3-25 基本中の基本
正拳突き【一般情報】
軍隊格闘術である『カラテ』において基本中の基本とされる技。
腰溜めに構えた拳を半回転させながら突き出すというシンプルな動作である。
シンプルであるが故に反復練習に組み込まれ、多くの軍人や、カラテを護身術として身につけんとする市民がこの正拳突きを学んでいる。
拳闘におけるジャブと異なり、腰を入れる正拳突きは一撃必殺たり得るとされ、それを目標に据えられることも多いが、モーションの固さから実戦における成功例は確認されていない。
刃の国に現れたシジマ・ロウラ、レオラに対して下品という言葉で片付けるのも憚られる舌戦を繰り広げたパルは、謎に包まれた存在、シジマ・レオラと対峙していた。
「やめてください、お姉様!向こうの狙いがわからない今、戦うのは…」
レオラはロウラの嘆願を制する。
「そこで待っていなさい。ロウラ。」
パルはタバコに火をつけ、煙をレオラに向かって吐く。
レオラの身長は2メートル近く、小柄なパルと並べば大人と子供以上に身長差が出る。
「まだ怒ってんの?」
見上げながら煽るパルに対し、レオラは静かに見下ろす。
その目に込められた怒りにパルは怯えることはない。
パルは沈黙を貫くレオラに対し、気だるげに肩をすくめる。
そして左足を半歩下げ、右のローキックを放つ。
レオラはそのモーションを見逃していたわけでも対応できないほどに激昂していたわけでもない。
左膝の外側に焼け付くような痛みが炸裂音と共にもたらされたのだ。
それほどパルのローキックはレオラの想像を遥かに超えていた。
ぐらつき、膝をつきそうになるが、パルはそれを許さない。
追撃のサマーソルトキックが顎を捉えた。
身長差のある2人だが、レオラが体勢を崩したため、パルの射程内に顎が収まったのだ。
「基本的基本…ってやつだ。お前も好きだろ?」
着地したパルは小馬鹿にしたようにそう言い、タバコを吸う。
『身長差のある時は足から崩す。』戦術的基本ではあるが、パルの動きは基本のそれではない。
半歩足を引くことで遠心力を乗せたローキックは本来、速さを求められるローキックではワンモーション多い。
それに加え、曲芸じみたサマーソルトキックのコンビネーション。
基本から外れた基本的攻撃。
一般的という言い方をするなら、パルの攻撃思考はごく一般的なものだ。
それほどまでにカラテの固さは致命的なのだ。
防御も間に合わず膝から崩れ落ちるレオラだが、膝はつかない。
中腰の姿勢のままパルの腹部へタックルを放ち、そのまま破損したキャビネットに叩きつけた。
「こ…の…ッ!」
完全に意識を寸断されたはずのレオラが放つタックルは無意識の反撃という都合の良いものではない。
それを示さんとばかりに更なる追撃を放たんとするレオラ。
「ふざけんなッ!」
それを感じ取ったパルはレオラの首へ肘を打ち下ろそうとする。
だが、彼女の小さな体はレオラの雄たけびとともに強引に引き出され、持ち上げられる。
「|マジか≪エンセリオ≫…」
彼女の目が床を捉えた瞬間、それが一気に拡大される。
レオラのフロント・スープレックスは美しい弧を描き、屈強な筋肉の鎧からは想像もできないほどの柔軟性がなめらかなブリッジに現れている。
レオラの攻撃はそれだけにとどまらない。
軽く床を蹴り後転する要領で反対側へ着地。
ブリッジの際に付いた頭を軸に反転した形になる。
それは先ほど同様、右肩にパルの腹部を食い込ませたタックルの体制に戻っていることを意味する。
「神速…開眼ッ!」
レオラの発した言霊は彼女の体内を流れる魔力への号令だ。
魔力は血液に乗り、筋肉を強化する。
そこから発揮される瞬発力は未だスープレックスのダメージから復帰できないパルが抵抗する間もなく窓を突き破る。
「馬鹿な!3階だぞここは!」
自爆覚悟とも取れるレオラの行動にリエルは声を上げる。
だが、レオラのタックルは地面への落下より遥かに早く向かいにある商店の壁へ激突した。
その衝撃はパルの体、その芯の部分へ響き、口から黒い血を吐き出させる。
「剛力開眼ッ!」
再びの言霊とともに、レオラはパルの頭を掴む。
呼吸を阻害されたパルはなんとか逃れようと彼女の手首を掴むが万力のごとき握力は簡単に引きはがせない。
レオラはそのままパルの頭で商店の壁面を削るように地面へ滑り落ちていく。
地面にパルの頭を叩きつけたレオラは右の拳を腰で溜める。
正拳突きである。
レオラにとってカラテとは基本であり一撃必殺の技。
カラテの持つ固さはそのまま威力へと変わり、相手は反撃も回避も防御さえも許されない。
それがレオラのオリジナルなのだ。
一撃必殺という空想信仰。
実戦性を持たない固い技術。
それは否だ。
一撃必殺は断じて誇大妄想ではない。
実戦性を持たないというのは解釈違いだ。
カラテこそ人が人を壊すために長年紡がれてきた技術の結晶なのだ。
レオラは小さく息を吐き、吐いただけ吸い込むと止める。
彼女はこの瞬間に高揚感を覚える。
自分の呼吸音さえない僅かな時間。
自分と相手だけの世界。
そして、その相手へ全力の拳を叩きこむ。
レオラは拳をパルの顔面へ発射する。
しかし、レオラが常人を超えた戦士であるようにパルもまた常人を超えた兵士なのだ。
振り下ろされる拳に巻きつくようにして彼女の体を登り、背後を取る。
そのままレオラの両肩に手を置き、振り子の要領で膝蹴りを背骨へ放つ。
「そらよッ!」
わずかに反応したのはレオラに取って不運だった。
パルの膝は彼女の後頭部を直撃する。
レオラは前のめりに倒れそうになるが半歩前に出てこらえる。
「サンキューな。カレン。」
意識をはっきりさせるため頭を振っていたレオラはパルの言葉で振り返る。
パルはオープンフィンガーグローブをはめ、感触を確かめるように拳を開閉する。
わずかに見えた甲の部分に魔法陣が描かれたそれがなんであるのかレオラも知っていた。
「TAC-POT…使いこなせるのか?」
驚きも混ざったその言葉をパルは小さく笑って流す。
「オレのために作られたようなもんだ。手前で使えねえわけねえだろ。」
グローブの魔法陣が淡く光を放つ。
「とりあえず…C装備でいくか。」
光が収まると、パルの両手に巨大な獲物が転送されていた。
レオラは自身の知識をもとに分析する。
TAC-POTとは大型特殊兵装の転送を行う魔法システムだ。
つまり、パルはどこからか装備を『呼び出した』ということになる。
右手には大型魔力式溶断刀『グロリア』。
左手には棺桶のような箱を備えたガントレット。
ベルトにはいくつかの小さな箱が誂えられており、大型の装備だけで構成された限定的な装備ではなく、ある程度の指向性と汎用性の両方を求めている事がわかった。
「私のカラテに勝るとは思えん。。」
レオラの言葉は断じて去勢ではない。
それだけの鍛錬を積んでいる。
「試してみろ。いや、試してやる。簡単にくたばるような奴じゃテストにならんからな。」
パルもまた、冗談ではなく本気の殺意で答える。
グロリアへ充填された魔力が熱の切断面を作る。
それにより、くり抜かれていた切先から鍔までの刃が補完される。
パルは声を上げるわけでも踏み込むわけでもなく自然体から急加速し距離を詰める。
これだけの装備を背負ってこの速度…
レオラの構えが完成する頃にはグロリアが眼前に迫っていた。
防御は通用しない。
そう判断したレオラは振り下ろされる刃に対し、横方向に回転し回避する。
レオラはその攻撃ではなく残心でパルの力量を改めて評価する。
体重と大剣の質量を乗せた振り下ろしでありながら地面へ激突させていない。
剣術において軽視されることもある残心だが、パルのそれは剣術を剣術たらしめる『剣』を傷つけることを避けている。
仮にパルが重さのままに地面に叩きつけたのであれば軸がぶれ、強度は大きく下がるだろう。
それだけパルの筋力と技術、そして知識。
「よく訓練された兵士だ。それも上質な。」
「うれしいね。あんただってどういう鍛錬したらそんなガタイになるんだ?」
レオラは自身と同等の実力を持つパルとの邂逅に興奮していた。
生まれた時から『長女』として『貴族たち』に仕えるメイドたちの指導者であった。
生まれた時から『第一子』としてシジマ家の当主となることを運命付けられていた。
そんな人生で初めて出会う好敵手。
レオラの口角は無意識に上がっていた。
「壊れてくれるな…」
レオラは寂しげに呟くとカラテとは異なる構えを取る。
上半身は拳闘を思わせるそれで、脇を締め、軽く握った拳が左右それぞれ攻撃と防御を即座に行えるよう配置されている。
下半身は上半身に従うように自然体で、スタンスは広くも狭くもない。
ステップでリズムを取らないそれはやはり拳闘ではなくカラテベースであることがわかる。
「来いよ…」
パルはあえてレオラから仕掛けるよう促す。
レオラはそれを受け、さらに口角が上がり、少し歯が覗く。
レオラは踏みしめた足を使うことなく手打ちでジャブを放つ。
パルとの距離、約5メートル。
届くはずのないそれをパルは左腕の箱で防御する。
この箱は盾ではない。
しかし、レオラの一撃は自身へ届くと判断した彼女は咄嗟にそうせざるを得なかった。
鈍い着弾音と共に顔を顰める。
箱への被害は彼女の想像を超えていた。
そして、左腕を通じて感じられる衝撃も同様だ。
まるで鉄球を発射するカノン砲のようだ。
「光魔法…か。」
パルの仮定は当たっていた。
グローブやレガース、シューズのように手足へ光魔法を展開、自身の攻撃による身体へのダメージを軽減する。という手法は素手による近接戦闘を行う兵士にとって必須とも言える技能だ。
レオラはそれを飛ばしているのだ。
無論、簡単なことではない。
卓越した攻撃速度がそれを為すのだ。
この理論を半端な実力で行えば体を離れた光魔法は消えるか、相手へ届いても十分な強度を確保できない。
これにより基礎練習ではなく殺人術へと昇華しているレオラのカラテは『距離』という欠点を克服した。
パルは一気に距離を詰める。
両足をしっかりと踏み締めるレオラの構えではステップのような回避行動は取りにくく、相手の攻撃に対して防御することを前提とするはずだ。
パルは踏み込みつつグロリアで横薙ぎに払う。
狙いは胴体。
だが、当然、レオラは腕に展開した光魔法でそれを防御する。
グロリアの溶断面は煙と共に光の壁を突破しようとするが、レオラはそれを悠長に待つことはしない。
滑空砲を思わせる高速の振り下ろしは、パルの回避行動を上回って頬を捉える。
スタンスを広げ、なんとか踏み止まるパルだったが、そこに放たれた追撃の前蹴りが鳩尾へ滑り込む。
2度目の吐血と、発射された光魔法により、壁面へ叩きつけられる。
パルの見立ては甘かった。
レオラのカラテは距離を克服するため、光魔法を使っていると考えていた。
光魔法を飛び道具としていると。
しかし、レオラにとって光魔法は殺人技とも言える己のカラテが持つ破壊力をさらに底上げするためのものだったのだ。
打ち下ろされた拳にはガントレットのようにして展開され、パルの回避可能範囲を超えた一撃となった。
続く前蹴りでは威力を高めつつ、体を貫かんとするほどの勢いを持つ魔力の砲弾を含めた二段構えの技に昇華させた。
飛ばされた店の外壁から出るため、瓦礫を蹴とばした際、パルは顔をしかめる。
アドレナリンによる高揚感が醒めてきたことで自身へのダメージを文字通り痛感する。
脇腹の痛みが激しく、呼吸も辛い。
骨か…
幸い、折れているわけではないようだが、本来であれば撤退すべきダメージだ。
そんな状況ではあるがパルは不敵な笑みを崩さない。
痛みと格闘しつつゆっくりと立ち上がる。
お前の軟弱な蹴りじゃあオレを本気にできないんだよ。
去勢を怒りとして気力となす。
これ以上、長引かせる訳にはいかない。
パルはガントレットに装着されている箱へ視線を移す。
多少損傷をしてはいるが、恐らく動作に問題はないだろう。
距離を詰めようとするが、速射砲のごときレオラのジャブが飛んでくる。
パルはそれをグロリアとスウェーで捌きつつ少しづつ距離を詰める。
それに比例してレオラの攻撃速度が上がっていくが、直撃弾はすべて捌く。
パルの手が届くところに達したとき、レオラは攻撃をやめ、右の拳を腰で溜める。
基本を尊ぶ彼女が最も得意とする技『正拳突き』。
それを光魔法で強化して放つ。
当然、それはレオラが絶対の信頼を置く必殺の拳だ。
一撃での決着を狙うパルに接近を許してもなお、レオラは動揺することはない。
「なかなか…おもしれえ技を使うんだな。」
「まだ名前もない。が、貴女を倒せれば完成と言っていいかもしれない。」
「ははっ…なら、一生、虚空に向かって拳をふってりゃいいぜ。」
レオラは表情を変えず、右の正拳を発射するが、それはほんの数ミリ動いただけで止められる。
魔力で形作られた龍の尾が蔦のように巻き付き、動きを止めたのだ。
パルは犬歯が見えるほどの笑みを浮かべ、左腕に装備された箱をレオラの脇腹に添える。
すると、箱の両側面が変形し、弦のような機構が展開される。
レオラはその形状と状況から箱の正体を察する。
弩弓を思わせる形状だが、これは、本来、武器として扱われるものではない。
機構が稼働し、弦が引き絞られ、光魔法の杭が装填される。
そう。
杭打機だ。
光魔法で生成された杭を炸裂魔法で打ち込むという単純な機構を持つ武器だ。
杭の長さは30センチほどある。
脇腹から打ち込まれた場合、致命傷どころか即死する可能性も十分ある。
「バン…」
パルの声とともに炸裂音が響く。
レオラは咄嗟に目を閉じたが、パルの悲鳴が聞こえてきた。
「いってえええええええええええ!」
悲鳴。というより怒声に近いか。
うっすらと目を開けると、パイル・バンカーが破壊されている。
破損した状態で使用したために発射時の炸裂魔法に耐えきれなかったのだ。
パルは腕に刺さった残骸を取り除きつつ座り込む。
「あーもー…うまくいかねえなあ。なんでもよお…」
パルのぼやきをレオラが笑う。
「楽しかったわ。また会いましょう。」
「もうお前には興味ねえよ。」
「いえ、今度、お茶をご馳走させてもらうわ。貴女とゆっくり話がしてみたい。」
パルは少し驚き、答えに窮する。
なぜ彼女が自分にそこまでの興味を示すのかはわからなかったが、悪意を持って言っている訳ではないことはわかった。
「灰皿も用意しとけ。」
パルの答えにレオラは笑顔で頷くとふらつきながら歩き出す。
かくして奇妙な|感情≪友情≫を両者に残し、刃の国での戦闘は決着となった。
次回は土曜日。
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