第四章 風使いと宿屋の夫婦-5-
アイマンが、スィエラと久々に手に入ったワインを酌み交わしている時だった。その時も、スィエラは手袋を外すことはなかった。
ハーラはミーシャを寝かしつけていた。この時には、ミーシャはすっかり夫婦に懐き、特にハーラを母親のように想っている雰囲気があった。一緒にいるとよく母娘に間違われ、ハーラは嬉しそうにしながらもやんわり否定していた。でも、彼女のその喜びが、アイマンには痛いほど伝わっていた。
が、あの引っかかりは、ずっとアイマンの中に残っていた。いや、それは膨らみ続けていた。
アイマンの言葉に、スィエラは首を傾げる。
「なんだ? アイマン。そんな改まった顔をして」
穏やかな時でも、ずっとスィエラは何かを警戒していた。それは、彼の眼が常に狩人の如く光っていることが表していたし、黒い手袋がその警戒心を増長させているようでもあった。
そして、それこそがアイマンに引っかかるものを覚えさせている。スィエラの運命と、内に秘めたものが隠れていると確信させていた。
「君は、魔法が使えるな」
一瞬、スィエラの眼光が剣呑なもとへと変わった。
アイマンは、あえて表情を変えなかった。
「夜に傭兵の仕事をしていることは知っているよ。君は化け物達を引き付けない強さだと、最近他の傭兵のお客から聞いた。まるで、風を纏っているかのようだった、と」
「……人の集まる場では、致し方ないことだね」
「噂は広まってしまう。君は、追われてるんだろう?」
「あんたの洞察力には感服する」
肩を竦めて苦笑するスィエラに、アイマンは表情を厳しくする。
「それはそのままお返しする。いや、そんなことよりも、しばらく傭兵の仕事を休んだらどうだ? 金の心配はいらない。君のおかげで、宿屋は繁盛しているからな。ここの従業員として身を隠し……」
「そういうわけにはいない」
スィエラの鋭い眼光が戻ってくる。それは、さっきよりもさらに鈍く光り、本来ならば濃い茶色の彼の瞳を一瞬金色に見せた。
「気持ちは有難いよ、アイマン。できれば、……その優しさに甘えたいのが、正直な気持ちだ」
「ならば!」
「私は、幻獣から力を得た、魔法使いだからね」
スィエラはそう言って、己の手袋を外す。
「その火傷のような痣は……」
スィエラの両手の甲には、それぞれ鳥の形をした痣がくっきりと浮かび上がっていた。
「アイマン、あなたなら話してもいいだろう。右にハオス・イェラキ、左にタクスィ・アエトスだ」
「混沌の鷹と、秩序の鷲か」
窓を閉め切った部屋に、生温かな風が通った。スィエラの周りを、緑色の風が蜷局を巻くように起こった。
魔法のことは知っていたが、はじめて見るそれに、アイマンは驚きを隠せなかった。が、なるべく平静を装った。
「私の家系は、代々風を受け継ぐ。その正体が、この二羽だ。そして、傭兵となり、また数多の幻獣からこの国を守る役目を担っているのだ」
「……では、ミーシャも」
スィエラが哀しみを浮かべた顔で、静かに頷いた。風が治まる。
「あの子は、私よりも素質がある。良い風使いになるよ」
「だが、君はそれを拒んだ。あの子を守るためか?」
スィエラは、右手の甲を見た。混沌の名を持つ鷹は、その名の通りなのか、アイマンにはまだ分からない。
「私達のように……家系の宿命など背負わず、平穏に暮らしてほしい」
「だから、あの子を連れて、逃げてきたのか」
スィエラが静かに頷いた。