新しい友達 弐
「はーい、じゃあそろそろチャイム鳴るんで、片付け始めてねー」
三時間目は数学で、簡単に見えるけど結構頭を使うパズルゲームを、チーム対抗で行っていた。
倉木先生が手を叩きながらそう言えば、クラスメイトはそれぞれ机上にある整ったパズルをばらしていく。
私も完璧に揃ったピースを取り上げて、どんどん袋の中へ入れていった。すると市ノ瀬さんが手伝ってくれて、私は「ありがとう」と片付けながらお礼を言った。
「挨拶したら昼休みだからねー。みんなご飯食べて回復してくださーい」
この学園の時間割はかなり特殊で、三時間目と四時間目の間に昼休みが入っている。ここで昼食をとって、残りの三時間にのぞむのだ。
ちょうどお腹が空く時間帯だったし、食堂のメニューはどれも豪華で美味しいので、私はこの時間が結構好きだった。
「気をつけ。ありがとうございました」
「ありがとうございましたー」
号令に頭を下げて、三時間目が終わる。
倉木先生が教室を出ていくのを見届けると、私は一つ息を吐いた。
さて、これからどうしようか。もちろん昼ごはんは食べるけれど、その前に一つ問題がある。
昼食を誰と食べるのか、ということだ。
クラス内では、着々とグループが形成されつつあった。ほとんどは席が近い人同士で仲良くしているみたいだが、中には小学校や中学校が同じだった人もいるようだ。
たしかに、座席というのは今後の交遊関係に大きな影響をもたらす。男女が列ごとに分けられなくなったこともあり、最初の席は特に重要になるのだ。
しかし、私の周りには曲者が勢揃いしている。このままでは三学期までぼっちコースだろう。
それを防ぐためには、まだ出来たばかりのグループに属するか、単独行動をしている人に私から話しかけるしかない。けれど自分の性格上、そのどちらも不可能に近かった。
これは本当にやばいかもしれない。どう頑張っても、私に友達が出来る未来が見えないのだ。
そこまで考えて、今日もひとりで昼食かと気落ちした、その時だった。
「――茉桜ちゃん、だっけ」
穏やかな、そして聞き覚えのある声に、私はゆっくりと顔を上げた。
「わたしのこと、覚えてるかな。説明会の時に少し話したんだけど……」
淡いベージュの髪色に、見た者すべてを癒す暖かい笑顔。背は私より頭二つ分くらい高くて、多分百六十五センチはある。
和やかな雰囲気をまとった彼女に見下ろされた時、私は一瞬女神が舞い降りたのかと思った。
が、すぐに「あっ!」と声をあげた。彼女の正体に思い当たったのだ。
髪型が変わっていて気づかなかったけれど、説明会の帰りにハンカチを拾ってくれて、さらに「またね」と言ってくれた、あの女の子だ。
「えっ、ほんとに? ていうか同級生だったの!?」
突然すぎる再会に驚きが隠せず、大きな声でそう叫んでしまう。
そんな私を見た彼女は、笑みを絶やすことなくうなずいた。
「よかった、覚えてくれてて。忘れられてたらどうしようって思ってたから」
忘れるわけがない。だって、あの時かけられた彼女の言葉で、私は千両学園への入学を決めたのだ。
「覚えてるよ、ちゃんと」
むしろ、また会って話したいなって思っていた。もし話すタイミングがあれば、ちゃんと「ありがとう」って言いたかったから。
「……そっか。嬉しいな」
彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべて、それから申し訳なさそうに苦笑した。
「遅くなっちゃってごめんね。ほんとは入学式の時に話しかければよかったのに、緊張しちゃってて」
「全然大丈夫。気にしてないよ」
私は首を横に振った。
謝らなければならないのは私の方だ。感謝しているはずの相手にすら気づけないなんて、情けないにもほどがある。
「こちらこそ、気づけなくてごめん。……私でよければ、ぜひ仲良くしてください」
そうやって私が頭を下げると、彼女は屈託のない笑顔を向けてくれた。
「もちろん。よろしくね、茉桜ちゃん」
◇
「あの、昼ごはん一緒に食べてもいい?」
自己紹介を終えた後、今にも鳴りそうなお腹をさすりながらそう尋ねれば、彼女――辻本雛奈ちゃんは二つ返事で了承してくれた。
「じゃあ早速食堂に……」
「あ、ちょっと待って」
私の言葉を遮った雛奈ちゃんは、出入り口の方へ振り返った。
「柚希」
誰かの名前を呼び、小さく手招きする。
なんだろうと思ってそちらに目をやると、ちょうどひとりの女の子が駆け寄ってくるところだった。彼女が柚希さんのようだ。
頭上近くで結ばれた焦げ茶色の癖っ毛が、動く度ふわふわと揺れている。ジャケットは着ておらず、捲られたブラウスから羨ましいくらいほっそりとした腕が伸びていた。
「どしたん?」
そう言いながら立ち止まった彼女は、雛奈ちゃんと私を見比べて、それから不思議そうに首をかしげた。初対面の私が気になるらしい。
一方、私はその背丈にびっくりしていた。柚希さんの顔が、雛奈ちゃんよりさらに上にあったからだ。
百六十センチ越えが二人も揃うなんて、神による私への当てつけとしか思えなかった。私は百五十ぎりぎりぐらいなのに、この差は一体なんなんだ。
「ほら、この前話した子だよ。茉桜ちゃんって名前ね」
雛奈ちゃんの声に、はっと我に返る。
慌てて顔を上げれば、柚希さんの丸くて大きな目と視線が交わった。
「あー、説明会で会ったって人か!」
「そうそう」
私の知らないところで話題になっていたらしいことに、ちょっとだけ照れくさくなる。誰かの話に自分の名前が上がるって、なんか変な気持ちだ。
「で、こっちは柚希。わたしの一個後ろの席に座ってるよ」
「どうもー! 兎田柚希でーす」
ダブルピースをしながら、柚希さんがにっこりと笑う。こちらは明朗快活を表したような人柄で、きっと面白い子なんだろうな、と笑い返しながら思った。
「ね、二人がよければだけど、この三人で昼ごはん食べようよ。もっと色々話したいし」
雛奈ちゃんがそう提案した。教室には、もう私たちしか残っていない。
「うちはいいよ!」
柚希さんが右手で丸をつくる。私も特に異論はなかったので、「ぜひ」とうなずいた。
◇
――という経緯があり、結果私は一日に二人も友達をつくることに成功したのだ。
最初はどうなることかと思ったが、とりあえずなんとかなって良かった。
「……そういえば、来週から『専攻授業』が始まるけど、二人は準備とかした?」
ふと、雛奈ちゃんがそう言った。
「専攻授業?」
聞き覚えのない言葉に、私と柚希さん――もとい兎田ちゃんは顔を見合わせた。
そんな話、私は誰からも聞いていない。大層な名前がつけられているけど、それもカリキュラムの一つなのだろうか。
「それどんな授業? 自分の好きな科目が受けれるとか、そういうやつ?」
兎田ちゃんが聞き返すと、雛奈ちゃんは首を横に振った。
「好きな科目じゃなくて、得意な科目を受けるんだよ。後ろの掲示板に貼ってあったじゃん」
「え、そうだっけ?」
見てないわーと呟いた兎田ちゃんに、雛奈ちゃんが思わず、といったふうに苦笑した。
「これもプロジェクトの一つなんだって。わたしも詳しいことは分からないけど、普通の高校で受けれるような授業ではないみたい」
しかも、誰がどの科目を受けるのか、そもそもなんの科目があるのかすら明らかにされていないらしい。お楽しみは最後まで取っておく、とはまさにこのことだ。
「そっかー。まあ、そう言われればそうかもね」
やけに落ち着いている兎田ちゃんに、私は「どういうこと?」と尋ねた。今日知り合ったばかりの仲だけど、こういう場面ではもっと驚く人だと思っていたからだ。
すると、兎田ちゃんは周りに目を走らせながらあっけらかんと答えた。
「だって、ここに集められてるのってなんかの才能がある人たちなんでしょ? 芸能人もいるっぽいし!」
「……なるほど。え、でも待って。芸能人いるの?」
本日二度目の衝撃の事実だった。アイドルとか俳優とか、そういう人たちがこの学校にいるってこと?
「全員の名前は分からないけどねー。ほら、あっちにいる男子とか」
兎田ちゃんが指し示した方を見ると、茶髪の男の子の後ろ姿があった。どうやら髪を染めているようで、頭の頂上付近が黒色に戻りかけているのが分かる。
そして彼の対面には、整った顔立ちの男の子が座っていた。こちらの髪は雪のように真っ白だ。
そのどこか見覚えのある髪色の組み合わせに、私はしばらく考えた後、「もしかして」と声をあげた。
「あの二人って、『シリウスの恋』に出てる?」
私が上げたのは、以前結依ちゃんと見に行く約束をしていた映画のタイトルだった。たしか双子キャラの片割れが主人公のクラスメイトで、もう片方の子と一緒に主人公へ恋のアドバイスをしていたはずだ。
そう言うと、唐揚げをごくん、と飲み込んだ兎田ちゃんが笑った。
「そうそう! 超人気俳優の姫宮兄弟だよー」
トークも上手くて演技も一流。さらにイケメンともなれば、人気にならないわけがない。今回の映画でも、ハマり役だと話題になっていた。
「ええ……やばすぎでしょ、この学校」
芸能人ですら呼べるこのプロジェクトは、やっぱり国ぐるみで始動されるだけある。
そして、そんな計画に参加してしまった私も、大概やばいなと思った。
「でさ、茉桜っち。もうお腹いっぱいになった?」
「……一応言うけどあげないよ。唐揚げ」
さっと箸で最後の一つを取り上げれば、兎田ちゃんは不貞腐れたような表情を浮かべた。彼女のお皿には、もう何も残っていない。
それがなんだか無性に面白くて、私と雛奈ちゃんは顔を見合わせた後、思い切り吹き出してしまった。