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夫に言い寄る女の対処法

作者: にゃみ3


「実は、カロリーナ嬢に言い寄られているんだ」


 ローレンの言葉に、私は手に持ったティーカップを傾けながら、静かに視線を上げる。


「……あら、そうなんですか」


 私に何を言いたいのかしら。愛らしいカロリーナ嬢に心を奪われ、私と離婚したいとでも?

 もしそうなら、わざわざ妻の私に他の女から言い寄られている話をすることの不可解さに納得ができる。

 だけど、あなたの性格を考えればそんなことはあり得ない。


「しかし僕が愛しているのは君だ!!」

「……はい。」


 こんなにも真面目で一途なあなたが、永遠の愛を誓った妻の私から、どっかのバカな小娘に心変わりをするはずがないもの。


「カロリーナ嬢にもきっぱり言ったんだ。僕は妻を心から愛しているから、君の要望には応えられないって!」

「…私もあなたを愛していますよ、ローレン」


 私の言葉にローレンの瞳がぱっと輝く。本当、分かりやすい人。

 ローレンはこんなにも顔に出やすい人なのに、カロリーナ嬢は自分が嫌がられていることに気が付かないだなんて信じられないわ。


「僕もだよ、チェルシー!」


 突然勢いよく椅子を立ち、ローレンは私の手をぎゅっと握る。距離が一気に詰まり、彼の顔が間近に迫った。


「離れてください」

「少しくらいいいじゃないか、ここには僕と君以外誰もいないだろう」

「そういう話ではありません」


 私がそっぽを向くと、ローレンは嬉しそうに笑った。


 まったく、子犬みたいな人ね。無いはずの尻尾がブンブンと振られているのが簡単に想像できる。


 私の名は、チェルシー・ブロッサム。

 そして彼の名はローレン・ブロッサム。同じ姓を持つ私たちの関係は夫婦だ。

 つまり、ローレンは私の夫な訳だが…。


 カロリーナ・レンドリアン。

 レンドリアン家の小娘め。よくも人の夫に言い寄ってくれたわね。本当ならば今にもあの小娘をボコボコにしてやりたいけれど。お互いの立場上、そういう訳にはいかない。

 かと言って、優しいローレンがなにか行動を移せるとも思えないし……。


(こうなったら、私が動くしかないみたいね)




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




 数週間後。

 私とローレンはメイプル公爵家が主催した華やかなパーティーに出席していた。

 メイプル公爵家の夫人はローレンの伯母に当たる方で、私にもとても良くしてくれている方。私は、この日を本当に楽しみにしていた。


 私たちが会場の中に足を踏み入れようと入口の扉に立ったその時。

 突然、廊下の奥から駆け寄ってきた人物がいた。


「ローレン公爵様っ!」


 甘く、凛とした声を上げたその人物は、カロリーナ・レンドリアン。


(…やっぱり来たわね)


 カロリーナ嬢は息を切らせた様子もなく立ち止まると、優雅にスカートの裾を摘みながら可憐に微笑んだ。

 もちろん、カロリーナ嬢の視線は私ではなく、隣に立つ夫に向けられている。


「げっ、カロリーナ嬢…」

「お久しぶりですね公爵様! ……と、公爵夫人」

「ごきげんよう、カロリーナ嬢」


 わざとらしく怪訝そうな顔でチラリと私を見たカロリーナ嬢。


「実は、公爵様に折り入ってお願いがありますの」

「…願いですか?」

「はい。ケホッケホ、実は私は身体が弱いものですから…。良ければ、控室まで公爵様に案内していただきたいのです。メイプル家には数える程度しか来たことがありませんし、もしかすると迷ってしまうかもしれません」


(身体が弱い? 今、私たちの元に来るまでの距離を足軽に駆けていたわよね。)


「カロリーナ嬢、何度も言っているが僕は…」

「ケホッケホッ!!」


 ローレンが言いかけた瞬間、カロリーナ嬢はわざとらしく口元を押さえ小さく身を震わせる。咳込む仕草を強調するように、華奢な肩を揺らしながらローレンを上目遣いで見つめた。


「……だから、」


 優しいローレンには病弱な自分を突き放す真似はできない、そう分かってやっているのね?

 

(随分とずる賢い子じゃない。……だけど、そんな女は社交界に私一人で十分なのよ。)


「ローレン、カロリーナ嬢に付き添ってあげたらどうかしら?」

「な、何を言っているんだチェルシー、君を置いて行けるわけがないだろう!」


 ローレンは私の言葉に目を見開き驚いた様子を見せると、慌てて私の腕を掴む。しかし、私はその手をするりと避けた。


「いいから行ってあげて? こんなにも病弱なカロリーナ嬢を独りにするなんて、心配だわ」


 ローレンは困惑した様子で私を見つめたまま動けずにいる。その隙を狙うように、カロリーナ嬢は私に向かって、まるで勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。


「ローレン様、夫人もこう言ってくださっていることですし一緒に行きましょう?」


 カロリーナ嬢は甘ったるい声を出しながら、そっとローレンの袖に手を添えた。

 その指先が震えているように見せかける演技が見事すぎて、思わず感心してしまう。


「………。」


 だけど、その汚い手で私の夫に触れたことは見逃せないわ。


「…あら? カロリーナ嬢、先ほどからフラフラとしていて転倒しないか心配です。そうだわ、あちらの護衛の方にも付いて行ってもらいましょう」


 私がわざとらしく不安げな声を出すと、カロリーナ嬢の表情は一瞬凍りつく。


「はっ…?」

「ちょっと~! そこの衛兵さん~!」


 私はその場にいたムッキムキでマッチョな衛兵に呼びかけた。

 すると衛兵は困惑した様子でこちらに向かって急ぎ足でやってくる。


「わ、私をお呼びでしょうか?」


 低く響く声に、カロリーナ嬢は肩をびくりと震わせた。


「ええ、貴方よ。どうやら彼女、体調が悪いらしいの。貴方、メイプル家の護衛のものよね? メイプル夫人には私から話を通しておくから、一緒に控室まで付いて行ってあげてもらえるかしら?」

「いや、私は…!」


 カロリーナ嬢が慌てて言い訳をしようとするが、衛兵は一切取り合わず、すぐに「かしこまりました」と短く返事をした。

 無骨なその声が響いた瞬間、カロリーナ嬢の顔から血の気が引く。


 衛兵がカロリーナ嬢の横に並ぶと、彼女はぎこちない笑みを浮かべながらじりじりと後ずさった。しかし、逃げ道はどこにもない。

 背後には扉、両側は壁、前には衛兵と私。彼女の行き場は、もう決まっていた。


 ちらりとローレンの方を見ると、彼はまだ困惑しながらも、どこか安堵したような表情を浮かべていた。

 そして、わざとらしく「はあ…」とため息をつくと、渋々ながら衛兵を挟んでカロリーナ嬢と共に歩き出す。


 衛兵は本来、守るべき主人の後ろを歩くもの。しかし、ローレンがわざと衛兵の歩幅に合わせているのか、三人は横並びになって歩いていた。


 衛兵を真ん中に、公爵と貴族令嬢がまるで友人のように並んで歩く姿は、何とも不思議な光景だった。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「ごきげんよう、フレア・メイプル公爵夫人。この度はこのような素敵なパーティーにご招待いただきありがとうございます」


 私は微笑みながら、軽くスカートの裾をつまみ、優雅に礼をする。


「よしなさいチェルシー、私とお前の仲じゃないか!」


 フレア・メイプル公爵夫人。

 ローレンの母の姉であり、この社交界の女帝とも称される女性。

 彼女は赤い扇をパチンと閉じながら、にやりと笑う。鋭い眼差しはまるで猛禽のようで、彼女の気の強さが一目で分かった。


「はい、伯母さま」


 私が微笑みながら応じると、フレア伯母さまは満足げに頷いた。


「ところで私の可愛い甥、ローレンはどこにいるんだい? 一緒じゃなかったのか」

「ローレンなら今ごろ、カロリーナ嬢を控室にお連れしているかと…」


 その言葉を聞いた瞬間、扇子で優雅に仰いでいた伯母さまの手がピタリと止まった。


「なんだって? 二人きりでか!」


 フレア叔母さまが突如大声で私に問う。その迫力に、周囲の視線が集まり、一瞬で場の空気が張り詰めた。


「い、いえ、護衛の者も一緒です」

「……はあ、そうかい。ローレン、あの子は一体何を考えているのか」


 彼女は大きくため息をつき、扇を閉じると、その先端で軽くテーブルを叩く。


「お前は甘すぎるよ、私の可愛い子リスちゃん」


 フレア伯母さまは、私のことをよく子リスと呼ぶ。

 それは今に始まったことではないが、改めて言われると、やっぱり少し気恥ずかしい。


 私の容姿は桃色の髪に桃色の瞳。柔らかな色合いと垂れた目元のせいで、どうしても幼く愛らしく見えてしまう。

 社交界では舐められないようにと必死に振る舞ってきたけれど、容姿までは変えられない。

 そんな私が、夫の伯母である彼女に媚びを売っていたうちに、いつの間にか「子リス」と呼ばれる羽目になっていた。


「そんなにも甘くてこの荒波のような社交界でやっていけるのか心配さ。いくら私の甥だろうとも、私の可愛い子リスちゃんを傷つけるような真似をしたらただじゃおかないとローレンに伝えておきな!」


 愛情深く、頼りになる伯母さま。

 そんな彼女の存在が、私はとても嬉しかった。


「あはは、頼りにしていますわ。フレア伯母さま」


 フレア伯母さまは「分かっているならいいんだ」と言い、満足そうに頷きながら再び扇を開く。

 ゆったりとした動作で扇子を顔元に持っていき、再度優雅に仰ぎ始めた。


「それでは伯母さま、私から一つ頼みごとをしてもよろしいですか?」

「ああ、もちろんだよ。お前の頼みならなんだって聞いてやろう」

「ありがとうございます。それで、私の頼みというのはですね………」




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「チェルシー様が言っていた通り、カロリーナ嬢が来られました」

「ああ、そう。それじゃあ、予め伝えてあった通りにお願いね」

「かしこまりました」


 メイドは頭を下げると、すぐに部屋を出た。

 あの子は従順な私の使用人の一人。聡明で優秀な子だからきっと上手くやってくれるはず。


(さて、私は私で、自分の役目を全うしなくては…)


「皆さんよく来て下さりましたね」


 私はフレア様に人選を頼み、噂好きの令嬢たちをブロッサム公爵邸に招いた。


「本当に見事な御屋敷ですね」

「流石公爵家、何度来ても圧倒されてしまいますわ」


 彼女たちはこの場に呼ばれた理由をまだ知らない。でも、すぐに知ることになるだろう。

 準備は万端。

 後は、この子たちを上手く誘導するだけ。


「皆さん大袈裟ですわ。さあ、どうぞこちらへ」


 私は令嬢たちを部屋に案内する。その部屋とは、カロリーナ嬢を案内した部屋の横だった。


「ええ、ええ、分かるわ! 私もずっと思っていたのよ!」


 部屋に全員が入ったその時、一人の女の声がした。その声の持ち主は他でもない、カロリーナのものだ。


「えっ?」


 驚きのあまり、一人の令嬢が声をあげる。それに答えるように、声の主が言葉を続けた。


「アタシの方がずっと魅力的なのに、あの女が妻で、私がローレン様の妻になれないなんて信じられる?」


 ……どうやら、上手く行ったみたいね。


「シー…」


 私は人差し指を口元に近づけると、令嬢たちに静かにするように指示をした。

 正直な令嬢たちは両手で口を押えたり、扇子を口元を隠すなど、それぞれ個性的な声の抑え方をした。


「あの忌々しい、チェルシーめ…!!」


 その言葉が耳に入った瞬間、令嬢たちの表情が変わる。

 ある者は目を丸くし、ある者は小さく息を呑み、またある者は口元を隠して忍び笑いを漏らした。

 私は目線とジェスチャーで『出よう』と合図をする。すると、令嬢たちは口を押えたままコクリと小さく頷いた。


「夫人、今のは一体…?」


 部屋を出た途端に、令嬢の一人が私に問いかける。


「あの声はもしや、カロリーナ嬢のものではありませんか?」

「一体何がどうなっているの? どうしてカロリーナ嬢がブロッサム公爵邸に…?」


 彼女たちは互いに顔を見合わせながら、困惑した様子でひそひそと囁き合った。


「混乱させてしまい申し訳ございません。場所が場所ですから、ひとまず移動しましょう」


 穏やかな声で促しながら、私は彼女たちを別の部屋へと案内する。

 扉を開けると、先ほどの簡素で何の準備もされていない部屋とは打って変わり、そこには見事なもてなしの空間が広がっていた。

 豪奢なテーブルの上には、繊細な装飾が施された美しい茶器が整えられ、湯気を立てる紅茶がすでに用意されている。甘やかな香りが静かに広がり、部屋に満ちていた。


 ――それはまるで、初めからこの部屋での茶会が開かれることが決まっていたかのように。


 私は微笑みながら令嬢たちに席に座るように勧める。


「さぁ、お茶でも飲みながら私の話を聞いてくださいませ」


 


∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「ありえませんわ! ローレン公爵様がお呼ばれに?」


 令嬢の一人が、驚愕したように声を上げた。他の令嬢たちも顔を見合わせ、ざわめきが広がる。


「いいえ、カロリーナ嬢が何度も手紙を愛のお手紙を送られてくるものですから、そういったものはお控えいただきたいと話すために私がお受けいたしました。ですが、それがまさか今日だったとは知らず…。皆様にご心配をおかけしてしまい申し訳ございません」


 私は静かに微笑みながら、優雅に紅茶を口に運ぶ。


「レンドリアン家とは、我がブロッサム家も長年のお付き合いがございます。そのため、夫も大っぴらには拒否できないのでしょう…」


 わざと少しだけ困ったように眉をひそめて、健気ぶってみる。


(別に、嘘はついていないもの。ただちょっと、話を盛ってるだけ)


「大丈夫ですよ夫人! 公爵様と夫人がとても仲睦まじいのは、周知の事実ではありませんか!」

「まあ、なんてひどい……! カロリーナ嬢、いくら何でも度が過ぎていますわ!」


 彼女たちは思い思いに声を上げ、憤慨する様子を見せる。

 私は微笑み、話題を変えるように軽やかに告げた。


「そういえば、皆さんにプレゼントがございますの」

「プレゼントですか…?」


 ぶつぶつとカロリーナ嬢の悪口を言っていた令嬢たちが、一斉に私に注目する。


「ええ」


 そう言うと、私はスッと小さく手を上げて合図をする。すると、待機していた数名のメイドたちが静かに前に進み出た。メイドたちは素早く精巧な細工が施された小箱を人数分机の上に並べた。


「どうぞお開けになってください」


 私の一声を合図に、令嬢たちは興味津々な様子で小箱を手に取り、蓋を開けていく。


「こ、こんなに高価なものをいただいてしまってもよろしいのですか…?」


 驚きと喜びが入り混じった声が漏れる。

 私はにこやかに微笑みながら、彼女たちを見渡した。


 美しく飾られた小箱の中身は、それぞれの令嬢の好みに合わせたジュエリーが収まっていた。

 貴族令嬢たちが集まる場で、こういった贈り物はただの気まぐれではない。

 そこにある明確な意図を、彼女たちは令嬢としての本能的に理解したはずだ。


「もちろんです、皆様は私の大切なご友人ですから!」


(さあ、噂好きな貴女たちの出番よ)


 カロリーナ嬢の醜態を、どうぞ存分に広めてちょうだい。これはそのために使う、必要経費とでも思えば安いものだわ。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「こんなにも高価なプレゼントをいただくなんて、正直驚きましたわ」


 一人の令嬢が手元の小箱を撫でながら、ぽつりと呟く。


「本当にね。でも、これほどのものを用意するなんて……夫人も随分と気前がいいこと」


 もう一人がクスリと笑い、扇子を口元に当てた。


「私たちを繋ぎとめたいってことかしら?」

「あら、そんな言い方をしてしまっていいの?」

「だって、考えてもみてよ。カロリーナ嬢とローレン公爵様のお姿を見た時は大胆ね、と思ってはいたけれど……今日の話を聞いたら、どうかしら?」


 その言葉に、令嬢たちは意味ありげに視線を交わした。


「…度が過ぎているわね。」

「カロリーナ嬢は流石にやりすぎたのよ」

「まったく。ローレン公爵様とチェルシー夫人の仲がよろしいのは、誰もが知っていることなのに……。あんな真似をして、どうにかなるとでも思ったのかしら?」

「やはり、欲を出しすぎると失敗するのね。ほら、カロリーナ嬢は御父上であるレンドリアン公爵様に甘やかされ育ったから」


 誰かが小さく笑い、他の令嬢たちもつられて小馬鹿にしたようにクスクスと笑う。


「そういえば皆さん、来週のお茶会にはいらっしゃる?」

「もちろん行くわ」

「私も。ふふ、そこでの一番の話題が決まってしまったわね」

「ええ、本当に。そのお茶会にはカロリーナ嬢も来るのでしょう? 彼女、一体どんな顔をするのかしら……」




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「チェルシー様、お客様が来られているのですが…」


 控えめに告げるメイドの声に、私は優雅に微笑んだ。


「ああ、カロリーナ嬢ね?」

「ど、どうしてそれを…」


 私の言葉に、メイドが驚いたように目を見開く。


「来ると思っていたわ。それも、随分と遅いくらいよ」


 フレア伯母さまセレクトの噂好きの口軽令嬢たちとのお茶会の後。あっという間に王国中に、カロリーナ嬢の話題が広がった。


『カロリーナ嬢が既婚者であるローレン公爵に言い寄っている。ローレン公爵の妻であるチェルシー夫人の悪口を言いふらし、自身がローレンの妻になるとまで言っている』


 広まった彼女の悪い噂についてはまだまだあるが、分かりやすくまとめるとこうだった。

 令嬢たちはペラペラと、期待以上の速さと広がりで今回のカロリーナ嬢の件を拡散してくれた。


 噂を言いふらす子たちを、私は別に馬鹿だと思わない。

 あの子たちは私のプレゼントを一種の報酬だと理解し、私の都合の良い方に噂を広めてくれたのだろう。


 需要と供給。

 それが理解できている子は、嫌いじゃない。

 まあ、心を許せる友人には、けしてなれないけれど。



 メイプル公爵家の誕生パーティーでの出来事。それ以前でも、カロリーナ嬢の既婚者であるローレンへの明らかな接触。

 それは社交界で問題視されながらも、暗黙の了解で黙認されていた。それはカロリーナ嬢には父レンドリアン公爵が背後に控えていたからだ。


 レンドリアン公爵は、娘を何よりも大切にしていた。彼の影響力を恐れ、誰もカロリーナ嬢の行動を公に咎めることはできなかったのだ。

 しかし、今回ばかりは違う。

 王国中にこれだけ噂が広まれば、レンドリアン公爵とて見過ごすことはできない。

 だが、それでも可愛い愛娘に罰を与えることはできなかったのだろう。だから、せめてもの形だけでもと、私に直接謝罪させるために送り出したというわけか。


 全て、私のシナリオ通りだったというのに…。


 まず、私はカロリーナ嬢から毎日のように届いていたローレン宛の甘い手紙、ラブレターに返事を書いた。

 もちろん、私にだって常識はある。ローレンには許可を得た上でのことだ。

 ローレンはかなり今回のことを気にしているようで、「本当にすまない……」と何度も口にしていた。 夫の綺麗なふわふわとした赤髪の中に若白髪を数本見つけた時は流石に笑ってしまったけれど。


 カロリーナ嬢に向けた手紙の内容はこうだ。

『ご丁寧なお手紙をありがとうございます。いつも貴女の父上にはお世話になっておりますから、是非お礼を。早速ですが来週、屋敷にいらしてくださいませ』

 こうして、愛するローレンからの招待の手紙を貰ったカロリーナ嬢はノコノコと公爵邸にやって来た。


 そんな彼女を案内したのは、あらかじめ用意させていた"特別な部屋"。

 その部屋は、屋敷の一室とは到底思えないほど粗末な造りだった。部屋の隅に簡易的に仕切りを設けた、いわば仮設の空間。壁は極端に薄く、隣室の音が筒抜けになるよう計算されていた。


 私はそこに、一人の"新人メイド"を配置した。

 もっとも、彼女は新人などではなく、長年私のもとで仕えている信頼のおけるメイドであったのだが。

 彼女には、次のように指示を出しておいた。


「貴女は私に不満がある使用人のふりをしなさい。そして、カロリーナ嬢にこう持ちかけるの。『私は夫人に仕えているが、あの方のやり方には不満がある。貴女が公爵夫人になられるなら、協力してもいい。もちろん、報酬はいただきますが』とね」


 案の定、カロリーナ嬢はこの話に飛びついた。


『まぁ、それは素晴らしい話ね! ええ、ぜひ協力してちょうだい!』


 カロリーナ嬢はメイドの提案に二つ返事で承諾したという。

 そしてそれからは、メイドの話術に引っかかり、ペラペラと私の悪口をまくしたてたと…。


『チェルシーは生意気な小娘よ。公爵夫人の座になど相応しくないわ! あんな女がローレン様の妻であることが、信じられないの!』


 その言葉の一つひとつが、薄い壁を隔てた隣の部屋へと筒抜けになっているとも知らずに——。


 フレア様に選定を頼んだ彼女たちは、社交界でも特に情報の拡散力に長けた面々だった。

 中途半端な人たちだったら、ここまで綺麗に広がってはいなかっただろうから。


 全てが完璧な作戦。

 よくやったと、自分を褒めてあげたいくらい。


 無駄な出費や手間はかかったけれど、スッキリした。

 だって、あのカロリーナ嬢の泣きそうな顔を目に出来たんですもの。

 困り果てていたローレンには申し訳ないけれど、私は結構楽しかったわ。


「…どうして、どうしてこんなことに!」


 ああ、カロリーナ……。

 確かに貴女はずる賢い子だけど、悪だくみなら私の方が何倍も得意なのよ。


「そういえば、なんでしたっけ?」


 私はゆっくりと首を傾げながら、わざとらしく問いかける。口元に指を当て、小首をかしげる。


「確か……私は生意気な小娘で、あなたのほうがローレン様の妻に相応しい、でしたっけ? ごめんなさいね。私は生意気な小娘で、貴女よりも魅力的ではないのに公爵の妻となってしまって」


 そう言いながら、私はわざと少しずつ歩み寄る。床をするドレスの布の音すら重たく感じるほど、部屋には緊張が満ちていた。


「な、なんで…?」


 カロリーナ嬢の顔がさっと青ざめる。

 恐怖のあまり床に座り込み、何よりも頼りにしていた父に謝りに行けと一人送られて。

 あなたのお父様もひどいひとよね。

 これではまるで、魔王の城に送り込まれた子リスのようだわ。


「ああ、別に気にしなくていいわよ。私は別に、怒っているわけじゃないの」


 私はゆっくりと瞳を細め、ひとつため息をつく。彼女が後ずさるのを追うように、一歩、また一歩と距離を詰めた。


「自分の望むものが手に入らなければ、それはさぞ悔しいことでしょうね」

「そ、そんなつもりじゃ……」


 カロリーナ嬢がかぶりを振るが、視線があちこちさまよっていて、焦りがありありと見えた。


「まぁ、私に貴女の気持ちは分かってあげることはできないですけどね。残念ながら、私は愛する夫を手に入れているので」

「っ……!」


 何かを言いたげに唇を噛みしめるカロリーナ嬢。

 そう、貴女はこの状況でもまだ虚勢を張れるの。


「ふふ、気強い性悪女は嫌いじゃないわ」


 私は優雅に身をかがめ、カロリーナの視線に合わせる。

 ニッコリと微笑みながら、彼女のあごにそっと指を添えて囁くように告げた。


「…アンタみたいな小娘が私の夫に手を出そうとするだなんて、身の程知らずにも程があるわよ」


 今までは少しお茶目が過ぎる令嬢だと思っていた。可愛げがあっていいじゃないと、貴女が問題を起こしても目を瞑っていたわ。それどころか、庇ってあげたこともあったというのに。

 まさか、私の夫に手を出そうとするなんてね。


「またいつでも私に牙を剥いてちょうだい」


 カロリーナの肩がピクリと震える。

 みるみるうちに顔が青ざめ、唇を噛みしめながら、それでも悔しそうに私を睨みつけてくる。

 その様子を楽しむように、私はゆっくりと指を離し、優雅に微笑んだ。


「次は、修道院送りにでもしてあげる」


 これだけで済んだことを、感謝してほしいくらいだわ。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「チェルシー、君には本当に苦労をかけた。結婚の誓いを結ぶときに、君を守ると誓ったのに。本当にすまない……」


 ローレンは深く息を吐きながら、どこか情けなさそうに視線を落とす。

 あなたからの謝罪の言葉は、もう聞き飽きてしまったわ。あなたは悪くないと言っているのに。

 自分を責める癖があるのは、あなたの悪い所ね。


「あなたが優しいことは知っていたけど、ここで裏目に出ちゃうなんてね。その上、あなたは超が付くほどの鈍感だし」


 私は肩をすくめ、呆れたように言う。

 ローレンは口を開きかけたが、すぐに言葉を飲み込んだ。彼の水色の瞳が、ほんの一瞬揺れる。


「だけど、それでもあなたは私の夫だもの。そして、私はあなたの妻。夫が困ったときは、いつだって妻の私が守ってあげるわ」


 その優しいところも、どうしようもなく好きなのだから仕方ない。

 惚れた弱みとは、このことね。


「愛してますよ、私の優しい旦那様」


 真っ直ぐに言葉を届けると、ローレンの目がわずかに見開かれる。

 照れくさそうに目を逸らし、喉の奥で小さく咳払いをした。


 権力者で、かっこよくて、優しい人。

 そんな魅力的なあなたには、これからも沢山の女性がまとわりつくことでしょう。

 だけどそれは結婚をする前の方が何倍も多かったし、覚悟のうえであなたと結婚したわ。

 

 だから私は大丈夫。

 夫に言い寄る女への対処法なら、まだまだ隠し持っているんだから。


可愛くて、ちょっぴり性格の悪い主人公を書きたくて作りました。


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旦那の公爵様は相談女を突き放せないタイプですねぇ ただ、奥様への報連相はできてるし、奥様がただ者ではないので読者も安心して読めますが 公爵様はお仕事はできるけどプライベートの方は優しい夫ではあるが、頼…
チェルシーは鮮やかでしたし、公爵の優しい面も好きなんでしょうが、対処出来なくて公爵なんてやってけないだろと呆れてしまうので、お 主人公が輝く為に踏みだにされた公爵というキャラクター哀れやなとも思いまし…
 チェルシー様の鮮やかなお手並みに恐れ入りました。  そもそも人の配偶者に手を出そうという時点で敗北確定なのですよね。相手が本当に素晴らしい人間ならば配偶者以外の相手に靡くはずも無し、配偶者以外の相手…
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