空へ
「───そうして、動かなくなった
レイニーは展示されることになり、
今もシルム駅の近くで
人々を見守っているのです。」
レイニーにまつわる不思議な話は、
実に1時間以上に及んだ。
全てを聞き終える頃、
中には涙を流す者までおり、
ガイドの女性も言葉を失っていた。
レイニーが誕生して長い時間が過ぎた。
彼が話した物語を裏付ける
確たる証拠は何も残っていないし、
後世に語り継ぐための、
あるいは本にするための
誰かの作り話の可能性だってある。
だがしかし、女性は今の話を
疑う気にはなれなかった。
病気によって亡くなったジェニー、
彼が雨列車の心となって
レイニーに取り憑いたのか。
そう考えれば、今の話と雨列車の心について
繋がりが見えてくるからだ。
ただ、結論を出すにはまだ早い。
「さて、私からのお話は終わりです。
あとはガイドさんの指示に従って、
どうぞご自由に見学してください。」
彼が彼の役目を終えると、
女性に頭を下げて
彼本来の仕事へと戻っていった。
自由に見学と言っても、
ただの工場でしかないここに
他に見学するようなことはない。
お土産を売っていたり、
雨列車のハンドルを模した物などが
置いてある訳ではないのだから。
余韻に浸ることも程々に、
女性は乗客達をサミダレに戻した。
「皆さん、いかがでしたか?
雨列車に関すること、
レイニーに関すること。
ガイドである私も
ビックリするようなお話を聞けて、
今回の旅行が、様々なことを知るいい機会に
なったのではないかと思います。
今回知ったことを忘れずに、
家族や友達に教えてあげてもいいですね。
それでは皆さん。
また会える日を楽しみにしています。」
この工場での見学を最後に、
今回のサミダレの旅行は終わる。
きっと、今回覚えたことを
乗客達が簡単に忘れることはないだろう。
サミダレが走り出し、
旅行の解散場所へと向かう。
そしてその道中、
女性はまた彼のところにやってきた。
運転者から見てすぐ後ろの席、
窓の外を見ながら
彼はタバコを吹かしている。
「……お嬢ちゃんか。」
「度々すいません…。」
タバコの火を消し、
向かいの席の荷物を手繰り寄せる。
ただ、今回は女性が座ると同時に
彼の方から口を開いた。
「今まで何回もあの工場で
見学に参加してきたが、
あんな話を聞いたのは初めてだ。
それは、お嬢ちゃんもだろう?」
彼からの問いかけに、
女性は一つ大きく頷いた。
だが、彼は黙ってしまう。
恐らく、まだ彼の中で
咀嚼しきれていないのだろう。
もう彼も歳だから、
理解するのに時間が必要なのだ。
窓の外を見ながら、
ずっと口の中で何かを呟いている。
そして結局、その時の内に
彼が結論を出すことはなかった。
──────────────────
それから1ヶ月程が経ったある日、
シルム駅の近くのロディオ広場に
大勢の人が集まってきていた。
ガイドの女性が色々なところへ呼びかけをして、
一人の男性のために人を集めたのだ。
それが誰なのか、
わざわざ説明するまでもなく、
すぐに分かることだ。
「皆様、本日はお集まりいただきまして、
誠にありがとうございます。
本日ここで、ある男性の旅立ちを
執り行うことになっておりますので、
お集まりいただいた皆様には、
是非彼を見送ってくださいますように、
お願いを申し上げます。」
享年85歳。50年以上のも間、
雨列車の運転者として活躍し、
現役を引退した後は
世界の雨列車を巡りながら、
若い世代に向けて
自らの経験を語っていた。
老衰と診断され、天命をまっとうしたと
周囲から悲しむ声があがった時、
彼の死を聞いた女性が
このような場を設けたのだ。
雨列車一筋で生きてきた彼に
親族はいないらしく、
それなら私が、と名乗り出た。
彼の名は世界中でも有名であり、
彼の死を惜しむ人々が
ここへと集まってきていた。
見送りの場所をここに選んだのは、
女性が彼の意思を汲んでのことだ。
シルム駅近くのロディオ広場。
レイニーが眠る場所であり、
彼は最後にもう一度、レイニーの
運転をしたかったと言い残していた。
「レイニー……。あなたはこうして、
何人もの命を見送ってきたんだね…。」
レイニーの最初の運転者やジェニーなど、
雨列車に関わったとされる多くの人が
この場所での葬儀をしており、
そうでなくともレイニーは
永きに渡って人々を見守ってきた。
だけど…。
だけどそろそろ、
レイニーは走りたかった。
「あ、あの子は……あの時の。」
彼の棺の上に次々と
手向けの白い花が置かれていく中、
一人の少年が棺を覗き込んだ。
海色のボサボサ髪の少年は、
ある時女性が出会った少年と
全く同じ見た目をしていた。
少年を見た時に、
すぐに女性はあの少年だと気づいた。
以前の時とは違い、今日は時間がある。
だから、少年に声をかけようと
女性は一歩、二歩と近づいた。
「やっぱり、寂しそう…。」
少年の言葉が
女性の鼓膜に届いた瞬間、
世界は大きく震撼する。
「お、おい見ろ!
レイニーが動いてるぞっ!」
誰かが叫んだ。
その言葉に引っ張られるように、
広場にいた全員の視線が
レイニーに向けられた。
……僅かではあるが、確かに動いている。
長い間動いていなかったせいか、
車輪や車体からキシキシと軋む音がする。
しかし、徐々に感覚を取り戻すように
動きがスムーズになっていく。
誰もが呆気に取られ、
予想だにしない現実に
目が離せないでいた。
「やっと…また走れる。」
頭に直接響くように声がした。
それと同時に、晴れていた空から
大粒の雨が降り出した。
雨は瞬く間に勢いを増していき、
人々の全身を打ち付ける。
しかし、その場の誰も、
屋内に避難しようとはしない。
それどころか、雨を浴びるように
両手を広げる者までいた。
服に雨が染み込んで、
肌にまとわりついてくる。
それがシャワーを浴びているようで、
嫌な感触が一切ない。
むしろ、どこか清々しい気分になる。
あぁ、レイニー……。
君にこの感動を伝えるには、
どうしたらいいのだろう。
「レイニーが飛ぶぞっ!」
レイニーの車輪が浮く。
レイニーの車体が浮く。
まだまだ速度は遅い。
だが確実にレイニーは走る。
「またお前を運転できる日が来るとはな…。
まさか君が、雨列車の心ってやつかい?」
レイニーの運転席に座っているのは、
今日この場で見送られるはずの彼だった。
彼が気づいた時には
彼は運転席に座っており、
その隣りに一人の少年がいた。
ガイドの女性から聞いていた通り、
髪の毛はボサボサで、
服もボロボロの少年だ。
「行こう…。夢と希望を届けに。」
ハンドルを握る手は、
初めてレイニーに乗った時と同じ。
若々しく力に満ちている。
雨列車の運転者を引退してから、
ずっと彼は寂しく思っていた。
それが、死んだあとになって
こんなにも素晴らしい形で救われるなんて。
レイニーは空に向かって発進し、
ぐんぐんと高度をあげていく。
さぁ、走れレイニー。
人々が希望を求める限り、
雨列車に終わりはない。
人々に夢と希望を届けるため、
世界のどこかで苦しむ誰かを救うため、
遥か遠く、星の果てまで、
どこまでも走っていくんだ。