016号室 少女は隠れる
「お前は俺が絶対に守ってやるからな」
頭を撫でられ、耳元でそう囁かれた小桃は思わず寝返りを打った。
心臓の音がうるさく高鳴る。体温が急速に上昇し、顔はもちろん耳まで真っ赤に変化する。
思考はあらぬことを考え続け、目はぐるぐると回っている。
正直に言って小桃は限界だった。
最大火力の不意打ちにあったようなものだ。ホブゴブリンを一撃で屠る威力はあっただろう。
そんな攻撃を喰らって平静でいられるはずもない。
今すぐに飛び上がり、紅介に抱き着いてキスを十回はお見舞いしてやりたい衝動に駆られる。
だが、ほんのわずかに残された理性が彼女の行動を押しとどめる。
今動けば紅介はこの先一生口を聞いてくれなくなる。そんな予感が彼女を石像へと変えたのだ。
「さて……どうなることやら」
背後で紅介が呟く。
寝たふりをする小桃には時間を正確に知る術はない。
しかし、今の紅介の緊張と覚悟の入り混じった声を聴いて、なんとなくもう少しであると感じた。
刹那──大きな揺れが小桃を襲う。
「地震!?」
小桃はびっくりして自身にかけた石化の魔法を解いて飛び起きる。
彼女は紅介の背中にしがみつくと、揺れが収まるのを待った。
幸い、揺れはあっさりと収まり、しんとした静けさだけが残された。
「今の揺れが異変なのかな? どう思う、ベニくん──」
小桃が紅介に疑問を投げかけようとして、止まる。
原因は彼女の近くに紅介がいなかったためだ。小桃が紅介だと思ってしがみついていたのは大きなクマのぬいぐるみだった。
小桃が周囲を見回す。
「ここって……私の部屋だ」
電気がついていないせいでよく見えないが、それでも自分の部屋であることはわかる。
先ほどまで紅介の部屋にいたはずなのに、今は自宅の寝室にいる。
小桃はあまりに突然の出来事に困惑し、状況が上手く理解出来なかった。
「うわあああああ!!」
そのとき、玄関の外から男の悲鳴が聞こえてきた。
小桃はビクッと肩を跳ね上げると、クマのぬいぐるみに抱き着く。
「なになに、なんなの? 私、ホラー系苦手なんだけど……」
小桃は涙目になりながら愚痴を漏らす。
突然の展開の連続で彼女の心はボロボロだった。
──お前は俺が絶対に守ってやるからな
不意に、紅介の言葉を思い出す。
「うう……見るだけ、見るだけだから……」
小桃はなけなしの勇気を振り絞ると、クマのぬいぐるみを
抱きかかえ、寝室の外に出る。
リビングへとつながる廊下は夏だというのに驚くほど冷たい。靴下を履いているのに冷気が貫通してくるレベルだ。
小桃は我慢して廊下を進むと、リビングを抜け、玄関までたどり着いた。
そのとき──
「きゃああああッ──!!」
「キャっ──!」
玄関の外から、今度は若い女性の悲鳴が響いた。
その声に驚いて小桃は腰を抜かしてしまう。ともすればちびってしまうところでもあった。
ギュッとクマのぬいぐるみを抱きしめて心臓を落ち着かせる。
「なんなのもう……さっきから──」
と、落ち着いたせいか口が回るようになってごちる小桃。
しかし、直後に彼女の背筋を鋭い悪寒が貫いた。
尋常じゃない量の汗が額から流れる。
「……なんの音」
不意に小桃の耳に聞きなれない音が聞こえてくる。
音の出どころは玄関の外。ドシン、ドシンとなにか重たいものを地面に落とすような音。
音は一定間隔で鳴り響き、徐々に小桃のほうに近づいてくる。
──ヤバい。
直感的にそう感じた小桃は、クマのぬいぐるみを放棄してもと来た道を駆け戻る。
そうして小桃が寝室まで戻ってくると、玄関のほうから扉が開く音が聞こえた。
「鍵閉めてないんだった……!?」
小桃はそこで玄関に鍵がかかってないことを思い出す。
不用心で閉め忘れていたわけではない。白郎にマンションの地下のように部屋の中にモンスターが現れ時のために鍵は開けたままにしておいて欲しいと言われ、そうしていたのだ。
異変に対応するために施していたことが、逆に小桃の首を絞める結果となってしまったわけだ。
玄関から例の音が聞こえてくる。
「どうしよう、どうしよう……」
小桃はあわあわと部屋の中を見回す。
隠れられそうな場所はないかと探してみる。
すると、開けっ放しにしていたクローゼットが目に入る。
物置と化してごちゃごちゃしているが、小桃が入って隠れるだけのスペースはある。
彼女は早速そこに身を押し込むと、音を立てないように慎重に扉を閉めた。
──が、しかし、最後の一押しというところで扉の金具が軋む音を響かせた。
「────」
小桃が悲鳴にならない声を上げる。
直後、例の音が速度を上げて一直線に小桃のいる部屋までやってきた。
音の主が部屋の中に入って来る。
「……ブルゥ」
低く唸るような声が扉の外から聞こえてくる。
その瞬間、小桃は己の死を覚悟した。
「……」
しかし、いくら待てども扉が開いて音の主が襲ってくる気配はない。
小桃は己の恐怖と戦いながら、息を殺して扉の隙間から外の様子を窺った。
「ブルゥ……」
扉の外にいるのは怪物だ。
頭の高さは天井に届いてなお足りず、中腰の状態で立っている。
赤黒い蹄のある太い足、毛むくじゃらの胴体、そして、牛のような頭が一番上に乗っている。頭部には大きく立派な角がついているのも特徴だ。
だが、小桃が気になったのはそのいずれでもない。
彼女はあまりゲームなどをしない質だが、紅介の影響で多少の知識はもっている。そのせいか、人間の体に牛の頭というところから目の前の怪物がミノタウロスのようなものだと考えていた。
故に、気になった。
紅介が話すミノタウロスの特徴から大きく違う点が目の前の怪物にはひとつある。
それは──怪物の目が白い布のようなもので覆い隠されているという点だ。
「ブルルゥア……」
先刻から怪物は小桃を探しているのか部屋の中をうろうろしている。
だが、やはり白い布で視界が遮られているせいか小桃を見つけられないようだった。
そのことを理解した小桃が小さく安堵する。
そのとき──
「────」
怪物が小桃の隠れるクローゼットのほうをじっと見つめた。
気が緩んでいた手前、心臓をギュッと握られたような感覚が小桃を襲う。
体が硬直し、扉の隙間から目が離せない小桃の視界に、怪物の顔が近づいてくる。
扉を挟んで目と鼻の先まで接近してくる怪物。
今度こそ小桃は己の死を覚悟した。
「……ブルゥフ」
しかし、怪物は鼻息を漏らすと、クローゼットから興味を外して、くるりと背を翻した。
遠ざかっていく怪物の背中を眺めながら、小桃はゆっくりと口元から手を離した。
静かに止めていた呼吸を再開させ、慎重に扉から顔を離す。
──ゴト。
大きな局面を乗り越えてほんの一瞬気が緩んだ。その瞬間、小桃の足が段ボール箱を蹴り、その上に置いていたオルゴールが床に転がった。
オルゴールの蓋が開き、甲高い音楽が再生される。
「──」
小桃が嫌な予感を感じて即座に頭を押さえて屈みこむ。
直後、彼女の頭上をなにかが勢いよく通り過ぎた。
クローゼットが破壊され、中に押し込められていたものが飛び散る。
「きゃあ!」
「ブラァウ!!」
小桃の悲鳴と怪物の叫び声が重なる。
先程の衝撃でクローゼットから押し出された小桃は怪物の足元で起き上がった。
怪物は閉ざされた視界で小桃を見つめると、クローゼットを破壊するために使用した武器を壁から引っこ抜く。
怪物が肩に担いだのは小桃の伸長よりも大きな斧だ。刃の部分が血を吸い込ませたような赤黒い色をしている。
その斧が窓から差し込む月光でおどろおどろしく輝く。
「ブルフ……」
怪物が身を低くして、斧を肩に担ぐ。
狙いはもちろんかよわい少女。
「助けて……ベニくん!」
「ブラウ──」
小桃が涙を流した次の瞬間──怪物が目にもとまらぬ速さで斧を振り下ろした。
床が抜けないことが不思議なくらいの衝撃がマンション全体を大きく揺らす。
人が食らえばまず間違いなく肉片も残らないような強烈な一撃だった。
「ブラゥ……」
揺れが収まるころに怪物が大斧を持ち上げる。
もちろん、そこに小桃の姿はない。
あるのは彼女の身から飛び散った血の海──でもなく。
そこにはただ、小さなクレータだけがあった。
「悪いな、小桃ちゃん。コウの代わりに俺が来ちまって」
不意に、怪物の隣から声が響く。
怪物が驚いて声のしたほうを見ると、全壊したクローゼットの前に少女を抱えた壮年の男がひとり立っていた。
「おじさん……!」
知らず知らずのうちに抱き上げられていた小桃は、それが白郎であることに気が付き涙を流す。
震える指でしがみつく小桃に笑いかけた白郎は、彼女をそっと床に下ろす。
「小桃ちゃん、無事かい?」
「はい……! はい!」
「そうか、よく頑張ったな」
白郎がぽんと小桃の頭に手を載せる。
続いて、その手が肩へ移り、白郎の声音が低く変わる。
「頑張ったついでに、もうひと踏ん張りいけるか?」
「え……?」
「いいか、次に俺が合図を出したら、全力でこの部屋から出るんだ。そして、そのまま六階に下りてくれ」
「おじさんはどうするつもりですか?」
「俺はこの化け物を引き付けてる。そんで余裕があったら脱出するさ」
「それじゃあ──」
捨て身で小桃を逃がそうとする白郎に小桃が苦言を述べようとする。
だが、彼女がなにかをいうよりも先に白郎が小桃を突き飛ばした。
直後、先程まで小桃が立っていた場所に怪物の大斧が落ちる。
「今だ! 行け!!」
「……ッ」
小桃を突き飛ばした後に斧を回避した白郎が土煙の向こう側で叫ぶ。
小桃は一瞬葛藤してみたが、自分に出来ることはないことを理解し、扉へ向けて駆け出した。
「ブモオオオオオオオオオオ!!」
背中側から怪物の怒りに満ちた咆哮が聞こえる。
恐怖で足が竦みそうになるのを必死で堪え、小桃は家の外に飛び出した。
いつもの癖でエレベータのほうへ向かおうとして、手前の地面に転がる赤黒い物体を見て怯む。
こみ上げてきた吐き気と、溢れる涙を飲み込んで、小桃はあらゆるものに背を向けて階段のほうへ走り出した。
背後で大きな音がする。
しかし、振り返らない。
そうして、階段の前までやってきた小桃は階段を転がり落ちるように下り、踊り場を回り、また転がり落ち──そして、六階の地面を踏みしめた。
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