【1】 【貴族令嬢 ネティ】
【1】
【貴族令嬢 ネティ】
「嘘吐いたら針千本飲ます」
幼い頃に彼とした約束をネティは思い出していた。
幼い頃、ネティと彼は互いに好き合っていて、大人になったら結婚しようと約束したのだ。互いに貴族の令嬢と令息であり、親の意向など様々な障害があるかもしれない……しかしそれでも一緒になろうと、子供ながらに約束を交わし合っていた。
(……私は彼のために頑張ってきた……)
格好良く、頭も良く、魔法やスポーツも得意な彼。そんな彼に釣り合うようにと、ネティはこれまで努力をしてきたつもりだった。美容、勉学、魔法、運動、また音楽や芸術、社交や料理などなど……。
その努力の甲斐があって、ネティは貴族の間でも一目置かれる存在となっていた。社交パーティーに行ったときも、憧憬や羨望の眼差しを受けていた。
これなら彼に釣り合うはず……ネティはそう思っていた。彼の両親もまた、ネティならば大丈夫だろうと二人の仲を祝福してくれていた。
(……でも、彼は変わってしまった……)
数年前、ネティ達がまだ中等部の学生だったときは、彼はネティのことを自分のことのように自慢していた。俺はネティと付き合っているんだ、婚約もしているんだと周囲に言い触らしていた。
高等部に進学した頃から、その彼の態度に変化が訪れ始めた。ネティと会ってもよそよそしい態度を取るようになり、学校内などで目を合わせただけでも顔をすぐに背けられてしまうようになった。
何故彼がそうなってしまったのか……クラスメイトの女子達がヒソヒソと話しているのを、ネティは偶然耳にしてしまったことがある。
「ネティさん可哀想。ネティさんの彼氏が他の女の子とデートしているところ見ちゃった」
「ネティさんの彼氏、こんなこと言っていたらしいわよ。『俺より出来る女なんか要らない。一緒にいたら俺が惨めになるだけだからな』って」
「噂だけど、ネティさんの彼氏、色々な女の子に手を出しているみたいよ。学校の女の子だけじゃなくて、街の女の子にも」
「酷い話よね」
ネティは嘘だと思いたかった。しかし彼女達は学内でも真面目な学生であり、ネティに対しても親切丁寧に接していた。
確かめる最も簡単な方法は、彼に直接聞くことだとネティは思った。家族で彼の家に夕食を食べに行ったとき……夕食を食べ終わって、両親達が談笑している間に、ネティは両親達から離れた場所で彼に聞いたのだ。
「他の女の子とデートしていたというのは本当ですか」
「何を馬鹿なことを。俺が好きなのはお前だけだよ、ネティ」
言葉としては否定していた。しかしその彼の目はネティの顔をまっすぐ見ずにそらして、両親達のほうを見ていた。まるで早く談笑を終えて、ネティを連れて帰ってくれと願わんばかりに。
そのとき、ネティは悟ってしまった。もはや彼の心は私にはないのだと。
「……昔した約束を覚えていますか?」
「約束?」
「浮気はしないこと。嘘吐いたら針千本飲ます、という約束です」
「あ、ああ、覚えているよ。安心しなよ、浮気なんかしていないから」
「……それなら良いんですけど」
その日はそれで終わりにして、ネティ達は帰路に就いた。
翌日の深夜。とある店で彼の死体が見つかった。閉店後の水商売の店だった。
彼の死体は喉や食道に無数の傷があり、胃や腸からは大量の針が発見された。何故彼が死んだのか、ネティにはすぐに分かった。
魔法のなかには罠型の魔法が存在する。発動条件を事前設定し、その条件を満たしたときに発動するという魔法だ。
新聞に載っていた官憲の見解では、色恋沙汰のもつれで殺されたのだろうということだった。彼は複数、それこそ数十人の女性に手を出しており、聞き込みではいつ刺されてもおかしくない人物だったという。
官憲の聴取は、もちろんネティにもおよんだ。魔法に宿る魔力の痕跡から、ネティは自分のことがすでに突き止められていると思っていた。ネティは捕まることを覚悟していた。
しかし、何故だか官憲は聴取だけに留まり、ネティを捕まえることはしなかった。のみならず、ネティを疑っている素振りすらなかった。
その後。事件の犯人は見つかることなく、未解決事件となった。新聞も次第に取り扱わなくなり、自然消滅するようにやがて話題にも上らなくなった。
この事件はこれで終わりとなった。そして、これがネティが関わった初めての事件だった。
♰