014号室 第二次更新
地上に戻り、紅介は自宅へと帰還した。白郎はもう一度住人の説得に行くと言い、上階へ上がっていった。
「ただいま」
「あ、おかえり~。どうだった?」
「まあ、いい加減驚くのにも慣れたって感じかな」
「?」
紅介の若干的から外れた回答に小桃が小さく首を傾げる。
紅介は壁にかけられた時計を見て、キッチンに向かう。
「晩御飯、食べたいものがあったら言えよ。作れる範囲で作ってやる」
「じゃあハンバーグ! ──はこのあいだ食べたから……オムライスで!」
「……子供舌」
「なにか?」
小桃のリクエストに紅介がぼそりと呟く。
すると耳ざとい小桃は眉間にしわを寄せて紅介を睨みつけた。
紅介は口笛を吹いて冷蔵庫を漁る。
「そういえば小桃。お前ずいぶん大荷物だけどウチに何泊するつもりなんだ?」
「そりゃあ私の家の安全が確認されるまでだよ」
「はあ!? じゃあもし一生事件が解決しなかったらどうすんだよ?」
「もちろん一生ここに泊めてもらうね。そのときはベニくんが私を養うんだよ」
「ぜってーイヤだ」
冷蔵庫から調理に必要な材料を一通り出した紅介が小桃に向けて舌を出す。
すると、小桃は悔しそうに「えー」と嘆いていたが、どこか憑き物が落ちたような顔を見せた。
気丈に振舞っているように見せて内心では怯えていたのだろう。
紅介との冗談めいた会話が彼女の心に僅かながらも安らぎを与えた。そう考えると、不思議と紅介の体からも硬さのようなものが抜けていく。
皆、知らず知らずのうちに恐怖や緊張といった負の感情を抱え込んでいるものだ。それは紅介とて例外ではなかった。
「さてと、親父が返ってくる前に終わらせるか」
「私も手伝うよ。私、ケチャップで猫とか描くの得意なんだ」
「じゃあ、それは小桃に任せた」
キッチンにやってきて謎の特技を自慢する小桃。
紅介は小さく笑って彼女に仕事を任せると、料理を開始した。
▼
「……お風呂あがったよ」
「お、おう……」
晩御飯を食べ終え、部屋のベッドの上でくつろいでいた紅介のもとに小桃がやってくる。
風呂上がりであるため、髪はしっとりと濡れていて、頬が僅かに上気していた。
普段見ない級友の姿に紅介はドギマギした。
「よしっ」
小桃はしばらく扉の近くで髪を指に巻いたりしていると、意を決した様子で紅介のほうに近づく。
そして、彼女は紅介の隣──すなわちベッドの淵に腰を下ろした。
「な、なんか近くね……?」
顔を赤くした紅介が尋ねる。
「そんなこと、ないと、思う……けど……」
同じく顔を赤くした小桃がしどろもどろに答えた。
彼女は答えながら紅介のほうへ一歩近づく。ちょんと肩と肩が触れ合った。
「──っ」
紅介がびっくりして小桃のほうを見ると、すぐそばに小桃の小さな顔があった。彼女の黒い瞳が紅介をじっと映している。
「ベニくん……」
小桃の瞳がすっと閉じる。代わりに柔らかそうな桃色の唇が薄く開いた。
紅介の心臓がドクンと一度大きく跳ね上がり、以降素早く打ち続ける。
「小桃……」
紅介の手が小桃の頬に触れる。
緊張しているのか小桃の体が僅かに震えた。それでも小桃は閉じた目を開かない。
紅介が小桃に顔を近づける。
そして──
「ていっ!」
「あたぁッ!」
紅介のデコピンが小桃の額を打った。
赤くなった額を擦りながら、涙目になった小桃が紅介を睨む。
「信じらんない! なんでデコピンなの? 今のは普通キスする場面でしょ?」
「なんで俺がお前にキスしなきゃなんねーんだよ。だいたいキスなんて結婚前の男女がするもんじゃねー」
「うわっ、その恋愛観はちょっと引くかも」
「なんでだよ!」
紅介の小学生レベルの恋愛観にじと目を向ける小桃。
彼女の鋭い発言に紅介は涙を浮かべて叫んだ。
紅介がコホンと咳ばらいをして、徐に立ち上がる。
「なあ、お前ビビってるだろ」
「え?」
突然の紅介の言葉に小桃が首を傾げる。
紅介は構わずに話を続けた。
「これからなにが起こるか分かんなくて、マンションや俺たち住人がどうなるか分かんなくて怖いんだろ。だからお前は恋愛を身代わりにして怖いって感情から目を背けようとしたんだ」
「違う! 私は本当に——」
「——だったら! だったらなんでお前の手はそんなに震えてるんだよ」
「へ……?」
小桃が自分の手を見下ろすと、紅介の指摘どおり震えていた。手だけではない。肩も足も、全身が震えている。
小桃は困惑して震えを押し込めようとしていたが、最終的には目から涙が零れ落ちた。
「俺は恋愛ってのがよく分かんねーけど、キスってのは幸せなときにするもんじゃねーの。少なくとも全身を震わせて涙を流しながらするものじゃないってことは分かるよ」
紅介はそういうと小桃の隣に座り直し、彼女の肩に手を回した。胸を貸すように彼女を自分のほうに抱き寄せる。
すると、小桃は紅介の服を掴んでため込んでいた感情を吐き出すように泣きじゃくった。
「ベニくん……ありがとう」
しばらくの間紅介の胸にしがみついていた小桃は瞼を腫らして紅介から離れた。
「もういいのか?」
「うん。だいぶ落ち着いた。それと、さっきはごめんね。私、なんかおかしくなっちゃって。それで……」
「いや、いいよ。仕様がねーことだと思う。正直言うと俺もだいぶ気を張り詰めてたからお前のおかげでいい具合にほぐれたしな」
「それって私の泣いてる姿見て癒されてたってことかなあ?」
「バカ、んなわけねーだろ」
むっと膨れる小桃に苦笑する紅介。
それから、冗談が言えるくらいに回復した小桃を見て安堵した紅介はすっくと立ちあがる。
「どうやらもう平気みたいだし、俺はリビングにでも行くよ。小桃は今日この部屋で寝ていいから。それじゃ——」
「待って!」
紅介が部屋から出ていこうとすると、小桃が紅介の裾を掴んで引き留めた。
紅介が立ち止まって首を傾げると小桃は顔を赤くして慌てる。
「え、えっと……ほら! 私まだ怖くて、震えも収まってないし……せめて日付が変わるまで一緒にいてくれないかな?」
小桃が裾を掴むのとは反対の手を出して見せる。確かに指先が僅かに震えていた。
紅介は少し悩むようなそぶりを見せたが、なにかを諦めた様子で肩の力を抜いた。
「分かったよ」
「~~~~!」
紅介が再びベッドの淵に座ると、小桃が満面の笑みを浮かべた。
それからしばらくふたりは他愛ない雑談に花を咲かせた。
そうはいっても話をするのは小桃ばかりで紅介は相槌を打つばかりだ。もっともこれは紅介なりの配慮である。今の紅介の脳内はマンションで起きた数々の異変で満たされている。故に話の内容もそっち方面に寄っていってしまうことは容易に想像できた。
しかし、その話題は小桃を不安にさせてしまう。だから紅介は聞き手に回っていた。
「……それでね……帰り道にね……公園で……子猫が…………」
話を初めて一時間ほど経ったころ、小桃はうつらうつらと船を漕ぎ始めた。
そこから十分ほど睡魔と格闘していたがついに眠りについてしまった。
現在時刻二十三時四十五分。カウントダウンが終わるまで残り十五分のときである。
「ったく、せめて日付が変わるまでは起きてろよな」
ベッドに横になって小さな寝息を零す小桃を見ながら紅介がごちる。
彼は小桃の顔を見つめると、無意識のうちに彼女の唇を眺めていた。
ハッとして、視線を逸らす。
「くそ、小桃が変なこと言うから……」
紅介は顔のほとぼりが冷めるのを待ってもう一度小桃の顔を見つめる。
安心しきった無防備な寝顔。
紅介はくすりと笑うと、彼女の耳にかかる髪をそっと払う。そして、耳に顔を近づけた。
「キスはまだ出来ねーけど。お前は俺が絶対に守ってやるからな」
「……」
紅介が小さな声で囁くと、小桃がごろんと寝返りを打った。
紅介は一瞬、小桃が起きていて今の恥ずかしい台詞を聞かれたのかと身構えたが、小桃が起き上がる気配はない。
紅介がほっと安堵の息を吐く。
「さて……どうなることやら」
紅介が険しい表情でスマホを睨みつける。
液晶に映っているのはデジタルな時計。数字は【23:59】。日付が変わるまで残り一分。
いや、正確にはすでに一分を切っている。
デジタルな時計では秒数までは表示されない。故に紅介はいつのタイミングで数字が変わるかドキドキしながら画面を眺めていた。
「変わった——」
刹那、なんの前触れもなく時計が【00:00】に変化する。
同時、大きな揺れが紅介を襲った。
「地震……!?」
紅介が揺れに耐えながら棚などが倒れないように注意する。
だが、揺れは一瞬で収まり、しんとした静けさだけが残された。
「今のはいったい……」
とても短い地震が自然現象なのかマンションの新たな異変なのか判断しかねた紅介は後ろを振り返った。
直後、紅介の全身が硬直する。
「小桃……?」
硬直した紅介の口から微かに息が漏れる。
紅介の背後にはベッドがあり、そこには小桃が寝ていた。
だが、紅介が振り返ってみると、そこには空のベッドだけが置いてあった。
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