序章 参
電車を乗り継いでやって来たのは、以前ニュースで見たことのある千両学園だった。
丘の上にあるそれは白塗りの大きな校舎がいくつも連なっていて、広大な中庭には噴水が設置してある。
グラウンドは全面芝生で、太陽の光に照らされた鮮やかな緑が一際映えていた。
「……お嬢様学校みたい」
説明会が行われる大講堂へ向かいながら、私はぽつり、と呟いた。豪華絢爛という言葉が似合うこの場所に、なんだかいたたまれなくなる。
「ね。学費とかすごそう」
そんな私とは対照的に、お母さんはとても楽しそうな表情を浮かべていた。
「怖くないの? お母さんは」
私がそう尋ねると、返ってきたのは朗らかな笑い声だった。
「別に? 外国に来たみたいで面白いじゃない」
「……さいですか」
好奇心が強くておっとりしているお母さんは、物怖じというものをまるで知らない。なんでも『面白い』と言うのだから、臆病な私はいつもついて行くのに精一杯だ。
◇
校内地図を見ながらたどり着いた大講堂には、既に多くの親子が集まっていた。
ほとんどの子はセーラー服か学ランだったが、中には私立とおぼしきブレザーを着ている人もいる。
「いろんな学校から集めたのかな」
きょろきょろと周囲を見回しながら、お母さんがそう言った。
私が知っている制服の子はほとんどいない。もちろん、私と同じ制服を着ている人も見つからなかった。
「ほんとに何が始まるんだろう……」
これから行われる説明会におののきつつ、手紙で指定されていた席に座った時。
パッと照明がすべて落とされ、舞台の中央部分にスポットライトが当てられた。幕が下ろされているそこには、まだ誰もいない。
「――本日は我が千両学園にお越しいただき、誠にありがとうございます」
かろやかな男性の声が聞こえたかと思うと、舞台袖からひとりの青年が姿を現した。
少し長めの茶髪に、黒くて大きな双眸。すらりと伸びた身体は遠目から見ても十分高くて、紺色のスーツがすごく馴染んでいる。歩き方すら丁寧で、偉い人か何かなのかな、と私はなんとなく思った。
青年はスポットライトが照らされた場所まで来ると、私たちに向かって笑いかけた。その整った顔立ちを見て、思わず「イケメンだ」と呟いてしまう。
「今日の司会を担当させていただく、倉木と申します。わずかな時間ではありますが、どうぞよろしくお願いします」
ぺこり、と綺麗なお辞儀をした彼……倉木さんは、再び人好きのする笑みを浮かべた。
不思議な人だな、と思った。どこか浮世離れした雰囲気を纏っていて、なのになぜか惹き付けられる。
それは彼のよく響く声のせいなのか、はたまたその柔らかい笑顔のせいなのか。よく分からなかったけれど、妙に落ち着くたたずまいだった。
「今日ここにお集まりいただいたのは、僕たち千両学園と文部科学省が選抜した、中学一年生から三年生までの男女およそ二百名です」
ざわり、と観客席が騒がしくなった。私とお母さんは何も言わなかったけれど、心臓は痛いくらいに高鳴っている。
「千両学園の生徒になる皆さんには、僕たちが企画した『ギフテッド・プロジェクト』に参加してもらい、数々の高度育成カリキュラムを受けていただきます」
手紙の通りに説明した倉木さんは、少し間をあけてから、再び話し始めた。
「当プロジェクトの目的は、日本経済の発展と世界へのアピール……そして『才能』の開花です。様々な事情で十分な教育を受けられない子どもたちのために、能力に応じた指導を可能にします」
倉木さんの瞳が私たちを捉える。魅惑的で恐ろしいそれは、この場にいる全員の心をしっかりと掴んで離さない。
「『ギフテッド・プロジェクト』は日本初の試みであり、今後どう転ぶかは我々でも予測出来ません」
しかし、と倉木さんはマイクを強く握りしめ、私たちに訴えるかのように断言した。
「僕たち千両学園や国家は、皆さんの夢を叶えるために尽力します。――理想の自分に、なってみたいとは思いませんか?」
その言葉に、私はすべてを持っていかれた。
理想の自分。なりたい姿。ずっと憧れていた夢。おとぎ話に似たそれらは、今の私にないものだ。
未来のことも、自分自身のことも。不確実性しかないことを考えるのは、好きじゃなかった。
けれど、この学校でなら。
私は、変われるのかもしれない。
「……全体説明は以上になります。詳細はこの後に行う個別相談にてお話しさせていただきますので、しばらくお待ちください」
スポットライトが消え、ほとんど同時に照明が点く。
倉木さんが降壇すると、周りは一気に騒々しくなった。
「結構ざっくりした説明だったけど……茉桜はどうだった?」
そう言いながらこちらを振り返ったお母さんが、ぴしりと硬直した。
「……茉桜?」
おそるおそる、という風に呼び掛けられ、私はお母さんの方に顔を向ける。
今、私はどんな表情をしているのだろう。頭の中はすっきりとしていて、音がどこか遠いところから聞こえてくるような感覚だ。
でもそれだけでは、自分がどういう顔をしているのかは分からない。
分からないけど――。
「うん。めっちゃ面白そうだった」
少なくとも、心がわくわくしていることは確かだ。