試作チーズケーキ
アルバイト帰りの電車の窓に、ぼんやりと街の明かりが流れていく。菫は膝の上で指を絡ませながら、自分の呼吸を整えるように小さく息をついた。
「——なんで、わたし、お菓子作ってるんだっけ」
子どもの頃、夢中でクッキーを焼いた日。友達の誕生日に必死で作ったケーキ。母に教わったパウンドケーキのレシピ。そういう記憶は確かにあるのに、「将来」に繋がるイメージが持てずにいた。
でも、この前の火曜日。
閉店間際のケーキ屋にふらりと現れた黒川さんは、いつもより少しだけ多く話してくれた。
「これ、家でひとりで食べると、ちょっと贅沢な気分になるんですよ」
そう言って、ふわふわのモンブランを見つめる黒川さんの目は、ほんの少し柔らかかった。
——この人にとって、ケーキはただの甘いものじゃないんだ。
なんだか、それが心に残った。
*
次の火曜日、いつものように菫はショーケースを磨いていた。
入ってきた足音に顔を上げると、やっぱりそこに黒川さんが立っていた。
「こんばんは」
「こんばんは。今日は……何が、いいですか?」
そう尋ねながらも、菫の声にはいつもより少しだけ自信が混じっていた。
「おすすめ、ありますか?」
少しだけ迷って、菫は焼き上がったばかりのチーズケーキを指さした。
「これ、試作で私が作りました。もしよかったら、ご意見いただけたら……うれしいです。お代はいらないので」
黒川さんはほんのわずかに目を見開いたあと、ふ、と口元を緩めた。
「じゃあ、それで」
買い物袋を受け取って帰っていく背中を見送りながら、菫は思う。
——もしかして、こういうふうに、自分の作ったものが誰かの時間を少しだけやわらかくできたら。
それって、すごく、すてきなことかもしれない。
次第に、菫の胸の奥で、小さな何かが芽吹いていた。
それが夢なのか、目標なのか、まだはっきりとわからない。
けれど、黒川さんが火曜日にやってくるたびに——その「なにか」は少しずつ形を持ちはじめていた。




