【2】 【鑑定士 ナリー】
【2】
【鑑定士 ナリー】
ナリーの冒険者職は鑑定士だった。フィールドやダンジョンなどで見つけた詳細不明のアイテムやギミック、地形などを調べて明らかにするのが役割だった。
彼女はとある旅のパーティーに所属していた。とある国の王立教会から勇者であると預言された男がリーダーを務めるパーティー……勇者パーティーの一員だった。
強く勇敢で皆を引っ張っていく彼に、ナリーはいつしか淡い恋心を抱いていた。彼女がうっかりドジをしたときも、彼は笑って流してくれた……そんなところに惹かれたのかもしれない。
しかしナリーに告白する勇気はなかった。強く勇敢で皆に優しい彼は、皆の人気者だったからだ。そんな彼に釣り合うわけがないとナリーは思っていた。
ある日、そんなナリーに同じパーティーの魔導士の女性が言った。昼休みの自由時間のときだった。
「ナリー。私聞いちゃったんだけど、勇者の彼、ナリーのこと可愛いってさ」
「え……⁉」
「このこのー、もしかしたら、もしかするかもよー」
肘で脇腹をつついてくる彼女に、ナリーは照れて紅くなった顔を返すしか出来なかった。彼が自分を可愛いと言っていた……それだけでとても嬉しかった。
数日後。ナリーのパーティーはとある塔型のダンジョンを探索していた。元々は魔術の研究施設として建てられた塔であり、しかし施設としての運用が終了したあとも取り壊されずに廃墟と化した場所だった。
最近、この塔に魔物が住み着いてしまったという話だった。その魔物を討伐するのが今回のクエストであり、ナリーのパーティーはダンジョン内を進んでいたのだった。
そんな最中、突如としてナリーと勇者の彼の足元が光り、出現した小さな魔法陣によってダンジョン内の別の場所に転移させられてしまう。研究施設だったときに瞬間移動として使用されていた魔法ギミックが発動してしまったらしい。
「クソッ⁉ どうなってるんだ⁉ 元の場所に戻れないぞ⁉」
移動用のギミックであれば、行き来は自由に出来るはずだったが、何故か出来なかった。彼がナリーに振り向く。
「ナリー! 鑑定士だろう! このギミックの再起動方法を調べてくれ!」
「は、はいっ!」
不意に訪れた彼との二人きりの時間ではあったが、さすがにいまは喜んでいる余裕はなかった。いまはダンジョン内であり、いつ住み着いた魔物が襲ってくるか分からないからだ。
「だ、駄目です、壊れてしまっているようです。さっきのは偶然、一瞬だけ再起動出来てしまっただけみたいですね……」
「何だって⁉ 直せないのか⁉」
「す、すみません、私は鑑定士なので、調べることは出来ても修理までは……魔法技士か、せめて魔導士の方がいないと……」
「チッ!」
彼は舌打ちした。ナリーはビクリとなってしまう。いままで彼が誰かに舌打ちしたのを見たことがなかったからだ。ましてやパーティーの一員である自分になど……。
「おい傷薬を出せ! さっきの強制転移のときに壁に肘をぶつけちまった! 擦り傷を治す!」
「え、それくらいなら絆創膏を貼るくらいでいいんじゃあ……傷薬の無駄使いは避けないと……」
「口答えするな! じゃあ何か⁉ お前は俺にこんな擦り傷の為に回復魔法を使わせる気か⁉ それこそ魔力の無駄使いだろうが!」
「い、いえですから、小さな傷なら街に戻ってから魔法で治せば……」
「だから口答えするな!」
彼がナリーの頬を平手打ちした。きゃっと小さな声を漏らしてナリーが地面に倒れる。
「小さな傷が化膿して重症化することもあるんだぞ! お母様がそう言っていたし、お母様なら即座に治してくれていた!」
「…………」
ナリーは自分の頬に手を触れる。じんじんとしていた。一瞬何をされたのか理解が追いつかなかった。
「いいからさっさと傷薬を出せ! 持っているアイテムを出すくらいしかいまのお前には価値はないんだからな!」
「…………っ」
ナリーは目を開いて彼を見た。彼は本当に自分の知っている彼なのかと、信じられない気持ちだった。
「いいからさっさと出せってんだよ! 今度は拳で殴られなきゃ分からないのか⁉ あれでも手加減してやったんだぞ感謝しろ!」
「…………」
ナリーは収納魔法具の小袋から傷薬を出して、彼へと渡す。彼はそれを自分の肘へと使った。
「最初からそうしてりゃいいんだよ。ったく、最初は可愛いから当たりだと思ったが、とんだハズレ女だったぜ。ドジしやがるし、イライラさせやがるし、皆がいなかったらとうの昔に殴ってたところだ」
そんな文句を言いながら、彼がダンジョン内を進んでいこうとする。ナリーは風邪を引いたようなぼんやりとした頭で聞いた。
「あの、どこへ……?」
「魔物を探しに行くんだよ。お前はついてこなくてもいいぞ、足手まといなだけだからな。いや囮くらいにはなるか、ハハッ」
「マギアさんなら、時間は掛かるかもしれませんが、いずれこのギミックを修理して合流してくれると思いますけど……」
マギアとは魔導士の女性だった。彼女ならなんとか起動出来るくらいには直せるかもしれない。
「そんなの待ってられるか。俺はこのクエストをクリアして金を稼いで、チヤホヤされたいんだよ。邪魔するな」
「…………」
「あといままでのことは誰にも言うなよ。言ったら殺すからな。ハハッ」
そう言い残して、彼はダンジョンの奥へと進んでいった。
約十分後。地面にへたりこむナリーのそばで、壊れていたはずの転移ギミックが再起動して、マギア達パーティーのメンバーが合流してきた。マギアがナリーを見つけて言う。
「ごめん! 修理に少し手間取っちゃった! 大丈夫だった⁉ ……ってあれ、彼は?」
ナリーはかすかに首を横に振った。何故ナリーは憔悴したような顔をしているのか? その他にも色々な疑問をマギア達はナリーに聞いたが、彼女は小さく首を横に振るだけだった。
その後、いまのナリーは精神的にダンジョン探索することが出来ないと判断して、マギアは彼女を連れてダンジョンを脱出し、街へと戻っていった。勇者の彼については、他の仲間が探し、合流次第、共に魔物討伐を続行することになった。
しかし、勇者の彼が生きて戻ってくることはなかった。仲間達が彼を見つけたとき、彼は魔物に殺され、エサとして食い荒らされている最中だったという。
仲間達の尽力によって、魔物自体を討伐することは出来た。しかし何故、実力のある勇者の彼が殺されてしまったのか……魔物討伐の証拠として持ち帰られた魔物の首をギルドの鑑定士が調べたところ、実はその魔物は嗅覚が発達した突然変異体だということが判明した。
つまり、彼が肘に使った傷薬の独特な香りに、その魔物は遠距離にいた時点で気付いたのだろう……そして足音を忍ばせて彼に近付き、不意討ちによって致命傷を与えたらしいと推測された。
「……傷薬を使わなければ……私がいれば……彼は生きていたかも……?」
「ナリーのせいじゃないって。貴方は強制転移の影響で精神的に参ってたし、彼も運悪く別の場所に転移して離ればなれになっちゃったわけだし。ナリーは悪くないよ、悪いのは全部魔物なんだから」
「…………」
その後。勇者が死んでしまったということで王国内はざわめき、勇者パーティーは解散することになった。
しかしマギアを始めとして、仲間達は自分達だけでもパーティーを再結成し、再び冒険の旅に出ないかとナリーを誘った。……が、そんな彼らの誘いにナリーは首を横に振った。
「そう……。ナリーがいなくなるのは残念だし寂しいけど、元気でね」
「……うん……」
ナリーと別れの言葉を交わしたあと、マギア達は冒険の旅へと出発していった。
それからしばらくして……。精神的になんとか立ち直ったナリーは荷物をまとめると、一人で世界中を巡る旅に出た。
そして……世界を巡る最高のソロ鑑定士の噂が冒険者の間に広まるのは、もう少し先の話である。
♰