【3】 【王女 プリル】
【3】
【王女 プリル】
二つの国があった。その二国は、自国の王女と王子を結婚させることにした。
政略結婚である。
「プリル。君との結婚は政略目的でおこなわれた。甘い結婚生活など期待しないことだな」
「……承知致しております」
王女のプリルと王子である彼……実は二人はこれが初対面ではなく、幼い頃にすでに出会ったことがある。プリルの父親、現国王が外交のために彼の国に訪れた際、同伴したプリルは彼と出会ったのだ。
両親達が外交のための会食や会議をおこなう最中、暇を持て余した二人は王宮庭園に出て、そこで時間を潰したのだった。最初は鬼ごっこや駆けっこなどをし、疲れたあとはおままごとや二人だけの茶会をしたりした。
「これはままごととは違う。僕の伴侶という表向きの立場を理解して振る舞え」
「……承知致しております」
プリルはただ承知したという言葉だけを繰り返す。彼の機嫌を悪くすることは、自分の立場、引いては王である父親や王妃の母親、自国の立場を悪くすることにつながるからだ。
彼は結婚後もずっと冷たい態度をプリルに取り続けた。他国に外交しに行ったときは礼儀を弁えろと強く注意し、プリルが不注意で怪我をしそうになったときは険しい顔できつく言ったものだった。
「どうしてこんな不注意をした⁉ 君が怪我をすることは、僕や周りに迷惑をかけることを理解しろ!」
「……申し訳ありません」
「もういい。君は部屋にいろ。勝手に外に出るんじゃないぞ」
「……承知致しました」
宿泊部屋に戻ったプリルは、疲れたようにベッドの縁に座ると溜め息をこぼすのだ。
「……まるで籠の中の鳥ね」
自由に外に出られず、日々冷たい態度を取られてしまう。王宮のメイドや執事達、および市井の国民達は、皆こんな噂話をしていた。
『プリル王女は愛なき結婚をなされた。ただのお飾りの伴侶だ』
まさにその通りだとプリルは思う。いや、最初から分かっていたことだ。政略結婚だと彼に面と向かって直接言われたのだから。
「……子供の頃は優しかったのに……」
どこで、どうして変わってしまったのだろうと思う。プリルの結婚のことを、人々は愛なき結婚という意味で『白い結婚』、あるいは政略目的であることから真逆の色である『黒い結婚』などと言っていた。
そんな日々のなか、月日は流れて、いつしか結婚してから一年が経とうとしていた。そんなある日、他国の使者が王宮を訪れた。他国の王からの重要書簡を届けに来たとのことだった。
謁見の間で跪く使者に、彼は声をかける。王や王妃の姿はなく、そばにはプリルが控えていた。
「すまないな。いま王と王妃は外交で留守にしているのだ。二人には私から伝えておくから、貴方が届けてくれた書簡を見せてくれないか?」
「は。ただいま」
使者が懐に手を伸ばす。そして再び手を取り出したとき、そこに握られていたのは書簡ではなく、一振りの鋭い魔力剣だった。
「死ねェッ!」
その使者が標的として突進したのは、プリルだった。いきなりの事態にプリルはとっさに動くことが出来なかった。いまにも魔力剣が彼女の胸を抉ろうとしたとき。
「バカヤロウ!」
プリルの身体を、王子の彼が突き飛ばした。魔力剣は新たな標的である彼に突き刺さり……しかし彼は暗殺者の腕を強く掴んだ。
「早く捕らえろ! 暗殺者だ!」
彼の怒声とほとんど同時に、謁見の間にいた衛兵達が暗殺者に殺到し、その身体を取り押さえる。離せ!と喚く暗殺者は牢へと連行され……そして王子の彼はその場に倒れていく。
「ああっ⁉ どうして私なんかを庇って⁉」
慌てて駆け寄るプリルに、彼はか細くなった声で答えるのだ。
「……バカ、ヤロウ……怪我をするなと、注意しろと……あれほど言っただろう……」
「しっかりしてください! いま回復魔法士が来ますから!」
「……いや……間に合わない……僕のことは、僕自身が分かっている……僕はじきに死ぬ……」
「そんな⁉ そんなこと⁉」
「……最期に、伝えなくては……いままで冷たくして、すまなかった……僕は、君を、愛してい……」
そこで彼の言葉は途切れた。続きを言うことはなかった。
――その後。『尋問』により暗殺者が自白したことでは、プリルが死ねば、プリルの国と王子である彼の国を対立させることが出来るはずだとして……そしてその混乱に乗じて、暗殺者の国とその共謀国が攻め入り、プリルの国と王子である彼の国を一時に占領する計画だったらしい。
その計画を聞いたプリルや両国の国王は、むしろこの事件をきっかけとして絆を深めて、暗殺者の国とその共謀国に厳しい制裁を加えることにした。
プリルもまた追い出されることはなく、その後も未亡人として夫の国に居続けることが出来た。そして彼の遺品を整理しているとき、執務机の最下段の引き出しに錠が掛けられていることに気付いた。
「何が入っているのかしら?」
これだと思われる鍵を探し出して、プリルは引き出しを開ける。そこには何枚もの手紙が入っていた。筆跡から、彼が書いたものだと分かった。
『プリルへ』
手紙の始まりにはそう書かれてあった。プリルはそれを読み始める。
『プリルへ。君がこれを読んでいるということは、僕はおそらく死んでいるのだろう。僕が生きている間に、この手紙を君に渡すことは決してないからだ』
そんな書き出しから始まった手紙は、以下に続いていく。
『君との結婚が決まったとき、僕は嬉しかった。本当に、飛び上がりたい程に。でも、そんな心は僕の国の現状を鑑みたとき、不安に変わってしまった』
彼の国は実は水面下で他国から狙われており、油断は許されない状況だった。その他国というのが、暗殺者の国に協力していた国だった。
『君との結婚は政略目的だと言った。それは嘘ではない。君と結婚することにより、君の国との協力関係を強固にし、他国を牽制する為だった』
本来の目的では、これによって他国は彼の国への策謀をやめるはずだと推測されていた。しかし実際には違った。以前よりは鳴りを潜めたものの、それでも婉曲的に探りを入れられていたのだった。
『結婚後に分かったことは、他国は君にも魔の手を伸ばしかねないという危惧だった。いや、もっと早く、結婚する前に気付くべきだったのだろう。だから僕は、せめて君には危害が及ばないように、君に冷たく接することにした。『白い結婚』、『黒い結婚』、いずれにしろ、君に人質の価値がないと他国が判断すれば、君は安全だと思ったからだ』
「……っ……⁉」
プリルは口に手を当てる。思い当たる節はたくさんあった。いや、思い当たる節しかなかった。
『他国からの侵略に備えて外国に外交に赴いたことがあったが、君が怪我をしそうになったと聞いたとき、僕は本当に心配した。また無事で良かったと安堵した。そしてもしかしたら他国からの謀略があったのかもしれないと、君に部屋にいてもらうことにしたのだ。君の安全を考えてのことだったが……いま思えば、君には窮屈な思いをさせてしまい、すまなかったと思っている』
彼のいままでの行動には、理由があったのだ。全ては国と、そしてプリルを思ってのことだった。
『君にもちゃんと話すことが出来れば良かったのだが、もし話したら、君は自分に出来ることはないかと自らを危険に晒すと思った。僕は、君には無事でいてほしかったし、心配もかけたくなかったのだ。君の身を守る為なら、君が無事に生きていられるなら、僕は悪役になろうと決めたのだ』
「……っ……⁉ 馬鹿よ……貴方は……本当に、馬鹿……お人好しの馬鹿よ……っ」
プリルの目からは涙が溢れてきていた。彼女の意志に反して、涙は止まってくれようとはしてくれなかった。
『最後に、これだけは言っておかなければな。もしかしたら、僕が死ぬときに言えないかもしれないから』
最後に書かれていたのは、かつて聞いた言葉と同じもの、およびその続きだった。
『プリル。僕は、君を愛している。いままでも、これからも……この気持ちは変わることはない。永遠に』
「……っ……私も……愛しています……っ……ずっと……永遠に……っ……」
プリルは泣き崩れながら、彼の愛の告白に返事を答えた。
そして――。それから数百年後、あるいは数千年後、もしくは数万年後……二人は女神の力によって転生し、再び出会い、今度こそ確かに幸せに暮らすのだった――。
♰