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この国を護ってきた私が、なぜ婚約破棄されなければいけないの?

作者:


「ヴィアナ、君との婚約を破棄させていただく」

 ルミドール聖王国第一王子アルベリク・ダランディールは、淡々とそう告げた。

「……理由を伺っても?」

 ヴィアナは震える声でそう尋ねると、アルベリクは表情を変えることなく答えた。

「君は、もう『聖女』として相応しくない。そして、私の婚約者としても」

 ヴィアナの身体がびくりと震える。長い睫毛が合わせて震え、青い瞳が潤んだ。

「私は民のため、そして貴方のために力を奮って来ました。それなのにこの仕打ちはあんまりではありませんか!?」

 悲痛な叫びにも、アルベリクの表情は変わることはない。翠色の瞳は冷静な光を保ったままだ。

「君のこれまでの功績を否定する訳ではない。私から婚約を破棄した慰謝料と合わせ、贅沢しなければ生涯暮らせるだけの褒賞は取らせよう」

「お金の問題ではありません! 私はっ……!」

「何時までも地位にしがみついて何になる? 現実から目を背けて何が始まるというんだ?」

「それはっ……!」

「貴方と議論をしても時間の無駄だ。こちらにサインを」

 机上に書類とペンが静かに置かれた。

 もう何を言っても無駄だ。この人の心を動かすことは出来ない。

(私が……何故、このような目に……?)

 心中で問いかけても答える者はいない。

 ヴィアナは震える手でペンを取って、サインをした。それを確かめ、アルベリクは一つ頷いて控えていた執事にそれを渡し、代わりに革袋を受け取り、机上へと置いた。それはずしりと重いであろうことは、持ってみなくとも分かる。

「これが褒賞だ。受け取れ」

 長年の努力が、こんなもので片づけられるなんて。一体誰のおかげでこの国は護られてきたと思っているのか。

(この私を、どこまで軽んじているの……!?)

 ヴィアナは震える手をぐっ、と握り込み、アルベリクを睨みつけた。

「このようなもの、結構です!」

 すう、と翠色の瞳が狭められる。

「後悔するぞ」

 投げつけられた言葉は、余りにも冷たい。

 ヴィアナは涙を堪えて「失礼いたします」と逃げるように部屋を後にした。



 とぼとぼと長く続く廊下をおぼつかない足取りで歩いていく。

 ここに初めて来た時は何もかもが輝いて見えた。

 だけど今は……と、溜息を零していると。

「ヴィアナ!」

 この声は。

 振り向けば、第二王子であるマリク・ダランディールが駆け寄って来た。

「マリク様……」

「大丈夫かい? ……もしかして兄上と何かあったの?」

 心配そうに、それでも優しく声をかけられ、もう限界だった。

「アルベリク様……いえ、ダランディール殿下に、聖女として相応しくない、と。そして、婚約も破棄をされて……っ」

「何ということを……!? ヴィアナはこの国随一の魔力量を持った筆頭聖女だというのに」

 顔を顰めるマリクに、ヴィアナの瞳からぽろぽろと涙が零れた。

「マリク様……私はもう、誰にも必要とされていないのでしょうか……?」

「そんなことはない!」

 ぐいっ、と引き寄せられた瞬間、身体が暖かいぬくもりに包まれる。抱きしめられたと分かった瞬間、頬が熱くなり、心臓の鼓動が早くなった。

「少なくとも私は、君を必要としている」

「マリク様……」

 嬉しい……と、ヴィアナは囁いた。

 許されないと分かっていても、一目見た瞬間、心を奪われてしまった。苦しい時や挫けそうになった時、暖かい笑顔で励ましてくれる度に、心惹かれていって。

 そして今。

「ヴィアナ、私は君のことが好きだ、愛している」

 息を飲んだ。

「だが君は兄上の婚約者。この想いは封じるつもりでいた。……だが婚約を破棄された今、君は」

「マリク様」

 ヴィアナは顔をあげて、微笑んだ。

「私も貴方のことを一目見た時から……お慕い申し上げております」

 翠色の目が、大きく見開かれた。

「ああ、ヴィアナ……! 私は嬉しいよ、今日は最高の日だ」

「大げさですわ」

 困ったように笑うと、目元に滲んだ涙を指先で拭われた。そのぬくもりにも胸が高鳴って。

「それなら迷うことはない、ヴィアナ」


「私と一緒に、この国を出よう」


「え……!?」

 思いもかけない提案に、ヴィアナの目は自然と見開かれた。

「君のためなら身分などいらない。それに二つ程国境を越えた先、テレンツィアでは聖女や聖人の存在が確認されていないという。君の力を充分に発揮できると思わないか?」

「それは……」

 不安そうな顔をするヴィアナに、マリクは安心させるように微笑んでみせる。

「なに、心配はいらない。幾つか伝手はある。それに……私がいるだろう?」


「君を一人になどしない、必ず幸せにしてみせる」


 甘く暖かな言葉に溺れそうになりながら、ヴィアナは「はい」と力強く頷いた。



 それからの道のりは決して楽とはいえなかったが、二人は身を寄せ合って何とかテレンツィアへと辿り着いた。

「ようこそ、聖女様。お話は既にダランディール殿下より手紙にて伺っております。私はここ治癒院の院長を務めておりますオーレル・センウィックと申します」

「初めまして、ヴィアナと申します。よろしくお願いいたします」

 ヴィアナは自己紹介と共に、深々と礼をした。それにオーレルは穏やかな笑みを浮かべてみせる。

「早速で申し訳ないが、ヴィアナをこの治癒院で雇って欲しい。出来れば私も一緒に。ヴィアナのような魔力はないが、雑用でも何でも言いつけてくれて構わない」

「マリク様……高貴な貴方がそのようなことを」

「もう私は王子ではないのだから大丈夫だよ、ヴィアナ」

 手を取り合う2人。それは一枚の絵画のように麗しい光景で。

 オーレルは目を細めたまま、一つ頷いた。

「分かりました。お二方とも、存分にそのお力を発揮してください」

「ありがとうございます」

「感謝する」

 2人が揃って礼をした後、オーレルは「こちらへどうぞ」と客間へと案内した。

「お二方とも長い道中でお疲れでしょう。まずはお茶をどうぞ」

 綺麗に整えられたテーブルの上には、湯気をたてた紅茶とクッキーがある。

 が、それを見たヴィアナは眉を潜めた。

「あの、こちらのような生臭ものは、私にはふさわしくないので」

 クッキーには卵が使われている。『聖女』は殺生は禁止とされており、それは食べ物も例外ではない。古くから伝えられていることだからだと、ヴィアナは敬虔にもそれを守っていた。

「さようでございますか。では、聖女様には果物をご用意いたしますね」

 気を害した風もなく穏やかにクッキーの皿を下げるオーレルに、ヴィアナは笑みを浮かべて「はい」と頷いてみせる。

「ああ、私にも果物を頼む」

「そんな、マリク様は召し上がっても大丈夫ですよ?」

「いや、いいんだ」

 マリクは優しく微笑む。

「私と君は、もう一心同体だろう?」

「マリク様……」

 ヴィアナの瞳が潤んだ。

 その光景をオーレルは、さらに目を細めて見つめていた。



 その翌日から、ヴィアナは早速治癒院で働き出した。

 土地の一角を借りて自ら耕し、薬草を植えていく。聖女が自ら育て、魔力を与えることによって薬草はすくすく育ち、治癒力も増す。ふと、ルミドール聖王国に残してきた薬草畑が気になった。アルベリクはそれに関してもうるさく口を出してきたが、聖人でもない彼に何が分かるというのか。

(今ごろ枯れてるんじゃないかしら)

 そう思ったが、もうどうすることもできない。大体彼は聖人聖女の仕事を何も分かっていなかった。なのにさも分かったような口ぶりで忠告めいたことを言っては冷たい眼で睨まれる。それに己の心がどれ程傷ついたことか。

 そうなれば、優しく穏やかに心配してくれた弟のマリクに惹かれてしまうのは、至極当然といえた。今日から一緒の職場で働けるなんて、と浮かれてしまいそうになる。

 魔力を込めた水をジョウロで撒けば、きらきらと煌めいた。魔力が正常に循環している証拠だ。

「ヴィアナ様、院の方を手伝っていただけますか?」

「……はい」

 ルミドール聖王国では『筆頭聖女様』と呼ばれていたため、反応が遅れてしまった。

 それを特に口にすることなく、治癒院へと急いで向かえば数人の患者が運び込まれており、数人の治癒師たちが忙しく働いていた。聖人聖女の誕生が確認できないのは本当だったらしく、治癒師たちは消毒を行ったり包帯を巻いたり、脈や心音を見たり症状を口頭で聞き取ったりと、極めて原始ともいえる治療方法を行っていた。

「すみません、子どもの熱が下がらなくて……」

 婦人の腕に抱かれた幼子は顔色が紙のように白く、口からは苦しそうに荒い息を吐き出している。こん、こん、と甲高い咳が痛々しく鼓膜を打つ。

「分かりました」

 ヴィアナは胸の前で手を組み合わせ、精神を集中させた。

「神よ、お力を」

 柔らかな光が幼子を包み込み、すうっ、と消える。顔色が良くなり、咳が徐々に止まった。そうして息も表情も穏やかになり、すやすやと眠っている。

「こ、これは……!?」

 驚く母親に、ヴィオナはにっこりと微笑んで口を開いた。

「私はせ」

「事情はこちらで説明いたします。……ご案内いたしますね」

 別の治癒師に発言を遮られ、ヴィアナは僅かに眉を寄せた。母親は戸惑いながらも幼子を抱いたまま立ち上がり、治癒師の案内に従う。

(ルミドール聖王国筆頭聖女になんという態度なの? 感謝の言葉もないなんて、あり得ないわ。……まあ、聖人聖女の誕生が確認できない国なら、分からなくても当然でしょうけど)

 無意識に親指の爪をかちかちと噛みながら憤っていると、何時の間にいたのか治癒師が告げた。

「次の患者をお願いいたします。かなりの重症なので、早急に治療をお願いします」

 言外に無駄なことを考える暇はありませんよ、と釘を刺され、ヴィアナは「分かりました」と頷く他はなかった。



 そうして懸命に働くこと、二週間程が経ったある日。

「あっ……?」

 ぐらり、と視界が歪んだ。

 足に力を入れようとしたが間に合わない。

 ガシャンッ!!

 周りの器具が巻き添えになって倒れ、鋭い音をたてた。床に倒れ込むヴィアナに、治癒師たちが駆け寄って来る。

「ヴィアナ様!? 大丈夫ですか?」

 ヴィアナは懸命に上体を起こし、答える。

「え、ええ、だいじょうぶ、です」

「左様ですか」

 コツン、と靴音が止まり、治癒師たちが場所を開ける。その場で止まった院長オーレルは、目を細めて口を開いた。

「では、業務に戻ってください」

「は、い」

 頷いて立ち上がろうとする。

 が、またぐらぐらと視界が揺れた。

「うっ……」

 たまらず額を押さえる。

 この状態で業務など出来ない。

「も、申し訳ありませんが、体調が」

 優れないため休ませてほしい、と続けようとした。

 瞬間。


「聖女たる貴方が、己の体調管理も出来ないのですか?」

『己の体調管理も出来ないなど、聖女失格ですね』


「疲れたなどと、何を甘えたことを言っているのですか? こうしている間にも、患者は次々と運び込まれて来るのですよ」

『疲れたなどど、甘えたことを仰らないでください。患者は待ってくれないのですからね』


「院長である私が頑張っているのですよ? 聖女たる貴方も頑張っていただかないと」

『筆頭聖女たる私だって頑張っているのですよ? 貴方も同じように頑張っていただかないと』



 かつて己が他者に放った言葉が、そのまま返って来ている。

 それに気付いたヴィアナの目から、ぼろぼろと涙が零れた。救いを求めるように辺りを見渡すも、誰もが冷たい視線をこちらにむけている。

「あ、マリク様、マリクさま、は……」

 彼ならこの窮地を助けてくれる筈。だって永遠の愛を誓ってくれたのだから。

 しかし。


「他者に助けを乞うなど、聖女として恥ずかしくないのですか?」

『他の人に助けを求めるなんて、同じ聖女として恥ずかしいわ』


 オーレルの細めた瞳には、光などなかった。ただただ虚ろで、「モノ」を見るような目で。

 それは自分がこの国に来た時に見たものと、同じではなかっただろうか?

「あ、あ、あああ……!!」

 訳の分からない悲鳴のようなものが喉から迸る。

 ヴィアナの意識は、ぶつん、と途切れ、冷たい床の上に崩れ落ちた。



「二週間、か……意外にもったな。せいぜい10日程と予想していたが」

 ルミドール聖王国。

 執務室にてアルベリクは報告書に目を通しながら、そう呟いた。

「それで?」

「治癒院にて最低限の治療を受けさせ、市井にて住みこみの仕事を探してやったそうです」

「分かった。まあ、野垂れ死にされても目覚めが悪いからな」

 その後のことはヴィアナの行動しだいだ。まあ、長年『筆頭聖女』の看板にしがみ付いていた彼女が、別の仕事に就いて上手くやっていけるとは微塵も思っていないが。

(だから後悔するぞ、と忠告してやったというのに)

 そもそも自分は彼女の仕事については、散々忠告していた。「適度な休憩を取れ」「お前が休まないと他の者が遠慮する」「薬草は魔力を込めた魔石を土に埋めても育つ」「他者を見下す発言はやめろ」「魔力量が年々減っているのだから、計画的な使い方をしろ」と。

 なのに彼女はそれを耳に入れず、「心無い言葉に耐えて健気に頑張る聖女」の姿に酔いしれ、行動を改めることはなかった。そのせいで貴重な聖女聖人が何人辞めたことか。

(それに婚約破棄をした時点で、ヴィアナの魔力は殆ど底をついていた。だから『聖女』としてふさわしくなかった。そして私の婚約者としても)

 いくら聖女とはいえ、自分の考えを最上のものだと信じ込み、それを他者に押し付けコントロールしようとする女性など、誰であっても願い下げだろう。

「すまなかった、マリク。お前に面倒な役割を押し付けてしまって」

「構いませんよ、兄上。テレンツィアの治癒院の出来は他国と比べて群を抜いていますからね。それに聖女聖人がいなくとも、工夫しだいで幾らでも民の暮らしを豊かにできる、それらを充分に学ばせていただきました」

 こちらがその報告書です、とマリクが差し出した分厚い紙の束をアルベリクは「ありがとう」と礼を言いつつ受け取った。

「聖人聖女の数は年々減り続けている。……その中にヴィアナに潰されてしまった者たちもいるのがやり切れないところだが。近い将来ゼロになる可能性は決して低くないのもまた事実。そのために、今確認されている聖女聖人たちを大切に……待遇の改善を行い、また頼り切りにならずに済む方法を模索せねばならない」

 そう力強く語る兄の目に力強い光が宿っているのに、マリクは頷く。

「はい、ルミドール聖王国繁栄のため、私も協力を惜しみません」

「ああ。心強いな。頼りにしているぞ、マリク」

 幼い頃から尊敬してやまない兄にそう言われ、マリクは胸の奥が熱くなるのを感じた。

 国のため、そして兄のためなら。


 

 好きでも何でもない女に、永遠の愛を誓うことなど、何でもないことだ。



「勿体ないお言葉です」

 マリクは微笑んで、胸に手を当てて臣下の礼をしてみせた。



(終)

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