そのクマ、本当に可愛いですか? ~ルッキズム ~超個人的意見
涙袋がある方が可愛い。
本当に、そうだろうか?
最近、ショート動画等を見て、そんな疑問が浮かんだ。
「涙袋あり」と「涙袋なし」の2パターンに画像加工した顔を並べて、「こっちの方が可愛いよね~♪」と、涙袋がある方を推す。
・・・いや、私は逆だと思う。涙袋がない方が可愛い。むしろ、綺麗だと思う。
勿論、これは完全に私の好みです。
だから、涙袋がある方が可愛いという意見を否定するつもりはありません。
ただ、最近の「涙袋がある=可愛い」という空気には、少し違和感がある。
流行りなのはわかるのだけれど、それ、本当に似合ってるの?
やり過ぎじゃないの?
万人に似合うものって、なかなか難しいと思う。色にしろ服装にしろ。なので、実は涙袋がない方が可愛い人もいると思う。
涙袋がある方が可愛いよね~♪ と皆が同じ方向を向いている事に違和感を感じる。
検証動画に出てくるような芸能人だけの話ではありません。女性芸能人だけでなく男性芸能人にも涙袋を作るメイクが広がり、更には美容整形でヒアルロン酸注入。今では一時的な流行というより、すっかり定番になりつつあります。
涙袋を作る事で、中顔面が短く見える。小顔効果がある。目も大きく見える。
そういう理屈がある事も知っています。
以前は、白っぽくキラキラした色を目の下に入れるのが主流でしたが、最近はもっと自然になってきました。肌に近い色で陰影を作り、立体感を出す方法が流行ってきた事も知っています。
確かに、その方が自然です。鼻筋の陰影も強調する事で、外国人のような彫りの深い顔立ちに近づけて、カッコよく見せる。
そういう狙いも、多少は分かります。
なるほど、そういうメイクなのかと思う事もあります。
ただ。
私は、そのメイクを見ると、一瞬だけ別のものに見えてしまうのです。
疲れている人。
目の下にクマができている人。
厳密に言えば、涙袋の位置とクマやたるみとされる位置は異なる事は知っています。でも、ほぼ同じような目の下の場所。
一瞬で判別は出来ていません。特に、最近流行り始めた肌色に近い色で陰影を入れる涙袋メイクは。
先日も、そんな涙袋メイクをしている人を見ました。
私は一瞬、・・・あれ? と思いました。
目の下に、疲れが出ているように見えたのです。
「大丈夫ですか? お疲れですか?」
言いかけて止まりました。何かがおかしい。
本当に疲れている人なら、そんなところをジロジロ見るのも失礼です。
声をかける程でもない。
でも、どうにも気になる。
そして、ようやく気づきました。
「ああ・・・これ、涙袋メイクか」
そう思った瞬間、納得しました。と同時に、少し考えてしまいました。もし、これが本当に疲れている人だったら?
私は気づけただろうか。
最近はこういうメイクが流行っていると知っているからこそ、失礼ながら何度かチラ見して涙袋だと判断できた。
知らなければ、あの人、疲れてるなで終わっていたかもしれませんし。逆にメイクだと思い込んでいたかもしれません。
なんとも不思議な話です。
昔ならクマがあると言われていたものを、目の下にたるみがあると気にしていたものを、わざわざ陰影を足して作る。涙袋なんて言葉は存在していませんでした。
更に進化して、実際にあるクマやたるみをも魅力とし、「涙袋」と一体化させたメイクもあるそうです。
そして、それが可愛いと評価される。
美しさとは、いったい何なのでしょう。
有名な話に、どこにでもいる、街中を歩いているような人達100人の顔を合成すると、美人になると云うものがあります。
それからすると、皆が涙袋を作れば、「涙袋がある=可愛い」の図式が出来上がります。
ルッキズム・・・外見至上主義。
人を外見だけで評価する事は、良くない。
それは分かります。
人間の価値を、顔や体型だけで決めるべきではない。当然です。
ただ、だからといって、人は外見を一切気にしてはいけないというのも、少し違うと思っています。清潔感も大事です。
人間は、そんなに綺麗な生き物ではありません。誰だって、他人を見て、綺麗、可愛い、カッコいい・・・と思う。逆に、ちょっと苦手な顔立ちだな・・・と思う事だってある。
口に出すかどうかは別として、心の中で何らかの評価をしてしまう。
それ自体まで、完全になくせと言われても無理でしょう。
問題は、その好みが周りに引きずられてしまう事なのだと思います。多様性を尊重しようと言いながら。
涙袋がある方が可愛い。
涙袋を作った方が小顔に見える。
そんな情報を何度も何度も見ているうちに、・・・そうか。涙袋がある方がいいんだとなる。
そして今度は、自分の顔を鏡で見て、私、涙袋がない・・・と気にする。
でも、少し前まで、その涙袋は、クマだったり、たるみ認識だったりしたわけです。
美の基準なんて、案外そんなものなのかもしれません。平安時代の美人の条件は真っ白な肌、長いまっすぐな髪、スマートな振る舞い。そこまで昔でなくとも、2000年代は細眉が流行っていた。現在は2000年代と比べれば、太く自然な感じの眉が流行りでしょう。
昨日まで欠点だったものが、今日からチャームポイントになる。
昨日まで隠していたものを、今日はわざわざ作る。
そして、それをみんなで可愛いと言い始める。
勿論、好きならやればいい。
メイクなんて自由です。自分が可愛いと思えるなら、それでいい。
私だって、自分の好きな顔と他人の好きな顔が一致するなんて思っていません。
だからこそ、涙袋がある方が可愛いと一括りにされる事には、少しだけ引っかかるのです。
私は、涙袋がない方が好きです。
すっきりした目元の方が、綺麗だと思う。
「涙袋がある方が可愛い」という人がいて、「いや、ない方が可愛い」という人がいる。
そのくらいでいいと思っています。
なのに、流行というものは、いつも「こちらが正解です」と言いたがる。
メイクや服装なんて特に、「今年のトレンドはこれです」「今これを着ていると、ダサいです」「そのメイクは10年前の流行です。おばちゃんメイクです」
そして私達は、その正解を毎日見せられているうちに、自分の顔や服装、そして他人を採点し始める。
本当は、ただの好みだったはずなのに、気が付けば、それが「美人の条件」になっている。
そう考えると、ルッキズムというのは、単に外見を重視する人が悪いという話ではないのかもしれません。
人間が誰かを見て、好き嫌いを感じる事まで止められない以上、問題はもっと厄介です。
私達は今日も、可愛い、綺麗、カッコいいという言葉を使いながら、誰かの顔を評価している。
そして、その評価基準そのものが、数年後にはひっくり返っているかもしれない。
その時には、今、可愛いと言われている涙袋を見て、「昔は、あれをクマって呼んでたんだよ」なんて笑う日が来るのでしょうか。
・・・美しさというものは、ずいぶんと気紛れです。
だから私は、せめて自分の可愛い基準くらいは、自分で決めたいと思うのです。
ちなみに、個人的、外見の美の基準は声と所作。顔より重視します。芸能人であれば、踊っている時のちょっとした動きの違いでしょうか。
それぞれ違う美の基準があれば、ルッキズムもなくなると思うのです。
読んでくださってありがとうございます(*_ _)
ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。




