悪役令嬢の取り巻きなので一緒に断罪されるみたいです
「平民だというのに何を考えてるのかしら。ねぇリーン、聞いてる?」
刺々したシルヴィアの声にハッと我に返り、反射的に愛想笑いを返した。
聞いていなかったでしょ?と詰問するような目でわたしを軽く睨んでいたが、今はそれどころではないのか、少し鼻を鳴らすと再び話に戻る。
「殿下も殿下よ。あんな馬娘に優しくしちゃって。」
周りの取り巻き令嬢から、「ええ」と口々に賛同の声が漏れる。
つい最近転入してきた令嬢、フェニシア嬢の事だろう。
最近はシルヴィアの事実上の婚約者である王太子がフェニシアという女性にご執心らしく、こうして集まると愚痴ばかりだ。
決して綺麗な話ではないが、それでもシルヴィアが話せば、ツンと尖った鼻に自信ありげな唇、そして対照的に憂いを帯びた瞳と、とても絵になる。
浮いてしまいそうな赤と黒を基調とした派手なローブをそれでも着こなしてしまうのは、持って生まれた端正な顔立ちのなせる業だろう。
もう婚約者なのだから、別にそんな平民の女性なんて放っておけばいいのにとは思うが、所詮男爵令嬢止まりのわたしが意見できるはずもない。
平民なんて、殿下も見る目がない、結局はそういう話だ。
シルヴィアに限らず、みんな毎日変化がなくて退屈なのだ。
大多数の令嬢たちは、打たれる杭にならないように、上流の方のご機嫌を取る。そうして毎日息を潜めて過ごしている。
わたしは賛同の輪に加わりつつ、ふと自分の服を見下ろした。
決して貧乏臭くはない、けれど型通りの薄青のローブが澄まして鎮座している。
ヒロインにも、悪役にもなりきれない。その他大勢。それがわたし。
でも、仕方ないじゃないと誰にともなく言い訳をする。
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「ただいま帰りました。」
「お嬢様、おかえりなさい。」
何とか一日をやり過ごし、ようやく家に帰りついたわたしを迎えてくれたのは、うちの執事のリティアだった。
「お嬢様、学園はいかがですか?」
「ええ、毎日が楽しいわ...…。なーんて。利権と建前が飛び交ってて息が詰まりそうよ。」
「それは良かった。社交場の擬似訓練になりますね。」
制服のボタンを外しながら、微笑むリティアを睨みつける。執事が主人にこんな口の利き方をしたら普通は解雇処分だが、歩けない頃から面倒を見てくれていたリティアは別だ。
「笑い事じゃないわ。あんな生活が今後ずっと続くなんて、ああ、わたし貴族辞めようかしら?」
「お嬢様」
先ほどまでの優しい口調は一転、リティアが厳しく声をかける。
「分かってるわ。冗談よ冗談。苦労してお父様が貴族になったんですもの。そんな簡単にやめられないことくらい分かっています。」
じと目のリティアを横目に、さっさと自室にこもることにする。
でも、と心の中で続ける。
でも、たまには休みとかないのかなぁ。
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「お嬢さま、キース様が本日いらっしゃるようですよ。」
「キース?お父様に会いに来るのよね。わたしは部屋で休んでていいかしら。」
「そういう訳にはいきません。お嬢様にぜひ会いたいと伺っております。」
あの魔術にしか興味がないキース・トルマンディがそんな事を言うわけがない。むしろ父の指示だろう。
わたしの家は貴族になったとはいえ、まだまだ弱小。このままだと数年で取り潰しもある。
父はわたしを名家に嫁がせたいのだ。トルマンディ家は魔術の大家。万が一パイプがつながれば万々歳だ。
だから、キースが家に来るたびに「キースが呼んでいた」という名目でわたしが呼ばれるのだ。
キースは端正な顔立ちで、身にまとうローブのデザインも悪くない。初めのうちはわたしも、ひょっとして興味を持ってもらえているのかなと喜んでいた。
しかし常に無反応なキースを見ていれば、呼ばれていないことに嫌でも気付く。
キースは決して悪くないのだが、純情な乙女心を弄ばれたような気がして、顔を合わせるのに抵抗があるのだ。
リティアに連れられ、客間に入ると、噂のキースと目が合った。少しだけ眉を上げる。言われないと気づかないほど無表情だ。心底興味がないのだろう。
「リーン、こちらに座りなさい。」
父が首だけこちらに向けて、手招きする。
言われたとおり、椅子に浅く腰掛けて、微笑む。
「こんにちは。キース様。」
「お久しぶりです。リーンさん。」
長い前髪の隙間から、じっと黒い目が覗く。やはり笑顔を見せず、淡々とつぶやくように言葉を返す。
一歩間違えれば陰鬱といえるが、これでも絵になるから顔が良いってずるいよね。
「あら、先々週もお会いしたじゃないですか。」
「そうでしたか?ずいぶん前に感じますね。」
「ふふ、そんな。」
お互いに演技みたいな棒読み。何だこの時間。もう数年もこんなやり取りを定期的に繰り返しているおかげで愛想笑いはとてもうまくなった。
しかしこの興味のなさ。先々週ですら忘れられてるじゃない。父もいい加減諦めればいいのに。
相変わらず笑顔の一つもない鉄面皮だ。初めのうちは、いちいち心を痛めていたがもう慣れた。
じっと見つめられる。
こちらから目を逸らすわけにもいかず、見つめ合ったまま気まずい沈黙が降りる。できればもう少し甘酸っぱいお見合いがいいなぁ。
「キース殿、確か新しい魔道具を開発したと伺いましたが?」
父が沈黙に耐えかねて口を開く。
「ああ、そうでした。これですね。」
袂に手を入れると小型の機械を取り出す。むき出しの基盤と配線。魔術と科学の終着点、魔道具だ。
好きな人は好きだろう。わたしはそうでもないけど。
「対象者の心拍と汗腺を感知…。いわゆる、嘘発見器です。」
父が身を乗り出す。もともとこういった新しいものが好きなのだ。
「ここの端子に、被験者の肌を接触させると、被験者の緊張の度合いが分かるというものです。」
説明を始めようとするキースに構わず、嬉々として父が機械を持ち上げる。ワクワクしているのがよく分かる。
「ほう、少し試してみてもよいか?」
「ええ、もちろん。」
「リーン、少し質問してみてくれ。」
「わかりました。お父様。」
貴方は当主ですか?や国王ですか?といった簡単な質問を繰り返す。誤ったことを言った途端に、ピーピーと音が鳴り始めた。
これは凄い。思わずぽかんと口を開けてしまい、慌てて口元に手をあてて誤魔化した。
人の嘘が見抜けるというのは凄いことだ。取り調べも楽になり、冤罪もなくなる。平民にとって強い味方になり得るだろう。貴族にとっては必ずしも好ましくないかもしれないが。
ニコニコとしながら、父は基盤を眺め回す。気に入ったのだろう。
「ふむぅ……。なかなか面白いな。」
散々触り倒した後、名残おしそうに機械を返す。
受け取ったキースが端子に触れるやいなや、ピーピーとけたたましい音が鳴り響く。
驚くわたしを尻目に、彼は涼やかな顔でつぶやいた。
「……まだ誤作動が多く。」
なんだそれ。
含み笑いする父と、一切表情を変えないキース。
実用化には遠そうだ。
相槌を打ちつつ、笑顔を振りまく長い時間が終わり、お見送りを終えると、ようやく自室に戻ってこれた。
にこやかな笑みを貼り付けたまま、ベッドに倒れ込む。
「お嬢様、今日もご機嫌良さそうですね。」
「あら、そう見える?もっと目の良い執事に変えようかしら。」
倒れ伏したまま、返事だけ返す。リティアは昔、わたしがキースに恋心を抱いていたことを知って、こうやってからかってくるのだ。
「良いじゃないですか。キース様も可愛らしいお嬢様と一緒に居たいだけですよ。」
「わかりやすいお世辞でありがたいわ。……好きな令嬢でもないのに、あんなに露骨に同席させるなんて、キース様にも失礼です。」
「片想いですね。」
「どこが片想いですか!」
飛び起きて、叫ぶ。
クスクスと笑うリティアを睨めつける。
ああ、どうしてこんなややこしい事になっちゃったんだろう。
水面下でのやり取りがなんとも恨めしい。
だから貴族は面倒なんだ。
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学園の朝は早い。
講義が始まる半刻も前には集まって、世間話という牽制をし合うのが通例だ。
わたしみたいに地位が低い令嬢は、できるだけ早く来て、話し相手にならなければいけない。
シルヴィア様は今日はいらっしゃらない。
朝は眠いのだろう。わたしも眠い。
心の中ではうつらうつらしながら、オルレイン子爵令嬢の惚気話に相槌を打っていた。
「それでね、カインったら、わたしに微笑んでくれましたの!」
いや婚約者ならそりゃ微笑むだろうと、そんなことは言わない。きゃあきゃあ騒ぐ令嬢にうまく混ざるように、調節しつつ黄色い歓声を上げる。ちょっと黄色すぎたか。
不安になったが、オルレイン令嬢は満足気にふんふん頷いていらっしゃったので、ちょっと派手すぎる反応でちょうどよかったらしい。
シルヴィアが婚約者の愚痴を言い始めてから、彼女の前での惚気話はご法度になった。その反動か、こうして居ない時には絶えず婚約者の格好いい所を聞かされる。
たまにだといいが、流石に毎日だと甘ったるくて胃もたれしそうになる。
わたしも年頃の女性として、恋愛に憧れがないわけではない。
しかし、どうも上手くいかないのだ。夜会で仲良くなった男性は、翌日にはよそよそしくなっているし、それとなく父にお見合いについて打診してみたが、のらりくらりと躱すばかりで埒が明かない。
おかげでこのままだと嫁き遅れ令嬢まっしぐらだ。我ながら大丈夫だろうか。
頭によぎる不安を慌てて打ち消すと、自分に嘘をつくように笑顔を浮かべた。
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はた、と歩みを止めた。
学園裏の噴水。わたしの憩いの場所。
誰も居ないと思っていたそこから、少女の声が響いてきて、わたしは慌てて建物の影に隠れた。
仲睦まじく語り合う男女の声。普段のわたしなら覗きなんてはしたない。と眉をひそめるはずが、その声に聞き覚えがあり、思わず頭だけ出して覗き込んだ。
複数の男性に囲まれるように女性が一人。
可憐に笑う少女は、近頃噂の平民、フェニシア嬢だ。
その周りには学園を代表する美形が勢揃いしている。教師、先輩、お構いなしだ。……隅で笑っているのは、オルレイン子爵令嬢の婚約者、カイン様じゃないか?
その傍らには、シルヴィア様の婚約者である王太子まで居る。
思わず、ここが白昼の学園であることを忘れてしまった。あまりに現実離れした光景に、目眩がする。
なにより、わたしに衝撃を与えたのは、男性陣に混じってとびきりの笑顔を見せる、キース・トルマンディ、その人だった。
可憐な少女と美しい彼は他者の侵入を受け付けない、まるで一つの絵画のようで。
そこに入れないことを、わたしは本能的に察してしまった。
それから、どうやって家に帰り着いたか、覚えていない。
いつもなら講義後に、令嬢たちで集まって時間を潰して帰ってくるリーンが、フラフラと帰ってきたことで、リティアは目に見えて慌てていた。
心配そうに声をかけるリティアを無視して、ベッドに倒れ込む。
ああ、あんな顔できたんだ。
頭の中がぐちゃぐちゃして吐きそうだった。
どうして。何で。
わたしには笑顔一つ見せないのに。
興味なんてないことは知ってたのに。
分かってたのに。
これが嫉妬だと、好意だと気付いたときにはもう手遅れだった。
シーツが濡れるのも構わず、顔を押し付ける。
もういい。全部ぐしゃぐしゃに壊れてしまえ。
その日は泣きじゃくりながらお風呂に入って、リティアが気を利かせて作ってくれたサンドイッチを一口食べて、日課にしていた日記も放り出して布団をかぶって泣いた。
朝になったら世界が終わっているように、そんな願いとは裏腹に。
朝になっても、どこまでも残酷に、世界はいつも通りだった。
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リティアは昨日何があったかを聞かなかった。
泣き腫らした目元を隠すように、いつもより強めにファンデーションして、それで終わり。アイラインを入れると、すっかり隈は消えた。
充血した目だけは隠せない。仕方ないだろう。
「ほら、お嬢様、今日はパーティでしたよね?せっかくなら気合い入れていきましょうよ。」
わざと明るく振る舞うリティアはやっぱり優しい。
そうね、と返した声は、自分にしてはとても冷たい声だった。全然パーティなんて気分じゃないが、今日は王太子主催の婚約発表パーティ。気分が乗らないから。と断るわけにもいかない。
ぐずぐずと準備していたら、時間ギリギリになってしまった。
開始時刻直前に来る未婚の令嬢なんて聞いたことがない。
受付を済ませて、エスコートを断り、パーティ会場に慌てて飛び込む。
「どういうことですの!?」
会場に入るやいなや、怒号が聞こえた。
修羅場というものを人生で初めて見たかもしれない。
シルヴィア様が真っ赤な顔で、ぷるぷると震えながら、階段の上を睨めつける。
そこに居たのは、ああ、フェニシア嬢だ。彼女を守るように王太子が立つ。
どこか現実離れした光景として、冷静に見れていたのは、わたしの心がとっくに限界だったからかもしれない。
「婚約破棄……ですって!?」
「ああ、シルヴィア、君の行動は目に余る。将来の王妃にふさわしくない。君との婚約を破棄させてもらう!」
断罪するように、王太子が叫ぶ。
何だろう。この現実味のない感じ。
婚約破棄なんて言葉、初めて聞いたかもしれない。
フェニシア嬢の周りに控えていた男性が、次々と婚約破棄を言い渡していく。
一人一人、不平不満を並べ立てられて、別れを告げられる。もしこれが現実じゃなければ、あまりの三文芝居に笑いだしてしまっていただろう。泣き出す子もいれば、怒り出す子も居る。あれよあれよと言う間に、わたしだけになった。
でも、わたしは婚約していない。そんなわたしの前に立ったのが、キース様だった時、わたしはもう一度泣きそうになった。わたしの心なんてお見通しなんだ。
それでも耐えられたのは、ただ単に、昨日涙を出し尽くしただけ。
「リーン、君はいつも僕の話に興味がないんだろう?魔道具の話ばっかりする僕に、呆れていたんじゃないか?合わせて笑っていてくれるのは分かっていた。」
キース様が淡々と話し出す。いつもの無表情が恨めしい。どうしてこんなときにも、彼は表情一つ変えないんだろう。
少しでも、憎しみとか、怒りとか、そういうのを向けてくれたら、まだ救われるのに。
ただ、そこにあるのは無感情だけ。
「君の笑顔が好きなのに、なかなか笑わせることすらできない。みっともないところを見せないように、冷静さを取り繕うけど、駄目だね。何も考えられなくなってしまう。君のお父さんに無理を言って、君のお見合いを台無しにしたり、なんて、子供みたいだな。」
淡々と述べている内容が、さっぱり頭に入ってこない。
よく観ると、キース様の顔が赤い。そんなに怒っているのだろうか。
「……どうも駄目だな。君の前だと上手く話せない。」
どうか、それだけは言わないで。
たぶん、立ち直れない。
そんなわたしの思いと裏腹に、彼は口を開く。
「僕と君とじゃ釣り合わないかもしれない。でも、もういいんだ。誤解されたくない。この際だ。これだけはっきり言わせてもらうよ。」
「僕と、婚約してください。」
聞き間違いかと思った。というか、聞き間違いだろう。
そう思うわたしに畳み掛ける。
「ひと目見たときから、リーン、君が好きだった。その笑い方も、優しい心も、全部大好きだ。君以外には考えられない。」
無表情で歯の浮くような台詞を並べ立てられて、混乱が止まらない。
「え、え?キース様はわたしの事が嫌い……なんじゃ?」
「そんな馬鹿な。いつ僕が、君のことを嫌いだと言った?」
「それは……。無表情ですし……声も硬いので……。」
「君の前に来ると、どうも緊張して、いつもみたいに話せないんだ。」
緊張って何ですか。笑いだしたくなる。そんなことありますか?もういいや。今なら周りの目も気にならない。ふわふわとして、脚がふらつく。キースに倒れ込むと、腕を広げて抱きとめられた。
「何ですか……それ。分かり…にくいです。」
「やっぱりか。気をつけよう。」
ほんの少し眉を上げた、キースの顔はやっぱり無表情で、でも前よりも色がついて見える。
貴族社会なんてこんなのばっか。全く、振り回されてばっかり。
「いいえ、許しません。」
腕の中で微笑むと、もう残っていなかったはずの涙が一筋流れた。