【5】 【聖女 ジェーン】
【5】
【聖女 ジェーン】
とある国に聖女の神託を受けた者がいた。彼女は人が望んだことを実現する力……『願望の現実化』の力が宿っていた。
どのような者の願いも叶えられるその力を、人々は奇跡の力と呼んだ。
「わたしのお母さんを治して……わたしのお母さんは不治の病気なの」
とある村落のとある村人の家屋のなかで、小さな女の子が聖女である少女……ジェーンに願った。女の子の父親はジェーンを信じていなく、いまも妻の延命のためのお金を稼ぐために働きに出ていた。
「お母さん思いなのね。でもいいの? 私は貴方の願いを叶えられるけど、そうしたら貴方はもう二度と私に願いを叶えてもらうことは出来なくなる。私が起こせる奇跡は、一人につき一回だけなの」
「構わないの。わたしはお母さんが生きていてくれたら、それで幸せなんだから」
「……そう。良い子ね」
ジェーンは女の子の頭を優しく撫でると、彼女の母親が横たわるベッドへと近寄っていく。苦しそうに目を閉じて息をする母親の前で、ジェーンは静かに両手を合わせた。
神へと祈りを捧げる動作。ジェーンの少し前の空中……母親が横たわるベッドの上に、小さな光の球体が現れる。その球体の光は徐々に大きくなり、部屋を包み込んだ。
数秒後。光がやんだとき、それまで苦しそうだった母親の息が落ち着きを取り戻していた。母親がうっすらと目を開ける。ジェーンを見上げる。
「……貴方は……私は……?」
「貴方の病気は治りました。今後、同じ病気になることもないでしょう。とはいえ、まだ体力が戻ったわけではないので、しばらくは安静にして栄養のあるものを食べてください」
女の子もジェーンに尋ねる。
「お母さん、治ったの?」
「ええ。でも、いま言ったように、ちゃんと栄養のあるものを食べさせてあげてね」
「うんっ。ありがとうっ、聖女のおねえさんっ」
女の子が喜び、ジェーンも微笑みを浮かべる。良かったねお母さん!と母親に女の子が言う声を背にして、ジェーンはその部屋から出ていく。
ジェーンが女の子の家から外に出たとき、彼女の前に数人の兵士が近寄ってきた。
「聖女の神託を受けたジェーンどので間違いないか?」
「そうですが……貴方達は?」
「この国の王宮兵士である。貴方の噂を国王陛下がお聞きになり、是非とも会いたいとのことだ。来てくれるな?」
「……もしも断ったら?」
兵士の顔が険しくなった。
「そのようなことはあり得ないと信じている。共に来てくれるな?」
「……承知しました」
断れば実力行使に出るかもしれない。ジェーンはおとなしく兵士についていくことにした。
しばらく後、ジェーンは王宮の謁見の間にいた。眼前の玉座には年老いた国王、その隣には若く美しい王妃が威厳溢れるように座っていた。カーテシーをするジェーンに、国王が言う。
「お主が聖女のジェーンか。お主の噂はかねがね聞いておる。奇跡を起こせるというのは本当だろうな?」
「はい」
「魔法ではなく? 王妃はあくまで魔法の類いだと疑っておるのだ」
ジェーンが王妃に目を向けると、彼女は金色に輝く高級な扇で口元を隠していた。その目は猜疑を帯びて、ジェーンを見ている。
ジェーンは王に目を戻す。
「はい。私の力は、魔法では不可能な事象を引き起こすことが出来ます。例えば、不治の病を治療するなど、です」
「なるほどな。話に聞いた通りだ。では早速本題に入るが、私の願いを叶えてもらえないか? 私ももう年老いてしまってな、昔のように若返って、なおかつ死なない身体になりたいのだ。そして永遠にこの国の王でありたいのだ」
「……申し訳ありませんが、叶えられる願いは一人につき一つとなっています。複数の願いは叶えられません」
「そうなのか? 不老不死でもか?」
「それには不老と不死が含まれていますので。ちなみにですが、以前、不死を願った者がいましたが、かの者は怪物のような姿になっても死ぬことが出来ず、殺してくれと願うようになってしまいました」
「なんと! 何故そのようなことに⁉」
ジェーンはかいつまんで説明する。人の身体には代謝機能があり、不要になった細胞の死と新たな細胞の生成のサイクルで身体を保っている。
その細胞の自死機能すら失われてしまい、新たな細胞が増え続けていった結果、その者は人とは思えないような姿に変貌してしまったのだ。
「最終的にその者は、哀れんだ恋人の願いによって不死性を失い、そしてその恋人の手によって死ぬことになりました。あまりに変わりすぎてしまったその者は、回復魔法でも治療することが出来なかったからです」
厳密には、外見だけであれば人の姿に近付けることは出来たかもしれない。しかし、その者が不死性を失ったときには、もうその者の心は死んでいて、ただの肉塊になっていたのである。
「…………っ⁉」
王は絶句してしまう。しかし王妃は冷ややかな目でジェーンを見据えた。
「あぁら? 矛盾しているんじゃなくて? 不死なのに殺せたの?」
「……恋人が不死性を消すように願ったからです。相反する願いの場合は、後の願いが上書きする形になりますので」
「ふぅん。まぁ、そういうことにしておきましょう」
王妃はジェーンの話を信じていないようだった。悪くなってしまった場の空気を取り持つように、王がゴホンと咳払いをする。
「とにかく、お主の話は分かった。ならば不死のことは後で考えるとして、若返らせてくれないか? それなら出来るだろう?」
「はい。可能です。ではそれでよろしいですね?」
「うむ、頼む」
「王妃様はどう致しますか?」
王妃はなおも冷ややかに答えた。
「私は遠慮しておくわ。まだ貴方を信じていないから」
「お、おいっ⁉」
王が慌てた声を上げて、それから焦るようにジェーンに言う。
「すまないな、王妃は疑り深いたちな奴で。とにかく私の願いはそれだ。気が変わらぬうちにやってくれ」
「……かしこまりました」
ジェーンは手を合わせて祈りを捧げる。村の少女と母親にしたときと同じように、光の球体が現れ、光が謁見の間を包んでいった。
「終わりました」
「お、おおっ⁉」
自分でも身体の変化に気付いたのだろう。王は自分の両手や胴体を見下ろす。その手や顔に刻まれていたシワは消えて、見る見るうちに若くハリツヤのある肌となり、身体も若かりし頃の鍛練された身体に戻っていった。年齢的には三十代半ばくらいだろうか。
兵士に鏡を持ってくるように言い、そこに映る自分の顔を見て、王は感嘆の声を上げた。
「素晴らしい!」
時間魔法が禁術となっている現在、魔法で若返ることは不可能とされている。若返った王を目の当たりにして、王妃もジェーンを信じたようだった。
「本当に素晴らしいわ! ねぇ、私の願いも叶えてくださらない⁉ 褒美ならいくらでもあげるから」
「……かしこまりました。王妃様の願いを仰ってください」
「私が欲しいのはお金よ。たくさんのお金。私は世界一のお金持ちになりたいの」
王妃の願いに、王が咎めるような顔を向ける。
「おい、金ならもうたくさんあるじゃないか」
「もっともっと欲しいのよ。貴方だって、お金はあるだけあった方が良いでしょ」
「まあな」
「それじゃあ聖女さん、お願いするわ」
……かしこまりましたとジェーンは答えて、先ほどのように手を合わせる。光が謁見の間を包み、それが消えたあと、王妃の頭上から一枚の金貨が落ちてきた。
「……あら、一枚だけ?」
王妃は訝しんだが、その直後、二枚三枚四枚と次々に金貨が王妃の頭上から降ってくる。
「あはっ。あははははっ。お金、お金よ! お金だわ!」
金貨はなおも降り続ける。徐々にスピードを上げて、最終的には土砂降りの雨のように降り続ける。大量の金貨に狂喜していた王妃だが、その量が自身の腰を埋めた頃に、ようやく我に返ったように顔を青ざめさせた。
「ちょ、ちょっと、多すぎない⁉ そろそろ止めてよ!」
「……それが王妃様の願いですので……」
「だからって、これは……⁉」
そう言っている間も金貨は降り続ける。王妃の身体を凄まじいスピードで埋めていき、首から上だけが金貨の山から出るだけになる。
「あ、貴方、助け……⁉」
王妃が王に助けを求めるが、あまりの金貨の多さと降るスピードに、王も兵士達も近寄ることさえ出来ないでいた。下手に近寄れば、自分達ですら埋もれてしまいかねないからだ。
そして王妃の身体は完全に金貨に埋もれていき……しかしなおも金貨は降り続ける。王や兵士達は慌てて謁見の間から外に飛び出した。
ジェーンはただ静かに、その場に留まって降り続ける金貨の山を見つめ続ける……。
やがてジェーンの腰が金貨の水面に浸かった頃、ようやくのことで金貨の土砂降りがやんだ。扉の方から、おそるおそる覗き込んだ王が声を漏らす。
「と、止まった……?」
「王妃様が死亡したということです。金貨の重みでか、窒息か、それは分かりませんが」
「な、なるほど……」
「私を処罰なさいますか? 結果的ではありますが、王妃様を死なせてしまいましたから」
静かに問うジェーンに、王はごくりと唾を飲み込んだ。首を小さく横に振る。
「いや……これはあいつの自業自得だろう。そもそも、私もあいつの強欲には辟易していたんだ。いくら金があっても足りなかったからな」
それから王はもう王妃のことなど忘れたように、顔を明るくさせてジェーンへと言う。
「それより聖女どの、いやジェーン、私は君が気に入った。聖女としてのその力、何事にも動じず冷静な精神、そして何よりもその美貌! どうだ? 私の新しい妻となり、王妃として共にこの国を治めていかないか?」
「……良いのですか? 私は平民の出ですよ?」
「構わん。そんなのは些事だ。俺は君が欲しいんだ!」
「……王がそう仰るのであれば……」
「おおっ! よしっ、これから君はこの国の王妃だ!」
王が顔を輝かせる。ジェーンを手に入れた喜びを全身で表現する王に、ジェーンは静かな言葉をかけた。
「それはそうと王様」
「ん、なんだ我が愛する妻よ?」
「さっきよりもさらに若くなっていませんか?」
「……え……?」
王が自身の手や身体を見下ろす。兵士達も王を見る。先ほどまでの王は三十代半ばくらいだったが、いまは十代半ばくらいになっていた。
「な、な、な⁉ 何故こんなに若く⁉ 服もブカブカになって……⁉」
「王様が願ったからです。若返りたいと」
「だ、だがこれは……⁉ おい、どうにか出来ないのか⁉」
「願いを取り消すには、他の者が願いの権利を使って取り消す必要があります」
不死を願った者を、死なせて助けようとした恋人のように。
こうしている間にも王の身体は若返り続けていく。いまや五才くらいになった王が、舌足らずな声で周りの兵士に叫んだ。
「た、たちゅけてくりぇ! たれてもいい! はりゃく! ほうひはいふらへもはふはは!」
しかし誰もジェーンに声を上げることはなかった。一人につき一回の願いの権利、どんな願いでも叶えられる奇跡の権利……それをこんなことに使っても良いのか? 例えどんな褒美をもらっても釣り合わないんじゃないか?
そんな逡巡の間にも王の身体は若返り続け、やがてその身体が衣服のなかに消えていく。おそるおそる兵士の一人が衣服を持ち上げると……そこにはなにも見えなかった。
「消えた……⁉」
「いますよ、そこに。受精卵まで若返ったため、消えたように見えるだけです。……もう潰れてしまったかもしれませんが」
「……っ⁉」
ジェーンは自身の周りの金貨の山に手を置くと、よいしょっととつぶやきながら金貨の山から抜け出る。それからすたすたと扉まで向かい、扉の付近の金貨を崩して外へと出る。
「ふう。ようやく出られました」
戸惑っている兵士達にジェーンが言う。
「王の言葉は聞いていましたね。私が新たな王妃であり、王がいなくなったいまは女王でもあります。これからは私がこの国を治めていきます。異論はありませんね」
「し、しかし……」
「おや、もしかして継承権を持つ王子でもいるのですか? それなら仕方ありませんが」
「い、いえ、王様に子供はいなく……」
「なら私が治めても構わないでしょう? 安心しなさい、出来る限り頑張っていきますから。少なくとも前王妃のように、宝石や装飾品を買い漁ったりはしません。興味もありませんし」
兵士達はジェーンを見つめ、互いの顔を見交わし、それからまたジェーンを見る。
「さあ、分かったなら、まずはこの金貨を片付けなさい。とりあえず特別の金庫室を用意して、そこに押し込んでおきなさい。重いからシャベルや荷車を使うのよ。あと前王妃の遺体はきちんと埋葬すること」
それからジェーンは兵士の一人に目を止めて。
「貴方は王宮の内部や執務について案内しなさい。私はこの王宮や執務のことをよく知らないんだから」
「は、はい……っ」
「それじゃあ行くわよ」
その後……。ジェーンは女王として、その国を治めていく。
「やれやれ、人ってなんでこう、愚かなのかしら? 正しいことを願えば、報いは受けずに済むのに。いつか私が本気で好きになれる人は現れるのかしらね?」
そして――。聖女であり女王でもある――聖女王として、ジェーンは民から慕われ、国を豊かにしていくのだった――。
♰