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死闘の土曜日

 法橋家の朝は早い。

 一日中日当たりが無駄に良い上にカーテンが薄過ぎて光をまともにガードできないから朝日が覚醒を促すとか、どこかに巣くった鳥たちの声がうるさいとか、電気料金的に夜更かしはしないからだとか、幾つかある貧困が故の悲しい運命。

 それらは九割七分程度の原因でしかない。うん、ほとんどだ。

 残りはと言えば、朝が好き、という家族共通のささやかで爽やかな理由。冬以外ならなんとなく最高の気分になれることは間違いない。下手したら家の中が外より寒くなる冬以外なら。

 でも最近の僕ときたら、朝から元気がまるで湧かない。

「ありゃ、珍しいね」

「んー、なにが?」

 早朝、僕は忙しなく手を動かしている。台所からはジュージューと食欲をそそる音が聞こえる。

「椿が裁縫でミスるなんて」

「え?」

 ……って、あーーーーーーーーっ!

 リボンが、部屋着のジャージに縫い合わさってるッ!

「もっと早く言ってよ!」

「あたしは最速で伝えたよ」

 僕は今、先日の戦いで傷んだリボンを補修しているところだ。

服は変身すると変わるし、その間に傷ついても魔法の力で元に戻る。でもリボンとウィッグは自前のままだから、そうもいかない。

 色々と考え事をしていたから、膝元でジャージを巻き込んでいることに全く気が付かなかったんだ。なんて間抜けな……。

「青梅姉、ハサミ取って!」

「ほい」

 上手く取れるかなぁ。凄く細かく、そして頑丈に縫ったからなぁ。

 このリボンの名前はハート・オブ・アリス。誤解されがちだけど、あのドレスとこのリボンとウィッグ、全て合わせて真のハート・オブ・アリスなんだ。僕自身、ドレス単体を指す場合が多いけど、本来はそういう設定なんだ。

「あぁ、端の傷みが悪化してる……」

 これはもう、レースとかを付けて誤魔化すしかないな。

シンプルなデザインが好きだったけど、まぁイメチェンってことで良いか。

「どした? 何か考え事?」

 ちょっと死神を倒すにはどうすれば良いか考えてる、なんて言えるはずがない。

「んーと……例えば自分の分を遥かに超えた仕事をするときって、完遂するにはどうしたら良いと思う?」

「そりゃあ事前に準備をシッカリして、全力を尽くすしかないっしょ」

 わかってるよ、それくらい。

「あとは誰かに協力を頼むとか」

 メンバーは増やせないだろうな。魔石はもうないみたいだし。

「当然、工夫もいるっしょ。正攻法でダメなら、裏技的な。それとボロが出ないようにパッパと終わらせるようにした方がいいかもね」

 抽象的な相談でも、しっかり乗ってくれた。でも詳細を伝えていないせいで、返答も具体性はない。

 事前に準備、裏技、早期決着……ねぇ。具体性を盛るには……。

「そうか!」

 ビビッときた。

 木曜日と金曜日、考えに考えた戦法に、コレを組み合わせれば……ッ!

「ありがとう、青梅姉!」

「我ながら一般的な意見だったと思うけど、役に立ったなら良かったよ」

 青梅姉が言ってくれたのは、どれも一度は考えたことだった。だけど一斉に並べられることで新たに閃くこともある。

 まともに戦う方法は浮かばない、というよりは、多分ない。でも、勝算はでてきた。

 あとはもう、数時間後に迫った戦いに備えて鋭気を養うだけだ。

「よし、さっそくレースをつけよう」

 見せてやるぜ、神速の針捌き。

 手の動きはまるで吹き抜けるそよ風の如く、針は山を行く清流の如く。可愛いレースが傷んだリボンを飾っていく。それに伴い、ヨダレが石清水のように湧いて、息遣いが荒くなる。

 たまには派手な可愛さも悪くない。

「それ可愛いね、椿ちゃん」

 いえいえ、法蓮ほどでは。

 リボンを見つめる法蓮の手には、味噌汁が四つ乗ったお盆。マーボー豆腐以来、法蓮は頻繁に料理を手伝っている。

「今度、法蓮にも何か作ってあげよう」

 そうするとウヒヒ……今以上に可愛くなってしまうことだろう。

「ホント? 楽しみにしてるねっ」

 僕の方が楽しみにしてるけどな。

「青梅姉も要る?」

「あたしはいいよ。どうせすぐに汚れるから、そういうオシャレとは無縁だし」

 ぬぅ、せっかく綺麗な顔立ちなのに勿体ない。

「麻美姉は?」

 ご飯を運ぶ麻美姉に訊いてみる。

「私はもう、可愛いっていう歳でもないかな」

 いやいや、アナタまだ若いですよ?

「じゃ、綺麗系の大人っぽい飾りってことで」

「それなら……うん、お願いしちゃおうかな」

 いいね、「綺麗」は「可愛い」の次に好きだよ。僕のランク的には、その次に「カッコイイ」が入ってくる。

 まったく、この家の人間は自覚が欠けているよ。みんな可愛い顔しているのに、どうしてもっと自分から着飾らないんだ。特に青梅姉。

やはり僕が先陣をきって道を示すしかないようだな。

「椿ちゃん、何をニヤけているの? ご飯、冷めないうちに食べちゃいなさい」

 おっと、まずは腹ごなしして、ヌーヌとザグイを倒す。話はそれからだな。

 ……それはそうと、凛火と氷花さんは大丈夫だろうか。氷花さんは二日間、なぜか学校を休んでいたし、休み時間に顔を出すだろうと思っていた凛火も、保健室には現れなかった。

 二人とも、やる気がなくなってなければ良いんだけど……。

「ハァ……」

「考え込んだりニヤけたり溜息ついたり、椿ちゃんも忙しいね」

「麻美姉、それが若さってもんよ」

「……若さに気付けなかった私は、もう歳なのね……」

 だから麻美姉はまだ若いってば。


 時刻は午後一時。家で昼ごはんも食べてきて、現在は黒三山神社にいる。更に詳しく言うなら、蘭堂先生の自室だ。ザグイとの再戦を間近に控えての待機なんだけど、一体どうしたことやら……凛火と氷花さんの姿がない。

 ちょっとトイレとか、そういうんじゃなくて、そもそも来ていない。蘭堂先生が迎えに行ったけど、留守だったそうだ。

「僕一人では勝ち目ゼロなんですけど。いや、それどころかマイナスなんですけど」

 多分ハエを叩き落とすよりも早く負ける。

「わかってるよ。しかし、どうするかな」

「延期にしますか?」

 ヌーヌ達の移動や破壊活動とかが確認されない限りは、少しくらい時期を伸ばしても問題はないんだけど、どうしようか。

「延期なんて温いこと言ってないで、さっさと潰すわよ」

 おっ、この声はっ。

「遅くなって、ごめんねぇ」

 凛火と氷花さんが扉を開け、部屋に入ってきた。

 何をやっていたのか、なんて言葉が出掛けたけど、それは喉へと戻った。身なりを見れば、すぐに想像ができたからだ。

「ちょっと、どうして僕も混ぜてくれなかったのさ」

 どう見ても特訓の後。傷や汚れが嫌でも目に入る。

「わたし達、一緒に特訓したわけじゃないよ。凛火ちゃんと会ったのも、ここの玄関でたまたまだもん」

「わたくしは無敵だから、特訓なんて古臭くて無意味なもの、していないわ。ちょっとウォーミングアップしていただけよ」

 ちょっと、には見えないよ。それどころか一日中にすら見えない。もしかしたら暇さえあれば特訓に時間を当てていたのかもしれない。

 今日の昼に戦うと言ったのも、強くなるための時間が欲しかったからなんだな、きっと。木曜日と金曜日、ずっと戦いのことを考えていたのは、僕だけじゃなかったんだ。

「ちょっと心配したじゃないか。凛火様は保健室に来ないし、氷花ちゃんは学校にすら来ないし」

「休み時間も授業も、完璧なわたくしにとっては寝る時間なのよ。さすがに夜通し身体を動かすと、睡眠が足りないもの」

 本気出し過ぎだろ。

「ごめんねぇ。ちょっとお母さんの実家に帰って、おじいちゃんに稽古をつけてもらってたから」

 だから本気出し過ぎだってば。

 まぁ、世界の命運がかかってる……かもしれない戦いだから、本気になるのは大歓迎だけどさ。

「クソ犬こそ、腕は鈍ってないわよね。元々がクソみたいな戦力なんだから、少しは努力していたんでしょ?」

「一日休んだら、取り戻すのに一年は掛かる……って、おじいちゃんが言ってたよぉ」

 一年は大袈裟だろ。せめて三日くらいにしてくれ。

 どうやら氷花さんは、僕が想像することもできないくらいの厳しい訓練を積んで生きてきたらしい。

「相当キツかったんじゃないの?」

「うん」

 あれ、否定しない? キツイことは喜ばしいことじゃないのか?

 しかも初めて見る、翳の射した暗い表情。鬱病患者のそれに似ている。

「正直、生きて帰れるとは思わなかったです……」

 ……これ以上は触れない方が良さそうだ。どうやらこの世界には、地獄を超えた存在があるらしいな。

「とにかく、そういうわけよ。さっさとあのクソ豚共を潰しに行くわよ」

 遅れて現れて、いつの間にか主導権を握っている。

相変わらず凛火は自分勝手だなぁ。もう慣れたから、あまり気にしないけど。

「今日は俺も行くよ。微力にも満たないかもしれないけど、俺にもできること、何かあるはずだから」

「ま、好きにしなさい」

 よしよし、これで九割は準備が整った。あとは……。

「実は僕、作戦を考えたんだけど」

「あぁん?」

 いや、指図されるのが嫌いだからって、そこまで睨まなくても良いじゃないですか。

「聞くだけ聞いてよ。ほら、一番偉い人の隣には、作戦参謀とかいるでしょ。他人の意見も参考になることだってあるよ?」

 どうだ、これなら聞くか?

「……いいわ。どうせ登っている間は暇だし、その時に聞いてあげる」

「そうこなくっちゃ」

 採用される自信はある。これで僕の二日間は無駄にならずに済みそうだ。

「話は決まったね。それじゃ、行こうか」

「クソ眼鏡に指揮権はないわ。シモベ共、行くわよ!」

 三人で登った山を、今度は四人で登る。僕の作戦説明を交えても、前回よりペースが速い。

昼ってこともあるし慣れもあるけど、蘭堂先生の選ぶルートが的確なんだ。滅多に使わないとはいえ、自分の家の土地だけあって僕らよりも遥かに詳しい。

 この段階で、すでに僕らは前回と違う。同じでは勝てない。だから蘭堂先生を連れてきたこと、小さいけれど、これも勝ちの芽の一つだ。

「ふーん、クソ犬にしては悪くない案ね」

 僕の作戦を聞いた凛火は、意外そうに頷いた。

「とっても素敵だねっ。特に準備が最高だよぉ!」

 ええ、氷花さんならそう言うと思っていましたよ。

「そろそろ頂上も近いし、その『準備』に入ろうか」

 僕が考えたものの一つ、完璧な「準備」は、ちょっとだけ卑怯なのかもしれない。敵と遭遇するのではなく、自ら向かう、言うならば追う立場だからこそ実行できる。

「やったぁ!」

 何をするかと言えば、答えは簡単。変身した状態で凛火が氷花さんを鞭で叩く、それだけのこと。こうすることで凛火は開戦と同時にブレイズモードになることができ、氷花さんのアブソーバーブレイドも発動可能になる。

 まさに一石二鳥の裏技。

 ただし問題点があるとするなら、

「きゃっふん!」

「ほぅら、痛いでしょう、苦しいでしょう?」

「あんっ。コレしゅごいよぉ、凛火ちゃん。もっともっとぉ」

「言われるまでもないわ。ほらほら、もっと悦びなさい。わたくしが直々に楽しませてあげてるんだから」

 ちょっと……いや、かなり僕には刺激が強いかな。

 ピシッピシッ、と氷花さんのカラダから鋭い音が響き渡る。静かな山の中では、不自然で不穏な音だった。

 さすがに炎を纏わせてはいないけど、あの鞭の痛みが氷花さんには二倍か。ゾッとする話ですなぁ。

「はぁ、はぁ……これはクセになるねぇ」

 やる前からなっていたでしょ。

「はぁ、はぁ、良い気分ね。クソ犬にも、ついでにご褒美をあげるわ。今回の作戦の発案に対する……ね」

 冗談じゃない。

「僕は遠慮するよ……って、危なッ!」

 僕の頬のスレスレを、鞭が凄まじい速度で通過する。横切った風圧で頬が切れそうなほど鋭い一撃だった。

「チッ。わたくしとしたことが、外すなんて」

 凛火は忘れていないだろうか。氷花さんが魔法の力で傷を負いづらくくなっていること、そして僕にはその特性がほとんどないことを。

 今の僕なら成人男性からの攻撃でも痛くないだろうけど、僕と同様に身体能力が向上した凛火からの攻撃には、僕が変身して得た防御力も相殺される。

要するに、氷花さんには平気な攻撃も、僕が受ければタダでは済まない。まずミミズ腫れは確実だ。

「協力しなさいよ、クソ犬の作戦でしょ? わたくしの鞭を受けるのよ!」

「協力するんだったら、椿くんもわたしを蹴ってくれると嬉しいな」

「だから僕にそういう趣味は無いんだってば!」

 蘭堂先生は一人離れて、遠い目をしていた。いつぞや言っていた幼女の条件とやらの一つ「無垢な心」について考えているのかもしれない。

 すみませんね、煩悩塗れで。

「ふふふ、あはは、あーっはっはァ!」

「ふゃん、うにゅん、ふにゅーーーーっん!」

 いや、本当に楽しそうだなぁ。

 やがて二人のブローチが同時に輝く。これで準備はオーケーだ。あわよくば凛火のブレイズチェーンだけで倒せるのではないかと、密かな期待もあったりする。

 凛火と氷花さんの顔は赤く、呼吸の音も大きい。

「次はどこを打ってやろうかしら」

「お尻でお願い!」

「もう終わったよ、準備は終わったよ!」

 放っておいたらいつまでもやっていそうなノリだった。

「チッ……まぁいいわ。続きはあのクソ豚共にくれてやるから」

 是非そうして下さい。

 しかし、ありがたいことに相変わらず空気が張り詰めていない。一度負けているから皆の気分がどうなるのかと思えば、何のことは無い、特に変わりは無かった。

 多分、普通の小学生だったら、こうはいかない。僕らの、えー……ちょっと変わった感性というか性格というか、そういうものがあればこそだ。蘭堂先生が僕らを選んだのは、やはり間違いじゃないんだろう。

 他の二人は知らないけど、僕は内心、少しは緊張している。敵をすでに知っていて、対策を練って準備をした万全の状態で挑むこの一戦。今度は退くことが許されない。屈することがあれば、それはもう勝てないということ。

 刺し違えてでも必ず倒す――そんな緊張、それと意気込みだ。

 まだ平坦なところには至っていないけど、木陰に身を隠す。戦いは僕らがここから一気に飛び出すことで始まる。

 奇襲――ちょっと卑劣かもしれないけど、そこは気にしないでおこう。

 全員が無言で視線を合わせる。意志の確認だ。僕と凛火と氷花さんは頷いたけど、蘭堂先生だけが反応を見せない。

「みんな、手を重ねて」

 中腰になって僕らと背丈を合わせ、スッと手を差し出してきた。スポーツとかでよくやりそうな、アレだ。

 士気を高めるというのは大事かもしれない。僕は最初に手を置いた。

 氷花さんも嬉しそうな顔で続く。

 やれやれ、と凛火が最後に重ね、四人の手が一点に集まった。

「シモベ達、わたくしの剣となり盾となり手足となり、各々死力を尽くしなさい!」

 グッと上から力が掛かる。

 これが号令というのは納得いかないけど、もう変更不可能な流れ。先制した凛火の作戦勝ちだ。

「はいっ!」

 仕方なく返事をし、腕を振り上げてハイタッチを交わす。

 なんか熱血って感じで良いなぁ。

 もう言葉は要らない。三、二、一で、みんな飛び出していた。

「ブレイズモード!」

 隣から凛とした声ともの凄い熱量が伝わってくる。

 目前の山頂に向かって、僕は脇目も張らずに走る。勾配がなくなり、最後の木の並びを通り過ぎる。

 有無を言わさず奇襲するつもりだった。だけどその光景を見て、僕らの足はピタリと止まってしまった。

「アレは、なに?」

 それ以外に言葉が出ない。

 倒壊した小屋の隣、黒々とした不気味な植物に絡めとられた、巨大なレーズンみたいな物体があった。それが、蔓のトゲが突き刺さって白目を剥いた、変わり果てたヌーヌの姿だと、すぐに気付いた。

 ヌーヌは泡を吹いて、ピクピクと動いている。

「なんだガキ共、また来たのか」

 建物の残骸、その影からザグイが姿を見せる。

「わざわざ登って来たところ申し訳ないが、お前達の仕事はない」

「どういうことかな?」

「む、今度は保護者同伴か。この状況から察することもできるだろうが、ヌーヌはもうすぐ絶命する。そして俺は帰る。それで事態は収束だ」

 仲間割れか?

「なぜ、ヌーヌを殺すんだい?」

「コイツとの契約は三二〇年前に終了している。死神という上位存在の無断召喚、これはその代償だ。少しずつ、自然回復させながら死ぬまで魔力を絞り取る」

 僕らは顔を見合わせる。

 ザグイの言葉を信じるなら、このまま踵を返して任務終了だ。あの赤い目にもまるで戦意がないことから、恐らく本当のことなんだろう。

 では死神を放っておいても良いのか、と訊かれると、問題ないと思う。なぜなら召喚者がいるからこそ現れたのであって、それが絶えれば僕らと接する機会はないからだ。

「念のために言っておくが、俺は虚言を吐かない。ギリギリのラインで騙しはするがな。ここ一番でひっくり返すために、普段は真実しか語らない」

 そう言ってザグイは口元を緩めた。

 なるほど、言っていることはわかる。でも自分で騙すとか言っているザグイを、信じても良いのかな。

 そんなことを思っていると、心を見透かしたかのようにザグイが続ける。

「あぁ、心配は要らない。今回は大物を狩れたからな。お前達のような小物には目が向かないんだ」

 ここで言う大物小物っていうのは、魔力量のことだろう。ヌーヌはこれから力を取り戻していくから、搾取できる魔力は膨大なはずだ。

「えっと……帰ります?」

 あっけないけど、この選択で平和が訪れるなら嬉しい誤算だ。

「そうだね。危険がないなら、それに越したことはない」

 僕と蘭堂先生はザグイに背を向ける。

 なんか気勢が削がれたっていうか、不完全燃焼っていうか、釈然としないっていうか、心に靄が残らないでもない結果だ。

 だけど近くから感じる炎の熱が消えない。いつまでも燃え盛る翼が凛火の背にある。

 まさか……。

「小物、このわたくしが?」

 ああっ、キレていらっしゃる!

「しかも、このシモベ達と同列で?」

 そこもですか、そこもキレるポイントなんですか!

 熱い。感情に乗じて炎の翼が発する熱が高まっているみたいだ。

 どうする、凛火はすっかりやる気だ。

「ここは素直に引き下がろうよ!」

「帰りたいなら帰れば良いわ。戦意のないクソは邪魔なだけよ」

「一人で勝てるわけ無いだろっ!」

「余裕よ。それに二人だし」

 二人って……氷花さん?

 どうして争い事が嫌いそうな氷花さんまで臨戦態勢なんだ?

「氷花ちゃん、無理して凛火様に合わせる必要ないから!」

「無理なんてしてないよ。あの声、椿くんには聞こえない?」

 氷花さんが妙に真剣な顔して言うものだから、つい耳を澄ませてしまう。

 風と草木が揺れる音、それと凛火の翼が空気を燃やすパチパチという音くらいしか聞こえない。

「凛火様、なんか聞こえる?」

「犬のくせに耳も悪いの? アレでしょ?」

 犬じゃねぇし。あと「も」ってなんだよ。他にどこが悪いって言うんだ?

 と、言いたいことはあるけど、それはスルーしておこう。

 本題は凛火の顎が示す先だ。そこにはヌーヌの姿。泡を吹いた口が、痙攣の他にも僅かに動いている。

「……た、助け……欲し……」

 出所を絞り込んだおかげか、僕にも微かに声が聞こえた。

「助けて、欲しいのらぁ。……契約が……れてるなんて、知らなかったのらぁ……」

 絞り出した様な声だけど、それでも声量が全く足りていない。全力の発声が風にすら掻き消されそうなほどに弱々しい。

 でも自業自得だと思うけどなぁ、僕は。

「ヌーヌちゃん、まだ何も悪いことしてないよ? この時代なら、今ならまだやり直せると思う。だからわたしは……助けたいんだ」

「あのクソ豚に地獄の苦しみを与えるのは、このわたくしよ」

 二人はすっかりその気だ。言われてみれば可哀相に見えなくもないけど……。

「どうする、椿ちゃん?」

 そんなことを訊かれてもなぁ。

「蘭堂先生、魔力を取られて死ぬって、どれくらい辛いんですか?」

「どれくらいって訊かれても、俺はそこまで詳しくは知らないよ。機能から推測するなら、たぶん血を抜かれるとか、そんな感じじゃないかな。血液と違って、ゼロになってもしばらくは死なないから、想像を絶する苦しみってくらいしか確かなことは言えないよ」

 てことは何かい、死を超える苦しみってことかい?

「……あんなところに閉じ込められて、やっと出られたのに……こんな死に方は嫌なのらぁ。もっと生きたいのら、死にたくないのらぁ……」

 くそう、ここにきて更に同情を買うような台詞を……ッ!

「だーっ! ……もう、わかったよ。やるよ、やりますよ、やってやりますよ、やっちゃいますよ!」

 普通は考えられない行動だよね、大魔王を助けようなんて。

 だけど僕らの思考は常に変た……じゃなくてイレギュラー、こんな選択は逆に自然なのかもしれない。

「そういうわけで、交渉は木端微塵に決裂よ!」

 凛火の言葉と共に、僕らは眉を吊り上げてザグイと向かい合う。あの赤い目が僕らを見つめて、徐々に鋭さを増していく。研がれていく刀、その切先を突き付けられているような感覚。

「妙なガキ共だな。だが、同時に面白くもある」

 大鎌を出現させ、ヒュンヒュンと空を切ってから構える。

「俺は死神のザグイ・ラ・ドイクェだ。ガキ共、名は?」

 ふふふ、名前を訊いちゃったね、訊いちゃったよね?

 僕らは横一列に並ぶ。真ん中に僕、右に凛火、左には氷花さんだ。

「ちょっと待った、今カメラを用意するから。……よしオッケー。決めてくれよっ」

 蘭堂先生がザグイと僕らの間に割り込み、カメラをこちらに向けて構える。応えるように凛火が一歩、前に出た。

「全てを統べる至高の女帝、キュリティード・エス!」

 パッキャーン、と効果音が鳴りそうな動きを見せる凛火。

 続いて氷花さん。

「どんな痛みも幸せに変える、被虐の姫君、キュリティード・エムぅ!」

 ぽわわわーん、と効果音が鳴りそうな動きの氷花さん。

 最後は僕だ。

「新たな快楽、開ける世界。新性導く鍵となる。性別の超越者、キュリティード・エイチ!」

 三、二、一、せーのっ。

『三人揃って、魔法少女隊、キュリティード!』

 決まった。完璧に決まった。

 見てくれよ、あのザグイの顔を。声も出せないほど見惚れているじゃないか。

 いやー、考えに考えた甲斐もあって、素晴らしい演出だ。

「いよっしゃあっ! 決まったよ、いいよ、最高だよ君たち!」

 目の前には一眼レフで連写しながら興奮している蘭堂先生。

 ちなみに、名前を考えたのは蘭堂先生だ。キュリティードは、キューティーとプリティーを合わせた言葉らしい。「ド」は付けるとカッコ良くて可愛さも残るからとか何とか。

 各々に付けられたエス・エム・エイチは桜庭・御崎・法橋の略だそうだ。

 続けて読むと「ドエス」や「ドエム」などの適切な言葉が聞こえるけど、気の所為だと信じたい。

「……………………」

 蘭堂先生がいそいそと場を離れる間も、ザグイは黙ったままだ。

「……終わったのか?」

「そうさ」

 さて、お互いに名乗ってしまっては、もう後には引けない。お茶目はここでシャットアウトだ。間もなく激戦の幕が開けるだろう。

 今度は負けない、絶対に。


 血が熱い。恐怖の冷気さえ焼け石に水、体中が熱くて堪らない。それでいて五感は全て鋭敏になっている。それでも集中が足りないくらいだ。

 僕の構えは基本的に、敵に拳を向けている。特に今回は、ガストバレットを撃つ隙がないから、突き出したままの形だ。

「まずは様子見、っと。ウインドショット」

 走る風の塊を、ザグイは左手で受ける。その際に透明な板みたいなものが出現したのが見えた。いわゆるシールドってやつだろう。

 でも守備の動作を見せた。レツエイで防いでいたと思われる前の戦いとは違う。やっぱり昼間に来て正解だったみたいだ。

 防御の動作も隙の一つ、希望の片鱗だ。

 そこを凛火は見逃さない。

「ブレイズチェーン!」

 ザグイの足元、地面を突き破り、発生する炎を纏った鎖が十数本、ジャラジャラと音を立てて暴れ回る。しかしザグイは動くことなく、全てを防いだ。

 身体を包む、球体の透明な壁だ。

「何よコレは!」

 鎖が全部弾かれ、傷一つ付けられない。

 こんな話、聞いてないよ!

「……わからない。死神にこんな力があるなんて、伝わっていない」

 僕らの目が行く前に、蘭堂先生が答える。

「底は見せない。だからこそ百戦錬磨、死神の座に着いている」

 くそっ、なんて卑怯な!

 あんな能力を隠し持っているなんてルール違反だろ!

「こんな壁がなによ。貫け、絡め取れ、燃やし尽くせ!」

 凛火は怯むことなくブレイズチェーンで攻め続けるが、壁はビクともしない。先端の矢尻も鎖も、炎もまるで効果がない。

「無駄だ。このジンクウを破った者はいない。最強の盾だ」

 ザグイは大鎌を一振り、断ち切られた鎖が消滅する。

「……レツエイ」

「うわぁっ」

 背中に強烈な衝撃。僕ら三人は前のめりに倒れる。出所が限定されるとは言え、予備動作なしのこの攻撃は相変わらず厄介だ。

 転がる凛火に鎌が迫る。素早く凛火は身を返し、氷花さんを召喚する。

「バカが。この刃の痛みを忘れたか?」

 そうだった。氷花さんは前回、あの鎌でやられているんだ。盾としての働きはできないはずなんだ。

 アブソーバーブレイドをここで失うわけにはいかないし、何より身体が心配だ。どうする、僕の方に瞬間移動させるか?

 しかしそれだと、防御の薄い凛火が確実に戦線を離脱する。

 そんな迷いの間、鎌の刃が氷花さんを襲った。

「ふにゅんっ!」

 ほら、悲痛な叫び声が……あれ?

「うんうん、良い感じだよぉ」

 全く痛そうじゃない。それどころか凄く嬉しそうだ。

 この前回と真逆の反応は、一体どういうこと?

「俺の攻撃が効いていないというのか?」

「当然よ。わたくし達が持つ盾も最強だもの」

 アンタが威張れることじゃないだろ。これは氷花さんの力なんだから。

「氷花ちゃん、本当に大丈夫なの?」

「特訓の成果だよぉ。攻撃の受け方、ちゃんと勉強したもん。それにおじいちゃんの地獄特訓四年生バージョンに比べたら、これくらい熱湯の後のお風呂だよ~」

 そういうことか。

 威力を殺す方法を学び、更におじいさんの特訓によって最上の苦痛に慣れた状態、これが氷花さんのベストコンディション。「翁の加護」を受けし氷花さんだ。

「だからバンバン使ってね」

 いや、極力避けるけども。

「……ならば、レツエイ!」

「きゃふん!」

 これもほとんど効いていない。これでまた少し、勝利の希望が色濃くなった。

「ウインドショット!」

 氷花さんの鉄壁に気を取られている隙に、風の弾丸。

 ザグイは反応が遅れ、腕でガードしたために体勢を崩す。そこに凛火の追撃。

「ブレイズチェーン!」

「ジンクウ!」

 ほぼ互角。一進一退とも言えない、ほんとうに膠着した状態だ。どちらも最強の盾を持っているために、互いの攻撃が通らない。

 つまり盾を破った方が勝つということ。でも二人同時攻撃や、前方以外からの攻撃には氷花さんを使えない僕らは、明らかに不利だ。

 そんな状況を打破する作戦、それがなんと、プランBだ。

「凛火様、氷花ちゃん。作戦を第二段階に移行するよ」

 二人の頷きを確認してから、僕は風の力を脚に込める。僕だってこの数日間、練習して得た力があるんだ。

「飛翔せよ、僕!」

 地面を蹴って垂直に跳ぶと、風が僕を巻き上げて飛ばした。心配することはない、スカートは逆から風を流して中身の露出を防いでいる。

 僕が身につけたのは、空を自由に飛ぶ力だ。これは影からの攻撃であるレツエイも無効化するし、その他色々と単体でも便利だ。だけどチーム戦でこそ、その真価を発揮できる。

 僕に続いて凛火が炎の翼で舞い上がる。透き通る炎と、散る火花が美しい。

 囲む木々を飛び抜けて、街が一望できる高さで停滞する。

 さぁ、見せてやるよ死神。この僕が考えた、このボ・ク・がっ、考えた戦術。究極のヒットアンドアウェイ。

「氷花ちゃん、まずは僕の方!」

 僕はブローチのリボンを引いて、氷花さんを呼びよせる。そして背中に手を置き、地上に向けて風の魔法で吹き飛ばす。

「氷花ちゃんショットォ!」

 落雷みたいに氷花さんが直下し、ザグイに拳を打ち込む。が、それはジンクウに阻まれる。

「次はこっちよ」

 氷花さんがジンクウに触れた瞬間、凛火が召喚して上空に戻した。

「ゴー、氷花!」

 尻を蹴って再び地上に落とす。僕の時ほど速度はないけど、充分に速い。

 その間に大砲の役割を持つ僕は移動する。そしてまた、氷花さんを引き戻して射出する。反撃する間も与えず、縦横無尽に氷花さんが飛び回る。

「クソ犬、もっと緩急をつけるわよ!」

 オーケー、了解だ。

 ということは、風で威力を高められる僕が加速役だな。

「行っけぇ、氷花ちゃんバレットォ!」

 掌を引いて、もっと勢いをつけて背中を押す。

 うーん、まぁ確かに敵は防戦一方だけど。威力も凄いし、飛ばす時や壁を殴った時の衝撃で氷花さんは嬉しそうだけど。

 でも……。

「あのクソ、亀みたいに引きこもってるわね」

 こうしてジンクウを出しっぱなしにされては、打つ手がない。

 マズイな。凛火も随分と長い時間ブレイズモードを発動できているけど、持久戦になればいずれ降りることになるだろう。僕も魔力が消耗すれば飛んではいられない。そうなればレツエイの餌食だ。

 だったら考えようぜ、僕。本で得た知識は、こういう時のためのものだろ?

 大丈夫だ。待たれていて不利でも、先にどんな思惑があっても、今この瞬間だけは防御に徹しているんだ。この時だけは追い詰めている、その証明。

 策略を張り巡らせて、瞬間を一秒に、一秒を一分に、更には無限に引き伸ばせ。そんでもって押し切れ!

「こらクソ犬、ぼーっとしない!」

「おっとゴメン。氷花ちゃんバレットォ!」

「きゃっふん! 今日は本当に良い日だよぉぉぉ――……」

 ふぅ、危ない危ない。考えながら戦うのは難しいな。

 さてと……。

 一斉攻撃はどうだろうか。例えばブレイズチェーンとアブソーバーブレイド、ガストバレットを同時に撃ち込めば……いや、接近する氷花さんが危ないだろ。しかも一点にぶつけなければ同時攻撃の意味がないし。

「おかえり、そして今すぐ行きなさい!」

「ひゃん!」

 でも力を合わせるという発想自体は間違っていないはずだ。他に考えられる作戦はないし。

 アブソーバーブレイドだけで破れる可能性もないではないけど、一撃必殺をここで失うのは辛い。仮に突破できるなら、ブレイズチェーンがある以上、アブソーバーブレイドを犠牲にする価値はあるんだけど……。

「ほい、っと。んじゃ、行ってらっしゃーい」

「きゃん!」

 水に火に風か。互い打ち消し合ったりして、合わせるには難しい気がする。でも組み合わせ方によっては、なんとかなるんじゃないか?

 現在の状況は発射役が二人いて、一人を弾として飛ばしている。

 そうだ、この仕組みを応用すれば良いんだ。

「クソ犬、なんでコッチに来るのよ」

「思いついたんだ、ジンクウを破る方法を」

「それならサッサと話しなさい」

 おっ、文句を言わないのは、これまでの功績か?

「次に氷花ちゃんを飛ばす時、僕の風に炎を乗せて。ジンクウを破ったあとはブレイズチェーンでザグイをやっちまってよ」

「……いいわ」

「仕留めるのが難しい場合は、左腕を狙ってくれ」

 左腕がジンクウを発生させる鍵のはずだ。あれが再生できるかどうかは分からないけど、破ったあとに復活されたら堪ったもんじゃない。

 僕は氷花さんを召喚する。

「氷花さん。次の一撃は、全力のアブソーバーブレイドでお願いするよ」

「わかったよぉ」

 こういう説明の暇がない時、氷花さんは素直だから本当にありがたい。

「凛火様、やるよ。スリー、ツー、ワン……」

「オーケー。イグニッション!」

 氷花さんの小さな背で、風と炎が爆発する。今までとは比較にならないほど超高速で落下していく氷花さん。透明な球体に包まれたザグイに一直線だ。

「これぞ奥義、氷花ちゃんジェットさ」

 問題はこれでジンクウを破壊できるかどうか。相変わらず破れる保証はないんだけど、まぁこれで破壊できないなら僕らには無理でしょう。その時は、名乗り合った決闘だけど、なりふり構わず撤退ってことで。

 水が落下の風圧で散りながら、キラリと光る氷の大剣が形成された。長さは二メートルくらいだから、ユ・テ・アバラスの時とは違って、長さよりも強度や鋭さに特化させたのかもしれない。

「てやぁああああああああッ!」

 地上付近から、可愛らしくも気迫のある声が聞こえてきた。残念ながら、炎が遮って氷花さんの姿は確認できない。

 僕らの遥か下方で轟音、そして粉塵が起こる。遅れて氷の破片が散り、陽光を反射してキラキラと光った。

 どうなったんだろう?

「降りるわよ」

「うん」

 僕らが降りていくと、モクモクと上がっている土煙が、僕の風と凛火の翼の風で払われていく。

 ……凛火の翼が、少し収縮しているような気がする。もうブレイズモードの限界が近いのかもしれない。

「矛盾とかいう言葉があったな」

 少しずつ晴れていく地上から聞こえる低い声。

「最強の矛と盾が戦えばどうなるか……か。答えは単純至極。矛が盾を貫き、盾が矛を通さないというのなら、双方砕ける。これが結論だ」

 ここでその話をするっていうことは、破ったのか?

「だから……勝つのは武器を持ち、反撃に転じやすい盾を持つ者だ」

 鎌を持ち、余裕の笑みを浮かべるザグイの足元には氷花さんが転がっていた。護りの魔法があるにも拘わらず、袈裟斬りにされて血を流している。

 魔法の限界を超え、さらに氷花さんの防御法を上回った?

 違う。

 ギリギリまでジンクウを破れなかったから、防御を捨てたんだ。

「ブレイズチェーン!」

 足元ではなく、地に円を描くようにザグイの周囲から鎖が飛び出す。

仕留められるか?

「ジンク……」

「ウインドショットォ!」

 防ごうとするザグイ。しかし氷花さんのおかげか、腕の動きは鈍い。

 そこに接近する鎖と風の弾丸だけど、このままでは……間に合わない!

「まぁまぁの働きよ、クソ犬」

 数ある鎖の一本、軌道が少しずれた。そこに重なるウインドショット。

「火炎の鎖が今、爆炎の鎖へと姿を変える。屠れ、ブラストチェーン!」

 寄り道したはずの鎖がさらに激しく燃え上がり、加速する。

 向かう先は左腕。

「グァアアアアアッ!」

 やった!

 爆炎の鎖が、腕に巻き付いた。

「……グォ……オオッ! 破壊しろっ、レッパ!」

 叫び声と共に振るわれる大鎌。もう銀白色ではない赤色の刃から、鋭い何かが飛ぶ。

 それは全ての鎖を断ち、僕らを襲った。

「うわぁっ!」

「くっ!」

 刃のついた円形の衝撃波が波紋のように広がった。僕は反射的に直撃を避けるも、鎬部分の僅かな膨らみに、屈んだせいで背を打った。

 身体を傾けて避けた凛火は左肩だ。翼で防げなかったのは――消えたからだ。

「無敵のジンクウを破り、俺の左腕を不能にした。人間のガキにしては良くやった。良くやったが……そこまでだ。おとなしく死ね」

 氷花さんはあの状態。凛火は地に立つしかない以上、レツエイでやられてしまう。そして僕には、二人の様な決定力がない。サポートに徹していたから役には立てていたけど、僕の風は神を前にして弱過ぎる。

 手負いでも、ただの微風で倒せるほど死神は弱くない。

 ここまで来て、ここまでなのか――。

「ハッ、よくもそんな口がきけるものね。腕一本では不服かしら?」

 アンタこそ、状況がわかっていないのか?

「もっとも、こちらも最初から、その程度で済ますつもりはないけれどねぇッ!」

「レッパ!」

 鞭を持って走る凛火が、衝撃波で吹っ飛ぶ。腹部に僅かな傷ができ、血が流れる。

 僕は身を屈んで避け、ザグイの足元から氷花さんを瞬間移動で引き寄せた。体は冷たく、苦しそうに喘いでいるだけで、目を閉じたまま動かない。

「フンッ、この程度では、わたくしは止められないッ!」

 ちょっと凛火、頭に血が上り過ぎだって。

「焦り過ぎだ、凛火様」

 短気なのは知ってるけど、無策で突っ込むのはいくらなんでも無謀だ。むろん僕の忠告に従うような凛火じゃない。炎の鞭を片手に、再び走り出す。

 あぁもう、世話が焼けるったらないよ。

「一人で行って、どうすんのさ」

 脚に力と風を溜めて、解き放つ。飛翔の応用、ダッシュ力が増しに増す。近くじゃないと動作が大きい僕のガストバレットは当たらない。ウインドショットでは威力の面で役不足だ。

 だけど別に、突っ込むつもりはない。あくまで僕は、サポート役だ。

「レツエイ、レッパ!」

 僕はザグイが動く前、既に低空を飛んでいた。両方の衝撃波は僕に当たらなかったけど、凛火の身体は打たれていた。

 それにも構わず、凛火は倒れることなく進む。どうやら背後からのレツエイと前方からのレッパ、互いの力が衝突したため、転倒を免れたみたいだ。でも挟まれての攻撃だから、ダメージは尋常じゃないだろう。

「追い詰められた獣の最期の抵抗か。火事場の馬鹿力は案外バカにできないものだ。だから手は……抜いてやらんぞ」

 ザグイは死神の鎌を振り上げる。

 間合いが狭まり、刃が動く瞬間――。

「ガストバレットォ!」

 腕に向かって渾身の一発。

「無駄だと言っている!」

 ザグイの影、低空に浮く僕の影、走る凛火の影から飛び出す衝撃波。弾丸も僕も打ち落とされ、凛火も転倒する。そして間も空けず、下ろされる鎌。

「凛火、危ないッ!」

 ……って、おいおい。危ないのは僕も一緒だろ?

 なのになんで、風を使ってまで刃の前に飛び出してるのさ。

 ――ああ、氷花さんの血で赤く染まった刃が僕に迫る。

 痛いのかな。痛いんだろうなぁ。痛すぎて痛く感じなければ良いけど、魔法で上がった半端な耐久力の所為で、死ぬ寸前まで凄く痛いかもしれない。

 防げるかなぁ、戦い慣れしていない僕に。防げるかなぁ、氷花さんを血みどろにした鎌の一振りを。

「おぶふッ!」

 あ、なんだろ。鋭い音が僕の胸から聞こえて、妙な液体の音も遅れて聞こえて、変な声が僕の口から聞こえた。

 不幸中の幸い、痛みはあまり感じない。

「……っの、クソがァアアアアアアアアッ!」

 背中の方で甲高い声。

 でも何にも見えないや。半分は闇で、半分は赤で。意識はハッキリしているし、五感も視覚以外は完璧だ。

 目が見えないっていうのは不自由なもので、この僕の身体を焼くんじゃないかってくらいの熱が何なのかさえ、わからない。

「焼き尽くせッ、ブレイズチェーン!」

「切り刻め、レッパ」

 なんだよ、だから何が起こってるんだよ。

「わからんな。なぜまだ立ち上がる? なぜヌーヌのために、そこまで戦える?」

「……ハッ、寝ぼけてるわけ? わたくしが……クソ豚のため……なんかに戦うはずがない、でしょ……」

「では、お前が戦う理由はなんだ? くだらんプライドか?」

「つくづくバカ……ね。そんなもの、氷花が……助けたいと言ったから……。そして、氷花と椿が、友達がッ、傷つけられたからに決まっているでしょうッ!」

 ん、幻聴か?

 あの高飛車女王の凛火が、僕のことを椿って、友達って言ったか?

「そうか。だが悪いな。死神として、もう見逃してやることはできない」

「上等。勝つのは、わたくし……」

 重いものが倒れる音が、近くで鳴った。

「翼が消えたか。恐らくは意識もないだろう」

 草を踏む音。

「安心しろ。善戦に免じて、楽に殺してやるよ」

 ヤバイッ、誰かがやられるッ! 腕も脚も重くて動かないし、風も操れない。誰か動けないのか?

 ……そうだ、蘭堂先生は?

「蘭堂……先……」

「まだ意識があるのか、お前は。あの男なら、混戦の間にレツエイで眠っている。一時的か、永久かは知らないがな」

 くそっ、打つ手なし。しかも意識があることを知ったからか、僕の方に足音が近づいてくるし。

 やっぱり戦わないで帰るべきだったんだよ。

 無駄死にじゃないか。

 読んでない本も着てない服も、家族と話したかったことも、他にも心残りって結構あるんだけどな。

 幽霊とか転生って、信じてないとダメなのかな。そうだとしたら、しまったなぁ。全く信じてないよ。今からでも、上辺だけでも大丈夫ですか?

「まず一人目、死ね」

 グッバイこの世。グッバイ皆。お金は無かったけど、幸せは余るほどあったよ。

「きゃふ……んッ!」

 ……おや?

 意識が途切れない。しかもまた落下音が近くで聞こえたし、聞き慣れた声も……。

「チッ、わらわらとォッ!」

「わたしは、みんなの盾だも……ん。生き、ている限り……寝てられないよ」

「ならば先に死ねッ」

「……そして剣でもあるの。アブソーバーブレイド!」

 激しい金属音の連続が、キンキンと脳に響く。これが刺激になったのか、腕が動くようになった。

 ゴシゴシと目を擦り、視界を開く。

「動きに怪我の影響はないようだが……所詮は人間だ。ジンクウがなく一騎打ちだからといって、勝てるとは思わないことだ」

 氷花さんが短い氷剣で、必死に攻撃を受けていた。負ったダメージの貯蓄がほとんどないせいで、刀身が三十センチメートルくらいしかない。それも弱々しい煌めきで、今にも砕けそうだ。

 呑気に見つめているな、立ち上がれよ。加勢しなきゃ、やられちゃうだろ。

 腕を動かして……うぉおっ、胸が張り裂けそうなほど痛い。いや、すでに表面は張り裂けているに近いけど。

 でも氷花さんは、これより痛いはずだ。今度は脚を動かして……いたぁい。

 僕がヨロヨロと立つ間にも、氷花さんとザグイの攻防は続いていた。攻防というほど攻守は入れ替わっていなく、氷花さんが危なげに捌いているだけだったけど。

 チラリと氷花さんが僕を見た。微かに笑った気がした。

 まるで剣道の切り返しみたいに、左右から氷花さんを襲う鎌。右から左へ、左から右へ、そしてまた左へ流れようとした、その刹那――。

 ザグイの腹部を、氷剣が貫いた。

 同時に鎌が氷花さんの背中を引っ掻くように斬った。

 吹き出して混ざる血と血。死神にも血が通っているのか。

「最短距離を走る高速の突き。後の防御も考えない、捨て身の攻撃。人間にしては……ではなく、ただ素直に思う――」

 氷花さんはズルリ、と崩れるように倒れた。

「強かったぜ、氷剣のガキ」

 辛そうな顔が倒れた氷花さんを見つめ、そして僕に向いた。

 凛火が一対一で敗れ、氷花さんも同じく散った。でも二人はそれぞれ、ザグイの腕と腹を奪った。これだけの死闘を見せられては、寝ているわけにいかないぜ。

「ハァ、ハァ……最後の一匹か……」

「一人って……ゴホッゴホッ、言ってよね」

 空気を握って拳を引くと、うわっ、口から血が出たよ。これ臓器がちょいとマズイんじゃないの?

「レツエイ」

「ガストバレットォ!」

 示し合わせたわけではないのに、同時の攻撃。発動も距離も、向こうに分がある。僕は足元からの攻撃に背を打たれ、前のめりに倒れる。

 地面に打った胸が痛い。

 血が草を汚した。

 ザグイはというと、鎌で風を切り裂いていた。

「諦めろ。お前では勝てない」

 言われなくたって、それくらい理解してるよ。頭でも、身体でもね。僕の心の中にある、僕を支える二つの石。その一つはもう随分と前に、粉々に砕け散っている。

 だけどさ、一か所だけ聞き分けの悪い部分があってね。

「自分を大事に思う心だけが胸にあるのなら、僕はとっくの昔に諦めてるよ。でもね、大切な人達への想いで輝く心は砕けない。ヒビ一つ入らない。この魂だけはッ、諦めてくれないんだよッ!」

 三連発のウインドショットを打つ、が――。

「……レッパ」

 三つを連続して壊す衝撃波の円。ソイツがついでに、僕の胸を横一文字に斬った。

 また草を汚しながら、転がされる。

胸部に赤いラインが出来上がった。

「ガストバ……」

「レツエイ」

「まだだァ!」

「ハッ!」

「ごふッ。なんのォ!」

「逝け」

 ダメだ。挑んでも挑んでも勝てない。たったの傷一つすら付けられない。ウインドショットもガストバレットも通じないんだ。

 ……だったら、また考えればいい。結局のところ、僕にはそれしかできないんだから。

 僕が見た最強の力は、現時点で氷花さんのアブソーバーブレイドだ。多分ザグイですら単純な威力勝負では及ばない。だからその仕組みを考えれば、答えは見えてくる。

 まずは力を溜めること。威力を高めるにあたって、これは考えるまでもないことだろう。ガストバレットでも既に使っている案だ。もちろん今回も採用する。

 次は……形状だ。刃物が斬れるのは接する面が非常に狭く、圧力が高くなるからだと本で読んだことがある。

 要するに高めた力を一点に集中すれば、強力な攻撃ができあがるという簡単な式。

 で、最後の問題。その二つを満たすのは、一体どんな攻撃なんでしょうかね。

 面積が狭いっていうと、やっぱり指だ。それで力を溜めるとなると……むむむぅ、ビビッときたぁ!

 まるで頭に電流が走ったような感覚だ。

 僕は指輪のついた右手の中指を折り、左手の中指で爪を押さえる。

「何かの祈りか、それは?」

 ああ、自分でも間抜けな格好だと思うよ。この局面でデコピンの構えなんだから。でもね、基本的に僕は、自分の発想を信じることにしているんだ。

「祈り……近い、かもね。強い想いが乗って……ゴホッ、いるのは確かだから」

 こんな技、心の底から湧き上がっていたものじゃない。頭で考えたものだから、技の名前も浮かばない。

 でもそれで良い。浮かんでくる技は蘭堂先生が設定したものだから。そして僕は蘭堂先生の想像を超えた存在だったから。

 この前こっそり聞いたんだ。僕のブローチが初めから輝いている理由を。

 魔石は心に連動して輝く。だから他の二人は、それぞれ条件を満たして輝く。だけど僕は、魔法少女になっているだけで、その条件が満たされているんだ。

 つまり僕は常に全力で戦える。でもそれが想定外。突発的に出会ったイレギュラーな存在に対して、ほとんど必殺技を設定することができなかったらしい。

 だから蘭堂先生の考えを超えてこそ、僕は強くなれる。

「そうだな、この技の名前は……」

 腕をまっすぐに伸ばしてザグイに向ける。

 ただ中指だけに全てを集める。神経、魔力、力、気迫、想いを一点集中。

 ザグイは鎌を振る。構うもんか。たった今、氷花さんが見せてくれたじゃないか。鎌は直線距離を走れない。まだ時間に余裕がある。

 今なら先に撃てる――と、思うんだけど、まだ、集中が足りない。怪我したって良いじゃないか。みんなもボロボロなんだから。相撃ち上等さ。

 刃の先が僕の背に刺さる。もうちょい。一撃で沈めなければならないんだから。

 肉が裂け、血が噴き出る。

 今だッ!

「シルフ……レーザァアアアアアアアアッ!」

 ザグイの眉間を狙って、全身全霊で放つ風の閃光。指先から翠色の光が見えたところで、残念だ、僕の五感が働かなくなった。


 なんだ、この感覚は。真っ暗で、冷たくて、それでいて現実味がない。まるで深い海の中にいるみたいだ。でもなんか、すごく痛いんですけど。

 背中とか胸とか、全身を切り刻まれたような感じ。

 そんな中で最も痛いのは、顔。

「こらクソ犬、起きなさい!」

 もっと限定すると頬だな。

「寝たフリしてんじゃないわよ」

 妙に甲高い声と、乾いた音が響く。まったく、誰だか知らないけど、人が気持ちよく眠っているのに騒がしくするなよ。

「さっさと起きないと、アリスとかいう服、破り捨てるわよ」

「ふざけんなコラァ! あとハート・オブ・アリスだコラァ!」

 痛ぁッ!

 ついつい弾けるように身を起したら、僕の胸と背中の傷、あとなぜか頬を焼けるような痛みが襲った。

 うえぇ、口の中に鉄の味が充満している。

 ここは……えっと、黒三山の山頂だ。

 僕の傍らには血だらけの凛火がしゃがみ込んでいる。

「凛火様、状況は?」

「アンタが倒したんじゃない、あのクソを。覚えてないの?」

 覚えてないというか、見てすらいないな。シルフレーザーを撃ったところまでしか記憶がない。僕が倒したってことは、あの一撃で倒したってことか。

「……あれ? 起きてたの?」

「当然。勝負の結末を二度も見逃すはずがないでしょう?」

 悔しかったんだな。ユ・テ・アバラス戦で眠りこけていたのが。

「どれくらい時間が経った?」

「たった今、終わったばっかりだけど」

 ちょっとぉ、少しは休ませろよぉ。

 どおりで血が固まっていないわけだ。痛みも治まるどころか、張り詰めていた気が緩んだせいで酷く悪化している。

「氷花ちゃんと蘭堂先生は?」

「これから確認するところよ。立てないようなら、そこに座ってなさい。ただし寝ないこと、それと変身を解かないこと」

「ああ、うん」

 なるほど。一度寝たら、もう二度と起きれる気がしない。すぐに起こしてもらって正解だったな。それに変身を解いても魔法の加護がなくなって、たぶん死ぬ。

 一応心配してくれてるんだな。

「ほら氷花、早く目を覚ましなさい」

「……蹴ってくれたら覚めりゅ」

「ここまでの怪我人は、流石のわたくしでも蹴れないわ」

 氷花さんも生きているらしい。あとは蘭堂先生か。生身でレツエイを受けたらしいけど、大丈夫なのか?

 凛火が山頂の広場端、茂みの近くに移動する。

「クソ眼鏡、いつまで寝てるつもり?」

「……幼女……料理教……室……むにゃ」

 うおおっ! これだけ離れているのに、凛火のキレる音が聞こえてきた。

「そのまま永眠しなさい!」

 あっ、今度は容赦なく蹴っている!

 あのヒールは痛いぞ。大丈夫か、蘭堂先生。

「このクソ眼鏡、滅べ!」

「……んん……法蓮たんの、手料理じゅるり……」

 蘭堂先生、僕、アンタのこと嫌いじゃなかったよ。でもさ、本当に済まない。今は強烈な殺意が胸を巡っているよ。

 まぁ僕が手を下すまでもなく、アンタは朽ち果てるだろうけどね。

「ちょうど今、アンタを蹴って気が昂ぶったわ。灰も残さず消してやる。ハァァアアアアッ、ブレイズモォーーーーーードッ!」

「ちょっ……それはマズイって!」

 そんな騒動からややあって、僕らはヌーヌの前に集まった。

 僕らも死にそうだけど、ヌーヌはそれ以上に生者の顔をしていない。解放した瞬間に襲われたらどうしようかと思ったけど、その心配はなさそうだ。そもそもこの巨大な干しプルーンみたいな物体、まだ生きているのか?

「この植物を取り除けば良いんですよね」

「多分そうだろう」

 問題はこの腐ったような黒い植物をどうやって取り除くか。

「僕の風ではちょっと難しいなぁ」

「問題ないわ。さっきクソ犬の所為で使い損ねた、わたくしのブレイズモードで、焼き払ってやるから」

 いや、ヌーヌも死ぬから。

「大丈夫だよぉ。最後に死神さんから受けた攻撃で、わたしもアブソーバーブレイドが使えるから」

「じゃ、氷花ちゃんで」

「なんでよッ!」

 だからヌーヌが死ぬからだってば。

「そう言えば、死神さんって死んじゃったんですか?」

 ダメージの蓄積量が少ないから剣の形成が難しいらしく、手間取っている間に氷花さんが尋ねる。植物を斬れるくらいの威力と長さを、限られたエネルギーで振り分ける作業が大変なんだろう。

「いや、召喚される神は分身を寄こすから、本体は死んでいないはずだよ。お陰で数百分の一程度しか、力を発揮できないみたいだけどね」

 あれが全力じゃなかったというのか……。

「そうなんですかぁ。良かったです」

 実戦派の剣術を学んだ氷花さんは、きっと命の重さも学んでいるんだ。命というものを誰よりも大切にしている。だからこそヌーヌを助けたいと思ったんだろう。ザグイの存命を知っても、顔を輝かせている。

「うん。ヌーヌを救えば、結果的に死者はゼロ。君たちの勝ちだ」

 今回はね。でもヌーヌを生かすなら、安心はできない。

「よぉし。それじゃあ切るよぉ?」

 氷花さんの周りで巻き上がる水の渦が手に収束し、小さな氷剣ができた。刀身は十センチメートルくらいで、剣というよりはナイフみたいだ。

 短剣って、片手だし遠心力も乗りにくいし重さもないしで、随分と切りにくいらしいけど切れるんだろうか。

「ていっ!」

 ……なんて、素人の心配は無用でしたね。あの氷花さんが切れるって言ったら、切れるんだよ。

 切断された植物がボトボトと落ち、最後にヌーヌも落下する。どうでもいいけど、あの植物なんかヌメヌメしてないか? 汚いなぁ。しかも落ちた後、虫みたいにピクピク動いてるし。

「ヌーヌちゃん、大丈夫?」

 近くに行って様子を見るけど、大魔王は微動だにしない。周りで蠢く植物とは対照的な光景だった。もはや球体ではなく、目も口もどこだか分からない。

黒くて皺になり、垂れた物体が転がっているだけだ。

「手遅れだったか」

「そんなぁ。さっきまで生きてたのに……」

 討伐予定だった大魔王が死んだだけなのに、氷花さんは酷く悲しそうな顔をしている。もしかしたら氷花さんだけは、始めから倒すつもりはなかったのかもしれない。ザグイの身を案じたこともそうだけど、命というものを本当に大切にしているんだな。

「ここまでしてやって死なれるのも不愉快ね。ほらクソ豚、目を開ける!」

 あのヌメヌメした干しプルーンによく触れるなぁ……じゃなくて、そんな強引に目を開こうとしてもダメだって。

「あら、これはただの皺ね。球体でここまで容姿が変わっていると、どこが顔だか分からないわ」

 そんな乱暴に扱ったら、いくらなんでも可哀相だろ。

「あ、これが眼球ね」

 ブスリと嫌な音。

 あっ、ちょっと動いた。

「コイツ、まだ生きてるわね」

「よかったよぉ」

 今ので死んだかもしれないけどな。

「これで蘭堂先生の機械まで運べば、治せるねぇ」

「いや、それは無理だよ。あの機械には、魔力を補充する機能はないからね。だから残念だけど自然に回復するのを待つしかない」

 でも待ってる間に力尽きるんじゃないのか?

「ま、仕方ないこともあるさ。携帯用の治療機械を作って来たから、君たちの応急処置を済ませよう。完全回復はしないけど、ある程度までは治せるから」

「そんなものがあるなら、もっと早く言いなさいよ。あちこち痛くて大変なんだから」

 ごもっともだな。物事には優先順位があるんだろうけれど、一言で良いから教えて欲しかった。出血が酷くてめまいがするという頭で、どうやって下山しようか考えていたんだから。

「見たところ、みんな同じくらいの重傷だね。これも時間が掛かるから、辛いコから来てくれ」

「わたしは後でいいよぉ」

 先生の説明の後、氷花さんがすかさず答える。そう言うだろうと思っていたけど、即答すぎる。何にしても、順番は決まったな。凛火はどうせ最初と言うだろうから、凛火、僕、氷花さんの順だろう。

 ヒマな時間をどう潰そうかな。リボンがまた傷んでるし、補修でもするかな。

「クソ犬、何してるの? 早く治療を受けなさい」

「え? 凛火様が最初なんじゃないの?」

「どうして勝手に決めつけてんのよ。わたくしだって痛むんだから、喋ってないで早くしなさいよ」

 凛火の中では僕が最初になっているみたいだ。なぜだ?

「いや、僕は慣れたのか神経が麻痺してるのか知らないけど、今はほとんど痛くないから後でいいよ」

「それ危ない状態だよ、椿ちゃん。君から治療しよう」

 え、そうなの?

「でも凛火様、僕が先でいいの? 痛いんでしょ?」

「いいのよ。えー……ほら、新型なんでしょ? アンタは実験台」

 なるほどね、納得です。

 ……あれ? でも蘭堂先生の部屋に設置されてる機械を最初に使ったのって、確か凛火じゃなかったっけ?

「なにアホ面してるのよ。急げって言ってるでしょ」

 ……ま、いいか。争っている時間ももったいないし、ありがたく治してもらおう。

 小型治療機械は、電池のところに魔石を嵌める懐中電灯型だった。しかし懐中電灯機能に切り替えないと光は出ないらしい。電子レンジといいコレといい、どうして本来の機能を残しておくんだろう。

 小型は一度に治せる範囲が狭く、治療速度も電子レンジ型の半分くらいだ。

 僕、凛火、氷花さんの治療が終わると、再びヌーヌの前に並ぶ。

「それで、結局は待ってるんですか?」

「そうする他ないかな」

 ヌーヌの危険性を考えると、放置ってわけにもいかないから困る。

「頑張ってね、ヌーヌちゃん」

 氷花さん。励ますのは良いけど、握っているそこは、きっと手じゃなくて足だよ。

「……これ、水に浸したら戻ったりしないかしら」

「浸すなら魔力じゃないと、戻らないんじゃないかな」

 だよねぇ。参ったな、疲れたから早く帰りたいんだけど。

「やってみないと分からないでしょ?」

 凛火がブローチのリボンを引くと、氷花さんの姿が消え、凛火の前に出現する。

 何をする気だよ……って、ああっ、氷花さんがっ!

「きゃっふん、ひゃっふん!」

 悦んで鞭に打たれてるっ。

「ほら、出しなさいよ。アブソーバーブレイドを出しなさいよ。その時に発生する渦をあのクソ豚にブッ掛けなさいよ!」

「ふみゅっ、まだまだ……にゅんっ、溜まらないよぉ。もっともっとぉ」

 ああ、また僕には刺激の強い光景がっ。

「……椿ちゃん」

「なんですか?」

「幼女って、無垢って何なんだろうね」

 そんなこたぁ知りませんよ。

「幼女――おさない女の子。無垢――心身が汚れていないこと……じゃないですか?」

「そんな辞書的な答えは求めていないよ。俺が望んでいるのはもっと哲学的な答えだ」

 なおさら知りませんよ。

「世界に一つしかない、自分だけの答えを探して下さい」

 ずいぶん遠くを見つめているけど、そこに向かって旅立ってみればいいんじゃないですか?

「ここに幼女は、君しか居ないのかな……?」

「僕は男です」

「君は幼女だ」

 だから違うって。

 そうこう話している間に、二人のブローチが輝く。

「準備完了ね。氷花、やりなさい」

「はーいっ。いっくよぉーっ、アブソーバーブレイド!」

 水流が勢いよく螺旋を描く。空を舞う水は幻想的で美しい。

 効果はあるかなぁ。個人的には、いけるんじゃないかって気になってきたけど。

 凛火の炎は魔法によるもので、たとえば翼は望んだもの以外である周りの木々を焼かなかった。それは明らかに普通の炎ではないから、炎自体にも魔力を含んでいるかもしれない。

氷花さんのアブソーバーブレイドもそれと同様だと仮定して、もしもヌーヌが魔力をそこから吸収できるなら、可能性はある。

 いざ実行すると決まるまで、気付かなかったことだけど。

 ヌーヌの身体は水流に巻き上げられ、その軌道に沿って回転する。激しい水の勢いは調整できないのか、攻撃や防御なら問題ないけど、治療には適していない。

 まぁ、荒療治ってことで納得してくれ。

「クソ豚の身体、なんか光ってない?」

 どれどれ?

「本当だ。水が日光を反射してるから分かりにくいけど、確かに光ってる」

「地面にも変な模様が光ってるよぉ」

「これは……召喚魔法? しかし一体、何の?」

 白い光が山に満ちる。辺り一帯を包む閃光が地面から溢れ出ていた。僕の視界には白光しかなくて、他には何も見えない。

 耳にも風の音しか聞こえていなかったけど、ある瞬間、ヌーヌの声が聞こえた。

「召喚魔法『イヴ・アーヴリル』」

 ……不思議だ。目が痛いくらい強い光のはずなのに、今は直視しても心地よくて、温かい。携帯治療機械では治まりきらなかった痛みが、夢から覚めたみたいに、あるいは夢に堕ちるみたいに静まっていく。

 光の性質が変わったんだ。世界を跨ぐ掛け橋の役割を持つ光が、何者からか発せられる癒しの光に。

 なんて優しい力なんだ……。

「痛みが、消えていくわ」

「こんな気持ち良さも、たまには良いねぇ」

「ザグイ・ラ・ドイクェにも並ぶ大魔王の切り札――これさえあれば何があろうと、というバックアップ。癒しの天使『イヴ・アーヴリル』か。怪我も魔力も、疲労すら元に戻す天上の存在――」

 残っていた痛みが完全になくなった時を境に、光が次第に消えていく。上昇気流が起こり、草や木の葉、それと大量の羽が舞い上がる。

 天使の光が降り注ぐ日光に溶けて混ざる。晴れた視界には、天使の姿もヌーヌの姿も映らなかった。その代わりに、小さな模様が地面に一つ。

 そこから十センチメートルくらいのヌーヌが生えてきた。

「わぁっ、かわいいっ」

 とは氷花さんの感想。

「蘭堂先生、これは?」

「さぁ、知らない魔法だよ」

 僕らは警戒してミニヌーヌを見つめる。魔法に限らず、未知というのはそれだけで警戒するのに充分な理由だ。

 念のために、僕はガストバレットの構えをしておく。僕の魔法の中で砲弾が最大だから、目標のサイズが小さいこの状況では他の二つよりも当てやすいはず。

 さぁて、何が起こる?

 ミニヌーヌはブルッと身を震わせた後、口を開いた。

「お前ら、よくやってくれたのら。褒めて遣わすのら」

「凛火様、抑えて! 自分を強く持って!」

「離しなさいクソ犬! 豚は焼き豚になる運命なのよ!」

 しまった。自分を強く持たれたら悪化するじゃないか。

「あわわ、この分身は痛覚も共有するから、乱暴にしないで欲しいのら」

 わっ、バカ!

 そんなこと言ったら……。

「あらそう。まぁ、そういうことなら善処するわ」

 えっ、マジですか?

 いやぁ、凛火も大人になったねぇ。

「でもこんな風に手が滑ったなら、仕方ないわよ……ねぇッ!」

 やる気マンマンじゃないかぁ!

「氷花ちゃん、お願い」

「うんっ、任せて!」

 氷花さんが瞬間移動で間に割って入り、ミニヌーヌは事なきを得た。

「ひゃふん!」

「チッ、やるわね」

 まったく凛火はもう……歪んだ状態で歪まないな。

「椿ちゃん。幼女って、無垢ってなんだろうね」

「だから知りませんってば。少なくとも僕ではないですね、男なんで」

「いや、君は幼女だ」

 話が進まないから、みんな少し黙っていてくれないかなぁ。

「それでヌーヌ、これが分身ってことは、本体はどこに行ったのさ」

「イヴ・アーヴリルの光に紛れて、とっくに逃げたのら。今は海を泳いでいるのら」

 海って……速っ!

 最寄りの海岸でも数十キロメートル離れてるのに、この短時間で?

「クソ豚、泳げるの?」

 浮くくらいしかできなさそうな体型だけど、太ったイルカとペンギンの間みたいな感じだから、泳ぎは上手いんじゃないかな。

「音速突破で泳ぐのら」

「マジで?」

「……さすがにそれは嘘なのら」

「氷花ちゃん、僕と一緒に凛火様を抑えて!」

「はいっ」

「離しなさい! この豚を焼却して生ゴミに混ぜてから焼却して生ゴミに混ぜて、更に焼却して生ゴミに混ぜて焼却するのよ!」

 おい、落ち着け。何を言ってるのか全然わからないぞ。

「身の危険をヒシヒシと感じるのら。だから用件だけ伝えて、サッサと消えるのら」

 最初からそうしてくれ。

「借りは必ず返してやるから、覚えておくと良いのら」

 そう言うと、白煙となってミニヌーヌの姿が消えた。散っていたイヴ・アーヴリルの羽も一緒に。

 晴れた空の下、黒三山の頂に完全な平穏が戻る。そして僕らが変身を解くことで、この騒動における全ての超常が幕を下ろすことになった。

「これで今のところ、事態は収束か。みんな、帰ろうか」

 蘭堂先生が白衣を翻し、広場の中央に背を向ける。

 そう、今のところ。ヌーヌを逃がした以上、これから枕を高くして眠れるわけじゃない。

 引っ掛かるのは「借りを返す」という言葉。これまでのやり取りを思い返すと、仕返しにも恩返しにもとれる。

「蘭堂先生。借りを返すって、どっちの意味なんですかね?」

 不安が僕の胸で蠢く下山途中、自分だけでは答えが出せなかった。

「それを知るのはヌーヌだけだよ」

 それはわかっている。ただ、少しでも安心したかったんだと思う。これからも熾烈な争いが起こるなんて、今は可能性だけでも思いたくはない。

「ただ、俺は別にどっちだろうと心配していないけどね」

「どうしてですか?」

「仮に報復の意味だとして、無責任かもしれないけど、君たちなら最後に勝ってくれるだろうからね。もっとも、俺は百パーセント恩返しの意味だと思っているよ」

「だから、どうしてですか?」

「だってさ……悪意を疑うよりは、善意を信じたいじゃないか」

 はいはい、カッコイイですね。

 しかし僕ら子供にとっての大人の言葉には、無条件で妙な説得力と影響力がある。それは胡散臭いほど爽やかな笑顔で言われたものでも変わらない。

 善意を信じる……か。

 心に浮かべるだけで清々しい気分になった。

 戦いの後、不安定になった心まで治療してくれる。戦闘はできない蘭堂先生だけど、僕らにはできない支援をしてくれる。

 部活動の顧問みたいだ。僕達をいつも見守ってくれる。

「……先生」

「ん? 今度は何だい?」

 素直に面と向かって言うのは照れるんだけど、感謝しておこう。

「お疲れ様です。それと、ありがとうございました」

「……って、どうして涙を流しているんですか!」

「いや、なんか嬉しくて」

 意外と涙もろい、のか?

「幼女の無垢な心が一つでもここにあって……」

 最後の一言は聞かなかったことにしよう。感動が台無しになるから。

次で終わります

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