中編
「メグ、午後はどこに行ってたんだい?」
アレックスが笑顔で話しかけてきた。
マーガレットは危うくナイフを落としそうになる。
夕食は伯爵夫妻が晩餐会に招かれ出掛けたので、兄妹とレイモンドの三人となってしまった。
その為マーガレットも会話に参加出来るのだが今の彼女には有り難くない。
「・・どこにって部屋に・・」
「部屋にいたと言うのかい?」
アレックスの視線が鋭く彼女を見る。
「な・・何かおかしい?お兄様。」
マーガレットは兄の言葉に一々反応してしまう自分が嫌になってきた。もっと普通にしてたいのに。
「おかしいなぁ。マリアが夕食前、君を捜していたようなんだが・・、本当に部屋にいたのかい?」
マーガレットは大いに慌てた。
「い・・嫌だ、わたしったら勘違いしてたわ。・・そ・・そう、・し・書斎に、お父様の書斎にいたの。」 頭をフル回転して答える。
「父上の?」
アレックスは笑みを消して彼女を見てる。妹の反応は少しおかしい。
「そうよ。見つかったら怒られると思ったから黙ってたの。マリアにも内緒にしてたから悪いことをしたわ。」
アレックスは怪しむように彼女を見つめていたが、ふっと眉を下げた。
「メグ、父上の部屋にこっそり入るのは駄目だよ。もう子供ではないのだから。」
「わかってる。二度としないわ。」
どうやらアレックスは信じたようだ。マーガレットは本を読むために父の書斎に無断で入った前科があった。
彼女は兄に気付かれぬように、ほうっと息をつく。
(こ・・恐かった。)
今までアレックスのことを優しい理想の王子様としてしか見てなかった。
だが林でのアレックスは違う一面を見せていた。
(お兄様の笑顔が恐いなんて・・・)
マーガレットは兄のことがわからなくなっていた。
彼女がわからない人物はもう一人いる。
マーガレトはレイモンドの方に何気なく視線を送る。
そして心臓が止まるくらいびっくりした。
レイモンドがこちらに顔を向けている。
マーガレットに気付くと彼はすぐ横を向いた。
そしてアレックスに話しかける。
「アル、後でカードでもしないか?」
「う〜ん。今夜はちょっとする事があるんだ。」
アレックスは苦笑いを浮かべた。
「そうか。じゃいいよ。」
特にがっかりした様子も見せずレイモンドは笑う。「あっ、でも明日は付き合えよ。」
彼の前髪の奥の目元が笑っているのがマーガレットにもわかった。
「ああ、いいとも。」
アレックスとレイモンドは林でのことなど無かったかのように楽しげに会話をしていた。
いつもと変わりなく。
(どうして二人とも普通なの?)
マーガレットは彼等から目が離せなかった。彼女は不思議で仕方がない。
アレックスの冷笑とレイモンドの怯えた顔、夢だったのかと思えるくらいだ。
(あれは、いったい何だったの?)
*
マーガレットが部屋に戻るとマリアが就寝の準備をしているところだった。
「お嬢様、お帰りなさいませ。」
マリアは忙しく動いている。
マーガレットは軽く頷いてソファーに座った。
何もしてないと余計に午後に見た光景が目に浮かぶ。本人に聞けないからいつまでも答えが出ない。
(う〜ん。気になる。)
マーガレットはため息が出た。
「お嬢様、もうお休みになりますか?」
マリアが遠慮がちに聞いてきた。
「いいえ。まだ早・・い」(そうだわ。マリアに聞いてみよう。)
マーガレットは名案を思いついたようにマリアに尋ねる。
「ねえ、マリア。二人の人がいてね・・」
マーガレットが話し出すとマリアの目が輝き出した。
「新しいお話ですか?」
「えっ?ええ、そうよ。」
(物語として話した方が色々説明しないで済みそうね。)
マーガレットは作り話として通すことに決めた。
「どんなお話ですか?」
マリアは仕事の手を止めてマーガレットの前へやって来る。
「それがどんな話かわたしにもよくわからなくて。それでマリアの意見を聞きたいの。」
「どういう意味ですか?」
マリアは怪訝な顔をした。
「つまり、・・まだ終わってないのよ。途中なの。だけど、わたし続きが知りたくて気になるのよ。・・だからマリアの考えを聞いてみたいの。」
「ええ?終わってないお話があるんですか?それは本ですよね?どこでそのお話を・・。お嬢様が考えた物語でもないのですよねぇ・・。」
マリアは符に落ちないような顔をしてたがマーガレットは強引に話を進める。
「もう。そこはどうでもいいじゃない。それより内容でしょ。」
「まあその通りですよね。どういったお話ですか?」
「ええと、登場人物は二人よ。この二人がわたしにはよくわからないの。喧嘩らしいことをしてたのに次の瞬間には仲良く笑ってるの。」
いざ言うとなると表現が難しい。マーガレットは苦労しながら話した。
「そうですねぇ。喧嘩するほど仲が良いということもありますし、喧嘩をしてもお互い想い合ってもいるということですよ。」
マリアは当然だという顔をする。
「そうね、仲良しでも喧嘩はするわよね・・。」
だが、マーガレットには納得できないことがあった。
あの時のアレックスの態度は普段とは違い過ぎたし、レイモンドの兄に対する振る舞いも考えられないものだった。
「でもマリア、喧嘩の様子がとても変だったのよ。」
「どんな喧嘩だったのですか?」
マリアは興味深々で聞いてくる。
「ええと、いつもはとても優しく笑うの。だけど恐いくらい冷たい笑顔だったわ。・・それでその顔で言うことを聞けと迫ってくるのよ。」
マーガレットはアレックスの笑みを思い出して震えた。
だがマリアは黙ったままだ。彼女から何も反応がないので仕方なく続ける。
「それで、その言われた方だけど・・。」
レイモンドのことを言うのは恥ずかしい気がしてきた。
(だって、なんだかあの人お兄様に負けてたし、泣きそうだったじゃない。)
彼が気の毒なような気がする。マーガレットは知らず知らず顔が赤くなった。
「苛めないでと言ってたわ。震えてたの。きっと恐かったのね。最後は逃げ出したわ。」
マーガレットは言いながら、ちらりとマリアを見た。そして固まってしまった。
「あ・・の、マリア?」
「おっ嬢様っ。」
マリアは頬を紅潮させて体をブルブル振るわせている。
「嫌ですわ。本当にわからないのですか?わたしにいつも色々教えてくださるお嬢様とは思えません。」
マーガレットは驚いた。
「えっ。マリア、あなたわかるの?」
「わかりますとも。わたし感動しましたわ。いつものお嬢様がお好きな王子と姫君のお話も素敵でしたけど。今のお話はそれより倍、いえ数倍素敵でした。」
マリアは目を輝かせてあらぬ方向をうっとり見つめる。
マーガレットには少しも見当がつかない。
「マリア、お願いだからわかるように話して。」
マリアは焦れたようにマーガレットに詰め寄る。
「つまり、いつもは優しい殿方が恐いくらい真剣にレディに迫ったんですよね?それは、きっともう待てなかったのですよ。自分を受け入れて欲しかったのです。だから言うことを聞け、なんて強引なこと言ったのですわ。」
マリアは目を閉じて胸の前で両手を握りしめる。
「素敵ですわ。なんて男らしい。一度でいいから言われてみたいです。ヒーローは騎士ですよね。王子という感じはしませんもの。」
マーガレットは呆気にとられていた。
「でも・・マリア・・」
(その二人はお兄様とレイモンドよ・・なんて言えない。)
「苛めないでと言った姫君も本気で言ったわけじゃないと思いますよ。本当は騎士のことを好きなはずです。急に言われたので驚いただけですよ。だから逃げ出したけれど次に会った時は笑顔だったんです。」
マリアは決めつけて鼻息も荒く言い切った。
「最後はその二人は結ばれますわ。絶対に。」
マーガレットはそうね、と言うしかなかった。
その時、部屋のドアを叩く音がした。マリアがすぐに応対する。
部屋の外にいたのはアレックスだった。
「メグ、もう休むのかな?話があるんだが。」
「お兄様?」
マーガレットは兄の方を向いて言った。
「まだ寝ません。大丈夫よ。」
(嫌だわ。いつからいたのかしら。今の話聞こえてないわよね。)
アレックスは部屋に入るとマリアに目配せをする。マリアは頭を下げ部屋から静かに出て行こうとした。が、その直前マーガレットの方を見てこっそり言った。
「続きを教えてくださいましね。」
マーガレットは慌てて頷く。
「何の話だい?」
「な、何でもないわよ。それより、どういったご用なの?お兄様。」
マーガレットは兄の顔を見た。
アレックスは苦笑を浮かべ彼女の側にやって来た。
「すまないね。こんな時間に。」
(いつものお兄様だわ。)
マーガレットは少し安心する。
「話というのはレイモンドのことなんだ。」
アレックスは彼女の横に腰掛けた。
「レイのこと誤解しないで欲しいんだ。確かに春の時は君に対してとても失礼だったと思う。僕もまさかあんなことを言うとは思わなかったんだよ。だけど帰りの馬車の中で凄く反省していたんだ。本当だよ。レイは何て言うか・・子供なんだ。」
「子供?」
「ああ、僕らは同い年なんだけど時々凄く幼い反応や行動をするんだ。ベスのことだってそうだよ。あいつは寮の自分のベッドにまで入れたんだから。」
「どういうこと?」
「ベスが初めて寮に現れた時は冬だったんだ。まだ子犬で寒さの為に振るえてて。可哀想だと言い張って強引に寮に連れて来たんだよ。ずっとは隠して置けないから止めとけって皆言ったんだけど。」
「その犬、どうなったの?」
アレックスは優しくマーガレットを見た。
「今はいないよ。寮の裏にある商店のご主人が貰ってくれたのさ。まあ、それもレイが探して来たんだけどね。あいつはすぐに色んな人と仲良くなるから。」
(わたしだけが仲良くなれないと言いたいの?)
アレックスはマーガレットの暗い瞳に気付いて慌てて言う。
「だけど女性は駄目なんだ。あの通り男相手と同じように接してしまって大概のレディは怒ってしまうんだ。それで余計に苦手になって。つまり子供なだけなんだよ。本当のあいつは凄くいい奴なんだ。学校じゃ人気があるんだよ。」
マーガレットはわかる気がした。
レイモンドは相手の意想を推し量って言動するのは得意じゃなさそうだ。春の滞在の時もマーガレットの気持ちになど全く気付いていなかった。レディ相手には特に気をつけなくてはいけないのに。
その点アレックスは完璧だ。
「君は特別だったんだ。言い方は不味かったがレイモンドがあんなに話しかけていたんだから。僕の妹というのがあったとしても、・・ベスのことがあっても、ね。本当に女性は苦手だからね。」
アレックスは何か思い出したのかくすりとした。
(わたしはあの人の練習台じゃない。)
「・・あの人がいい人かどうかなんてわたしには関係ないわ。」
マーガレットは冷たく言った。やはり兄の言葉を素直に聞けない。
「そんなこと言わないで。僕の大切な友人なんだよ。」
アレックスが彼女の手を取って見つめてきた。
その顔は真剣だった。
マーガレットは兄の目を見る。
(お兄様。どうしてそんなにあの人のこと・・?)
マーガレットはハッと目を見張った。
(まさか。マリアが言ってたことが正しいとか?)
妹の不穏な視線にアレックスはやや怯んだ。
「と、とにかく今回の休暇では仲直り・・と言うか、君も友人になって欲しいんだ。」
「お兄様は、あの方がお好きなのね。」
彼女は意地悪な気持ちになってきた。こうなったらはっきり聞いてやる。
「ああ、大好きだよ。」
アレックスはふわりと微笑んだ。小さい子供の頃からマーガレットが大好きな笑顔だった。
彼女は頭に霞みがかかったような気がした。ぼんやりしとして何も考える気がしない。力が抜けていくようだった。
「どこが好きなの?」
「可愛いところがあるんだ。内緒だけど時々弟がいたらこんな感じかなと・・。」
アレックスは照れたように笑った。
彼女は不愉快になった。
「お兄様の気持ちはわかりました。でもわたしにはどうすることも出来ません。」
「メグ、気に障ることを言ったかな?ただ僕は・・」 しかし彼女は兄の言葉を途中で遮る。出てきたのは苛ついたような声だ。
「わたしもう休みます。お休みなさい、お兄様。」
アレックスは観念したように部屋を出ていく。
マーガレットは自分でも何が気に入らないのかわからない。ただとても気分が悪かった。
*
翌朝マーガレットは朝食の後、部屋に戻りマリアに外出を告げた。
「帽子を出してくれる?」
「お嬢様どちらへお出かけですか?」
「わからないわ。」
(だってわたしが決めるんじゃないもの。)
彼女は帽子を選んでいるマリアに更に言った。
「ねえマリア、騎士と姫に邪魔が入ったわよ。」
「え?続きがわかったんですか。」
マーガレットは帽子を被ると鏡で確認する。二三度角度を変えて頷いた。
「そうよ。二人の仲を邪魔するライバルが現れたの。」
「そんな〜。あんまりです。」
悲鳴を上げてるマリアに笑顔で言った。
「それじゃ行って来るわね。昨日みたいに遅くならない内に戻るから心配しないで。」
(二人の邪魔をするライバルはわたしよ。)
マーガレットの顔を見てレイモンドは間が抜けたようにポカンとした。
「今日はご一緒させて頂きます。ご迷惑でしょうけど。」
マーガレットがツンとして言うとやっと我に帰る。
「あ、だがアレックスがまだ部屋に・・」
彼はしどろもどろになって言いだした。
「お兄様なら大丈夫です。」
(昨夜あんなにレイモンドと仲良くしろと言ったんだもの。わたしが付いていっても反対するわけないわ。)
「そうか。」
そう言うとレイモンドは下を向いた。とても気まずいのか仕切りに咳払いを繰り返す。
そんなレイモンドの様子を見てるとマーガレットは愉快な気分になってきた。相手が困ってる顔がなんだかおかしい。春のお返しができて胸がすく思いだった。
「メグ。どうしたんだ?」
その時、兄のアレックスが二人の元にやって来た。レイモンドが待ち兼ねたようにアレックスに歩み寄る。
「アル、・・・君の妹が・その、俺達と一緒に行きたいと。」
マーガレットはその言い方にカチンとくる。
(君の妹ですって?わたしには名前があるのに。)
「本当かい?メグ。」
アレックスは嬉しそうだ。昨夜のことは彼も気にしていた。マーガレットの歩み寄りに素直に喜んでいる。
(わたしの目的も知らないくせに。わたしは仲良くなりに来たんじゃない。邪魔をしに来たのよ。)
彼女は心の中で毒づいた。
勇んでやって来たマーガレットだが既に後悔していた。
河原に釣りに行くという二人の後を付いて行ってたのだが追い付かない。二人共さっさと歩いて行く。
いつしか大分遅れてしまっていた。
「もう。お兄様もひどい。少しはわたしを気遣ってよ。」
マーガレットは近くの岩に腰掛けた。疲れて息が上がっていた。汗が出て暑い。
兄とレイモンドは身軽に歩いていた。
二人は薄いシャツに膝下位でズボンを折り、暑さも感じていないようだった。
ドレス姿のマーガレットとは全く違う。
彼女は彼らを羨ましいと思った。だから余計に腹が立つ。
「だいたいね、紳士たるものレディを置いて行くなんて許されないわよ。学校で何を習ってるのかしら?呆れちゃうわ。」
辺りはとても静かだ。
どのくらい時間が経ったのだろう。
水の音がするので兄達が釣りをしている河原は近いはずだ。
だが、人の気配がない。
彼女は心細くなってきた。どうして捜しに来てくれないのだろう。忘れられたのか?
マーガレットは情けなくて涙が出てきた。勝手に付いて来て挙げ句に忘れられるなんて。
「誰かっ。誰かいないの?お兄様。レイモンドっ。」
彼女は夢中で叫んだ。
「マーガレット?」
草の影が動いて誰かが出て来た。
驚いた顔をしたレイモンドだった。
「君がなかなか来ないから・・、アレックスが見て来いと。」
マーガレットは涙が止まらない。心が安心感で満たされていく。
「泣いてるのか?」
(嫌だ。この人に泣き顔を見られるなんて。)
「・・泣いてるんじゃ・ない。こっ・これは・・目にゴミが・・入った・だけよっ。」
マーガレットは強がりを言った。彼に弱味を見せたくなかったから。
だが、次の瞬間―――
マーガレットはレイモンドの胸の中にいた。
彼は優しく彼女を抱きしめてくれていた。
「わかったから。もう泣くな。」
彼女の耳に小さいけれどそう囁く彼の声が聞こえた。