第三章 現と夢の狭間-2-
赤井に連れられて行った居酒屋は、火曜だというのに五十代くらいの会社員で溢れていた。
皆陽気に仕事や家庭の不満を話している。誰に聞かれているかも分からないのに、酒はそれを忘れさせてくれるようだ。
一穂と赤井も例に漏れず、酒と料理を前に、最近の仕事の不満を述べ合っていた。
「やっぱ、上司と飲むのは面倒なのか?」
一穂の仕事へのあれこれを聞いていた赤井だったが、ふとそう尋ねてきた。
一穂は、なるべく軽く答える。
「仕事が溜まっていたんですよ。それに、上司と飲みに行って、胡麻擦ってるとも言われたくないんでしょう、たぶん」
「他の会社の友人が、よく愚痴っててな。後輩と上手くいかないとさ。普段から話してないからじゃないかって言ったんだが、そういうわけでもなさそうだ」
いつもだったら『そうか』で終わるはずだが、今日は違った。
赤井はどこか疲れていた。
「赤井さん、どうかしたんですか?」
一穂が訊けば、赤井は「いや、……そうだな」と口籠った。が、煙草を一本取り出し、吸い始めたかと思えば、勢い良く煙を吐き出した。最近では禁煙の会社が増えている。一穂の会社は喫煙室があるとはいえ、周りの空気は完全禁煙を望んでいた。喫煙者にはきついだろう。
「鈴木は、……憧れたことがあるか? その、他の何かになる自分に」
「他の? 夢ってことですか?」
「いや、……まあ、でも、そういうことになるか」
赤井の歯切れは、やはり良くなかった。
「この歳になっても、こんなことを考える自分が馬鹿だと思うが……」
「何か、ずっと夢があるんですか?」
赤井の答えにピンと来ない一穂は、当たり障りのない問いにする。
「子どもの頃からの夢が忘れられない、とか……」
「うぅん、子どもの頃からかぁ。夢は、なかったなぁ。何になりたいとか、あんまり思わなかったよ」
「じゃあ、……」
「でも、これもある意味夢なのかもしれないな。他の人生を歩んだら、どうなっているのだろう? とかな。違う会社に入ったら、もっと違う何かがあったのか、とかさ」
そこで、一穂は漸く赤井の言いたいことが分かった。
今の自分ではない自分。自分だけれども、この会社員ではない自分を、赤井は時々想像するのだろう。
そして、それは、一穂自身にも言えることだった。
「すいません、やっと理解しました」
「なぁに謝ってんだ? 鈴木は変なとこで真面目だな」
疲れ切った赤井の笑みは、しかしどこか嬉しそうに見えた。
周りの酒気と賑やかさが漣のようで、心地良く感じてくる。酒が回ってきているからだろう。
及川も来ればよかったに、と一穂は毎回思う。
「俺も、時々想像します。でも、赤井さんよりも、……現実的じゃないかも」
「ほぉ? どんなのだ?」
「えっ、と……子ども頃は、ただの憧れだったと思うんですけど、戦隊モノのヒーローになりたいって」
しかし、こういった話を他人したことがない一穂は、酔いが回る頭でも言葉を選びながら話した。
赤井は、まるで父親のような笑みで頷いていた。
「今は、もし別の世界に自分がいたら、どんな人生だったんだろう? って思うんです。映画やドラマの観過ぎですかね? 俺」
恥ずかしさを誤魔化すように苦笑いをすれば、赤井は静かに首を横に振った。