第1話 勧誘
「なんでお前が捕手なんだよ」
「肩弱い捕手とか無理だろ」
——その言葉を、雪夜は何度も聞いてきた。
分かっている。
そんなこと言われなくても。
自分が一番分かっているから。
才能もない。
努力も足りなかった。
実力なんて、あるはずもないってことを。
あの天才たちを見れば、嫌でも思い知らされる。
自分には、何もないと。
だから、なにもかも辞めた。
野球も、全部。
もう、なにも言われたくなかったから。
——放っておいてほしかった。
高橋雪夜は、つまらない人生を送っていた。
中学で野球をやめてから、彼の毎日は色を失った。
勉強も、遊びも、なにもかも、すべてが適当だった。
何かに本気になることもなく、ただ時間を消費しているだけの人生。
そんな自分に気づいていながら、高橋雪夜は目を逸らしていた。
放課後。
高橋は、いつものように一人で家へ帰ろうとしていた。
「高橋君」
呼び止められて、足を止める。
振り返ると、そこにいたのは東鶴間高校野球部のマネージャー、夏目真衣だった。
「話があるの」
「……僕は、特に話はないから、これで失礼させてもらうよ」
そう言って立ち去ろうとした高橋の背中に、夏目の声が追いかける。
「待って。野球部に入ってほしいの」
「またその話かい。何度も言ってるだろ。僕は野球をする気はないよ」
「そんなこと言わないで……考えてもらえないかな」
高橋は、小さく息を吐いた。
「答えは同じだよ。肩の弱い捕手には、居場所がないから」
「そんなことないよ。高橋君は中学三年の時、全試合を自責点ゼロに抑えたじゃない」
「それは投手が良かっただけだ。僕は、捕球をしてただけだよ」
「違う。高橋君がいなかったら、その記録はなかったよ」
高橋は、首を横に振った。
「肩が弱ければ、結局コンバートされる。……だから、野球をしたくないんだ」
夏目は言葉に詰まった。
それが現実であることを、彼女も分かっていたからである。
「僕には、なにもないんだ」
高橋は続ける。
「肩が弱い、すぐれた才能があるわけでもない、ただ捕手がしたかった……だけど、それすら許されなかった」
なおも続けた。
「天才たちの気まぐれで、捕手をさせてもらっていた……彼らがいなかったら、もっとはやくに捕手を辞めさせられていたよ」
高橋は、つらくなっていた
「分かるだろう、夏目さん……これ以上言わせないでくれよ……惨めになるから」
夏目は、否定しようとした
「私は、そんなつもりじゃない」
夏目は続けた。
「肩が弱くても、できることはあるよ。リードとか、配球とか——」
「意味がないよ。最終的に、肩で評価されるから」
それが現実だった。
夏目は、言葉を失う。
分かっているからこそ、何も言えなかった。
「それじゃ、僕はこれで帰らせてもらうよ」
背を向ける高橋に、夏目は声をかける。
「待ってよ、高橋君」
夏目は廊下に出た高橋に向かって叫んだ
「今の野球部、8人しかいないの!」
その言葉に、高橋の足が止まった。
振り返らないまま、立ちつくす。
「このままだと、試合にも出られないの」
静かな廊下に、夏目の声だけが響く。
「たとえどんなことを言われてきたとしても、私は高橋君が必要なの!」
高橋は、何も言わなかった。
だが、それでも高橋は歩みをとめなかった。
遠ざかっていく高橋の後ろ姿を見つめながら、夏目は、胸の奥が少しだけ痛むのを感じていた。
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