夢みたものは
漂うコーヒーの香り、アンティークソファと温かい照明は、店内のレトロ感を一層際立たせ、人々の憩いの場として、ささやかな安らぎを与えている。
───喫茶店「バク」。店名通り、店頭の看板には、白と黒のカバのような体躯をした動物───バクが、可愛らしいフォルムで描かれている。
小さな町にぽつんとあるこの店は、ほとんどの客が近所の顔見知りである。
「ねぇねぇバクさん!ショートケーキちょうだい」
「かしこまりました」
可愛らしい、小さな女の子からの注文に店主──バクは笑顔で応じる。
“帰るついでの寄り道”なのだろう。近所の幼稚園の制服を着たまま、母親と楽しそうに話している。
あんなにも小さい子が、小学生、中学生、高校生と、あっという間に成長してしまう。その成長の一端だけでも見られていると思うと、感慨深さで胸が一杯になる。
「おまたせいたしました。苺のショートケーキです」
「わぁおいしそう。いただきまぁす!」
ケーキを口にいれた瞬間、少女の顔が幸せいっぱいにとろける。「あまぁい」と言ったきり、黙々とショートケーキを食べ始めた。
微笑ましい。視線を外した先に、少女の母親と目が合う。お互い、くすりとだけ笑った。
───こんな時間が、何よりも愛おしい…。
この店を開いてから毎日のように思う。これほどまでの幸せが、他のどこにあろうか。
「ねえ、バクいるー?」
店の入口のベルが鳴り、ドアが開く。明らかに不機嫌を呈した女性が、ピンヒールをカツカツと鳴らしながら入ってきた。
「ミキさん、居るも何も、この店の店員は、私一人だけですよ」
カウンターに戻りながら言う。年若い女性、ミキさんは、バクの向かいに座った。
綺麗に染められた金髪に、真っ赤な口紅、大きな胸と尻を強調する奇抜な服装は、落ち着いたこの町には不似合いなほど、浮いている。
一見居酒屋で騒ぐか、夜のバーで洒落たお酒でも飲んでいそうな彼女だが、あまり酒は強くないらしく、「バク」の常連の一人である。
「……彼氏と別れた」
髪の毛先をいじりながら彼女はポツリと言った。その言葉に、バクは記憶を回想しながら訊ねる。
「えっと……確か彼氏さんとはとても仲が良かったですよね。先月には、今月末から同棲を始めるとも言ってい…」
「あっちから急に別れてほしいって言ってきたの!」
テーブルに勢いよく腕を振り下ろす。店内の雰囲気が一様にびくっと震えた。
それにはお構いなしといったふうに、ミキさんは続ける。
「急に、好きな女ができたからって言ってきて……ああもう、思い出したらムカついてきた。とりあえず別れてくれなんて言われたから、こっちから願い下げだわってビンタしてきてやったわ」
カウンターの端に座っている男性客が、大事そうに頬をさするのがちらっと見えた。
「なるほど、それは災難でしたね。では、そんなミキさんを慰められるよう、私も張り切ってコーヒーを淹れさせていただきます。ご注文はどうされますか?」
怒り心頭の彼女を落ち着かせながら訊く。しばらく経って正気に戻った彼女が口を開く。
「そうね、美味しいカフェモカをちょうだい。あと………」
「あと?」
その続きをおそらく知りつつも、先を促す。
一拍置いたあとに、彼女が言う。
───「夢を一つ」───
心の内が波打つ。言いようのない高揚をなんとか抑えながら、微笑を崩さずにバクは問う。
「かしこまりました。では、どのような夢をご所望ですか」
またまた一拍置いたあと、彼女は夢見る少女のように両手を絡め、頬に寄せながら、恥ずかしがる風もなく語る。
「長身イケメンととろ甘なデートをしたいわぁ。今はもうフリーだし、あんな最低男ささっと忘れちゃいたいの」
「かしこまりました」
またまた微笑を崩さずに、バクは応じる。その身にある狂喜を抱えたまま……。
ここは、小さな町にある喫茶店「バク」────客が望んだ「夢」を見せてくれるという、不思議な喫茶店。
~つづく~