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迷探偵 嬉野由莉香の推理

迷探偵 嬉野由莉香の推理Ⅳ

作者: rai

 「由莉香先輩、幽霊って存在すると思います?」

 多目的教室の扉を勢いよく開いた古峯(こみね)(のぼる)の興奮気味な第一声は、夏に相応しいものだった。多目的室の中央でハードカバーのページを捲っていた嬉野由莉(きのゆり)()は少しだけ顔を上げて、その問いかけにさして興味もなさそうに淡々と答える。

 「私は、霊魂を救いの思想だと考えている。死という存在の消滅の先にも希望を(いだ)こうとする、実に人間らしい思想だと思っている」

 「じゃあ、幽霊は全て枯れ尾花だと思っているわけですね?」

 「・・・有名だけれど、君がその句を知っているとは思わなかったよ。実際には幽霊でななくて、化物の正体見たり枯尾花、だけどね」

 読み終えたのか、由莉香はそっと本を閉じて鞄の中に仕舞った。彼女の鞄の中には幾冊もの本が入っている。いつもなら昇の話など無視して次の本を取り出すのだが、どうやら幽霊の話題は彼女の興味を惹くことに成功したらしい。机に肘をついて手を組み、本題に入るよう祐へ視線を送る。

 昇は内心でガッツポーズをする。姉である古峯繋(こみねつなぎ)から聞いた横井也有の句を持ちだした成果はあったようだ。この様子だともしかしたらジョーカーを切らずに済むかもしれない。

 「最近噂になってるんです。夜中の学校に白い装束を着た長身の霊が出るって!」

 「そんな噂、聞いたこと無いけど」

 由莉香のその言葉を聞いて昇は眼をパチクリさせる。それから、悪意の一ミリも籠っていない純粋で疑問をぶつけた。

 「由莉香先輩に、噂を聞くことが出来る相手がいるんですか?」

 「・・・」

 手招きに導かれて由莉香の近くに寄った祐の鳩尾(みぞおち)に掌底が入った。が、自他共に認める肉体派の昇の胸板は厚く、彼女の非力では人体の急所である鳩尾といえどもそれほど効果的ではなかった。顔を歪めたのはむしろ彼女の方で、昇は心配しながらも苦笑いしてしまう。

 「すみません・・・友達居ないこと、意外と気にしてたんですか?」

 「・・・・別に。ただ君に言われると無性に腹が立つ」

 掌底を繰り出した右手をぶんぶんと振りながら語彙を荒くする。

 「それで、君はどうしたいの?」

 「え?」

 「私にその白い装束を着た長身の霊のことを聞かせたかっただけなの?」

 (まなこ)が鋭く細まったのは、手の痛みのせいなのだろうか。

 思惑全てを見透かされているような錯覚さえ受けた昇は、(とつとつ)々としか言葉を紡げなかった。

 「い、いえ。だからその・・・霊の噂を確かめに、行かないかなと・・・」

 ふぅ、と由莉香は息をついた。心なしか、馬鹿にするようなニュアンスが籠められている。

 「私がその誘いに乗って夜中の学校に行くと思う?」

 「来ない・・・ですよね」

 「勿論」

 由莉香は断言する。それからもうこの話は終わりとばかりに鞄の中へと手を伸ばし、新しい本を取り出した。

 仕方がない。ジョーカーを切らなければならないようだ。

 出来るだけ温存しておきたかったそれを切るために、昇も鞄の中に手を突っ込む。その手が握ったのは薄汚れた一冊の本。本に一欠片の興味も持っていないはずの昇が本を取り出した事実に由莉香は眉を顰める。だがその背表紙の掠れたタイトルを認めて彼女は我が目を疑った。

 「それは・・・もしかして」

 昇は、唇の両端が上へ吊り上がるのを禁じ得なかった。冷静なあの嬉野由莉香が、驚きに口を丸めているのだ。高揚もやむを得ない。

 「そうです、そうですよ!由莉香先輩が欲しいと言っていたあの絶版本です!古本屋を(めぐ)りに廻って何とか手に入れたんですよ」

 「幽霊探し、付き合うよ」

 絶版本を食い入るように見つめ、由莉香はあっさりと手のひらを返した。幽霊に対する恐怖や学校に不法侵入する後ろめたさなどは微塵もないようだ。いや、あるのかもしれないが、絶版本への期待によって霞んでしまっているのだろう。

 「急なんですけど、今日の夜11時に正門前集合ってことでどうですか?」

 「いいよ」

 即答。

 由莉香は一切躊躇いなく頷いた。早くその絶版本を渡してほしいという心の声がありありと聞こえてくる。

 誘いを一刀両断にされている昇は、その即答が少しだけ癪に障る。

 「本を渡すのは、幽霊探しが終わってからでもいいですか?」

 唇だけが脳の支配から離れてしまったようだった。そんなつもりはなかったのに、刺々しさが籠ってしまう。

 「うん。今渡してもらっても約束を破ったりはしないけど、君にしてみればそれは当然の権利。何の異論もないよ」

 だから由莉香は、細かいことをあまり気にしない快活な性格の昇が見せた(けん)に出来るだけ逆らわないよう珍しく言葉を選んだ。もっともそれは、確実に絶版本を手に入れるための打算的な配慮でしかない。

 二人の間に一瞬だけ研磨された刃のような空気が(たぎ)った。だが、その刃を素早く鞘に収めた昇が、いつも通りのむさ苦しい笑顔を浮かべてとりなす。

 「それじゃあ夜11時、正門の前で待ってます!」

 「分かった」そう承諾してから由莉香は顎に手を当て「ところで、確かめるのは白い女の霊だけでいいの?」

 昇は首を傾げた。由莉香の言わんとしているところが分からないようだ。

 「七不思議は確かめないの?」

 「七不思議・・・あるんですか、この学校に?」

 昇が表情を僅かに曇らせる。由莉香はそんな昇を見つめながらゆっくりと頷いた。

 「といっても、テンプレートなものばかりだけどね。階段の段数が増えるとか、音楽室からピアノの音が聞こえてくる、とか」

 「そんなテンプレートな七不思議なら、確かめる必要ないと思いますけど・・・」

 由莉香は、そう、と呟いた。それから机のフックに掛けていた鞄を両手で持ち上げる。放課後になってから大して時間は経過していないが、幽霊探しに備えるのか早めに帰宅するようだ。

 「それじゃあ古峯君。また」

 「はい」

 殺虫灯のような笑顔を遮断するために由莉香は素早く多目的教室の扉を閉めた。

 正門を出て、坂道を下る。アドレス帳に三つしか登録のない携帯を鞄から取り出した由莉香は現在時刻を確認してからデパートに向かうのだった。



 待ち合わせ時刻の15分前に正門に到着した昇はそわそわとしていた。幽霊探しへの期待もそのそわそわの中には含まれているが、目下の楽しみは由莉香の私服だった。外見にさして興味のなさそうな彼女は一体どんな服を着てくるのだろうか。そう思いながら爪先を上下させ地面を小刻みにタップする。ほどなくして坂道を上がって来る人影が見えた。

 「ふぅ・・・あれ、意外と・・・早いんだね」

 息を切らせ肩を揺らしながら由莉香は携帯電話に表示されている時間を見て少し驚いたように言った。 彼女が正門に到着したのは待ち合わせ時刻より10分前。昇は11時丁度かそれより少し遅れて来るだろうと予想していたが、良い意味で裏切られたようだ。

 一方、悪い意味で期待を裏切られたのは昇だった。これがやるせなさというやつなのかと、彼は天を仰ぐ。

 「何で・・・何でっ・・・制服なんですか!?」

 血涙を流さんばかりの訴えに、由莉香は虫を見るような眼で追い打ちをかける。どうして制服なのかと切実に訴えられている理由は彼女には分からないが、何となく馬鹿にされたような気がしたのだ。

 「何でって、学校に行くんだから制服は当然でしょう?」

 昇はぽかんと大口を開いた。

 「いや・・・夜11時に、茶髪に制服でうろついていたら警察に補導されてもおかしくありませんよ。というか、見つかったら絶対に補導されます」

 「そうなんだ。こんな時間に外へ出たこと無かったから知らなかった」

 由莉香は地毛の茶髪を指で摘まみながら言う。

 「マジすか!?ああ・・いたいけな俺の純情は犠牲になったのだ・・・」

 「君はいたいけというより痛い系じゃない?」

 がっくりと項垂れる痛い系な男子を尻目に由莉香は、闇に溶け輪郭の定まらない学校を見やった。朝昼と生徒たちの喧噪で溢れかえっているその場所には当然ながら全くの人気がない。そのことに、何とも不思議な印象を受ける。

 「じゃあ、侵入しましょうか」

 傷心から立ち直った昇が正門を指差した。門は閉まっているが、ほどほどの背丈と身体能力があるならよじ登ることが可能な高さだ。

 「荷物、持ちますよ」

 閉まっている門を見て遠い目をした由莉香に手を伸ばす。一般人にはよじ登れても絶望的な彼女の身体能力でそれは叶わない。それも、絶版本を入れるために持ってきたのであろう鞄が手に握られている状態では尚更だろう。昇も絶版本や懐中電灯が入っているリュックを背負っているが、身体能力の高い彼にとって荷物が一つ増えたところで問題にはならない。

 少し迷ってから由莉香は鞄を手渡した。鞄は意外と重く、それなりの重量がある何かが入っているようだ。

 「この鞄、何が入ってるんです?」

 由莉香は一度鞄を自分に返すよう求めた。そして返された鞄のファスナーを開け、その中からやたら分厚い一冊の本を取り出す。

 「最終兵器・新約聖書」

 その分厚い本、新約聖書でバランスを崩しそうな危なっかしい素振りを行いながら由莉香がそう言葉にした。

 昇はしばし思考停止状態に陥る。何を言っているんだこの人は、と唇から漏れそうになるのを辛うじて抑え疑問符を放つ。

 「え、新約聖書(物理)?」

 「普通の書籍より効き目ありそうじゃない?」

 あっけらかんと応える。

 「いや、相手は幽霊ですよ。もっと超常の何かじゃないと効かないと思うんですけど・・・例えばチェーンソーとか」

 「聖書には、奇跡も、魔法も、あるんだよ」

 「聖書すげぇぇぇぇえ!もう何も怖くない!」

 突っ込みながら昇はしめしめと思う。

 普段の由莉香先輩ならこんな意味の分からないことをするはずが無い。無表情の奥底にはきっと、幽霊への恐怖が渦巻いているのだろう。

 再び鞄を預かった昇が軽々と門を登り、軽やかに学校の敷地に着地する。だが由莉香は両手を固く握りしめたまま動こうとしない。

 「・・・奇跡と魔法で門を越えてくださいよ」

 由莉香は肩を竦めて昇の白眼視を受け流す。それから達観したように声を静める。

 「奇跡や魔法なんて、あるわけないじゃない。私たちに目の前にあるのはいつだって、現実というやるせない高く険しい絶壁だけだよ」

 「うわぁ・・・」

 昇のどんびきを無視しつま先立ちになって精一杯背を伸ばす。が、指先は門の頂きを掠めるだけでそこを掴むことすらできない。曲がりなりにも侵入者を防ぐための門だ。同世代の女性の平均より少し低い身長と極端に低い身体能力を有する由莉香では自力で越えることは叶わないようだ。

 昇は背負っているリュックを地面に、そのリュックの上に由莉香から預かった鞄を置いて再び門をよじ登り、由莉香に向かって手を伸ばした。

 「蜘蛛の糸よりは安全だと思いますよ」

 好感を得ようと昇的小粋ジョークを披露したが、由莉香は恨めしそうにその手を睨んだ。それから、私は罪人じゃない、と忌々し気に呟いたがそれでも昇の手を掴んだのは、自力で門を越えることが不可能だと自覚しているからだろう。

 初めて握った由莉香の手はとても小さく、そして冷たかった。インドア派の彼女は真鍮のように色白く線が細い。外見は儚げという表現が良く似合うのだが、(つね)の無表情が、人を近付けさせない尖った雰囲気が、その儚げをぶち壊しにしている。

 図らずも昇はどきりとしてしまう。力を籠めれば簡単に折れてしまいそうなその手の小ささに。小柄な体格のその軽さに。するとそれまで全く頭になかったある事実に気付き、彼の心臓が嘶く。

 薄暗い校舎。月明かりしかない漆黒に塗られた夜中。そこに二人きり。そう、今は二人きりなのだ。

 ごくりと唾を飲み込んだ昇が意識する相手は、文字通り彼の手を借りることで門を越えることに成功し肩で息をついていた。その荒い吐息さえも艶めかしく思えてしまい、邪念を振り払うように昇は自らの頬を強めに叩いた。

 「大丈夫ですか、由莉香先輩?」

 「本当に、地獄が見えそうだったよ・・・」

 昇のリュックの上に置かれてある自分の鞄の中からタオルを取り出して、瞼の上まで伸びている前髪を振り払い額を拭う。たかが学校の門を乗り越えただけなのに、死力を尽くした戦いを繰り広げたかのようだ。

 「地獄ですか。そこまで阿鼻叫喚の絵図ではないですけど、中々不気味じゃないですか?夜の学校って」

 「昼間と比べたら陰鬱とした印象を受けるけど、そこまで不気味とは感じないかな」

 「へぇ、そうですか」

 堪え切れなくなって顔に染みだした愉悦を、手で隠す。それでも抑えきれない期待が声を高く震わせる。

 「それじゃ、校舎に侵入しましょうか」

 夜の学校は当然ながら扉に鍵が掛かっている。だが昇は自信満々にそう言い、リュックを背負って歩き始めた。

 「何かあてがあるの?」

 「ええ。いつもの場所に」

 いつもの場所。由莉香が静謐(せいひつ)を望み、昇がその静謐を蹂躙する多目的教室。その入り口から最も離れている左奥の窓、つまり外からその教室を窺う由莉香たちからは最も右の窓を前にして昇は自慢げに胸を叩いた。

 「多目的教室から帰る時にこの窓だけ開けておいたんですよ」

 「見廻りの先生に閉められているんじゃない?」

 ちっちっちっ、ときざったく舌打ちしながら昇が窓に手を当てる。すると窓はあっけなく滑った。

 「職務怠慢・・・」

 抵抗なく開いた窓を見ながら、由莉香は口を尖らせた。閉められているんじゃない、と言った手前少し悔しいようだ。

 「まぁ多目的教室なんて放課後使われるような場所ではないですし、他の窓を閉めていれば、一番奥の窓を確認しなくても不思議ではないですよ。いつもはちゃんと戸締りしてますしね」

 「そんなものなのかな。ところで、この窓が開かなかったらどうしていたの?」

 「その時はパイプを伝って鍵の壊れている二階男子トイレの窓から侵入するつもりでした」

 由莉香は、そう、と納得したようなそうでないような返事をした。だがともかく、事実として大口を開けた窓が眼前にある。昇は自分の身長より少し低い位置にあるその窓から多目的教室に入り込んで、満面の喜色を刻んだ。

 「不思議な感じですね。こんな遅い時間にこの多目的教室に居るって。こんなに暗い校舎内を見るって」

 「もう少し静かに喋った方がいいと思う。宿直の先生が校内を見廻っているかもしれないし」

 はいはい、と軽い調子で返事をした昇は、由莉香の手を掴み多目的教室の中まで引き上げるとすぐさま廊下へ通じる扉に近づき、開いた。

 黒に染まった廊下は果てが見えず、永遠に続いているかのような錯覚を受ける。また、扉を開ける音が異様に大きく聞こえるほどの無音は、息を吸い込む音をたてることさえ躊躇わせる。

 不思議な感じ、と言った昇だが心臓はむやみに鼓動をしている。多目的教室にから出ようとする一歩が中々踏み出せない。

 まさか夜の学校がこれほど不気味だとは。

 そんなビビりを尻目に、由莉香は鞄の中から懐中電灯を取り出しスイッチを入れて多目的教室から出て行く。恐れを微塵も感じさせない確かな足取りで、そのまま廊下を歩いて行く。

 「ところで白い装束を着た霊はこの校舎に・・・・あれ?」

 昇が近くにいるものとばかり思っていた由莉香は、その姿が見えないことに首を捻った。振り返ると昇は未だに多目的教室の中で立ちつくしていて、彼女はやれやれと肩を竦める。

 「か、勘違いしないでよね。怖くなんかないんだから!ただ由莉香先輩が後ろから霊に襲われないよう注意していただけなの!」

 「そう。なら君は、ずっとそこで直立していればいい。私は四階まで上がってみるつもりだけど、何かあったら知らせに来るよ・・・役に立つとは思えないけれど」

 カチン、とくる。先輩とはいえ、自分よりも遥かに小柄で身体能力の低い女子の挑発は彼の心を奮いあがらせる。ここに何をしに来たのかを、思い出させる。

 「怖くなんかないですよ。俺を怖がらせたら大したもんですよ」

 「ふぅん」

 唇の端が大きく凄惨に曲がる。それは普段無表情な由莉香にしては、という落差なのだが、昇には暗闇の中で仄かに笑んだ少女がとても不吉に見えた。

 「それで、白い装束の霊はこの校舎にでるの?」

 「はい。噂では」

 一階の廊下を、二つの明りが照らす。果ての無いような不気味を漂わせていた廊下だが、その終りはあっという間だった。この高校の中で最も大きな校舎とはいえ、生徒の徒歩での移動が想定されている建物なのだから当然といえば当然だ。

 「一階にはいないようだね。それじゃあ、二階に行こうか」

 「ええ、行きましょう。幽霊とか出てもワンパンでのしてやりますよ」

 「それは頼もしいね」

 頼もしい、と言いながらずんずん先行する由莉香。最短コースをなぞる様に階段の内側を進み二階に上がった彼女は、唐突に掌をポンと軽く叩いた。

 「そういえば三階に上がるこの階段だ。七不思議のひとつ。段数の増える階段」

 「・・・そうなんですか。そんなテンプレートな七不思議より二階を探索しましょうよ」

 「ところがこの階段の怪談にはプラスアルファがあるの」

 階段の怪談、はひょっとしてギャグで言っているのだろうか。とりあえず昇は、気付かないふりをする。

 「プラスアルファ?」

 「うん。階段の段数が増えた瞬間、コツンコツンって音がするらしいよ」

 二階廊下の左端まで辿り着き、折り返す。暗闇に慣れてきたとはいえ、未だ不気味な学校の廊下でそんな話をされてはたまったものではない。昇は馬鹿らしい、とでも言うかのように短く低い声を出す。

 「はっ。由莉香先輩、霊ならいざ知らず階段が増えたりすると思いますか?」

 「しないだろうね。けれど、どうしてそんな尾鰭(おひれ)がついたのか気になりはするかな」

 「どうせ、普通じゃつまらないからオリジナリティを付け加えようとしたんでしょう」

 右端に辿り着く。これで二階の探索は完了した。次は三階なのだが、七不思議の階段を前にして昇の足は竦んでしまっていた。階段の段数が増えるはずなどない。そう思うものの頭の片隅で点滅する、もしかしたら、がどうしても消えない。

 「増えたら何段になるんですか?」

 「13らしいよ。不穏な数字だね」

 やはり内を通って由莉香が先に一段目を上る。続いて昇も。

 2、3、4。

 数えたくないのに、昇の脳は勝手に段数をカウントしていく。

 5、6、7。

 いつの間にか、握りしめている掌が湿っていた。呼吸も、短く浅くなる。

 8、9、10。

 額に冷や汗が伝う。けれど体温は上昇し、その温度差がとても気持ち悪い。

 11。

 「あ」

 それは呆けた声だった。昇は声の方へ、すなわち横を向く。

 由莉香が、目を見開いて左斜め上を見つめていた。その視界に収まっているのは、白い装束。

 噂の、幽霊。

 由莉香の反応は速かった。白い装束を着たそれが三階へと消えて行くその瞬間に駆け出していた。もっとも彼女の走力は低く、辞書の入った鞄を持っているのだから、少し遅れて白い装束に気付いた昇でもすぐに追いつけるはずだ。

 しかし昇は追いつけない。いや、そもそも足が階段に縫い付けられたように微動だにしていない。荒く短い呼吸に含まれる焦燥の理由は、音。由莉香が走りだしたまさにその時、コツン、コツンと、弾むような音が下から響き渡ったのだ。

 「・・・13。嘘だろ・・・」

 それまで出来るだけ見ないようにしていた階段を見る。階段の段数は13。何度数えても、あと2段。

 頭を振る。常識的に考えて、階段の段数が増えるはずがない。七不思議なんて、学生生活にちょっとしたアクセントを加えるための、作り話にすぎない。

 そう否定するが、肉体かと意識が乖離(かいり)したかのような浮遊感で全身が弛緩してしまっている。深呼吸し、心臓を出来る限り落ち着ける。

 「うん。増えるわけがない。きっと元から13段なんだ。それより由莉香先輩を」

 やっとのことで階段を上りきり三階に着いたのは、由莉香が駆け出してからそれなりに時間が経ってからだった。

 懐中電灯を左に振って、三階の廊下を照らす。と、光が由莉香の背中を直撃した。由莉香先輩、とその後ろ姿に声を掛けようとした昇だが異変に気付いて唇を固く閉じた。

 肩の辺りで切り揃えられた茶色の髪は全く揺れていない。由莉香は直立していて、少しも動かないのだ。幽霊に驚いて竦んでいるにしては悲鳴が聞こえてこなかったし、悲鳴も出ないほど驚いて放心しているにしても肝心の白い装束を着た幽霊がいないのは不思議だった。

 「由莉香、先輩?」

 声を掛けても反応は無い。傍に落ちている鞄を拾おうともせず、ひたすら立ちつくしている。

嫌な、予感がした。

 恐る恐る由莉香に近づく。そして、その細い肩に触れようとしたその時、それまで動かなかった彼女がゆっくりと振りかえった。

 「ひっ!」

 喉が反射的に鳴らした小さな悲鳴。

 振り返った由莉香の顔には、大よそ人間ならば絶対に存在する顔のパーツが無かった。眉毛も、目も、鼻も、唇もなく、起伏のない肌色だけがそこに広がっていた。

 ナンダコレナンダコレナンダコレナンダコレ。

 頭の中で反響するその言葉が、昇の思考を鈍らせる。それでも本能は防衛のために体を動かせた。僅かに一歩だが、彼は由莉香から離れるよう後退した。だがそれがまずかった。後退した彼の背中が、空気ではなく何かに当たったような感触を捉えて痙攣する。振り向きたくないのに顔が自然に後ろを向くのを、彼は止められなかった。

 昇の髪が白い装束を撫でる。

 瞳に入りこんだのは、由莉香と同じように起伏のない顔。顔。顔。

 「うわぁああ、ぐもももぅうう!」

 学校全体に響き渡る絶叫を上げた口が押さえられる。その力は強く、弛緩している体では抗うことなどできない。

 そう、どうしようもない。

 これから、眼前の何もない顔と同じように、由莉香先輩と同じようにされてしまうのか。僅かに残っている理性は残酷にもそんな答えを導きだした。

 と、突然堪えるような忍び笑いが昇の後ろから発せられた。同時に、昇の口を押さえていた白い装束から、忍び笑いを吹き飛ばす大笑いが飛び出す。

 「ぷくくくく!はははは!我が弟ながら、くく・・・実に情けないな!」

 「・・・・え?・・・・え?」

 困惑の極みに達した昇は、我が弟と言った白い装束を見て、それから後ろを見る。由莉香の顔は未だに整地されたままだが、その細い肩は静かな笑いによって震えていた。

 「ま、まさか!」

 「そう、そのまさかさ!」

 白い装束は天井へ指をつき上げ高らかに言うと、何もない顔に両手を当てる。が、どうすればいいか分からないような探る手つきがしばらく顔を彷徨い続け、そしてようやく顔を、お面を外すことに成功した。

 「さっき情けない叫び声を上げた古峯昇君の御姉さま、古峯繋様、だぁー!全く、見事引っ掛かりおったわ。ノーベルリアク(しょぉうん)だぞ、弟よ」

 見慣れた、いや見飽きたその顔を見て、昇は安堵の息を吐いた。けれども姉の顔に安堵したのは束の間で、すぐに顔を顰めて声質を鋭くさせる。

 「姉貴・・約束が違うじゃないか!謀ったな!」

 「へぇ。約束って、なんのこと?」

 「そりゃ勿論、由莉香先輩を驚かせる・・・・」

 約束とは何のことか、そう問うた声が姉ではないものだということに気付いて閉口した。が、遅かった。バックからひしひしと伝わる威圧感に振り向けないでいると、繋が何とも軽い調子で言うのだ。

 「ハハハ、それなりに仲良くやっているようで、うん、お姉ちゃんは良いと思うぞ」

 繋の陽気に毒されたのか、由莉香の威圧感が霧散する。昇は威圧感が消えたのを感じ取ってからターンし、由莉香と向き合った。

 「つまり、ばれてたわけですね」

 「うん。繋さんの外見的特徴にピタリと当てはまる”背の高い女”の霊。準備の良すぎる絶版本。怪談好きなら知っていてもおかしくないうちの学校の七不思議を知らないことや、それを聞いた君の顔が曇ったこととか、とにかく怪しかったから繋さんにカマをかけてみたんだよ」

 「由莉香から珍しく、というか初めてメールが来たんでテンション上がっちゃってさー。つい、ポロリと」

 ごめんごめんと弟に謝るが、悪びれた様子は一切なかった。その態度に日ごろから慣れているのであろう弟はただ一度だけ溜息をついた。

 「で、バレてしまったものは仕方ないから油断しきっている昇を驚かそうってなったわけだ。最初はもっと簡易な物で驚かせるつもりだったんだが、デパートのおもちゃ売り場に良いものが売っててさ。お姉ちゃん、バイド代から大盤振舞しちゃった」

 のっぺらぼうのお面を叩く。一体どのくらいの値段なのかは分からないが、楽しいことの為なら何でもやってのける繋にとって、値段はさしたる問題ではない。

 「お面を入れていた鞄の中に何が入っているのかと問われた時は少し焦ったよ。カモフラージュとして新約聖書を持ってきていたおかげで助かった」

 「なんか言動がおかしいと思いましたよ。焦ってたんですね、あれ。ていうかカモフラージュに新約聖書って」

 「インパクト、あるでしょう?」

 お面を外した由莉香はいつもの無表情でそう言った。忍び笑いとはいえ滅多に、純粋に笑わない彼女の笑う姿を見たかった昇はがっかりする。驚かされたのだから、それくらいの飴があっても許されるのではないかと思う。

 「じゃあ、七不思議のあの音も・・・?」

 「その正体が知りたければ、一階から二階へ上がる階段の踊り場に行けばいい。そこにあるかもしれない」

 それは暗に、さっさと学校から出ようという提案だった。繋と昇が頷き、歩き出す。

 「いやー、この階段の踊り場に隠れている間、笑いを堪えるので必死だったよ。恐怖に硬直した顔で恐る恐る由莉香に近付く姿は傑作だった」

 三階から四階へと続く階段の踊り場を指差しながら繋が声を弾ませる。彼女が後ろから昇に近づいたのは弟をより驚かせるためだが、この階段の踊り場が身を隠すのに役に立ったようだ。

 「傑作だった、じゃねーよ。なんか、こう、肉親を裏切ったことに対する良心の呵責とかはないわけ?」

 「だから、謝ったじゃないか。しつこい男は嫌われるぞ。なぁ、由莉香」

 二人の話しに巻き込まれたくない由莉香は感情の籠ってない声で、かもしれませんね、と答えた。女が三人寄ると姦しいになるが、この兄妹には是非とも(うっと)(うしい)という新単語を贈呈したい。由莉香は黙々と階段を降りながらそんなことを思う。

 「着きましたよ。一階から二階へ上る階段の踊り場」

 耳障りな、激しさを増していく兄妹の口論(?)を止めるために由莉香が言った。すると兄妹の動作が見事にシンクロする。コツンコツンと音を鳴らした正体見つけようと二人は同時に屈みこんだ。

 「何もないぞ?」「何もありませんよ?」

 兄妹の声が重ねられ、不協和音になる。バチバチと効果音が聞こえてきそうな視殺戦(しさつせん)がしばし繰り広げられ、勝者となった繋が由莉香に問う。

 「その音とやらの正体は何なんだ?私と一緒にデパートで買い物をした時には、そんな音がしそうなものなんて買ってなかった気がしたが」

 「繋さんがデパートに来る前に買っておいたんです。100円均一ショップで」

 鞄をごそごそと探る。白く小さな掌が握っているのは卓球の玉だった。

 「繋さんを見つけて走り出す時に、これをこの場所目がけて落したんです。ちなみに階段の段数が13段になるという七不思議だけど、あの階段だけ元々13段なの。他の階段は全て12段なんだけどね」

 「そ、そんなことだろーと思いましたよ。ハハハ・・・」

 「でも、あの階段だけ13段なのにはいわくがあってね・・・」

 「ノー!ノー!聞きたくないです!たぶん、設計ミスとかそんな感じなんです。真実はいつも、そんな粗末で些細なたった一つなんですよ!」

 胸の前で腕を交差させ、過度に首を振り、全身で拒否を表現する。そもそも無理があったのだろう。怪奇現象や心霊現象が苦手な昇が、それを用いて他人を恐がらせるなど。

 「でもやっぱり一番恐いのは人間ですね。もう二度と由莉香先輩に悪戯は仕掛けないよ、と固く心に誓いました」

 「ドッキリに引っ掛かった人間のように言われても、いまいち説得力に欠けるのだけど・・・」

 校舎を出て正門に至る。親の敵を見るような眼つきで正門と対峙する由莉香を再び昇が引き上げ学校の敷地から出ると、繋が目を擦りながら口を開いた。

 「良い子はもう寝た時間だ。私は少し良い子だからとっとと帰るけど、昇、由莉香をちゃんと家まで送り届けるんだぞ。今日は楽しかったよ。由莉香、また会おう」

 それから、なんか忘れている気がするなぁ、と独りごちた繋は制服姿の由莉香以上に警察に呼びとめられる可能性が高い白装束を着たままで坂を降りて行く。正直、知り合いもしくは肉親と思われたくない由莉香と昇は、女性の中では長身の繋の大きなシルエットが見えなくなるまで正門の前で待っていた。

 「別に、送ってくれなくてもいいよ。って言うのは無しですよ、由莉香先輩」

 まさにそう言おうと開けていた口を閉じ、由莉香は頬を掻いた。学校から彼女の家まではそう遠くはないが、何分日付も変わって少し経った時間である。そんな時間帯に一人で、それも制服姿で歩いていれば危険に巻き込まれる可能性がある。

 二人は坂を降り、明りの少なくなった道路を歩いて行く。

 「今さらですけど、こんな遅い時間によく親が外出を許してくれましたね・・・こんな時間に呼び出した俺が言っていい言葉ではないですけど」

 「止められるどころか、牛乳を買って来て、って頼まれたよ」

 「そこの少し先にコンビニありますけど、寄ります?」

 「うん。悪いけれど、寄らせてもらう」

 コンビニに寄り、牛乳を買う。その時間を合わせても、由莉香の家に着いたのはあっという間のことだった。

 昇は名残惜しい気持ちを感じながら持っていた牛乳を由莉香に手渡し、背負っていたリュックを地面に降ろした。

 「今日は楽しかったです。出来ることなら由莉香先輩の恐怖する姿が見たかったですけど・・・先に騙そうとした俺が悪いですからね」

 リュックの中から絶版本を取り出して由莉香に差し出す。由莉香は両手でそれを受け取った。

 「ありがとう。大切に読ませてもらうよ・・・そういえば」

 「はい?」

 「宿直の先生に出くわさなかったね」

 「そういえばそうですね。存在を忘れてました。運良く、別の校舎を見廻っていたんですかね?」

 「でも君、凄い叫び声を上げたよね。それこそ、何事かと先生が飛んで来そうなほどの」

 しばしの沈黙。

 神妙な顔をした昇がその沈黙を破ったが、努めて明るい調子の声は僅かに震えていた。

 「きっと、宿直の先生はいなかったんですよ。もしくは寝てたとか」

 「・・・そうだと良いね。送ってくれて、ありがとう。それじゃあ」

 由莉香は礼を言って自宅のドアを開き中に入った。

 むしろ俺を送ってほしい。昇の目には、これから一人で歩く夜道の闇が一層深みを増したように映っていた。



 翌日。友人から白い装束を着た霊の噂を聞いた昇は、放課後になるなり多目的教室に向かってダッシュした。

 「由莉香先輩~!聞きました!?白い装束の霊の噂」

 放課後の多目的教室の主は、読んでいる絶版本から視線だけを外して昇へと向けた。しかしその眼光に秘められた読書を邪魔するなという嘆願が通じることはない。

 「聞いていない」

 「あ、やっぱり噂話ができる相手はいないんですね」

 「・・・」

 手招きに導かれて由莉香の近くに寄った昇の鳩尾に新約聖書(物理)が入った。さしもの自他共に認める肉体派も、奇跡も魔法もある新約聖書(物理)の攻撃を物理カットしきることは出来ず、奇妙な途切れ声を出して膝をついた。

 「加減したつもりだったけど・・・ごめん」

 「っう・・・あんなに殺意の籠った加減、見たこと無いっす。つい殺っちゃったってレベルじゃねぇ。アーミーナイフの切っ先のような明確な殺意でしたよ」

 「それで、白い装束の霊の噂って?」

 話をバッサリと切られた昇は心の中で自分を慰めながら友人から聞いた噂を話す。

 「何でも昨日、宿直だった先生がこの校舎の二階で白い装束を着た霊に襲われたらしいんですよ。それで気を失って、気付いたら女子トイレの清掃道具入れの中に閉じ込められていたんですって」

 「・・・なるほど」

 由莉香は絶版本を静かに閉じて口を開けた。

 「私たちが来る前に校舎に侵入して準備をしていた繋さんは、その間にやらかしていたようだね。それが本意なのか不本意なのかは分からないけど、宿直の先生を驚かせて気絶させたことは間違いないかな」

 「姉貴のことだから、面白がって驚かせたに決まってますよ。気絶するとまでは思わなかったでしょうけど」

 「君を驚かせる作戦の障害になりそうだったから、気絶した先生を女子トイレの清掃道具入れの中に押し込んだんだろうね。最悪なのは、君を驚かせたり、私たちと喋ったりしているうちにそのことを繋さんが忘れたこと」

 「楽しいこと以外が記憶できない鳥頭ですから。我が姉ながら恥ずかしい」

 どちらともなく深いため息。そして由莉香は皮肉を籠めて言うのだ。

 「一番怖いのは幽霊でも人間でも無かったね・・・古峯繋だ」

 弟は、頷かずにはいられなかった。


 様々なネタを入れてみましたが、元ネタを知らないネタも

多数あり、きっと間違った使い方をしています。

 不快な思いをされる方がいらっしゃるかもしれませんが

平にご容赦を。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ホラー好きなもので、とても楽しめました 推理もわかりやすくとても好きになりました [一言] これからも頑張って下さい!応援してます!
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