新しい友達 肆
最初に来たのは、とある女性アナウンサーが人気を誇る朝のニュース番組だった。五十嵐家で毎日見ていた番組でもあったため、カメラが教室に入っただけでそわそわが止まらなくなる。
お母さん見てるかな、とちょっとだけ期待しながら、私は号令に合わせて席を立った。
◇
いつも通りの授業を終えると、私たちはそれぞれ指定されていた施設へ向かうことになった。
プロジェクト説明会の時から分かっていたことだが、この学園はかなり広い。
校舎は異なるものの、初等部と中等部もあり、噂によると体育館とかグラウンドとかが三つほどあるらしい。それぞれ中等部専用、高等部専用などと決まっているそうだ。
テレビ局が撮影準備をしている間、私は教室の後ろに貼られている学校案内図で図書室を探していた。現地集合だと言われたので、一応場所を把握しておこうと思ったのだ。
どこら辺かな、と目を走らせていた時、不意に背後から声をかけられた。
「ねえねえ」
少し低い、女の子の声だった。
「あ、はい……」
咄嗟に振り返った瞬間、私はうわ、と声をあげた。ほとんど無意識だった。
――声の主と思われるその子は、私の頭一つ分背が高かった。
胸元まである胡桃色の髪に、すらりと長い手足。瞳はすごく大きくて、それを縁取る睫毛も長い。
癒し系の雛奈ちゃんや、元気系の兎田ちゃんとはまた違った系統の子だ。美人系といったところだろうか。
こりゃモテるな、と直感的に確信した時、女の子が微笑みながら口を開いた。
「君さ、響の後ろにいる子だよね」
「……響?」
突然投げかけられた言葉に、私はきょとんと首をかしげた。響って誰のことだろう。そして後ろにいる子、とは?
そう私が戸惑っていると、それを察したらしい女の子はごめん、と謝ってきた。
「言葉足りんかったね。安堂響って言ったら分かる? ハーフアップの女の子。君の前の席にいる子なんだけど……」
「……あっ」
聞き覚えのある名前に、私はわずかに目を見開いた。人の好き嫌いが激しい、あの女の子だと分かったからだ。
安堂さんって、下の名前響だったんだ。ほとんど話すことがなかったから全然分からなかった。
そう納得したと同時に、ふと目の前に立つ彼女の正体にも思い当たった。
「……もしかして、一番前の席に座ってる人?」
初回の授業について、倉木先生と盛り上がっていた女の子。そして、安堂さんと唯一仲が良い子だ。
真正面から見たことがなかったから気づかなかったけれど、今思えば声が同じだった。なんで分からなかったんだろう、とちょっとだけ悔しくなる。
女の子は驚いたように目を見張ると、すぐに「正解!」と言って笑った。
「今から行く場所同じだったから、つい声かけちゃった。ね、良ければ一緒に行かない?」
「……えっ、あ、うん。どうぞ」
一気に流れてきた情報量に驚きつつもなんとかうなずけば、女の子はありがとー、と安心したような表情を浮かべた。
「じゃあもう行こっか。私方向音痴だからすぐ迷子になるんだよねー」
二人並んで廊下に出ながら、女の子が間延びした口調でそう言う。歩く速度も少しだけゆっくりだったから、性格ものんびりしているんだろうな、となんとなく思った。
「あ。そういえば、私名前言ってなかったよね」
「……たしかに。私も忘れてた」
ハイスピードで教室を出てしまったので、重要な行程をいつの間にかすっ飛ばしてしまっていた。
女の子はだよね、と再び笑って、それから軽い自己紹介をしてくれた。
「どうも、詩央里です。苗字は古賀ね。よろしくー」
「五十嵐茉桜です。よろしくね、詩央里ちゃん」
私も名前を名乗ると、女の子――詩央里ちゃんは「マオちゃんね」と私の名前を反芻した。
「いい名前だね」
「詩央里ちゃんも、名前可愛いと思うよ」
そうお互いに言い合えば、すぐに詩央里ちゃんが「見る目あんね、君」とおどけた調子で笑う。倉木先生との会話で分かっていたけれど、結構ノリが良い性格のようだ。
――こうして、私に愉快な友達第三号が誕生した。
◇
目的地である図書室は、高等部の教室がある三棟の隣、特別棟と呼ばれる校舎の二階にあった。
在籍中の生徒全員が使用するだけあって、本の数は普通の図書室とは桁が違う。入り口から見える分だけでも、図書館と見まがうほどの冊数だ。
広さと高さも普通ではないそこには、どうやらテラス席というものがあるらしい。外の空気を味わいながら、同時に読書も出来るのだそうだ。
床は柔らかな印象を与える木目調。壁は全面白塗りで、所々に絵が飾られていた。
「それでは撮影に入りますので、準備の方よろしくお願いしまーす」
カメラマンとともに図書室へ入ってきたスタッフさんが、バインダー片手にそう指示を出す。
私や他の生徒たち――私と同じエキストラだろう――は各々返事をすると、部屋の至るところに散り始めた。
「とりあえず本持って、どっかの机に座ろうか」
詩央里ちゃんの提案に、私はそうだね、とうなずく。
それから一旦解散して、少し時間を置いた後、それぞれ本を一冊持った状態で再び集合した。
「マオちゃんは何選んだの?」
近くにあった椅子を引きながら、詩央里ちゃんがそう尋ねてくる。
その対面に座った私は、手に持っていた本の表紙を詩央里ちゃんに見せた。
「これだよ。詩央里ちゃん知ってる?」
鮮やかな夏の空と海、そしてこちらに向かって微笑んでいる制服姿の女の子が描かれたそれは、少し前に大賞を受賞したと話題になった小説だ。
性格も境遇も全く違う四人の高校生の物語で、ラストはものすごく感動するんだとか。前から読みたいと思っていたので、なんとなく持ってきてしまった。
「知ってるよー。最近話題になってたやつだよね」
私それ持ってるよ、と詩央里ちゃんが言って笑った。
「そういえばさ、マオちゃんって本読むの好き?」
「……急だね」
唐突に投げかけられた質問にびっくりしながらそう言えば、詩央里ちゃんは頬杖をついてゆっくりと口を開いた。
「うん。前カバーついてる本読んでたの見かけたから、好きなのかなって」
「あー……なるほど」
おそらくそれは、休み時間の時のことを言っているのだろう。
たしかに私は暇になると、いつも本を開いていた。適当にページをめくっていたので、本の内容は全く分からなかったが。
そしてたまたまそれを目撃した詩央里ちゃんが、私が読書好きなのだと勘違いしたらしい。
決して私が悪いわけではないけれど、なんとなく申し訳ないな、と思った。まじで私何もしてないけど。
「まあ嫌いではないかな。それで、詩央里ちゃんは何を持ってきたの?」
だから私は、話題を変えて強制的に話を終了させた。ちょっとわざとらしい感じだったかもしれないが、掘り返したくはないので無視を決め込むことにする。
「うちはこれ持ってきたー」
詩央里ちゃんは私の話題逸らしを特に気にする様子もなく、緩い笑みを浮かべながら本のタイトルを教えてくれた。
気を遣ってくれたのか、はたまた気づいていないのか。真実は定かではないが、とりあえず突っ込まれなくてよかった。
私はほっと胸を撫で下ろして、詩央里ちゃんの手の中にあるそれに目をやった。
「えーっと…………待って、これなんて読むの?」
「『夜叉ケ池』だよー。泉鏡花の作品だね」
「やしゃ……ごめんちょっと分からない」
達筆な文字で書かれた題名は、読み方を教えてもらってもよく分からなかった。私は眉間にぎゅっと皺を寄せて、ヤシャなんとかという本を見つめる。
表紙がシンプルな真っ白いものだったから、古い本なのだろうということはなんとか理解出来た。それでも得られる情報は少なくて、やっぱり私は首をひねってしまう。
詩央里ちゃんって、普段からこういうの読んでるのかな。だとしたらめちゃくちゃ頭良いってことだよね……。
「すごいね、詩央里ちゃん。昔の本とかよく読むの?」
感心しながらそう尋ねれば、詩央里ちゃんは目を瞬かせた後、きょとんとした表情で首を横に振った。
「いや、全然」
「……はい?」
今度は私が目を瞬かせる番だった。
「だって、こんな難しい本読める訳ないじゃん。私『走れメロス』しか読んだことないよ」
いやそれ中学で習うやつなのでは……とは言わないでおく。
「……じゃあ、なんでそれを選んだの?」
「こういうの読んどけば、頭良さそうに見えるかなーって」
「……なるほど」
前言撤回。この人、賢いんじゃなくてちょっと、いやかなり変な人だ。
「まあでも、本を読むのは好きだよ。ジャンルは偏っちゃうけどね」
ぱらぱらと本をめくりながら、詩央里ちゃんがふと笑った。
「……そっか。うん、いいと思うよ」
詩央里ちゃんの宝石のような瞳が、本当に好きなものを見ている時みたいに、キラキラと輝いている。
それはまるで、一番星を見ているような感覚だった。見ているこちらが眩んでしまうような、燦然たる光だ。
だから私もつられて笑みを浮かべ、そうして手もとの本に目を落とした。
――羨ましい、なんて言葉を、胸の奥に押し留めながら。