶ声が聞こえた。
あの声は……ヘルミと、リクハルトだ。
「ここだ!」
返事をすると二人の気配が近づいてきた。
前方に二人の姿が見えた。
向こう俺達の姿が見えたらしく、安堵したような表情を浮かべた。
だが一瞬でその表情は氷つき、固まった。
どうしたのだろう。
二人の視線は、俺では無くマリアの方にいっていた。
九割すっぽんぽんの。
あ。
「……どういうことなの?」
ヘルミの目が据わっていた。