【16】 【尋問官 エスト】
【16】
【尋問官 エスト】
「それじゃあ、私はこっちだから」
「会社が終わったら、また家でね」
「うん」
朝の通勤時の十字路にて、エストはそう言って彼と別れていく。
そして彼女は自分が勤務している建物に入り、制服に着替えてからデスクワークを始めた。
その後、お昼休みを経て午後の業務をしようとしたとき、デスクに置かれている小さな箱型の魔法具に通信が入った。上司からの通信だった。
『テッラ君、いまいいかい?』
「……はい、何でしょうか?」
『緊急の『用事』が入った。至急いつもの場所に来てくれ』
「かしこまりました」
エストは部屋を出て、いつもの場所……とある会議室へと向かっていく。そのドアの前に上司が立っていて、彼女の姿を確認してうなずいた。
エストも会釈を返して、会議室に入る上司のあとへと続いていく。会議室の一隅にはすでに転移の魔法陣が描き出されていた。
「今回の相手は、我々の仲間を殺した者だ。君の役目の第一は、その所属及び動機を聞き出すこと」
「自白の魔法が効かなかった相手なのですか?」
「その魔法の使い手を殺した相手だ」
自白の魔法は、対象の精神に干渉する魔法である。精神操作の一種に該当するため習得難易度が非常に高く、使える者は限られていた。
「自白の魔法具も全て壊されていた。よって尋問官だった君に白羽の矢が立った。やれるな?」
「……拒否権はないのでしょう?」
「……行こうか」
上司が転移の魔法陣に入り、エストもあとに続く。二人の姿が転移の光に包まれていき、消えていく。
エストは尋問官だった。過去形なのは、数年前に自白魔法が使える者が加入したため、時間と労力がかかる『尋問』の必要性が薄れたからだ。
尋問官が必要とされるのは、自白魔法が効かなかった場合や、何らかの理由で自白官や自白魔法具が不在の場合となっていた。そしていまがその場合だった。
その『尋問』する相手がいる場所……暗く、牢獄や地下室のような場所に到着する。目の前には、頭に紙袋を被せられ、手を後ろに縛られ、足を座っている木椅子にくくりつけられた者がいた。体格からして、男らしい。
「君の顔を見られないように紙袋を被せている。声が聞き取りにくくなるというのなら、取るが?」
「いえ、問題ありません」
男が反応して、垂れていた首を持ち上げた。しかし何も喋らない。ボロを出さないために。
「では『尋問』を頼む。道具ならそこのテーブルに置いてある。必要な物があるなら取り寄せよう」
「……問題ありません」
答えながら、エストは思う。
(『尋問』、ね……)
拷問ではなく、あくまで尋問。過去に上司に尋ねたことがある、何故『尋問』という言葉にこだわるのかと。その返答は……。
『拷問は我が国の法律によって禁止されているからだ。例え相手が悪人だろうと、人権を無視してはいけない。だからこそ我々は『尋問』という手段を取る』
『……あくまで『尋ねて、問うている』だけ。その間に不慮の事態によって相手が怪我をしても、回復魔法で完治させる。絶対に死なせてはならない……』
『その通りだ』
そう。これからエストがおこなうことは、ただの『尋問』である。例え相手がどんな怪我をしても……手足を切断され、内臓を抉られ、眼球を潰され、鼻や耳を削ぎ落とされても……全ての怪我は完全に治療され、元の健康状態に戻され、決して死なせることはしない。
それが、『尋問官』としてのエストの役目だった。
●
数時間後。男はうめき声一つ上げず、完全な沈黙を貫き通していた。エストは腕時計を汚す血を手で拭って、その針を確かめる。暗く狭い部屋のなかは至るところが血にまみれていた。
「……もうそろそろ定時です」
「すまないが、残業してくれないか? 残業手当は多めに出そう」
「……了解しました」
エストは男へと振り返る。
「貴方のせいで残業が確定したわ。残業は嫌なのに。もうさっさと終わらせるわよ。部長は私の身の安全に配慮してくれたけど、この紙袋を取って、これからは目や鼻や耳を対象とするわ」
そう言って、エストは男の紙袋を取り去った。直後、その顔を見た彼女の様子が凍りついたように固まってしまう。
黙認していた上司が尋ねた。
「どうした?」
「……いえ……そういえば、彼への連絡を忘れていました。残業することを伝えてきてもいいですか?」
「構わんよ」
「……失礼します」
エストは部屋のドアから薄暗い廊下へと出る。数メートル離れた場所で、彼女は手で口を覆って、その場に膝をついた。
尋問相手は、彼だった。
●
小部屋に戻ったエストに、彼は顔を上げて、壊れかけた瞳で微笑んだ。
「おかえり」
帰宅した彼女にいつもそうしていたように。
――何も知らず、幸せだった日々は、もう戻ってこない――。
♰