第1話「違和感」
「おい! 航基、もう転んで怪我すんなよ」
加賀良は友人に声をかけた。
ここは東京の都立高校の校庭。
部活を終えて、ユニフォームを担ぎ、良は航基の肩にポンと手を置いた。
自転車にまたがって航基はポカンとした。
「……? 何言ってんの? お前。オレ、どこも怪我なんてしてねーじゃん」
今度は良がポカンとした。
「この間、自転車で倒れて怪我しただろ。犬が飛び出してきて……」
「何のことだよ、オイ……」
航基は笑って
「からかうなよ……。オレ……バイトなんだ。またな」
と自転車を走らせて、行ってしまった。
良は挨拶がわりに手を上げながら「まただ……」と思った。
ここ2~3日位前から“何かがおかしい”
良は家まで足早に走って帰る。
帰り道、路線を走る電車も、あくびしている野良猫も、町の様子は少しも変わっていない……。
なのに、なぜか違和感を感じる。
良はモヤモヤする気持ちを抱えたまま、家へ帰ってきた。
「ただいま」スニーカーを脱ぎ、家へ上がると
「おかえり~」と母親の声が出迎えた。
手と顔を洗い、母親のいる台所へ行く。
美味そうな料理の香りが漂っている。
「今日、何?」
「うふふ~、楽しみにしててね。テレビで見て作っちゃったから、美味しいと良いけど」
「へぇ~、楽しみだな。母さん好きだよね、テレビでやってるの。カバン、置いてくるわ」
階段を上り、部屋へ入る。
良が、朝、出かけたままの部屋だ。
読みかけの本は机の上。
カーテンは半分開いている。
趣味で集めたフィギュアも、良の好みでレイアウトされている。
何もおかしくない。
友達も……学校も……町の様子も、母親も……
でも……何でだ? ここ3日前くらいからか、何かが引っかかる。
何……とは言えないのだけど。
僕が疲れてるのかな……一体……。
そんなことを考えていると、下から母親の声がした。
「出来たわよ~」
「今、行く~」
良は下りていき、夕食をとった。
母親の作った料理は美味しくて、満足した。
良は風呂に入り、サッパリし「宿題しなきゃ」と部屋へ上ってきた。
「フ~、さっぱり、さっぱり」
数学のテキストを出し、宿題に取りかかる。
数問解いたところで、窓の外に光るものを感じて、駆け寄った。
外を見ると、会社員らしい男性や女性、学生などが歩いており、空から一筋の光が射し込んでいる。
まぶしい程の光なのに、誰も気づいていない様で、素知らぬ顔で足早に歩いている。
「何だ? なぜ気づかないんだろう? 何かが起きている」
その光もすぐに消えてしまったが、違和感は消えず、何が変わってしまったのか。
その小さな断片でも見つけたくて、部屋のあちこちを探し回った。
本棚の本を次々引っ張り出していると、古い日記帳が落ちてきた。
良が小学生の頃に書いていたものだ。
僕の字だ……書いてある内容も覚えがある。だけど、この数字の6の字は僕の字じゃない……。こんな歪んだ6は書かない。別のページの6も、全部この歪んだ6だ。
それから、僕が書いたにしては句読点が多すぎる。こんなにやたらにつけるか……。
この書き方は僕ではない。やっぱり……。
そう気づいた時、グラリと大きく世界が揺れた気がした。
揺れたというよりは、歪んだ……だろうか。
しかし、その後も部屋の中は見た目には、何も変わらなかった。
その時、あの光が部屋の中に射し込んできた。
良はその光に吸い込まれる様に、飲み込まれた。
★ーーー★ーーー★
気づくと、ビルの屋上の上に立っていた。
星もまばらに見える東京の空で、下はビル群が立っている。
たくさんのビルには灯りがともっており、人もたくさんいるに違いない。
しかし、どこか無人的な寂しさのある場所だった。
良は何が何だか分からなかったが、とにかくこの状況を少しでも分かりたいと、周りを見渡した。
すると、屋上の先で座っている少年がいる。
「あっ!」
良は急いで駆け寄り、声をかけた。
「こんばんは」
少年はゆっくりとこちらを見た。
異様に色の白い子だ。
色素をほとんど持たぬ子が生まれることがあるが、この子もその類であろうか。
瞳もあまり色がない。
しかし、顔立ちは整った、とても美しい子である。
少年は「やあ。やっぱり君が来たんだ」と言った。
(……? 何を言ってるんだ? この子は……?)
良は、少年の言ってる意味が分からない。
「ここさ……君、気づいているんだよね」
少年は立ち上がると、屋上の周りを歩き始めた。
淵ギリギリでとても危ない。
踊る様に歩く少年。
良をからかう様に上から下まで見ている。
良は少しイラついて、言った。
「あのさ……言っている意味が分からないし……僕は突然ここに来たんだ。信じられないかもしれないけど」
足をピタリと止めると、手を差し出して少年は言った。
「信じるよ……生身で来た人間……といっても、僕もただの人間さ。突然来たって言ったね……。というかさ、3日前から君はすでにここにいたよ。でもさ……君だけだよ、僕の所まで来たのは。聞きたいだろ? 何が起きてるのか。ここはね“僕がつくった世界なんだ” 君の住んでた世界はもうない。僕の世界に飲み込まれてしまったからね。僕はね、昔から空間をつくり出し、そこに人を落とし込むことが出来たんだ。今回はそれが人から人に伝わって、世界をつくり出したわけ……。でも、引っかからないヤツもいるね。そして、君みたいにさ……僕の所まで来れるヤツ……」
「君はさ……」
良はあまりのことに、声がカラカラになりながら言った。
「君はさ……それでいいの? みんな……みんなはさ、どうなるんだよ。元に戻せよ」
少年は上を見上げて笑った。
「ねえ良、良だよね……。君の日記さ……そのまんま写しかえたつもりだったけど、よく気がついたね……ほんと」
良は少年を見て、少しゾッとした。
何も感じてないんだ、この少年……。
それでも良は食い下がった。
「おい、何とか戻せないのか」
少年は屋上の淵ギリギリを軽い足取りで歩き、言った。
「良……君がやってごらんよ。僕はどうでもいいんだし……。どうすればいいのか知らないし……。だけど多分、この世界が壊れないとダメかなぁ……。でも良が壊せるかなぁ……。あぁ、後、一つ……ここまで来れたのは良だけだけど、他にもさ、気づいている人間はいる。かなり少ないけど、探してみたら? 僕は相模礼。またね」
少年はそのまま後ろに倒れた……。屋上から……。
良はビックリして、助けようとした。
「オイ!」
全速力で淵に走ったが、間に合わなかった。
「オイ、どこだ」
下をのぞき込んだが、そこは暗闇で、少年の姿はもうなかった。