ドキドキするケーキ
店内に鳴り響いたドアベルの音に、菫は顔を上げた。
もうすぐ閉店。今日はあまりお客さんが来なかった。
でも、その音はどこか聞き覚えがある。
「……いらっしゃいませ」
少し声が弾んだのは、自分でもわかった。
「こんばんは」
黒川さんだ。
火曜日の、ケーキの人。
いつものスーツ、いつもの穏やかな笑顔。
「今日は、まだ残ってますか?」
菫はショーケースの前に回り、少し首を傾げて笑った。
「今日は……このショートケーキを」
黒川さんが、少しだけ迷ったように指をさした先には、いちごが少し斜めに乗ったショートケーキがあった。
「あ、すみません。ちょっと形が崩れちゃってて……でも味は変わらないですよ」
菫が慌ててフォローすると、黒川さんはかすかに笑った。
「うちの娘がね。昔、いちごが傾いてると『おちそうでドキドキする』って笑ってたんです」
「娘さん、ですか?」
「ええ、もうずっと前の話ですが」
それだけ言うと、黒川さんはショーケースのガラス越しに視線を落とした。
「じゃあ、その“ドキドキするケーキ”をひとつ。お願いします」
「はい、お包みしますね」
菫は包みながら、何かを聞くわけでもなく、ただ丁寧にケーキを包む。
ほんのひとつぶの記憶が、今日の甘さに混じる。
ふわりとした火曜日の、静かでやさしい時間。




