幕間
「――予想以上の結果ですね」
職員室にて、学問専攻の総監督――仙石が、手もとのタブレットを見てそう言った。
窓の外からは生徒のかけ声や、楽器を演奏する音が聞こえる。日は淡いオレンジ色で、少しだけ西寄りに傾いていた。
「まさかここまでの能力があったとは。今年の一年は豊作ですね」
すると、対面にいた茶髪の青年――倉木は、後ろ手を組みながら仙石に向かってにっこりと笑った。
「ええ。頑張って全国制覇したかいがありましたよ」
すると仙石は、倉木の言葉に「ああ」と目を細めた。
「『自分の教え子は自分で見つけろ』でしたっけ。大変だったでしょうに」
「そうですね。でも楽しかったですよ」
倉木は口もとに手をあてて一つ笑うと、「それで」と脱線した話を戻した。
「仙石さんは、誰に興味がお有りで?」
「興味、ですか」
仙石が倉木の言葉を反芻する。はい、と倉木はうなずいた。
「僕が自力で見つけた教え子たちですから。みんなかなり優秀かと」
仙石は再びタブレットへ目を落とした。そこにはひとりの生徒の名前と、今日行った簡易テストの結果がパラメーターで出されている。
国語や数学などの基礎学力は、平均とほぼ同じくらいの数値に留まっていた。まあ、学問専攻の生徒は文字通り学力に秀でた人たちの集まりなので、仙石は特に気にすることもないと思っている。
それよりも注目すべきなのは、基礎学力とは別の能力――知能指数、すなわちIQの結果だ。
知能指数の平均はおよそ百くらいで、百十以上あれば一般的な『頭が良い人』に分類される。百二十まで行くと『かなり頭が良い人』で、百三十以上は『ギフテッド』と呼ばれていた。
学問専攻の平均は、百十を少し超えたあたり。やはり、ほとんどの生徒が全国平均以上の力を持っている。
その中でも特に群を抜いていたのが――仙石が今見ている結果の主、五十嵐茉桜だった。
彼女の知能指数の欄には、何も書かれていなかった。そこだけが真っ白で、奇妙なパラメーターが出来上がっているのだ。
それはつまり、測定出来ないほどの高い数値だということを意味している。
仙石は思わず眉をひそめた。
「今回の知能指数テストで測れる限界は百三十五です。それなのに測定不可能なんて……バグか何かでしょうか」
だが今回実施したテストは国がつくったものなのだ。よほどのことがない限り、故障が起きるわけがない。
であれば、やはり五十嵐茉桜は百三十六以上の値を叩き出したのだろうか。
「一度やり直した方が――」
「いえ。その必要はないと思いますよ」
仙石の言葉を、倉木の優しい、けれどはっきりとした声が遮った。
「五十嵐さんは間違いなく『ギフテッド』です。やり直す必要はありません」
倉木は爽やかな笑顔を仙石に向けた。
「……ですが、それでは基礎学力の結果の方がおかしくなってしまいますよ。一般的に知能指数が高ければ、比例するように学力も高くなるのですから」
一概にそうだとは言えないが、多くの『ギフテッド』は頭の回転が早く、物事を理解するまでの時間も短いので、普段のテストでも好成績を残す傾向がある。
けれど、五十嵐茉桜の結果にはそれが当てはまらない。知能指数は測定出来ないくらい高いのに、だ。
「それは既に原因が分かっています。あとは五十嵐さん自身の問題ですので」
倉木は平然とした顔でそう答えた。まるで首を突っ込むな、とでも言われているようだと、仙石は彼を見上げながら思った。
「……一応言いますけど、他の分野にも、不可解なところが多く見られているんですよ」
仙石はタブレット画面を左にスライドさせると、次に出てきた生徒のグラフを見た。
「スポーツ専攻では、女子は辻本さんと兎田さんが、それぞれハンドボール投げと五十メートル走で学年トップの成績を修めています」
続けて指を滑らせる。倉木はにこにこと笑みを浮かべながら、仙石の話を黙って聞いていた。
「男子は、猫屋敷くんと鬼多原くん、そして羽乃鳥くんが、各三種目で学年総合一位を獲得しています。羽乃鳥くんに至っては、すべての記録がトップクラスなんです」
「すごいですねえ」
倉木がのんびりとした口調でそう言った。まるで他人事のような感想である。
「……美術専攻には、何度も受賞経験のある天才・立花蒼空さんが在籍。コミュニケーション専攻には、大神グループの御曹司である令くんが在籍中です」
仙石はタブレットから視線を上げて、いまだに笑っている倉木をじっと見つめた。
「これだけの『才能』ある生徒が集まるのは、さすがに疑問を抱きます。いくらなんでも多すぎる」
もちろん、他のクラスにも同じくらいの『才能』を持つ生徒がたくさんいる。
だがA組は、その『才能』の数が、飛び抜けて多いのだ。
「学年一位、知能指数測定不可能。たしかにプロジェクトの意義には沿っていますが、少々出来すぎている気もします。倉木先生、あなたは一体何を……」
「――仙石先生」
びく、と仙石の身体が震えた。無意識だった。
……怖い。今目の前に立っているこの男が、ものすごく怖い。
倉木に名前を呼ばれただけなのに、仙石は背筋が凍りそうになるほどの恐怖に見舞われた。
「僕たちは教師で、生徒の幸せを何よりも重んじる使命があります」
かすかに青ざめた様子の仙石を見下ろしながら、倉木が笑う。
「だから僕は、その使命をまっとうするために、日々努力しているんです」
倉木は組んでいた手をほどくと、それを今度は胸にあてた。
「その努力が報われたんですよ、きっと」
ね、仙石先生。
倉木の目が、声が。硬直する仙石にそう同意を求めている。
だめだと思ったけれど、今の仙石には彼に物申せるほどの権力も実力もない。
だって彼は――。
「……分かりました。あなたがそう言うのなら、きっとそうなのでしょう」
仙石は若干諦めの心地で身を引いた。倉木はにっこりと笑って「ありがとうございます」と頭を下げる。
その隙の無い完璧な笑顔に、仙石は今にも倒れそうな身体になんとか力を入れて、小さくため息を零したのだった。