【13】 【画家 アルテ】
【13】
【画家 アルテ】
最初に絵を描き始めたきっかけは、彼が絵を描いていたのを見て、自分でもやってみようかなという軽い気持ちからだった。
「へえ。よく描けているね。初めてにしては」
その絵を見た彼は、微笑みながらそう褒めてくれた。それが嬉しくて、アルテはもっと彼に褒めてもらいたくて、その後も絵を描き続けていった。
彼は画家だった。そこそこに知名度があり、描いた絵もある程度は売れていた。そんな彼には画家としての目標があり、それは街で最大規模の絵画展に出展することだった。
そのために彼は日夜、食事も睡眠も放り出して絵を描いていた。しかし描いた絵はそこそこ人気は出るし売れるのだが、その有数の絵画展からの出展依頼は来ないのだった。また自分からも出展を申し出るのだが、ことごとく断られるのだった。
一方、アルテもまた描き続けていた。彼に褒められたくて。趣味として自分が楽しみたくて。特に絵のプロットなども決めることなく、そのとき思い付いたことを楽しみながら描いていた。描きたくない気分のときは、それ以外のことをしていた。彼の家に行って、一心不乱に絵を描く彼を見て、自分の好きなことに打ち込める素敵な人だと憧れたりもした。
そんな日々のなか、アルテの自宅を訪れた友人が彼女の絵を見て言ってきたことがある。
「ねえ。この絵、一枚だけ貰ってもいい?」
「彼に褒めてもらった絵だけど、いいよ。大切にしてね」
絵ももちろん大事ではあったが、アルテにとっては彼に褒められたり、その絵を見た人が幸せな気持ちになるほうが良いことだと思っていた。
絵はまた描けばいい。そうすれば彼がまた褒めてくれる。そのときのアルテはその程度にしか思っていなかった。
ほんのささいな日常の出来事のはずだったこれが、アルテにとっての転機になった。なってしまった。
「私、こういう者です。アルテさんのご友人から紹介を受けまして、やってまいりました」
「画商のかた……?」
友人に絵をあげてから数日後。アルテの自宅に一人の画商が訪れていた。画商はアルテが描いた絵を見たいと言ってきた。
「別に構いませんけど……本当に大したものじゃないんですよ」
「まあまあそう言わず。とりあえず拝見するだけさせてください」
「はあ……」
戸惑いながらも画商を絵の置いてある部屋に連れていって、そこに置かれた絵を見せていく。部屋の中央にある描き途中の絵、適当にそこら辺の床に置きっぱなしになっている絵、また何気なくノートにスケッチした絵、などなど……。
それらの絵を見て、画商は目を丸くして、しばらくの間固まっていた。アルテはプロの画商に見せたことが恥ずかしくなってしまい、いまさらになって少し後悔していた。
「ね。大したものじゃないでしょう? 紅茶を用意しますから、あちらの部屋で……」
「素晴らしい!」
「へ……?」
画商はアルテに振り返ると、目をきらきらとさせながら言ってきた。
「アルテさん、貴方は絵の天才だ! 貴方ならこの街一番、いやこの国一番の画家になれるかもしれない!」
「は、はい?」
「いままでに絵画コンクールに出したことは!?」
「い、いえ、ありませんけど……」
「なんと⁉ では私から申請しておきましょう! アルテさんなら最優秀賞を取れますよ!」
「い、いえ、あの……」
「それではこの絵で申請しておきますね!」
そうまくしたてて、画商は一枚の絵を手にしてアルテの家から飛び出していってしまう。その画商の後ろ姿を、アルテはぽかーんとした顔で見送っていた。
アルテが最初に描き、最初に彼に褒められた絵だった。
およそ一ヶ月後。
『最優秀賞 アルテ=ドロウ』
大々的に発表されたコンクールの結果には、そうアルテの名が刻まれていた。
『稀代の天才画家現る!』
『千年に一人の天才画家!』
『美貌と天賦の才能を持つ才女!』
などなど、新聞や雑誌でも大々的に取り上げられ、アルテは一躍時の人となった。いままでにアルテが描いてきた絵も画商によって発表されると、それらも瞬く間に人気となり、レプリカが飛ぶように売れていった。
それからのアルテは忙しい日々を送ることになった。様々な製品のイメージイラストを手掛けたり、画商から新作の絵を催促されたり、本の挿画を依頼されたり……それらの依頼をとにかくこなしていく日々で、楽しく描くことはほとんどなくなっていったのだが、それでも彼女の人気と知名度はうなぎ登りとなっていった。
そしてアルテは、その街で最大規模の絵画展に出展することになった。彼女自身が出したいと決めたことではなく、忙しい日々のなかで受けた依頼の一つに過ぎなかった。
アルテにとっては、何気ない、他の事柄と一緒のような出来事に過ぎなかった。
そしてその絵画展に出展された翌日。彼が死んだ。
自宅で首を吊って死んでいた。
最後に彼が目撃されたのは、絵画展でアルテの絵を呆けたように眺めていた姿だという。
●
いま、アルテは自宅の絵の置き部屋のなかで、一つの絵の前に立っていた。
初めてアルテが描き、初めて彼に褒められ、そしてアルテの日常を変えた絵だった。
「…………」
アルテは無造作に絵筆を掴み、腕を振り上げて、その絵を破くために振り下ろそうとして……出来なかった。
「…………う……うぅ……っ」
崩れるようにその絵の前に座り込んでしまう。うつむき、ぎゅっと閉じた目からは大粒の涙が止めどなく溢れ出していた。
――数年後――アルテは絵を描くことを――。
♰