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追撃の水曜日

 昨日はホントに大変だった。特に帰宅後の言い訳が。帰りが遅過ぎるからってことで学校まで迎えに行かれ、電気がどこにも付いていなかったと猛攻撃。どこにいたんだと詰問。安心して泣きわめく法蓮に揺さぶられる心。

 もうガッツリ怒られた。久しぶりにあそこまで怒られた。

 僕は割と良い子に過ごしているから、怒られること自体が少ない。母さんに怒られることは極稀にある。麻美姉に怒られることも、まぁ無いではない。でも青梅姉にまで本気で怒られたのは、たぶん初めてだと思う。

 ヌーヌとの再戦は、ぜひとも休日の昼間にして欲しい。

 ちなみに、体に傷は残っていない。蘭堂先生の自室に設置された大掛かりな機械で跡形もなくサッパリだ。その動力部にはもう一つの魔石が嵌め込まれていた。

 ちょっと時間はかかるけど、これがあれば大抵の怪我は痕もなく治る、とのこと。

「ははは、幼女の身体に傷を残すなんて、この俺が許すと思うかい?」

 とも言っていた。ただ、魔力が少ないものには効果がないとかで、僕らも変身した状態じゃないと使えない。むろん蘭堂先生は使えない。だから多分今日、蘭堂先生は腕を吊ってくるだろう。骨折までは至らなかったみたいだけど、結構ひどい怪我だった。

 怪我は治っても疲れは取れない。ヌーヌを取り逃がした心配だってある。

 いやー、これほど学校が面倒だと思ったことはないなぁ。

「椿ちゃん、学校いこっ」

 あ、面倒臭さが吹っ飛んだ。法蓮の笑顔を見れば、どんな負の感情も浄化される。

「よし、行くかぁ」

 居間でとろけたチーズみたいに寝転がっていた僕は、傍らのランドセルを手にして立ち上がった。今日のランドセルにも、結構本が入っている。

 内容は魔法ものや神話系、それと時代ものなど戦闘シーンが入った本が多く、次に兵法書や武術の本、心構えを説いた哲学書など。もしかしたら普段の読書の中で、今後役立つことを得られるかもしれない。

「行ってきます」

 僕らは声を合わせて言った。

 居間には麻美姉と青梅姉がいる。母さんはすでに会社へ向かっていた。

 青梅姉も登校を控えて制服姿。羨ましいくらい可愛いブレザーとスカートだ。

「椿ちゃん、今日は早く帰るのよ?」

「行ってらーっ」

「青梅もたまには早めに出たら? いっつもギリギリじゃない」

「あたしは良いの。平穏な日常の中に、戦いという小さな刺激を織り交ぜて楽しんでいるんだから」

 戦い? 戦いって何の?

「対するは時間と担任、自分の足の限界……なかなか燃える戦いっしょ」

 あぁ、だよねー。こんなことで反応するなんて、戦いとかに対してちょっと敏感になり過ぎているかも。

「でも、たまにはチビッ子たちと一緒に歩くのも悪くないかもね。途中までだけど、あたしも一緒に行こうか?」

「うん、青梅ちゃん」

 僕としても異論はないので、頷いておく。

「よしよし、二人とも素直で可愛いね。そうだ、せっかくだから麻美姉も一緒に行かない?」

「私、今日は夜勤なんだけど」

「ありゃ、そうなの?」

 そうだろ。普段ならもういない時間じゃないか。

「んー……隣町のスーパーが特売だったから、今から歩いて行くなら丁度いいかな?」

「さっすが! 話が分かるね麻美姉」

 そういうわけで、法橋家の子供四人が並んで歩く事になった。

「法蓮、あまり横に広がっちゃダメよ」

「はーい、ごめんなさい」

 共に歩くには少し多い人数。周りの迷惑は考えなければならない。

 法蓮はこの状況がよほど嬉しいらしく、随分とはしゃいでいる。いやぁもう、まったく可愛い奴め。車に気を付けろよ。

「麻美ちゃん、お化粧ってどうやるの?」

「法蓮ちゃんにはまだ早いよ。もう少し大きくなったら教えてあげるね」

 僕の前を歩く二人の間に、微笑ましい会話が流れる。昨日の戦いが夢だったんじゃないかと疑いたくなるほどだ。

「ねぇ椿」

 前のペアは麻美姉と法蓮。その結果として必然的に僕の隣を歩く青梅姉が、僕の名前を呼んだ。

「なにさ、青梅姉」

「昨日、何してたの?」

 うっ……直球だな。

「昨日話したじゃないか。友達と一緒に保健室の先生に頼まれた仕事をして、その後ご褒美にファミレスでご飯を食べてたら会話が盛り上がったって……」

 という言い訳を、昨日した。多少の無理はあるかもしれないけど、あり得ない話ではないでしょう。帰りが遅くなったとは言え、九時とか十時だったから店も開いている時間だったし。

「んー、そういうことにしておくか」

 なんか引っ掛かる反応だな。何か知っているんじゃ……いやいや、ないない。だって青梅姉だもん。そんなに鋭いはずはない。

「ところで」

 まだ続くのか? 意外と疑り深いなぁ。

「法蓮に聞いたんだけど、その友達とやらに学校で女装させられたって?」

「ははは、正しくは『女装した』だよ」

「まさか二人掛かりでイジメられてるんじゃないよね」

「そんなこと無いって」

 ええ、「二人掛かり」ではイジメられてませんよ。これは嘘じゃない。

「んー……まぁ椿が良いなら良いけどさ。困った事とか悩み事があったら、あたしや麻美姉に相談しなよ。家族なんだからさ」

 相談するメンツの中に、法蓮はともかく母さんが含まれていないのは、仕事の忙しさだけではなく、精神的な面で役に立たないからだろう。ほとんど子供だからなぁ、あの人は。

「心配性だね。大丈夫だってば」

「あたしは法蓮や麻美姉と違って、普段から心配してるわけじゃないよ。椿はあたしより精神年齢が高そうだし」

 それは青梅姉が極端に低いというだけなのでは?

「でも直感で、なんか大変なのかな、とか思ったりしてる。あたしもこれで結構、勘は良いかんね」

 ホントに勘が良いな。まさに大変なことになってますよ。

「ま、今でもそんなに心配はしてないよ。ちょっと確認しただけ。なんたって椿はあの麻美姉の弟なんだからね、大抵のことは切り抜けられるっしょ」

「青梅姉の弟でもあるんだけど」

「そう、だから二倍で大丈夫っしょ!」

 二倍で大丈夫――か。うん、なんか元気が出てきた気がする。

「……ありがと、青梅姉」

 怪しまれない様に、聞こえない小さな声で言ったつもりだった。ここでの感謝はある意味、大変だと肯定している様にも思えるから。

「どういたしまして」

 でも聞こえていたみたいだ。また追及されるのかと思っていたけど、今後その話題が出ることはなく、

「じゃ、あたしこっちだかんね。バーイ」

 交差点で別れを告げる。

「青梅、気を付けていってらっしゃい」

「青梅ちゃん。授業中、寝たらダメだよ」

 と、二人のお見送り。

「寄り道もしたらダメだよ」

 僕も付け加える。

「はいはい、わかってるって」

 青梅姉は、背中を向けたまま手をヒラヒラさせて歩いて行った。きっと法蓮の注意だけは聞かないだろうな。多分、いや絶対に寝るはずだ。

 ここからは三人。だけど隣町のスーパーを目指すなら、麻美姉ももうすぐ分かれるはずだ。

「ありゃ、麻美姉はここで曲がらなくて良いの?」

「時間があるから、たまには二人を送って行こうかなって思って」

 なるほど。

「……椿ちゃん」

 麻美姉はなぜか、急に真剣な顔になった。

「変なことを訊くけど、今日は用事、ないのよね?」

「うん、今のところは」

「プリン作って待ってるからね」

 な、な、な、なんですとォーーーーーーッ!

 いつからだ、いつから我が家は上流階級の仲間入りを果たしたんだ?

「麻美ちゃん、法蓮には?」

「もちろん法蓮ちゃんの分も青梅の分も作るからね。みんなで一緒に食べようね」

「やったぁ!」

 麻美姉、なんという策士。これで僕は、真っ直ぐ家に帰らざるを得ない。

 元々今日は法蓮と一緒に帰る約束をしていたから、一度は家に帰るけどね。

 ただ、ヌーヌの居場所が分かろうものなら、家から抜け出す方法は考えてある。現段階では行方が掴めていないから、今のところ用事がないというのは本当だけど。

 しかしこうまでして僕を早く帰宅させたいって事は、青梅姉と同様、なにか感じ取るものでもあるのだろうか。一回くらい遅く帰った程度でここまで警戒されるなんて普通じゃない。

 もしかすると僕は、無意識の間に普段は見せない表情をしているのかもしれない。だから二人の姉の不安を煽ってしまったのか。無意識なら簡単なことではないけれど、今後は出来る限り気をつけよう。

 それにしても、いつも僕のことを見ていてくれてるんだな。ちょっぴり感動だ。

「麻美ちゃん、法蓮も料理してみたい」

「それならお夕飯、一緒に作ってみようか?」

「うん」

 …………ん?

 ちょっと待て。僕は何か、盛大な勘違いをしていないか?

「椿ちゃん。今日のご飯、楽しみにしててね」

「そりゃもう、お腹を空かせて待ってるよ」

 なんだ、この感覚は。何かが、何かがおかしい。

 だけど僕は、一体何に引っ掛かっているんだ?

「マーボー豆腐って、どうやって作るの?」

「いくつか作り方があると思うけど、ウチは材料にお金をかけられないから……」

 むぅ、もやもやする。

 奥歯に挟まった何かが取れない感覚と、よく似ている。

「長ネギを刻んで、ニンニクとショウガ……」

「うんうん」

 くそぅ、学校に着くまでに思い出さないと忘れそうだ。それだと、ずっと後悔しそうな気がする。

 神経を張り巡らせろ。どんなことにも反応し、ヒントにするんだ。

「……で、お肉を入れて炒めるの」

「お豆腐は?」

「もう少し後ね」

 肉、炒める、豆腐、後……どのキーワードもしっくり来ない。

「……それで……」

 ダメだ、二人の会話では……。

「へー。でもマーボー豆腐ってドロドロしてるよ?」

「あれは片栗粉ね。でもウチには無いから、食感は変わっちゃうけど小麦粉を……」

 小麦粉……小麦粉!? そうか分かったぞ、この違和感の正体が!

 プリンの材料って、ホットケーキから小麦粉とかを抜いただけじゃないか!

 つまり……法橋家は上流階級になってないじゃないかぁ!

 なんてことだ。ランクアップしたと思ったお菓子が実は、コストダウンしたものだったなんて。

「椿ちゃん、なにを凹んでいるの?」

 ……ま、いいか。麻美姉のプリンは魂を震わせるほど美味しいし。

「いえいえ、べつにどうということでは。ところで今日の晩御飯はマーボー豆腐ってことなのかな?」

「それで良いかな、法蓮ちゃん」

「うんっ。法蓮ね、マーボー豆腐が大好きなの!」

「じゃあ材料を買っておくね」

 ほっほぅ、コイツは朝から縁起が良いぜぇ。麻美姉のマーボー豆腐も、これまた絶品だからね。いや、もう基本的に麻美姉の作るものは絶品だからね。話題に出るだけで幸福感に浸れるよ。

 しかも……なんだって?

 法蓮が手伝うって、法蓮の手料理ですか?

 今日はどうした。気分が良過ぎるよ。もう有頂天だよ……仮に、今角を曲がった二人組の女の子、その長髪の方と目が合わなければ、の話だけど。

「あっ、凛火おねーちゃんだ!」

 なんでそんなに嬉しそうなんだよ、法蓮!

「あら」

 気付いた凛火と氷花さんがこっちに歩いてきた。

「ごきげんよう、良い朝ですわね」

「おはようございます、凛火おねーちゃん」

「いい子ね、キチンと挨拶が出来るんですもの」

 だ・か・らぁ! お前は誰なんだよ!

「おはようっ」

「おはよう、氷花ちゃん」

 ……法蓮、挨拶はどうした?

「法蓮ちゃんも、おはようっ」

「……ぉはよぅ……ざす……」

 だから違うんだって!

 氷花さんはそんな悪い人じゃないんだ。だから荒んだ挨拶をしないであげて。もの凄く凹んでいるから!

「法蓮ちゃん、挨拶はちゃんとしないとダメでしょ?」

「麻美ちゃん……だってぇ……」

「だってじゃないでしょ?」

「ぶぅ。おはようございます」

 麻美姉の説得で、膨れながらも挨拶を返す。どれだけ恨みを持っているんだか。いつかちゃんと説明してあげないとな。

「ごめんなさいね。普段はこんな子じゃないんですけど、どうしたのかしら。……そうそう、私はこの子たちの姉の、法橋麻美です。いつも二人と仲良くしてくれて、ありがとうね」

「わたくしは桜庭凛火と申しますわ。こちらこそいつも良くして頂いて、感謝しておりますのよ。二人とも、とても礼儀正しくて優しくて……きっと貴女を見て育ったからですわね。お姉さまとして素敵な見本になられていること、一目でわかりましたわ」

 黙れ。お前なんかに麻美姉の何が分かるというんだ!

「はじめまして。わたしは御崎氷花です。えっとぉ……」

 凛火のような長ったらしいお世辞を考えているのか、氷花さんの言葉が止まる。

 しかし思いつかなかったのだろう。

「よろしくお願いします」

 結局は小学生らしい一言に落ち着いた。

「うーん、ちょっと大所帯ね。私はここからスーパーに行こうかな」

 五人は多いよな。

「そうだね。麻美姉も、買い物が済んだら少しでも長く休んでよ。最近多いみたいだけど、夜勤なんて大変でしょ?」

 いつ寝ているのか、僕にはわからないほど活動している。

「そうね。たまには休むのも、悪くないかな」

 ここで麻美姉と僕たちは、それぞれ別れの挨拶を告げ、別の道を行った。

 前を歩くのは、法蓮と眩い笑顔の凛火だ。

 ということは、後方には僕と氷花さん。

「昨日さ、二人とも大丈夫だった?」

「疲れたねぇ。でも怪我は直してもらったから、大丈夫だったよ」

 それは知ってるよ。

「そうじゃなくて、あんなに遅く帰って怒られなかったの?」

「うん、よくあることだもん。先週も三回くらい学校帰りに迷子になって、帰ったのは十一時とかだったよ」

 なぜ迷子になるんだ。いつも通る道なのに。

「知らない道って、ちょっと通ってみたくなるよね」

 あ、わかりやすい説明、ありがとうございます。

「じゃあ凛火は?」

 怒られていればちょっと嬉しいと思うのは、僕の心が歪んでいるのだろうか。いやいや、そんなことはないだろ。あれだけの扱いを受ければ当然のことだ。

「わたしもそれ訊いたよー。そしたらねぇ、『このわたくしが住む家に、反抗できる心を未だに持っている人間がいると思って?』だって」

 そんな人間は……いないんだろうなぁ。あの歳にして一家の支配者か。さすがとしか言いようがない。

「そうだ。もう一つ訊いていいかな」

「いいよー」

 ずっと気になってたんだ。昨日の戦い、最後の攻防。実を言うと、印象が強烈過ぎて夢にまで見た。あの時に見せた、氷花さんの力って一体……?

「昨日の……」

「椿くん」

 尋ねようとしたところで前方から声。

 凛火か。邪魔するなよ。……っていうか……。

「僕のことはクソい……」

「椿くん」

 クソ犬だって言ってたじゃないか。

「あれ、クソ……」

「椿くん」

「ク……」

「椿くん」

「はい」

 僕、弱いなぁ。

「法蓮ちゃん、ちょっと待ってちょうだいね」

 そう言って少し離される。残った氷花さんは法蓮に近付いて話しかけていたけど、冷たくされて凹んでいた。

「今聞いたのだけれど、今日の晩御飯、マーボー豆腐らしいわね」

「らしいね」

「法蓮ちゃんの手作りの」

 基本的には麻美姉の味だと思うけど、一応そうなるね。

「らしいね」

「わたくしにも食べさせなさい!」

 えぇえええっ!?

 何言ってんだ、この人。どんだけ法蓮を気に入ったんだ、この人。

「じゃあ今晩、家に来る?」

「財政が苦しいって言われてる家に、わたくしがご飯を貰いに行けるわけないでしょう!」

 それは気にし過ぎだろ。家はそこまで貧乏じゃない。

「ではどうしろと?」

「今晩使いの者を寄こすから、隙を見てクソ犬の半分……いえ、三分の一をタッパーに詰めて渡しなさい」

 回りくどいなぁ、普通に食べに来いよ。一応、僕の全部と言わないだけ、凛火なりに下手に出ているんだろうけど。

「報酬として、法橋家に『おすそわけ』と称してお菓子を送るわ」

「それだとお返しが困るよ。麻美姉あたりは生活費を削ってでも高価なお返しをするに決まってるんだから」

「大丈夫よ。貰い物ってことにするし、そんなに高級なものにはしないよう、用意する浩一に言っておくから」

 いや、だから普通に食べに来いよ。

「どう、悪い取引ではないでしょ?」

 まぁ、僕も半分以上は料理を食べられるし、お菓子を貰えばみんな喜ぶだろうし、別に良いけどさ。そもそも、もしかしたら僕はおかわりが出来るかもしれないし。

「わかったよ」

「そう、頼むわね」

 そう言って凛火は、法蓮のところに戻って行った。入れ替わるように半分ベソをかいた氷花さんが僕の隣に来る。

 頼むわね……か。戦いの中ですら言われなかったなぁ。凛火からは命令ばかりで、そうそう頼まれごとなんてないし、一回くらいなら快く引き受けても良いかな。

 学校に着くと、法蓮は友達を見つけて去って行った。

 別れを告げる凛火の顔が、ひどく哀しげだった。愁いを帯びた瞳で僕を見て、重い口を動かした。

「クソ犬」

 おや?

「あれ、僕のことは椿……」

「クソ犬」

「あの、つば……」

「クソ犬」

「つ……」

「クソ犬」

「ワンッ!」

 何なんだよコイツは!

「で、なにさ」

「法蓮ちゃん……わたくしの妹として、養子にくれないかしら」

「あげるわけねぇだろバーカ!」

 ここは絶対に譲れない。


 さて、給食後の昼休み。

いつもなら本を片手に立上くんと談笑っていうところだけど、今日は残念ながらそうもいかない。

「僕、ちょっと保健室に行ってくるよ」

「またかよ。お前、大丈夫か?」

「いやぁ、心配性な先生でさ。しばらく通えって」

「そっか。それなら仕方ねぇな。行って来いよ」

 ヌーヌの行方、掴めただろうか。僕たちの日常を護るために、放っておくわけにはいかないんだ。何か異変が起こる前に決着をつけなければならない。

 でも学校に来てるかな。

 中休みには保健室にいなかったみたいだし、もしかしたら昨日の怪我が酷くて休んでいるのかもしれない。

 向かう途中で、凛火と氷花さんと遭遇した。もちろん目的は一緒だ。

「結局はあのデカブツ、誰が倒したのよ?」

 ああ、凛火は寝ていたんだっけ。昨日の戦闘の後は疲れきっていてまともに話もしなかったし、知らないのも無理はない。

「氷花ちゃんだよ」

「氷花が?」

 信じられないよね。僕だって防御専門だと思っていたし。

「そうそう、あの剣は何だったの?」

 一階の廊下を歩きながら尋ねる。

「アブソーバーブレイドだよ」

 これは氷花さんの声じゃない。背後から聞こえる男性の声だ。

「蘭堂先生!」

 左腕に包帯を巻いた蘭堂先生が、昨日の宣言通り袋に菓子やジュースを詰めて立っていた。

「なによ、それ」

「あれは平常時、氷花ちゃんが受けた痛み、衝撃を全て込めた剣だ。受けた攻撃の分だけ力を増していく反撃の魔剣。絶対的な攻撃力を身につけるには、死よりも辛い痛みの連続に耐えなければならない。常人には決して使いこなせない、氷花ちゃんだけの必殺技だ」

 攻撃をひたすら受け続けて、ようやく出せるのか。それに傷がつきにくい分、氷花さんは痛みを二倍に感じる。

確かに他の人は使えないだろうな。普通なら発動する前に耐えきれなくなって逃げるか、精神が崩壊するか、あるいはショック死か、そのどれかだろう。

「でも離れたところの敵を斬るなんて、どういう魔法なんですか?」

 よく見えなかったけど、刀身の長さよりも離れたところから敵を幾度も斬っていたはずだ。氷花さんはその場から動いてなかったし。

「ん? そんな機能は無いはずだよ。斬れ味とか重さとか強度とか、違う点は多々あるけど、基本的には普通の剣と同じ扱い方のはずだ」

「ありゃ、見間違いかな」

 でも、意外と覚えている。夢とかで誇張された記憶にすり替わっているのかな。

「そうだなぁ、もしかしたら……」

「なにか思い当たることでもあるんですか?」

「動きが速過ぎて見えなかったんじゃないかな」

 またまたぁ。確かに変身したら超人的な身体能力も身につくけど、消えたりとか残像を見せたり出来るほどじゃないよ。

「そんなバカな」

「でも面白そうね。試してみるわ」

 凛火は氷花さんに向き直る。

「今からクソ犬と戦いなさい」

 なんで僕なんだよ。大体、生身で戦っても意味無いじゃないか。

「ケンカなんてヤダよぉ」

「……勝ったら、そうね……臀部を蹴ってやるわ」

「椿くん、ごめんなさい!」

 音もなく、氷花さんが目の前からいなくなった。

「消えた!」

 いや、落ち着け。いま僕は狙われている。このままでは不利すぎるから、早く相手を見つけるんだ。

 前は消えたまま、右、左、上、下……いない、ってことは、後ろか!

 勢いよく振り返り、今まで前だった方向にバックステップを踏む。女の子らしい香りが鼻に入る。同時に身の周辺から風を感じた。

「ていっ!」

 可愛らしい声に合わせて胸部に衝撃が走ったかと思うと、僕の視界が前から空へと跳ね上がった。どうやら凄い勢いで倒れるみたいだ。

 すると感じる、後頭部と腰に小さな手。支えられているらしい。

「凛火ちゃん、これで良い?」

 僕もそうだし、凛火も声が出せない。この中で一番トロそうな氷花さんが、あり得ない動きを見せたことに驚いている。

 ホントに消えたよ。この速度で斬って元の位置に戻れば、その場にいながら斬った風に……いや、無理があるだろ。あ、でも身体能力が多少なりとも上がるなら、実現も不可能ではないのか?

「ちなみに今、何が起こったんですか?」

 氷花さんに訊いても無駄だと思うから、とりあえず蘭堂先生に訊いてみた。

「高速で後ろに回り込んで、椿ちゃんが振り返った時に更に回り込む。そこから椿ちゃんが後退する勢いを利用した足掛け技で、地面に叩きつけたってところかな。異常な瞬発力だね」

 異常すぎるだろ。

「これが噂の……ね」

「ちょっと凛火様、知ってたの?」

「実際に動きを見るのは初めてだけれど、一部では割と有名な話よ。この学校の教師なら誰でも知っているくらいにね。生徒にはあまり知られていないみたいだけれど」

「ああ、俺もその噂を聞いて氷花ちゃんに目を付けたからね」

 噂って何なんだろう。

 問題の氷花さんはというと、脳内の花畑でちょうちょでも追いかけているのか、他人事のようにニコニコしている。

「相手の瞬きや心理的な隙をつき、予備動作なしの瞬間超加速で仕留める。言わばコレは戦闘全てに共通する奥義だ」

 今のはそういう理屈だったのか。確かに人が消えるほど速いなんてあり得ないし、傍から見ていた蘭堂先生は見えていたみたいだった。昨日もあの時は意識が朦朧としていたから、瞬きどころか、結構な隙があっただろう。

「なんでそんなことが出来るんですか?」

 約束通り、凛火に尻を蹴ってもらえるように懇願している氷花さんを見て、ますます疑問に思う。どう見ても攻撃されるスペシャリストだろうに、攻撃にも特化しているなんて、一体どういうこったい?

「凛火ちゃん約束が違う~」

「ふふふ」

「でも、これはこれで……」

「あーーーーっ、もうっ!」

 いや、ホントどういうこったい?

「氷花ちゃんのお母さんの実家がね、実戦を重視した剣術道場らしいんだ。お父さんの好みが強くて美しい女性ということで、氷花ちゃんが生まれた瞬間から厳しい修行が始まったとか、そうではないとか……」

 さすがにそれは尾ヒレがつき過ぎだろう。生まれたばかりなんて何もできないじゃないか。

「剣術って……。思いっきり体術だったんですけど」

「手元に剣がないからね。どんな場合でも戦えるように素手の訓練も積んでいるってことじゃないかな。剣を落とした、あるいは持っていない状態で戦いになった時、何もせずに白旗を上げるのは実戦重視じゃない」

 剣道にも昔は足技とかがあったって、本に書いていたな。実戦よりは競技の方に傾いたからなくなったみたいだけど。

確かにルールがなくて、純粋に勝利だけを求めるならば、剣を振れるだけでは不十分かもしれない。

 もしかしたら氷花さんは「厳しい」では表現しきれない修練を積んだ、戦闘のエキスパートなのかもしれない、ああ見えて。

「きゃっふん!」

 最終的には尻を蹴ってもらい、至福の喜びを得ている氷花さん。

 うむ、あんなのが兵だなんて信じられん。

「じゃあ、あれは精神を鍛えた結果なんですかね。武術の達人は、みんなあんな風になるんですかね」

「いや、それはないな。多分、厳し過ぎる鍛錬に耐えるために、自衛本能が生み出した血と涙の結晶だろうね」

 まさかあの癖に、そんな事情が隠されていたなんて。不憫な……。

「一回だけ?」

「それで充分でしょ」

「おあずけだねっ!」

 ああ、キラキラした顔をしてるなぁ。不憫なんかじゃなくて、結果オーライなのかもしれない。本人が満足しているなら、それで良いや。

「ところで、いつまでも廊下で立ち話していないで、中に入ろうか」

 蘭堂先生を先頭に、僕らは保健室に入った。

 適当に椅子を使って座り、お菓子やジュースをベッドに広げる。こんな良いものを頂けるなんて、最近、贅沢過ぎかな。

「さて、ヌーヌの行方だけど……」

 切り出された最初の言葉で、僕らの視線は一斉に蘭堂先生に集められた。

「俺の母が、地下から飛び出す姿を見たらしい。風船のように浮かんだ丸い物体が、黒三山の山頂に墜落したってさ。監視を続けているから、連絡がない限りはそこにいるはずだ」

 随分と近場なことで、ありがたいけど不気味だな。

「転移する魔法とかは無いんですか?」

「ないんじゃないの? あったらあの地下で使ってるでしょ」

 むぅ、凛火に正論を言われると、無性に悔しい。

「そうだね。アイツとしても魔力が戻るまでは派手な行動は避けたいだろうし、山頂には使ってない小屋があるから、それを見つけて近場に落ち着いたのかもしれないね」

 僕は二人と違ってパスポートとか持ってないし、旅費も捻出できないから、海外とかに飛ばれたらどうしようかと思っていたけど、これなら安心だ。

「善は急げって言うし、今日あたり乗り込むわよ」

 これは攻撃的な意見だ。でも魔力が戻らない間に叩くというのは、理に適っている。

 一方で、僕らに疲労が溜まっていることも事実。

「そうだねぇ。がんばろぉ!」

 重大な戦いだから、慎重に行動するというのも悪くない。

「今日は皆、一度家に帰るだろ? 迎えに行くけど、抜け出すなら何時がいい?」

 僕らが疲れで実力を発揮しきれないことと、敵が発揮できないこと、天秤に掛けるなら、どちらが有利だろうか。

「そうね。寝たことを演出するから、早くても十時くらいかしら」

「そうだねぇ」

 僕らはまだ戦いに慣れていないから、やはり体力の回復を待つべきか?

「椿ちゃんも、それでいいかい?」

 …………。

「あぁ、はい。別にいいです」

 みんなアグレッシブだなぁ。


 さて、僕の予定は変更されたわけだ。夕食時、桜庭家から使いの者は現れなかった。僕は自分の分のマーボー豆腐を完食し、鍋の残りからこっそりとブツを持ちだした。分ければ氷花さんと蘭堂先生も食べられるくらいの、ちょっと多めな量だ。

 味は麻美姉が監修なだけあって、舌がとろけるほど美味しかった。辛さは痛覚の刺激だというから、控え目のこれに対し、もしかしたら氷花さんはガッカリするかもしれない。

 法蓮が辛いものも苦手だから、舌にほんの少し、辛味を感じる程度の味付けだ。

 現在は午後の九時半。麻美姉は夜勤という事ですでに出かけ、母さんは泊り込みで帰って来ないという好機。

 元々我が家の部屋割が上の三人と下の二人の二分だから、このように法蓮さえ寝てしまえば抜け出すくらい造作もない。青梅姉は起きているだろうけれど、それは窓から脱出すれば良いだけの話。

 ふむ、残る問題は一つだな。

「むにゃ……」

 この寝顔の天使から伸びる手が、なぜか僕のジャージを掴んでいる。早く寝かせるために添い寝した結果、起こってしまった幸福にして不幸。

 はは、神様アンタ、随分と人が悪いねぇ。僕にこんな試練を与えるなんてさ。

 こんなことされて平然と出ていける非情な人間なんて、この世にいるはずがない。

 でもあと三十分くらいで迎えに来るし、準備もしないといけないし。まさか決戦を前に、こんなところで前哨戦が開かれようとは、思ってもいなかったぜ。

「んにゅう」

 くっそ、かぁわいいなぁ。なんだ「んにゅう」って。

 寝息と一緒に微動する身体、柔らかそうな頬、そして安らかな寝顔。堪らんですな。

 観察しているだけで時間は過ぎていく。いい加減、覚悟を決めないとね。

「ごめん、法蓮」

 小声で言いながら、握られた小さな手を解く。

 こおおぉぉぉ、湧き上がる罪悪感がすっごい。自分が人間のクズに思えてきた。なるほど、凛火が僕を「クソ犬」と呼ぶのも、あながち的外れではないな。

 でも一度離してしまえば、踏ん切りはついた。

 洗いたてのハート・オブ・アリスに袖を通し、大きなリボンが付いたお気に入りのウィッグを頭に乗せる。ウィッグはゴムを付けて伸縮できるようにしている。今日は激しい戦いが予想されるから、ちょっとキツ目にしておく。

 ハート・オブ・アリスで変身するのは、今日が初めてだ。ふふふ、空気に混じって肺に気合が入りこんでくる。今宵の僕は……無敵だぜ。

 やっぱりウィッグも、いつものこれが落ち着く。この巨大リボンがポイントだよね。

 よし、マーボー豆腐もブローチもあるし、忘れ物はないな。

 窓をこっそりと開け、明るい月夜に身を投じる。肌を撫でる夜風が快い。人は太陽を好むというけれど、夜は夜で別の趣があって悪くない。

 街灯が照らす道を、一人で少し歩く。事前に打ち合わせした場所に、白いワゴンが停まっていた。

「遅くなりまして」

 車内には、毛布に包まって眠っている凛火がまず目に入り、続いてその奥の氷花さんと運転席の蘭堂先生を確認した。その腕、包帯は巻かれているけど吊ってはいない。

「そんなことないよぉ、約束の五分前だもん」

 車内に表示された時計を見た氷花さんが答える。

「じゃ、乗ってくれ。車は神社までしか使えないから、少しでも休むために眠ってくれても構わない」

 ああ、やっぱり途中からは足で登るのか。少し昼寝しておいて正解だったな。

 扉を閉めると、凛火が目を覚ました。この車は前に運転席と助手席、真ん中の列に二人席、最奥に三人席があり、僕は奥の席に一人で座った。

「…………ああ、クソ犬ね」

 眠そうだな、大丈夫か?

 と、僕が思ったのは一瞬。すぐに凛とした声で後部座席の僕に言った。

「例のブツは、持って来たんでしょうね」

「ええ、ここに。抜かりはありませんよ」

 タッパーを献上する。これは凛火から借りたものだ。

「これ、一人前はあるわね。クソ犬、ちゃんと食べてあげたの?」

「当り前だろ。それはおかわりの分。僕は一人前をちゃんと食べたよ」

「あらそう。もちろん褒めてあげたんでしょうね」

「ええ、抜かりはありませんよ」

 僕に気を遣うというよりは、法蓮が喜ぶかどうかを気にしているみたいだ。僕が褒めることで法蓮が喜ぶなら、大いに褒めろということだろう。むろん、凛火に言われるまでもないことだけど。

「凛火様、ちゃんと皆で分けてよね」

「わかってるわ」

 意外に素直だ。金持ちだから、量に拘ることはないのかもしれない。

「それ、法蓮ちゃんが作ったの? 上手だねぇ」

「でしょ?」

 なんでアンタが自慢げなんだよ。

 僕が持参した紙皿二つにマーボー豆腐を分ける凛火様。もちろん、紙皿は町内のイベントで余ったものを貰ったりして、タダで入手したものだ。同様、割り箸もある。

 後ろからは良く見えないけど、凛火と氷花さんの二人は、箸を口に運んだみたいだ。

「おいしいねぇ。味付けのバランスが、すごく良いよぉ」

「これが初めてなんて思えないわ。わたくしも麻美さんに教わろうかしら」

 二人とも満足したらしい。材料は安物ばっかりで、しかも足りないものもあって、口には出さないけど二人とも引っ掛かりはあっただろう。でも舌が肥えているであろう二人は、純粋な料理の腕だけを評価していた。

「ん? 凛火様って料理に興味があるの?」

 危うく流すところだったけど、ちょっと意外な発言だったな。

「それなりにね。出来上がりを視覚・味覚・嗅覚で、包丁やパン捌きなんかを触覚・聴覚で、五感全てで成長を感じることができるものなんて、そうそう無いもの」

 へぇ、なんか深いな。料理に対して、そこまで考えたことはなかったかもしれない。

「でも一流の料理人とかに教わる機会は、山ほどあるんじゃないの?」

 お抱えのコックとかもいるかもしれないのに。

「ハッ、あんな下々の者に教えを請うわけ無いでしょ。プライドが許さないわ」

 あ、そうですか。

「その点、麻美さんは法蓮ちゃんのお姉さまだもの、わたくしを教えるに足る器だわ」

 クソ犬の姉でもあるけどね。

「氷花ちゃんは、料理はどう?」

「包丁で野菜を切るのは得意だけど、気付いたらお鍋が焦げてるよぉ」

 でしょうね。野菜を切るのが得意というのは、刃物繋がりか。

「でも上手に作れるなら、作ってみたいよねぇ。美味しいって言ってもらえたら、やっぱり嬉しいもん。わたしはサラダしか褒められたことがないけどね」

「それなら今度、麻美姉に頼んでみようか、料理教室」

 僕がそう言うと、車が急停止した。慣性の力で、体が前に揺さぶられた。

「ど、どうしたんですか?」

「幼女の料理教室、即ち幼女の手作り料理、詰め合わせ?」

 は?

「今、この幼女のマーボー豆腐ですら血涙を流すほどの我慢をしているというのに、そんな話を聞かされては黙っていられるはず、ないだろ?」

 だから、はぁ?

「会場と日時、教えてもらえるかな」

「いや、決まってませんけど」

「決まり次第、連絡してくれよ?」

 しねぇよ。

「まぁ、覚えていたら」

 濁した返事をすると、了解と受け取ったのか、車は再び走り出した。

この人、基本的には優しくて爽やか、しかもかなり有能な良い先生なんだけど……ある一点が非常に残念だ。

 それにしても「今度」か……。これから大魔王と戦うというのに、スラッと出てくるものだな。昨日の戦いで自信がついたことが大きいだろう。

今も充分に落ち着いている。

 だって冷静に考えたら、アイツはユ・テ・アバラスより弱いはずだし。魔力が戻っていなくて満足に戦えないから、あのバケモノを召喚したわけで。それを倒せたなら、アイツもきっと倒せるだろう。

 みんなも同じ考えなのか、緊張は一片も見られない。

「よし、到着だ」

 駐車場に車を停止させ、蘭堂先生は肩から布を下げて左腕を吊った。暗くて見えにくいけど薄らと脂汗が浮かんでいるみたいだ。痛むらしい。

 僕らはまだ車から降りず、ここで作戦会議を開く。

「えー、それでは第一回……第一回? 大魔王対策会議を始めたいと思います」

 なぜか司会を任されたのは、後部座席の僕。蘭堂先生はマーボー豆腐を食べて感激しているし、凛火も氷花さんもこっちを向いていない。

 この会議、初回と銘打って良いのかな。この前までの話し合いは含まないのか?

 いや、名付けての会議は初めてだから良いのか。

「暗いわね、景気が無いわ。もう一回やり直し」

 くっ……!

「イェーイ、皆さんお待ちかねぇっ! 第一回、大魔王対策会議の始まりだぜぇっ!」

「……ええ」

 おい凛火テメェ、リテイク掛けておきながら、なんだそのノリは!

「わー、ぱちぱち~!」

 ありがとう、氷花さん。

「それではね、まだ議題が決まっていないので、まずはそこから決めたいな、とか思ったりしちゃって!」

「そんなの、どう戦うか、しかないんじゃないの?」

 ごもっともで。

「じゃ、それでいってみようか!」

「わたくしは徹底的に痛めつける、一方的に」

「わたしは徹底的に痛めつけられる、一方的に」

 ああ、うん。具体的には?

「これで終わりね。閉会!」

 えぇええええええっ?

 お前、こんな無意味な会議を提案して、どういうつもりだよ!

「その狼狽した顔、悪くないわ。収穫はありね」

 お前にとってだけな!

 珍しくまともな事を言うと思ったら、このザマだよ。

「まぁ、真面目に言うならクソ眼鏡には、今回ここで待機していてもらうわ」

「これがあの純真無垢な法蓮たんの手作り……たっはぁ!」

 オイ変態、アンタの話だぞ。

「あの細くて可愛らしい指で切られた豆腐と……おっと、こいつは成人女性によるものだな。トキメキが感じられない」

 なんだろう、顔も口調も爽やかなのに、超がつくほど気持ち悪い。

「バカは放っておいて、行くわよ」

 凛火が扉を開けて外に出る。それから氷花さん、僕と続いた。

「ちょっと待ってくれよ。今、食べてるからさ」

「だからクソ眼鏡はここで待機よ」

「え、どうして?」

「足手まとい、邪魔だからよ」

 言いたいことは分かる。凛火の場合、ちょいと言葉がストレート過ぎるけど。

 実際、戦った後に傷の癒せない先生が手負いで戦場に立たれると、非常に気を遣うからだ。流れ弾すらにも気を配らなくてはならない。しかも先生は、僕らがピンチになれば身の危険を顧みずに庇うこと必至。

 だから凛火の言葉は一見トゲまみれだけど、あれで意外と思いやりを持っている発言なわけだ、半分くらいは。残りの半分は、本当に邪魔だと思っているだろうけど。

「しかし、君たちだけを行かせるわけには……」

「逃げた相手に後れを取るはずないでしょ。心配は要らないわ」

 まだ蘭堂先生は納得していないみたいだけど、僕らは歩き出した。

広い神社の境内を、山に向かって進む。山頂までの道は、舗装されていないどころか道らしい道が存在しない。それほど登る頻度が少ないんだ。

「……やっぱりクソ眼鏡を連れて来て、背負わせるべきだったかしら」

「いやいや、あの人は怪我人だから」

 もっとためらうと思っていたお嬢様たちは、意外にも迷いなく登り始めた。中腹である神社よりも更なる高みを目指す。ここから先の勾配は、かなり急になっている。

 草木を分けながらの道なき登山。折角のハート・オブ・アリスが汚れるという、まさかのアクシデント。小屋があるって言うから、絶対道もあると思っていたのに。

 僕らの間を駆け巡るのは、沈黙の空気。全員スカートで登っているから、登り難いことこの上ない。凛火に至っては、高めのハイヒールを履いている。

 よく登れるな。

 ひたすらガサガサと音を立てて上を目指すだけの行動、これだけ長いと飽きてくる。

「なんか、気が滅入るね。暇だからし……」

「却下」

 ……りとりでもしない?

「早いよ!」

「そんな低俗な遊び、余計に空しくなるだけよ」

 謝れよ、全国のしりとりストに謝れっ。

「別にいいよ。氷花ちゃんとするから。いいよね?」

「うん」

「じゃあ、しりとりの『り』だから……リウマチ熱」

 しりとりには自信があるんだ。同世代に負けたことはない。

「つ、つー……追徴金っ!」

 ただ、こんなにアッサリ勝ったこともない。

「あの、終わってるんだけど」

「え……あっ、あーーーーっ!」

 今気付いたらしい。

「すごいすごーーーーいっ、椿くん強いねぇ」

 ま、まぁ……こんなこともあるさ。

「気を取り直して、もう一回。陸繋島」

「うこんっ!」

 これは、まさか……。

 チラリと凛火の方を見ると、黙って頷いていた。

 自らを苦しめることを良しとする性格に、今まで積み上げてきた剣術による、一撃必殺の理念。それらの合成により無意識化に芽吹いたこれは――。

 自虐的一撃必殺だ。

 これでは勝負に勝っても、暇つぶしという目的が達成できない。

「あっ、また負けたぁ。むむむ、今度はわたしから……」

 しかも本人に悪気はなく、善意のみで暇つぶしに付き合おうとしている。

「梨園っ……じゃなくて利権っ!」

 ああ、なんかもう、どうでもいいや。

「あっ。……触れずして相手に勝つ――妙技だね、椿くんっ」

 ただの自滅です。

 結局、これ以降は頂上に着くまで会話がなかった。それほど高い山ではないということが不幸中の幸いだ。もう背中が汗でべっとりとなった頃、斜面の角度が緩やかになってきた。遠く先の方には木々の無い空間、恐らく平坦な地面。ようやく辿り着いた。

「ふぅ……結構疲れたね」

 最後の木の並び、その陰に身を潜ませる。ここから先に踏み入れば、いつ戦いになってもおかしくはない。

「少し休んでからにする?」

「クソ犬が疲れたというなら、それでもいいわ。わたくしは今すぐにでも構わないけれど」

 確かに凛火は少し息が乱れているものの、呼吸を整えるだけで平気そうだ。

「わたしもどっちでも良いよぉ」

 氷花さんに至っては呼吸すら平常だ。やっぱり体力もあるのかな。

 さて、僕はというと……うん、僕も深呼吸を数回すれば、落ち着きそうだ。

「それじゃ、ほんのちょっとだけ」

 息を大きく吸って、口から肺、そして全身に酸素を行き渡らせる。少し速かった心音が徐々に減速していく。

 見ると、凛火も落ち着いたようだ。

「よし、行こうか」

 まず僕が、続いて二人が同時に、ブローチを身につける。

 呆気ない程の簡単な変身。もう少し派手なエフェクトとか付けて欲しい様な気もするなぁ。これが終わったらもう使う機会は無いだろうけど、進言しておこう。

 木陰から飛び出し、小屋に向かって足を進める。小屋……あれ、小屋か?

 僕の家より酷い建物なんて、初めて見た気がする。パッと見た限りでは壁や屋根に穴とかは空いていないみたいだけど、多くを占める木材部分が全て朽ちているのは、誰の目にも明らかだ。

 ただ、誰かいるというのも明らかだ。周りに蝋燭が幾つも立てられ、それが辺りを照らしている。

「あの中に、居るの? 今思ったんだけど、あのサイズの球体なら、扉からは入れないよね」

「あのクソ豚にはお似合いの豚小屋じゃない。伸縮自在なら、醜く入れるわよ」

 どこから湧き出た、その伸縮自在説は。いや、あり得ない話ではないけど、そこまでして入る小屋ではないだろう。

 むしろ野宿の方がマシな気がする。

 そう思っていると、コンコン、という軽快な音が聞こえた。

「ごめんください。ヌーヌちゃん、いらっしゃいますかぁ?」

 そうそう、何をするにも礼儀は大切だ。でもね氷花さん、空気読もうか。

「何してんのよ、アンタはっ!」

 氷花さんの尻に飛ぶ鋭い蹴り。

「ひゃふん!」

 そして喜びの声。

 仮に中にいるとしたら、相手も気付くだろう。案の定、中から気配がする。

「こんな夜更けになんなのらぁ? 非常識なのらぁ」

 ガチャリと扉が開かれる。そこにいたのは、扉よりも大きなヌーヌだった。

「あ、お前ら。まさかユ・テ・アバラスを倒したのら?」

「ええ、苦しみながら消えていったわ。これからアナタが辿る道を一足早く……ね」

 凛火、どっちが悪役かわからないよ、その台詞と顔は。

「ふふんっ、意外とやるのらね。でも、このボクは倒せないのら。なぜなら奥の手が……痛いのらぁッ!」

 ヌーヌが言い終わらないうちに、凛火のつま先が柔らかそうな肉体に突き刺さる。先が鋭利な靴だけに、あれは痛い。

「クソ豚の発言権は認めていないわ」

 さらに襲う蹴り。ヌーヌは堪らず小屋の奥に逃げ込んだ。

 扉を覆っていた障害が消え、小屋の中が僕らの目にも見えるようになる。蝋燭に照らされた外より、僅かに明るい。

 でもカビだらけの壁なんかに目を奪われている暇はなかった。すぐさま僕らの注意を引いたのは、怪しげな濃い紫の光を発する、床に描かれた奇妙な模様だ。部屋の明かりは全て、これによるものだった。

「もう怒ったのら、絶対に許さないのら!」

 ヌーヌは声を張り上げた。今までの声とは明らかに異質。ゆっくりのっぺりとした声質はなりを潜め、響くのは深くて低い声。

 僕らは身構える。これは危険だと、本能で悟った。

「この召喚は久しぶりなのら。ここに参れ、我がシモベ『死神のザグイ』!」

 奇妙な模様の光が強まり、形容し難い光景が広がっていく。光が広まるのだから本来は明るくなるはずなのに、実際には闇に溶けていく。

 闇の光、という表現が適切か。いずれにしても、科学的でも自然なものでもない。

 ヌーヌの言葉と合わせて考えると、またしても召喚魔法のようだ。

 ただし前回とは、なんていうか……不安感が違う。暗い海に突き落とされたかのような冷たさと焦り、恐怖。そんなものが僕の心を支配する。

 もう一つ違う点、それは衝撃。

 小屋とヌーヌ、そして僕らを吹き飛ばした光が収まる頃、そいつは姿を現した。ユ・テ・アバラスの例もあって、高くを見上げた僕の視界の遥か下層、長身長髪、青白い肌の男が立っている。血の様に赤い瞳で、闇そのものを纏った様な服装。ところどころに見られる銀の装飾。

「久しぶりなのらぁ、ザグイ。さっそくで悪いけど、アイツらを倒して欲しいのら」

 間の抜けた声が戻り、僕らを指差して言うヌーヌ。久しぶりということは知り合いなのか、嬉しそうな顔だ。対して現れた男、ザグイは冷めた顔を崩さない。

「……ま、いいぜ。黙ってそこで見てな」

 正直なところ僕は一瞬、余裕だと思った。きっと他の二人もそうだろう。

 なにせ僕たちが倒したユ・テ・アバラスは完全なバケモノで、規格外の大きさ。このザグイは見た目にもサイズ的にも、人間と大差ない。長身って言っても百八十ほどだからヌーヌの方が大きいし、一般人のやや高めくらいだ。

 だけど僕らの甘い考えは、一瞬にして塵と化した。

 ソイツがただそこに立っているだけで冷水を被ったような悪寒が走り、指を動かすだけで身体が恐怖に縛られ、眼を見るだけで死のイメージが脳裏を埋め尽くす。

 全身に鳥肌が立って、毛が逆立つ。

「そういうわけだ、ガキ共」

 ザグイが歩を進める度に、僕の心臓は激震する。これだけで心臓が麻痺して死にそうだ。

 急にザグイは駆け出した。右手の指輪が光り、巨大な鎌が手に現れる。

 死神の鎌だ。

 敵が目を付けたのは、炎の鞭を握る凛火。襲う鎌の刃、その一撃目を辛くもバックステップで避ける。そして死神の追撃……。

「氷花ガード、召喚!」

 遠くから瞬間移動させた氷花さんに攻撃を受けさせ、連続攻撃の流れを断ち切った。

「仲間を盾に……か。人間の血も、随分と冷たくなったものだ」

 氷花さんを掴んで遠くに投げ捨てると、ザグイは余裕たっぷりに言った。対して、凛火も口の端を上げて答える。

「氷花に攻撃は効かないもの。盾にしようが、不都合はないわ」

「攻撃は効かない? とてもそうは見えないな」

 ザグイの視線に釣られて、僕と凛火も投げ飛ばされた氷花さんを見る。氷花さんは腹部を押さえて苦痛の表情を浮かべていた。

 そんなバカな……。

 ユ・テ・アバラスのレーザーでさえ、氷花さんはちょっとした傷で済んでいたのに、ただの一撃でここまで負傷するなんて、信じられない。

 凛火の顔に浮かぶ焦燥の色。勝気すぎる性格も相まって、凛火は無謀にもザグイに向かって行った。

「ハァッ!」

 接近しての鞭攻撃。通常、鞭は殺傷能力が低い分、広範囲の不規則な軌道で予測が難しく避けにくい。でも、それは相手が人間であれば、の話だ。

 燃え盛る炎を纏った鞭は空を裂いた。

 直後、小さな背に強烈な蹴撃――そのまま地面に這わされ、足で押さえつけられていた。凛火にしてみれば、最大に屈辱的な格好だ。

 この期に及んで「ザマぁ見ろ」とは微塵も思わない。ただ僕は助けることに必死で、拳を引いて構える。

「うおぉぉおおおおおっ! ガストバレッ……!」

「遅い」

「ごほっ!」

 一体、何が起こった?

 気が付けば僕の視界は暗転し、背に重力を感じた。頭のリボンが大きくはためく。

 胸部が痛い。妙な浮遊感もある。

「うあっ!」

 やがて墜落。地面を頭から滑り、自分が宙を舞っていたことを知った。

「ぐっ……わたくしに向かって、こんな無礼を……ッ!」

「無礼? 俺は神の一人、死を司る死神だ。人間の小娘程度に恭しくする必要はないだろう」

 油断か、あるいは余裕か。ザグイの足の力が緩んだ隙をつき、凛火が身を半回転させて足下から抜け出す。

 それを見たザグイは足を上げた。もう一度、凛火を押さえるつもりだろう。

 そうはいくか。しかもこれはチャンスだ。あの体勢では不安定だし、次の行動が取れないはず。

 上半身を起こした凛火の前、氷花さんが瞬間移動で現れ、小さな拳を作った。氷花さん召喚の際、出てくるのはブローチの前だから、凛火がうつ伏せの状態では使えなかった。

 それが今、凛火の体勢が変わり、移動可能になったところで飛び込んで来たんだ。

「ウインドショット!」

 僕も負けじと、高速モーションで風の弾丸を撃つ。ガストバレットより威力は劣るけど、これなら氷花さんも巻き込まない大きさだし、発射速度も段違いだ。

 弾丸の軌道も、氷花さんのタイミングも完璧。

「まだわからないのか? 人では辿りつけない領域がある」

「うわぁッ!」

 まただ。何が起こったのかも分からないまま、僕は無力に宙に放られた。凛火も、氷花さんも。

 そして体のどこかに強烈な痛みを覚える。今回の僕は右脚だ。

 なんらかの攻撃を受けたはずなのに正体がまるでわからない。風の弾丸も消し飛ばされた。強いどころか、いっそ卑怯なほどの攻撃。

 これが神の力、おそらくはその片鱗。

 歯が立たないどころか、勝負すら成立しない。僕らに勝算は、一パーセントだってありはしないんだ。

 この山頂の空間、今は中央をザグイが占める。その背後、崩れた小屋の陰にヌーヌがいる。僕ら三人はザグイを中心とした、ほぼ正三角形に散っている。

 どういう存在を神というのか、僕には分からない。だけど相対しているコイツは圧倒的な力で、僕たちの命を刈りに来る。全滅必至の状況だ。

 どうしてこんなことになったんだろう。相手が強過ぎたから? そりゃそうだ。だけどそれだけじゃない。思えば今回、僕たちには油断があった。最初からどんな事態も想定して、慎重過ぎるくらいに備えてくるべきだったんだ。

 半端な作戦会議、無駄な自信と余裕。

 振り返れば振り返るほど、僕らの慢心が浮き彫りになる。

 ちょっと力を手に入れて、たまたま一回成功した僕らは調子に乗った。その結果として、この状況は必然なんだ。

 さて、この後どうするか。

 頭はまるで働かないけれど、意外にも僕は冷静だ。これから起こることに対して実感がないからかもしれない。だって、未だに死ぬとは思えないし、死がなんなのかすらもわからないから。

 色んな思考が頭を巡る。

 そんな時だった――。

「凛火ちゃん、椿くん。逃げてっ!」

 はっきりと氷花さんの声が聞こえた。

「だから、わたくしに後退……いえ、わかったわ!」

 一瞬反論しかけた凛火が立ち上がる。僕も痛む足と胸部に構わず身を起こす。

 幸い逃げ道は近い。僕たちは飛び下りるように坂を真正面に見すえて飛ぶ。しばらくは緩やかな坂だ。跳び過ぎなければ危険はない。

 でも、何かの衝撃が僕らの背を襲う。勢いが大きく増した。

 激痛を背中にも加え、僕は急勾配を転がり落ち、やがて木に衝突して止まった。

 シュッと僕の目の前に氷花さんが現れ、倒れた。

「氷花ちゃん、大丈夫?」

 訊いてみたものの、答えは一目瞭然だ。傷を負いにくい能力を持っていながら、その身は満身創痍。意識の有無もわからないくらいだから、恐らく返事もないだろう。

 僕が坂に飛び込む寸前、目に見えたのは、ザグイに向かって行く氷花さんの姿。僕らを逃がすために、傷つくと分かっていて一人で、誰よりも近くで攻撃を受けたんだ。

 まったく、無茶をするよ。

「ありがとう」

 そんな言葉が、涙と一緒に零れ落ちた。

 僕らは今日、何も出来ずに負けたんだ。

悔しさよりも、情けなさが胸に染みた。


 別方向に逃げた凛火とどうにか合流を果たした僕は、二人で氷花さんの腕を肩に回して山を下りる。来た時よりも暗く感じるのは、今の気分を表しているのかな。

 もう全身が隈なく痛い、歩きたくない。

 でもピクリとも動かない氷花さんを見ると、自然と体は動いた。

「厄介なことになったね。もしヌーヌの目的が大魔王らしいものだったら、あのザグイとかいう奴の力は脅威だよ」

 大魔王らしいというのは、世界滅亡だの征服だの、一括して言うと良からぬことだ。

「そんなことは、もうどうでも良いわ」

「なんで。まさか、怖気づいたんじゃ……」

 言いかけると、凄く怖い顔で睨まれた。氷花さんを運んでいなくて、山も下っていなかったら、間違いなく僕の足を強烈な痛みが駆け巡っていたことだろう。

「戦うのに、ごちゃごちゃとした理由は要らないってことよ。あのクソ共はわたくしを怒らせた、それだけで充分」

 凛火の瞳は激情の赤色に変わっている。赤の眼、という点ではザグイに引けを取らないかもしれない。さすがは炎使いだ。

「ふふふ、どうやって苛めてやろうかしら」

 何にせよ、常に前向きでいられるのは凛火の美点かもしれない。

 うん、僕も少しは元気が出てきたみたいだ。

「そうだよね。一度負けたくらいで、凹むことなんて……」

「負けてないわ。こうして生きているんだから」

 …………うん? そう、なのかな?

「じゃ、一度逃げたくらいで……」

「ただの仕切り直しよ」

 この負けず嫌いめ。

「……じゃ、それで。凹むことなんかないよね」

「当り前でしょ。凹むのはクソ共の顔だけよ、これから、物理的にね」

 どこまでも強気なことで。

 中腹まで下りると、蘭堂先生が待っていた。僕たちの姿を認めて、すぐに駆け寄ってくる。

「みんな、大丈夫かい?」

「氷花ちゃんが、ちょっとマズイです」

 先生は急いで白衣を脱いで地面に敷く。そこに氷花さんを横たえろ、ということなんだろうけど……蘭堂先生?

 どうして白衣を脱いだだけで引き締まった肉体が現れるんですか?

 以前から、胸が大きく開いていたな、鎖骨とか見え見えだけどシャツはどこかな、とか思っていたけど……まさか上半身裸で白衣を着ていたんですか?

「早く氷花ちゃんを横にして。軽く診察して、応急処置をするから」

 そんな真面目な顔で言われましても、アナタ今、とんでもない恰好ですよ?

 もの凄く託したくないんですけど。

「急いで、かつ刺激を与えずに!」

 だから……まぁいいや。なんか危険を感じたらガストバレットを撃ち込もう、そうしよう。

 僕と凛火はそっと氷花さんを横にする。その横で膝を折り、蘭堂先生は診察を始めた。

「どう、ですか?」

「見た目ほど酷くはないね。とっさに急所を外すのは動物の反射的なものだけど、ここまで見事に軽減できるというのは、やはり鍛錬の賜物なんだろうね。よし、例の装置を使って傷を治そう」

 白衣の下に手を入れ、氷花さんを持ち上げる。頼むよ蘭堂先生、服を着てくれ。

「さ、君たちの傷も治すし、話も聞きたいからね。ついて来てくれよ?」

 境内の離れ、蘭堂先生たちが住む家に向かう。

 外見は超がつくほど和風なのに、中は意外と洋風。ギャップがあるという点では僕の家と似ているけど、比べるのも失礼なくらい綺麗だ。

 チョコレートの話から思っていたことだけど、このメンバーでは、僕だけが貧乏のようだ。

 事情を知る蘭堂先生のご両親は、僕らを心配そうな顔で迎え入れてくれた。

 個人の家にしては長い廊下を歩き、蘭堂先生の部屋に入る。元は広い部屋だろうに、七割を機械に占められていて窮屈だ。機械の他にあるのは寝床、机に本棚、あとは冷蔵庫だけ。

「少し待っていてくれ。氷花ちゃんを優先して治療するから」

 僕らが楽々と入れる大きな箱に氷花さんを入れ、蘭堂先生は扉を閉じる。あとは時間と力の強さを入力して待つだけだ。これが結構、時間が掛かる。

「さてと、話を聞かせてもらえるかな?」

 僕と凛火はベッドに腰を下ろす。

 自然と蘭堂先生の視線は僕を向いている。報告なんて面倒な仕事、しかも内容は完全敗北という屈辱、凛火がするはずない。

 あったこと全てを話した。とりあえずは事実の報告で、主観は交えない。

 蘭堂先生は、目すら逸らさずに聞いていた。

「神の一人、死神……そう言ったのかい?」

「名前はザグイだそうです。大きな鎌は氷花ちゃんをも負傷させて、出所すら分からない攻撃が近づく事すら許さない。反則的な強さでした」

 思い出すと、こうして帰って来た今でも冷や汗が出る。

 ザグイの話をすると、蘭堂先生は初めて僕から目を離した。どこか別を向いたのではなく、ただ目を瞑っただけなんだけど。

「死神のザグイ……おそらくはザグイ・ラ・ドイクェか……」

「何か知ってるんですか?」

「ヌーヌが好んで召喚した神だ。冷酷にして狡猾、桁外れの強さ。俺達に伝えられた古代の資料は少ないけど、何度も名前は目にしたよ」

 やっぱり神なのか。相手にするには厳しい……どころか、無謀な臭いがプンプンするんですけど。少なくても大魔王より危険そうだ。

「椿ちゃん、そこまで沈むことではないよ。厳しい相手には変わらないが、神と言っても世界を創ったとか、そういう存在とは別の神だ。例えるなら……別世界の英雄、とかだろうか」

 そういう神がいるのかは知らないけど、と付け加えられる。

 別世界って、どういう世界だろう。まさかユ・テ・アバラスみたいな怪物がウヨウヨいるんじゃなかろうな。そんなトコ、行かなくても想像するだけで吐き気がする。

「でも、今のままじゃ傷一つ付けられませんよ。あの攻撃の対策がない限りは、また挑んでも無駄です」

「俺は実際に見ていないから確かなことは言えないけど、その攻撃は多分、レツエイと呼ばれるものじゃないかな」

「レツエイ?」

「衝撃波を影などの闇から発生させる技だ。資料によると、この技のために先人たちも苦戦を強いられたらしい」

 おいおい、影とか闇からってことは……。

「夜に戦えば、縦横無尽に攻撃が飛んでくるってことだね」

 そりゃ勝てないよ。だって周りは闇ばっかりだもん。

「そうすると、昼間に戦うのが理想的なわけね。明日と明後日は学校があるから、再戦は土曜日にするわ」

 おや、凛火にしてはまともで大人しい意見だ。てっきり明日の昼、学校を抜け出して行くとか言うと思ったよ。

「昼に戦えば、勝てると思うのかい?」

「勝つわ」

 冷静な判断はしたけど、相当お怒りみたいだ。言葉の端々に不機嫌さとトゲがある。

「……幼女に向かって冷たい物言いはしたくないけど、負けた理由の中に君たちの慢心があったこと、わかっているのか?」

 凛火は鼻を鳴らし、口を閉ざした。

 僕も蘭堂先生に同意するけど、凛火はわかってるのかなぁ。

「残念ながら地力に差があり過ぎる。無策では勝てないよ」

 それっきり、蘭堂先生も黙ってしまった。

 無策では……ね。あくまで僕らに勝利の可能性があると信じているんだ。

いいさ、期待には応えてみせるよ。この僕が土曜日までに、その策とやらを捻り出してやるさ。

 チーン、と音がした。蘭堂先生が扉を開けると、治療が終わったホカホカな氷花さんが出てくる。これが僕も前回お世話になり、これからもお世話になる巨大な電子レンジ型の治癒魔法搭載治療機(電子レンジ機能付き)だ。

 製作者はバカなのか、というツッコミは前回の治療時に済ませたから、もう良いか。

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