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激変の月曜日

 一夜明けての月曜日。庭の木から採ったリンゴで作った天然酵母、ソイツを使ったパンを腹に収めていざ出陣。向かうは小学校。お供は妹、法蓮。

 僕の背には漆黒の、法蓮の背には紅のランドセルが光る。言うまでもなく、コイツらもお下がりだ。ランドセルは小学校を卒業すると不要になるから、頂くのは割と簡単だった。

 僕の隣で元気に歩くこの法蓮だけは我が家で唯一、綺麗な服を着ている。働いている麻美姉が買い与えたものだ。自分が子供の頃に着られなかった新品の服を、今でも生活に余裕は全くないのに、惜しげもなく妹にあげるという姉心。いと美しきことかな。

 僕にも、と言われたけど、僕は古着を利用して自分で仕立てるのが好きだからと、事実を交えて遠慮した。青梅姉もどうせ汚れるから、とかで突っ撥ねている。正直、青梅姉はもう少しお洒落に気を配るべきだと思う。せっかくの美貌がもったいない。

「椿ちゃん、暗い顔してどうしたの?」

 法蓮は頭の左右にできた小さな尻尾を揺らし、僕の顔を見上げる。暗い顔というのは光の加減もあるだろうけど、法蓮が言いたいのはそう言う事じゃないだろう。

 だってさぁ、ランドセルが黒くて可愛くないんだよ?

 服だって、どうにかユニセックスで済ましているけど、ヒラヒラしてもいなければ、髪にもウィッグが付いていないんだよ?

 ……と、まぁこれはいつも通りだから、顔に出ているとは思わない。それに僕は一応男であるからして、それらについては、そこまで不満がある訳ではない。

 結論を述べると、学校に行きたくない、その一言で済む。

「いやなに、少しばかり気分がインディゴブルーなのさ」

 十数分後に訪れるであろう、教室の扉を開けたところを想像する。明るい教室、三年生を共に過ごした、見慣れた級友達。その温かな日常風景の中で、彼らが各々発する第一声は、こうだろう。

「よう、変態」

「やっほ、タイヘンなヘンタイ」

「キショい、帰れ」

 ――おおぅ、想像でこのダメージ。すでに心が粉砕しそうだ。

 そんな僕の感情を知らない法蓮は、未だに心配そうな顔で僕を見続けている。

「法蓮。僕、実はね……」

 なんて言えばいいんだ。でも隠すわけにはいかないだろう。法橋なんて苗字、そう多いものじゃない。最悪、イジメという魔の手は法蓮にも飛び火するかもしれないのだから。

「……変態なんだ」

「知ってるよ。女装が趣味なんだよね?」

 ……まぁ、そうなんだけどさ。ちょっとストレート過ぎるよ、法蓮。

「それを隣のクラスの人に知られてさ。兄ちゃん、学校でイジメられるかもしれない」

「そうなんだ。でも知られたって、悪い事ばかりじゃないよ。それなら学校にもアリスちゃんを着て行けるでしょ?」

「…………!!」

 なんという逆転の発想ッ!

 コイツは将来、大物になるな。

「……って、そうじゃなくて。こういう噂はあっという間に広まるだろうし、苗字で兄妹だってすぐ分かるから、法蓮までイジメられるかも知れないぞ。あとアリスちゃんじゃなくてハート・オブ・アリスな」

「そんなの慣れてるよー。それに本当に仲良しな友達とは、そんなことで溝が出来るような付き合い方してないもん。何があっても味方でいてくれる人が近くにいるから、法蓮は全然平気だよ」

 お前カッコイイな。家が貧困だから度々バカにされるけど、僕は未だに慣れない。友達に関しても、そこまで言い切れない。

 小三女子とは思えない漢らしさ。こんな性格なら、そんな深い絆を持つ親友もいるんだろうな、と少し安心する。イジメられることに対しては申し訳なく思うけど、多少は心が軽くなった。あとは僕の問題か……。

「椿ちゃん、安心できた?」

 僕の心見透かしたかのように、法蓮はニコッと笑う。

 お前、妹のくせに生意気だな。そんでもって……。

「うん。ありがと、法蓮」

 僕よりも少し低い頭に手を乗せて優しく撫でる。すると法蓮は目を細めて、顔を赤くした。

 お前、本当に可愛いな。


 学校に着くなり法蓮は友達と合流し、僕とは玄関で別れた。廊下を歩いても階段を上がっても、気持ちは重さを増すばかり。いつか読んだ小説の死刑囚は、規模は違うけれど、こんな心境だったのかもしれない。そうなると、あの時に登場人物が取った行動にも納得できる。読んだ当時は疑問ばかりが残ったけど、もしかすると今、あの物語の本当の面白さに一歩、近づけたのかもしれない。

 なるほど。どんな悪状況だって、得られるものはあるんだな。こう思えるのも法蓮の逆転の発想を聞いたお陰かもしれない。

 引き戸の前に立って深呼吸。取っ手に手を掛けると、いつもは軽い扉が信じられないほど重く感じた。この扉は、僕の心が創り出した鋼鉄の扉だ。

 迷いはあったけど、意を決して戸を開け放つ。音に応じて、クラスメイトたちの目が僕に向いた。

「よう、変態」

「やっほ、タイヘンなヘンタイ」

「キショい、帰れ」

 ……とは言われなかった。それどころか、いつも通りに挨拶されるだけ。

 助かったのか?

 いやいや、落ち着こうぜ。まだ桜庭さんや御崎さんが登校していないなら、噂が広まっていなくても当り前じゃないか。

 本当の戦いは、これからなんだ。

 そうして緊張のまま一時間目、国語。

 戦慄のまま二時間目、音楽。

 授業の疲労を払拭する癒しの時間のはずだが、噂の広まる確率が高い恐怖の中休み。

 おや? 三時間目、算数。

 ……四時間目、社会。

 月曜日からハードな時間割をこなした先、何事もなく迎えた昼休み、給食の時間。もしかして二人とも黙っていてくれるのか?

 御崎さんは言わないだろうとは思っていたけど、まさか桜庭さんまで心の奥にしまっていてくれるなんて。言い触らすメリットなんか最初から無いけど、つい口が軽くなってしまったりはしないのだろうか。

 給食はカレーとリンゴ、それにいつもの牛乳という、スプーンを持つ手が震えるほどの豪華ご馳走。それでも今一つ物足りない感じがするのは、毎日粗末な材料ばかりだけど、麻美姉の料理を食べているせいかもしれない。あの人はもやしすらカレーを凌駕する料理に変えていたのか。

 その麻美姉も、きっと子供の頃は今の僕と同じように給食を食べ、だけど牛乳を残して水を飲んでいたんだろうな。想像すると、可笑しくなった。

 ニヤける僕、気持ち悪いな。家族のこと好き過ぎだろ。

 そしてやってくる昼休み。僕は図書室で借りた本を片手に、友達と談笑する。失礼だと思っていた時期もあったけど、僕が長年の経験で培った技術により、読書と会話の両方に集中出来ると知った立上くんは、そうするように自分から勧めてくれた。

 良い友人だと思うけど、それも僕が立上くんにとって、ただの本好きな少年だからかもしれない。第二の趣味を知られて、そこで友情が終わらないという保証はない。

「……でさぁ、兄貴がぬいぐるみとか持ってんの。キメェよな」

 いやもう確実に終わるっしょコレ。

 大体ぬいぐるみを持っていたって、別に良いじゃないか。可愛いじゃないか、ぬいぐるみ。僕もいくつか自作したよ?

「癒しがあるのは良い事じゃないかな」

「んー、そうかぁ?」

「恥じて感情を抑えつけるよりは、解放した方が心には健康的だよ」

「お前、相変わらず難しいこと言うのな」

 ふふふ、伊達に本を読んではいないよ、立上くん。これでも僕は、国語のテストで満点の常連なんだから。しかもその他の知識も身についているから、社会や理科も敵ではない。学業に関して言うなら、これで意外と優秀なんですよ。

 十分くらい話した頃だろうか、教室の入り口から声を掛けられる。

「椿くーん、ちょっと来て」

 なんだろう。それほど親交はないクラスメイトの女の子だ。

「ごめん、ちょっと行ってくるよ」

「おう。そんじゃあ、ちょっとこの本借りてるわ。どうせ分かんねぇけど」

 そう言って立上くんは、僕が読んでいた有機化学の雑学書を手に取った。小学校の図書館に置く本ではないのかもしれない。貸出カードには名前が無かった。

 最初の見開きで挫折した立上くんを残し、扉まで歩いて行く。

「ごきげんよう」

「椿くん、こんにちはー」

 そこに居たのは、桜庭さんと御崎さんだった。

 金持ちとはいえ学校での服装は一般的だ。きっと箪笥には、学校用の安い服がいくつか並んでいる隣に、お高い衣服がズラッと掛けられているんだろうな。

「じゃ、ウチはこれで。またね、凛火、氷花」

 去っていくクラスメイト。どうやら呼び出しに使われただけみたいだ。

 くっそぅ、この展開は想定外だ。一体どういうつもりなんだろう。直面した今でさえ予想もできない。

「ちょっとそこまで、付いて来てくれるかしら」

 吊り目でニヤリと笑う桜庭さんは、悪の女王みたいだった。良からぬ事を企てているのは理解した。そして拒否権が無い事も理解している。

 チラリと御崎さんを見ると、こちらは優しそうな笑顔だった。きっと御崎さんも、桜庭さんに連れ出されたのだろう。

 連行された先は、人気のない階段裏のスペース。ああ、これから僕の身に何が起こるというのか。

「これに着替えなさい」

 白くて眩い袋。どこかのブランド品を買った際に貰った買い物袋だと予想される。こんな機会でもなければ一生触れることは無いだろうから、ちょっと嬉しい。

 はてさて、何が入っているのやら。

 袋の中に入っていた滑らかな布を取り出す。液体のような手触りで、ちょっと冷たいような気もする。

初めての神秘的な感触に、少し驚いた。

「……桜庭さん。何スか、コレ?」

 光沢のある美しいドレスだった。

「見ての通り、シルクのドレスよ」

 えぇぇええええええっ!?

 僕からすれば、王室クラスの高級品じゃないですか!

 しかもこのフォルム。美しさの中に可愛さを秘めた、思わず涎が垂れそうな素晴らしいデザイン。

「あぱちょらっぽぅふ……どえぁあ?」

「何を言っているのか全然わからないわ」

 ふおお、物質的には軽いのに、すごく重い気がする。

汚したら弁償ですか?

 きっと一生かけても払えませんよ。

「ここっ、これに着替えろって、どどっどっど、どういうこと?」

 緊張し過ぎてまともに喋れない。

「暇だから遊ぼうと思って。それを着て校舎を一周。どう、楽しそうでしょ?」

 またしてもニヤリと笑う桜庭さん。なんて恐ろしい事を考えるんだ。こんな派手な服、目立つに決まっている。そうすると当然、僕だとバレる可能性は高くなる。ついでに変態だとバレる可能性も高くなる。

 しかも断ることができない。弱みを握られていることもあるけど、何よりこんな可愛い服を着られるとあっては……いや、でも……。

「承諾すれば、その服はあげるわ。どうせ一回も着ていないし」

「わかりました。不肖この法橋椿、そのお役目、謹んでお受け致します」

 誤解しないで欲しいのは、脅されたからとか物で釣られたとか、そういうことじゃないということですよ。いやほら、これはある意味で僕に対する挑戦なわけで、それならどんな難題も受けて立つのが男じゃないですか。

 一応着替えの時は一人にさせてくれるらしく、二人は一時、どこかへ消えた。

 おぅふ、なんて肌触りだ。しかも寒くもなく暑くもない絶妙な体感温度。それでいて羽のように軽い。

 着替え終わった頃を見計らい、桜庭さんと御崎さんが戻ってくる。ちょうど僕は、いつものものに似た感じのウィッグを袋から取り出して装着したところだった。

「わぁ、椿くん可愛いねぇ」

 開口一番、御崎さんが言った。いやいや照れますなぁ、えへへ。

「そう言えば御崎さんは、なんて言われて来たの?」

 桜庭さんとは違って、能動的にこの事態を楽しむとは思えない。

「面白いものが見られるから付いて来なさいって。面白いものじゃなくて可愛いものだったけど、来て良かったよぉ」

 言葉の端まで全く毒気がない。こういう人も珍しいと思う。

「さ、行くわよ。目標は正体を隠したまま、各階の廊下を全て渡ること」

 そしてこの人も本当に嬉しそうだなぁ。ニコニコとニタニタ、笑顔の質は全然違うけど。

 まずは最上階である三階。五・六年生という最上級生のテリトリーだ。でも知り合いはいないから、ここは安全地帯だろう。

 いざ歩いてみると思った通り、ジロジロと視線は突き刺さったけど、それだけだ。ヒソヒソ話が聞こえたけど、正体云々ではなくて衣服についてだったから、問題なし。

 お次は二階、三・四年生のテリトリー。ここが鬼門だ。四年生が危険なのは言うまでもないとして、三年生とは学年別交流があったから、このフロアの実に五割は顔見知りという地獄。

「第一の山場ね、覚悟していきなさい」

 言われて階段で深呼吸。大丈夫、なにがあってもポーカーフェイスだ。万が一気付かれそうになって話しかけられても、シラを切り通せば良いだけのこと。

「でも昼休みは校庭で遊ぶ子も多いから、廊下にはあんまり人はいないよ」

 そう言われれば三階も人は少なかった。遊び盛りの小学生だから、昼休みには教室が無人ということすら、ないことではない。

「それもそうだね。気楽にいこうかっ。あははーっ」

 階段から角を曲がり、踏み出した第一歩。目の前の相手とぶつかり合う視線と視線。

 その人物は御手洗いからの帰りらしく、濡れた手をズボンで拭いていた。ハンカチを使わない雑な性格をしたその男子、名は立上という――。

「ん? お前ら、椿が帰って来ないんだけど一緒じゃないのか?」

 僕に一瞥くれた後、後ろの二人に声を掛ける。

 あっぶねぇぇぇ。どうやらバレてはいないようだ。

 僕は怪しまれない程度に顔を俯かせる。こうすることにより、ウィッグの前髪で顔を隠そうという目論見だ。

「えっと、椿くんならねぇ……」

 言ったらダメだぞ、御崎さん!

 空気読んでよ、御崎さん!

「職員室よ。先生に頼まれて、わたくし達が呼びに行ったの。何の用事かは知らないけど、気になるなら後で本人に尋ねなさい」

 桜庭さんグッジョブ。

 ちょっと僕に問題丸投げが入っているけど、考える時間は充分にある。僕に掛かる緊張感が楽しみなのか、桜庭さんは正体の隠蔽には協力してくれるらしい。冷静で頭も良く回るみたいだから、元凶にして思わぬ強力な助っ人だ。

「そうなのか。ところでさ……」

 ツツツ、と立上くんが桜庭さんに近付いて声を潜める。

「この可愛い子、誰だよ」

 まぁ聞こえてるんだけど。

「ブフゥッ!」

 桜庭コノヤロウ、吹き出すなよ、不自然だろうが!

「なんだ、なんで笑う?」

「失礼したわ。少し風邪気味で、鼻の調子が悪いのよ。笑ったわけじゃないわ」

 また上手い誤魔化し方だ。

「この子はねぇ……」

 言ったらダメだぞ、御崎さん!

 空気読んでよ、御崎さん!

「つばっ……ひゃふん!」

 ドンッ、と鈍い音の後、御崎さんの顔が赤らんで緩む。音の発生源は足元で、桜庭さんが御崎さんの足を踏んでいた。

「つば?」

「TSUBASAっていう遠方の劇団の子で、昨日の公演を終えて帰るまでの間、遊んでいるのよ。わたくしの家がスポンサーだから仲も良いし。もちろん先生方から許可も頂いたわ」

 もうコイツ詐欺師だろ。しかもメチャクチャ設定なのに、金持ち故のこの説得力。実際に桜庭さんや御崎さんの親なら、校長なんかにも顔が利きそうな気がするし。

「マジかよ。じゃ、連絡先とかは……」

「芸能人を舐めるな、とだけ言っておくわ」

 立上くんは肩を落として去って行った。

「うん。なかなか楽しいわね。二階の続き、行くわよ」

 心臓をバクバクさせている僕を見て、桜庭さんは満足そうに言った。いや、ガックリした立上くんを見られたことも要因の一つかもしれないけど。

「氷花。呆けていないで付いて来なさい」

 ぼーっとしていた御崎さんはハッとし、歩き出していた僕らにパタパタと追い付いてきた。

「どうしたの?」

「えっと……なんでもないよ」

 まぁ、御崎さんの性格なら変わった事でもないのか。思い出してみればクラスが同じだった一・二年生の時も、いつも呆けていた気がしなくもない。

 激しく打ちつける体内のドラムが加速を続ける二階、四年生の並び。知り合いを見る度、背中に嫌な汗をかく。せっかくの衣装が汚れるから汗は出ないで欲しい。

 あと少し、あと少しで中央階段だ。そこさえ過ぎれば残りは三年生の並び。知り合いの数は半減する。

 四年一組の扉まで、もう二メートル……やけに長く感じる。

一メートル……友達、今は出てくるなよ。

 手にも汗が滲み――今、最後の扉を無事、通り過ぎた。

 中央階段に到着だ。

「……っはーーーーっ! 緊張したぁ!」

 無意識にため込んでいた息が解放されて、胸に新鮮な空気が染み渡る。どことなく清涼感があった。底知れぬ達成感がつま先から脳天までを電流みたいに駆け巡る。地獄から這い上がったが故の、この地上の心地良さ。やり遂げたんだ、死の四年生ゾーンを潜り抜けた。

 この僕に、もはや恐れるものなど何も……。

「椿ちゃん、そんな恰好で何してるの?」

 ……んっ?

「その声はっ」

 階段下から聞こえる、聞き慣れた声。ソイツは友達三人を引き連れて、その可愛らしい姿を堂々と現した。

「法橋法蓮!」

「そうだけど。テンション高いね」

 そうだ、三年にはコイツがいたんだった。

「椿ちゃんって確か……法蓮ちゃんのお兄ちゃん?」

「そうだよ。コレがわたしのお兄ちゃん、法橋椿ちゃん」

 ちょっ、こんな恰好の兄を紹介するなよ!

 コレ呼ばわりは、もはやどうでも良い。それよりも、なんで冷静に女装した兄を友達に曝しているんだお前はァッ!

「可愛いお兄ちゃんだね。うちのとは大違い!」

「椿ちゃん可愛いっ。よろしくねぇ!」

 しかも友達も抵抗なく接触してきた。

「うわぁ……法蓮ちゃんのお兄さんって、変態なの?」

 だが、さすがに常識のありそうな一人は引いていた。いや、この場の多数決では何故か負けだけど、君の反応が正しいよ。正義は君にあるよ。

「うん、そうだよ。それはもうタイヘンなヘンタイさんだよ。でも実害は無いし、法蓮は別に変態じゃないから安心してね」

「わかった。でもお兄さん、私には近づかないでくださいね」

 ……言いたいことはあるさ、色々と。でも妹の友情にヒビが入らなかった事実に免じて、小言は抑えてやろうと思う。

「それじゃ、法蓮はちょっと話を聞くから、みんなは先に教室に戻ってて」

 法蓮は小さく手を振り、友人たちと別れた。

「それで、椿ちゃん」

「はい」

 頬を膨らませた法蓮が、腰に手を添える。

「確かに法蓮は大丈夫って言ったけど、バレないに越したことはないんだよ。それをどうして自分から暴露しようとしているの?」

 わーお、すっごい正論。

「実はその、かくかくしかじかで……」

「なに、そのかくかくしかじかって。日和らないで、ちゃんと答えなさい!」

 うう、珍しく怒っていらっしゃる。非は全部こちらにあるわけだし、逆らわない方が良いだろう。だから桜庭さん、アンタにも非はあるからさ、怒られている僕を見て嬉しそうにしないでよ。

「そのね、ほら、隣のクラスの人にバレたって言ったじゃん。こちらがその方々で、それをネタに、半ば強引に……」

「半ばってことは、残りの半分は?」

 くぅっ……鋭いな。ああそうさ、その通りさ!

「はい、自発的であります」

「バカぁーーーーッ!」

「ぅおっと危ねぇ折角のドレスが汚れるだろバカぁーーーーッ!」

 僕は飛んできた蹴りを華麗にかわす。まったく何を考えているんだ。高級品だぞ。売る気は無いけど仮に売れば、きっと僕たちなら半年は暮らせるんだぞ?

 法蓮は走り去った。言い知れない罪悪感が僕を襲う。

 ……そうだな、後で謝っておこう。

 気を取り直して、再び廊下を歩く。法蓮の後には特にアクシデントもなく、魔の二階を通過した。ふっひゅうぅ、もう冷や汗が滝の様だ。

 残るは一階。一・二年生のテリトリー。この年頃ってのは、一歳の違いでも計り知れない大きな差がある。知り合いもいないし、要するに、上級生たる僕に怖いことは何も無いんだ。

「さ、元気良くいこうぜ」

 腕を振って堂々と歩く。疎らな人影から視線を感じるも、話しかけてくる生徒はいない。上級生に声を掛けることは、用事でもない限り避けたい事柄だろう。

 ははは、気分いいなぁ。もう目が合った子にはウインクなんかもしちゃうぜ。ほれほれ、そこの女の子にズキューン!

 そーら、そっちのボクにもズッキューン! ……ノンノン、恋しちゃダメだぜ。なんて言ったって、僕はこれでも男なんだからなぁ!

 そんな調子で歩いていると、御崎さんがこちらを見ている下級生に対して平和に手を振っているのに対し、桜庭さんの機嫌が目に見えて悪くなっていた。

「桜庭さん、一体どうしたので?」

 訊かずとも答えが分かる問い。僕のご機嫌は、どうやら桜庭さんの不機嫌らしい。なぜかは知らないけど。

「……凛火様と呼びなさい」

「は?」

「親しみを込めて、凛火様と呼びなさいと言っているの」

 突然なにを言っているんだ、桜庭コノヤロウ。

「あ、それなら……わたしは氷花ちゃんって呼んでね」

 ちょっとぉ!? それならじゃないだろ御崎さん! なんか凛火様が決定事項みたいになったじゃないかぁ!

 こら桜庭、隠れて御崎さんに親指を立てるな、見えてるんだよ!

「決まりね」

 決めるな、決まってねぇよ!

 黙ったまま良い返事をしない僕の手に、一枚の紙が渡される。コピー用紙か。

「ブフッ!」

 思わず吹き出す。そこには写真が印刷されている。四分割の写真、ハート・オブ・アリスを着た姿でウィッグを手にした僕が、それを頭に乗せるまで、連続で写したものだ。あえてコピー用紙に印刷したのは、デジカメ撮影でマスターデータを握っていることを暗に伝えるためだろう。四分割という画像編集をしていることから、すでに悟る内容ではあるけれど。

 こんなもの、いつの間に撮ったんだ。昨日はカメラなんて持っていなかったじゃないか。

「決まりね」

 もう一度、僕に言った。

「はい、凛火様、氷花ちゃん」

 くっそがぁあああああっ!

 これを戒めとし、僕が調子に乗ることは今後二度と無いでしょう。皆様ホントにごめんなさい。生まれてきて済みませんでした。

「良い顔ね、悪くないわ」

 僕と凛火(口に出さないところでの、せめてもの抵抗で呼び捨てにする)の感情は、負の比例なのだとつくづく思う。僕が暗い顔をしただけで、ここまで凛火は顔を輝かせるのだから。

 上がったテンションをどん底に突き落とされ、もうすぐ廊下も終着点。今回の任務にも終わりが見えてきた。見ると凛火も飽きてきたらしい、そんな表情だ。氷花さんはどこで何をしていても楽しそうだけど。

「意外と醒めるものね。これで一週間は楽しめると思ったけど、明日からは別の状況を考えないと」

 今聞こえたのは、きっと幻聴だ。毎日こんなことを強要されたら堪ったもんじゃない。

「ねぇねぇ。あそこ、何してるのかな?」

 氷花さんが見つめる先には保健室があった。なにやら女子生徒の行列が出来ている。純粋に興味を引かれる、珍しい光景だ。

「何にでも並びたがるのね。傍から見ると滑稽だわ」

 そう言ってやるなよ。本当に個々を惹きつける何かがあるかもしれないじゃないか。

「ねぇ、行ってみようよ」

 氷花さんはグイ、と僕たちの袖を引き、列の最後尾に着く。三分くらいで一グループが退室し、列が進む。氷花さんは心を躍らせ、凛火は自分が滑稽な列に加わったことにイラついている。

マズイ、今にも矛先が僕に向くかもしれない。先手を打たねば。

「うぅ……ちょっとお腹が痛い。保健室が目の前にあって助かったけど、こんなに並んでいるなんてうわー」

 もちろん嘘だ。そして棒読みだ。

「そう。良い気味ね」

 まさか本当に機嫌が直るなんて……。性格が分かりやすく歪んでいるな。

 割と個人で訪れている人も多くて、列の進み具合は結構バラバラだ。それでも根気よく待ち続け、休み時間も終了間際、遂に僕たちの番がやってきた。

 前までの例に倣い、ノックしてから入室する。

「どうぞ」

「失礼しまーす」

 氷花さんが先頭で元気よく踏み込んだ。僕と凛火も続く。

「うん、どうぞ。今日はどうしたんだい?」

 そこに居たのは、当然と言えば当然だけど養護教諭だった。反応も普通だし、なんだか拍子抜けだ。

 ただ、行列の原因は察することが出来た。なるほど、列を構成していたのが女子だけだった事にも納得できる。

 この学校の養護教諭、蘭堂先生……超美形な青年なんだ。

 サラサラの髪は艶を放ち、銀縁眼鏡の奥に光る眼光は鋭い刃物を思わせる。清潔な白衣が神秘性を際立たせ、大きく開いた胸元が色香を醸し出している。テレビに出るアイドルみたいな派手さ煌びやかさは無いものの、浮世離れした美しさとカッコ良さがあった。まるで絵に描いたような、とはこういう時に使う表現なのだろう。

 僕たちが話さないものだから、蘭堂先生から話を切り出した。

「珍しいね。いつも相談に来る子は大抵決まっているから。御崎さんに桜庭さん、それと……失礼、見慣れない子だ。転校生かな?」

 まさか覚えているのか、全校生徒の顔と名前を。なんて記憶力だ。

「しかし、ふむ……」

 蘭堂先生は顎に手を当て、少しばかり考え込む。

「もしや、探す手間が省けたか?」

 ペンと手帳を取り出し、なにやら丸で囲って印を付けたみたいだ。それから少しばかり書き込みを加えていた。

「なにか相談かな? それとも体調不良?」

 穏やかな問い掛け。さてさて、なんて答えたものか。列があったから並んでみた、なんて正直に俗な理由を言ったら、凛火に何をされるか分からない。

「列があったから並んでみたの!」

 氷花さぁーーーーんっ!

「ひゃふん!」

 案の定、また足を踏まれていた。何だが痛そうにも嫌そうにも見えず、むしろ喜んでいるように感じるのは……気のせいか。ほわっとした不思議な性格だから、心理を察しにくいのかもしれない。

 まぁ凛火が足を踏んだところで、すでに口から出た言葉は戻せない。蘭堂先生は少し笑って見せた。

「すまないね。ここに赴任してから来てくれる生徒が増えていって、いつからか自然とカウンセリングの真似事をするようになってしまったんだ。今では保健室としての機能が働きにくくなっている。相談は放課後にして欲しいと言っているのだけれど、なかなか上手く言い聞かせられないものだね」

 眉を八の字にして、今度は困ったように笑う。笑顔の多い、即ち人柄のよい先生だと思う。女子生徒に人気があるのは、最初は見た目だろうけど、今まで維持していた要因には内面も含まれるんだろうな。

「蘭堂先生、押し掛けておいて悪いですけれど、わたくし達はこれで失礼しますわ。もうすぐ午後の授業も始まりますから」

 凛火は踵を返し、ツカツカと退室する。

「えっ、ちょっと……失礼します」

「またねー、蘭堂先生」

 僕らも釣られて、逃げるように去った。

「どうしたのさ、突然」

「人を見抜く力って、上に立つ者には不可欠なもので、当然わたくしも持っていると自負しているわ」

 そうですか。

「あの教諭……どこか臭う。翳があるように思えてならない。そんな人間は信用しないことにしているのよ」

 金持ちってのは何かしら秀でた部分があるもので、大抵は集団の頂点に立つ。その者の血を受け継いだ凛火の直感が、そう告げたらしい。

 まぁ確かに、あそこまで完璧な人間がいるとは思えない。でも僕は、声に出しては言わないけれど、アンタよりは良い人なんじゃないかと思うよ。

「午後の授業始まっちゃうよー。椿くん、待ってるから急いで着替えてね」

 氷花さんの能天気な声で、流れかけた不穏な空気が清浄化する。

 おおっとぉ、言われなければ、うっかりこのまま授業に出るところだったぜ。

「言わなければ良いのに。氷花、あとでお仕置きね」

 アンタ、本当に性格悪いな。

 僕は物陰に飛び込んで着替えを済ませる。凛火はともかく、氷花さんまで遅刻させるわけにいかない。

僕は一度着た服の構造を完璧に把握できる。故に発揮できる高速の着替え術。掛かる秒数は畳んで仕舞う動作も含めて五十にも及ばない。

「お待たせ」

 ウィッグも片付けて元の私服に戻った僕は、待っている二人のところに戻った。氷花さんは右頬を赤くしながら喜んでいて、凛火は額に手を当てて目を瞑っている。そこでは実に奇妙な展開が僕を待っていた。

「ねぇ凛火ちゃん、もっとお願い。今度は左に……」

「イヤよ、喜ばせるためにやってるんじゃないわ!」

 流れが全然わからない。

「あの、凛火様。どったの?」

 僕は声を潜めて尋ねる。

「……それが、軽い気持ちでお仕置きをしようとして頬を抓ったんだけど……」

 ここまで凹む凛火は初めて見た。良いザマだ、と少し思ったのは内緒。

「嫌がらないどころか痛そうにもせず、あまつさえ何故か喜ぶ始末。その上、一度止めても続きをねだってくるのよ。もう訳が分からないわ。こんなことは、わたくしの人生で初めてよ」

 あの赤らみ方を見るに、最終的には相当強く抓ったのだろう。氷花さんは一体どういう感覚をしているんだ。

てことは、さっき足を踏まれた時の嬉しそうな顔、あれは僕の勘違いじゃなかったということなのか?

「ねぇねぇ、左は?」

「あーっ、もうっ。教室に戻るわよ!」

 二人の女の子は、じゃれながら教室へ戻っていく。会話さえ聞かなければ仲良しに見えなくもない、微笑ましい図なんだけどな。

「あっ、凛火ちゃん逃げないでぇ」

「うるさい!」

 仲が良いかは置いておくとして、微笑ましくはないな。

 それにしても……フヒッ、これは良いことを知ったぜ。メモしておこう。凛火の弱点は氷花さん――と。

 

 授業というのは、他の人にとっても同じかもしれないけど、退屈でしょうがない。教えられることよりも自分で覚えることに価値があると思うんだけどなぁ。

 だから僕は授業中、先生の授業そっちのけで教科書を読み耽っている。本なら教科書さえも守備範囲だ。割と楽しい。

 熱中している間に午後の授業は終わり、解散を告げるホームルームに差し掛かる。ここでは担任の先生から、連絡などが知らされる。ところが僕らの気分はもう放課後で、教室内は騒がしい。

「みんな静かに。今から二つ、大事な連絡をします」

 でもそう言われては、甲高く元気な騒音もフェードアウトせざるを得ない。三年間も小学校の教育を受ければ、その辺りの切り替えくらいは出来るようになっている。

 忙しく動いていた口が失速し、最終的に全てが止まると、先生は咳払いを一つしてから話し始める。この辺り、特に間の取り方なんかは、このオバサン先生からベテランの風格を感じてならない。きっとキャリアを積むとはこういうことだ。

「一つは、明日の図工についてです。事前に連絡していた通り、発泡スチロールを使いますからね、忘れないように。もう準備はしてありますねーっ?」

 何人か大袈裟に頭を抱えて「忘れてたぁ!」と叫ぶ男子がいたけど、そしてその内の一人は立上くんだけど、この僕に抜かりはない。その手の物を集める達人、青梅姉にちゃんと頼んである。つい先日、自分も使うから、と山のように持ってきていた。

「もう一つは特に女の子、よく聞いてね。最近うちの学校の女子生徒が、帰り際に怪しい男の人に声を掛けられることが多いそうです。帽子とサングラス、マスクで顔を隠した、いかにも怪しい風貌で、細くて背が高いのが特徴らしいです。声を掛けられたら大声を出して、周りに助けを求めてくださいね」

 やれやれ、物騒な世の中になったものですな。いや、物騒なのは昔から変わらないか。本で読む限りでは、いつの時代でもどの国でも、若い女の子が狙われるのはよくあることだったらしいし。

 ま、僕は男だから、基本的には関係ないけどね。でもそういう話を聞くと、法蓮なんかは心配になる。性格は勿論のこと、見た目もあり得ないくらい可愛いからね、ウチの法蓮は。土地が安い住宅地の離れである我が家の近くは、人通りも少ない。どうせ一緒に下校するのに変わりはないけど、その時は一応気を張っておくか。

「連絡は以上です。日直さん、挨拶お願いね」

「起立、気を付け。礼っ」

 そこから「さようなら」とお決まりの挨拶。

「じゃあな、椿」

「うん。また明日ね、立上くん」

 立上くんは解き放たれた犬の様に、元気に走り去った。

 ちなみに、さっきの職員室に呼ばれた件は、なにかショックな出来事があったらしく、どうやら忘れてくれたみたいだ。

 さて、法蓮を迎えに行くか。

 ランドセルを背負って、向かうは法蓮のクラス、三年二組。見知った顔と何度もすれ違いながら廊下を歩き、目的の扉を開ける。

「法蓮、帰るよ」

 ……って、あれ?

「法蓮ちゃんなら、お友達と帰ったよ。君がタイヘンだからって聞いたけど……特に異常は無いみたいだね」

 先生、そいつぁ暗号ですぜ。答えは言わずもがな、アレだからってことでしょう。少し文字を入れ替えれば分かることさ。

 そうか、まだ怒っていたのか。

「失礼しました」

 これは肩を落とさずにはいられない。当然のこととは言え、正直ショックで泣きそうだ。僕に一人で帰れって言うのか、法蓮は。

 ……へっ、いいもんね。一人なら一人で、本を読みながら帰るから。ぜぇんぜん寂しくなんかないんだからっ。

 さてさて、有機化学の本はさっき図書室に返したばかりだし、何を読もうかな。

 僕は速読の訓練を独自に積んだから、基本的に読むのは速い。面白いものはじっくりと、それ以外はパラパラと、という感じで読み分けている。

だから油断していると、このように……。

 ハッハァ!

 見ろ、ランドセルの中には、見事に読破済みの本ばかりじゃないか。しかも繰り返し読むには面白みのない、難解な本のラインナップ。

 なんだい今日は。厄日かい?

 あははははーっ。もう笑うしかないよ。あーっはっはっはっはっ。

 あーっ……もうなんか涙が出てきた。

「さ、帰るか」

 空元気すらも空になり、項垂れて玄関に向かう。

 こりゃもう、帰ったらヤケ読書だな。図書館で借りた本はまだストックがあるはずだし、ククク、目が鳴るぜぇ。

「あ、椿くんだー」

 未来に想いを馳せて現在逃避している僕に、綿のような声が掛かる。ここ二日、よく聞いた声だ。僕を孤独から救い出す、天使の声だ。

「氷花ちゃん!」

 不覚にもみっともなくテンションが上がり、

「……と、凛火様」

 光よりも速く落下する。なんだ、凛火も一緒か。

「随分と無礼な態度ね。痛めつけられたいなら、素直に言いなさい」

「ふぉごおッ!」

 思いっきり足を踏まれた。なにコレ凄く痛い。杭を打たれたみたいな、鋭さと鈍さを兼ね備えた、一回で二度マズイというお得ならぬ、お損な攻撃。

 どうして氷花さんは、これを嬉しそうに耐えられたんだ?

 そしてどうして今も、羨ましそうに指を口に当てて見ているんだ?

「ま、それはともかく、帰るわよ」

「えっ……二人とも車で登下校しているんじゃないの?」

「違うよぉ。家も近いんだから、ちゃんと歩いて来てるよー」

 面倒だけどね、と凛火が補足する。それはお前だけだろ。

 そう言えば、かの大豪邸はどちらも僕の近所にあったような気がする。金持ちとは言っても他の家を立ち退かせるわけではないだろうから、余っている土地を利用したんだろう。

 それなら昨日、散歩中の僕が二人とあそこで出会ったというのも、確率的には低いけど、あり得ない話ではなかったのか。

「つべこべ言わず、これを持って歩きなさい」

 押し付けられたのは赤いランドセル。うん、まぁ……予想はしてたよ。これくらいなら別に構わないよ。本も読まずに一人で黙々と帰るよりはマシさ。

「あとコレを着なさい」

 ……うん、全然オッケー。これはむしろ嬉しいサプライズだ。

 校門を出たところで木陰に忍び、昼休みの時と同じ格好になる。最近では何故かスカートの方がしっくりくるから不思議だ。

 傍から見れば女の子三人、並んで下校する。

 密かにあまり弾まないだろうと思っていた会話だけど、意外と盛り上がった。たまに凛火に足を踏まれながらでも歩みは進み、住宅の並びも不安定になってきた。それに合わせて通行人の数も減っていく。

 そう言えば、不審者って人のいるところには、基本的に出ないよね。よく出没すると聞くのはそう……例えばこんな通りみたいな、ね。

 で、男の僕には関係性が希薄だと思っていたけど、よく考えたらそうでもなくない?

 いつものリボンは無いけれど、長い髪をはためかせた豪華ドレスという、法蓮を除く学校の誰にも男だと気付かれなかったこの恰好。その僕を果たして誰が男だと思うだろうか。不審者が例外とは限らない。

 いやいやいや、でも不審者と遭遇するなんて……。

「んー、後ろの車、わたし達にずっと付いて来てるねぇ」

 そうそうあることでは……。

「氷花も気付いてたの? 路地を曲がって誤魔化したりはしていたけど、もう十分以上は低速で後ろを陣取っているわ。捨て犬みたいに、哀れにね」

 ないんじゃないかなぁ。

「あ、ちょっと速度を上げたみたい」

 だってねぇ、この広い地球上で特定の人物と出会う確率って、ほぼゼロだよ?

「そうね、生意気にも追い抜いたわね」

 だから僕らが件の不審者と遭遇するなんて、理論上では万に一つどころか億に一つだって無いことで……。

「前に停まったよ。あ、降りてきたね」

「帽子にサングラスにマスク、おまけに春なのにロングコート。醜い豚が容姿を隠すには、丁度いい道具ね」

 …………。

「逃げようよ!」

 もうスルーできる状況じゃない。

「なんでそんなに冷静に実況してんのさ! 逃げれば良いじゃない、逃げろよ、逃げてくださいお願いしますよ!」

 ほらぁ、こっちに歩いて来てるじゃん!

「わたくしの脳に『後退』の二文字はインプットされていないわ」

 バカかテメェ、四バイトの情報量も記憶できないのかよ。

「あー、君たち」

 うっわ、本当に声を掛けてきた。

「何かご用ですか?」

 氷花さんがトコトコと前に出て応じる。

 男は無視し、懐から取り出した小型の機械に目を向ける。空いた右手は、顎に添えられている。

 はて、この仕草、どこかで見たような……。それだけじゃない、帽子の隙間から見えるサラサラの髪にも見覚えがあったし、さっきの声も聞いたことがある。しかも最近も最近、もの凄く記憶に新しい。

「うん、やっぱり良い感じだ。君たち、ちょっと車までご足労願えないかい?」

 いや、願えないだろ。突然なにを言い出しているんだ。見ず知らずの他人の車にホイホイ乗るわけないでしょ。

「はーい」

「面倒ね。……まぁいいわ」

 氷花さんはいの一番に足を踏み出し、怪しい男に付いて行った。

 ……ってだからアンタらは……。

「なんで危ないとわかりきっているこの状況下で、素性の知れない大人の車にホイホイと乗るのさ!」

 ノーと言える日本人になろうよ!

「安全とは言い切れないけど、素性なら知れているでしょ。どこからどう見ても、あれは養護教諭の蘭堂じゃない」

 ……ん?

 そう言われれば体格も一致しているし、引っ掛かっていた点もピタリと合致した。

「まぁ安心しなさい。危険が及ぶようなら、わたくしが隠し持っている防犯ボタンを押して、桜庭家のSPを呼ぶから」

 ……あ、そうスか。

 渋々僕も後を追う。最初に運転席に乗った蘭堂先生は、すぐに変装を解いた。

 蘭堂先生の車は白いワゴン車で、中は綺麗に手入れされていて広かった。僕たちが乗り込むと、すぐに発車する。

ねぇ、本当に変な所に連れて行かないんだろうね。

「ちょっと待っててくれよ。今から黒三山神社に行くから」

 なんでそんなところに?

 黒三山神社というのは、その名の通り黒三山にある神社だ。規模としてはこの近辺で二番目に大きく、正月なんかには初参りでそれなりの賑わいを見せるも、普段は閑散としている。小さい山だけど中腹辺りに位置するため、気まぐれで訪れようとは誰も思わない。

「まさか本当に良からぬことを企んでいるんじゃないでしょうね。このわたくしに妙な事を働けば、日本国内とはいえ、銃で蜂の巣も考えられるわよ」

 怖ッ! 桜庭家、怖ッ!

「ははは、まさか。俺は君たちの味方だよ。いつ、どんな時もね」

 カッコ良く言っても、怪しいことに変わりはないですからね。

「それなら何故、変装なんかをしていたのかしら?」

「詳しい話は後でするけど、ある条件を満たした三人組を探していたんだ。不審者の存在を知らせれば、生徒は固まって行動するだろう? 生徒に恐怖心を与えるから良いやり方ではないけれど、手段を選んでいる時間はなかったからね」

 話の細部は見えないけれど、どうやら僕らがその三人組らしい。

 流れる景色から、まずは歩道が消える。住宅もそれに続き、畑や空き地が視界の多くを占めると、黒三山が見えてきた。

アスファルトの道は神社の境内まで伸びているから、車でそのまま駆け登る。

車って便利で良いなぁ。初期コストはもちろん、維持費も掛かるから法橋家には無縁の代物だけど。

「そろそろ着くから、降りる準備はしておいてくれ。行動するのに邪魔な荷物は、車内に置いても構わないよ。帰りは送るから」

 蘭堂先生は駐車場に車を停める。他のスペースはガラ空きで、ここから見える範囲にも人影は無い。神を祭る場所という事もあり、ただ無人なだけなのに、まるで世界から切り離されているような、不思議な感じがした。

 何度か来た事があるけど、その時も今も、変わった様子は特にない。

 連れてこられた理由も分からないまま、関係者専用と思われる入り口から建物の内部に侵入する。そして光の射さない暗い部屋に入った時――。

「……ようやく来たか」

 奥から厳格な声が聞こえた。

「ええ、やっと見つけましたよ」

「フン、お前のことだ。どうせ偏った選別なんだろう」

「信用ないですね、俺も」

 真っ暗の広い部屋を自在に動き回り、蘭堂先生は壁の蝋燭に火を灯して回った。

 少しずつ見えてくる大部屋の像は、和とも洋とも取れない、異質なデザインだ。血のように赤い絨毯は、黄金の飾り複雑な模様を持っている。

 奥に座しているのは、白髪で厳つい顔の老人だ。歳は八十くらいかな。

「儂がここの主、蘭堂玄隆だ」

 え、蘭堂?

「俺の祖父さ」

 ほーう、この恐そうなお爺さんが、この爽やか好青年のねぇ……。

「……英徳。この小娘たちが、お前の選んだ者たちか。本当に任せられるのか?」

「もちろんです。今すぐ、という訳にはいきませんがね。そこばかりは信じてもらいたいな」

「フン。……して、説明は?」

「まだですよ。実物を見ない事には信じてもらえないでしょうから」

 だから先生、話が全く見えませんってば。まだ先生の名前が英徳だってことくらいしか分からないんですけど。

「さ、今から君たちを地下に案内するよ。ちょっと衝撃的な光景かもしれないけど、君たちなら大丈夫だよね」

 そう言われ、有無を言わせぬ勢いで案内される。お爺さんが奥の壁を弄ると、部屋の中央が割れて隠し階段が現れた。

 おおおおおっ、ファンタジーっぽくて良いね。隠し階段はロマンがあるよ。

照明も空気を読んで、蝋燭一本で突入する。このスリル、堪りませんなぁ。

「怖かったら言ってくれ。懐中電灯も持ってるから」

 蘭堂先生は茶目っ気を含めて言った。まだ断定はできないけど、この人なら信頼してもいいのかもしれない。

「それは大丈夫ですけど、おじいちゃんは来ないんですか?」

「あの人は、基本的にあの部屋から出ないからね。火事にでもならない限り動かないんじゃないかな。御手洗いと風呂も増設したくらいだし」

「それは最強の引き篭もりね。あの顔では無理もないけど」

「否定はしないさ。あの顔では周りも怖がるし」

 どうして僕の周りって、こうも変人が多いんだろう。特にこの二日間で関わった人達の個性が人並みから遠く離れている。

 僕たちは石の階段を下り、小さな部屋に着いた。階段同様、石造りに統一された壁や床、天井。目の前には錆びついた鉄の扉。

「あ、これエレベーターだから」

 そう言って蘭堂先生は乗り込む。

「随分と古いわね。電動?」

「今はね。昔は蒸気を利用したカラクリだったみたいだけど」

 僕が訊きたい事は、何も言わないでも、ほとんど凛火と氷花さんが訊いてくれる。これは正直ありがたい。僕は正体をできるだけ隠しておきたいから、目立ちたくないし声も聞かせたくない。

 ゴウンゴウンと低い音を立てながら、僕らを乗せたエレベーターが下降していく。これは冒険というより、採掘現場に近い雰囲気だ。

 そして電子レンジに似た効果音と共に停止。降りると、さっきの乗り場とそっくりな部屋に出た。

「この先が、君たちに見せたいものがある部屋なんだ。驚かないように、心の準備だけはしておいて欲しい」

「御託は要らないから、さっさと扉を開けなさい。今日は予定がないけれど、だからって暇を持て余しているわけじゃないのよ」

 いや、暇なんでしょ?

 結構楽しいから、別に良いじゃないか。

「そっか。それじゃ、開けるよ」

 蝋燭を氷花さんに託し、蘭堂先生は鉄の扉に手を掛ける。これまでとは違い、ここだけは片手で開かないらしい。

「フゥッ!」

 ゆっくり、ゆっくりと、扉が開かれていく。中は暗闇ではなく、むしろ光が満ちているようだ。徐々に大きくなる隙間から眩いばかりの白光が漏れ出て、網膜を襲う。闇に慣れた眼には強過ぎる刺激で、痛みすら覚えるほどだ。

 隣の凛火から舌打ちが聞こえる。この人、他人には嬉々として危害を加えるくせに、自分が被害者になることは極端に嫌うよな。

 目の前に手を翳して光に耐えること数秒。少しずつ見えてくる扉の奥は、まるで異世界のようだった。神々しく、しかし怪異。不気味にして爽浄。

 どこにこんな空間があったのか、と思うほど広くて高い空洞の中、その大部分を占有する、中央から生えた数本の水晶の様な鉱物。巨大で、色は淡い緑と青。光源は広い天井から下がるシャンデリア。

「すごいねぇ」

「そうね。悪くないわ」

 あの凛火ですら、息を呑んで見つめていた。恐らくこの二人は、この歳で世界遺産などの美しい光景を見尽くしているだろうに、それでも呆ける程だ。僕には判断できないけど、もしかしたらそのどれよりも、ここは壮麗なのかもしれない。

「まるで聖域みたいですね」

 おっと、ついつい喋ってしまった。

「その例えは、それほど間違っていないよ。ここは人智を超えた力が創り出し、古代の禁忌が眠る場所だからね。中央の唯一垂直に立っているアレ、よく見てごらん」

 一点から放射状に発生している鉱物の中で一際大きい一本に目を向ける。上から下まで、下から上まで、顔を上下させて観察していると、透き通っている鉱物に一点の曇りを見つけた。

 琥珀に閉じ込められた虫のように見える。ここから見る分にはその程度の大きさにしか見えないけど、実物はきっと二メートル弱ってところだろう。大人の男性くらいのサイズだから、このスケールの中では小さいし、僕から見れば大きくもある。

「何かな、あれ」

 トトト、と氷花さんが歩き出すが、

「ダメだ、近寄っちゃいけない!」

 蘭堂先生が上げた大声でビクッと身を震わせて静止した。

「なんでよ、別に近くで見るくらい良いじゃない」

 逸早く凛火が反論する。

「ここで常識は通用しない。百聞は一見にしかず、見ていてくれ。……っと、そうそう。危ないから俺の後ろには立たないでくれよ」

 一人で前に出る蘭堂先生を、僕らはそれぞれの表情で見守る。凛火ははしゃぐ犬を軽く見下すように、氷花さんは不思議そうな顔で。たぶん僕は、好奇心をくすぐられて目を輝かせているだろう。

 蘭堂先生は、まだ鉱物から遠い地点で足を止めると、深呼吸してからゆっくりと手を前に突き出した。

 その瞬間――。

「グァッ!」

 ブレーカーが落ちたような音、走る閃光。蘭堂先生は悲鳴をその場に残し、直線的な軌道で吹き飛んだ。僕らの横を、風を起こして通過し、壁に激突する。

「ちょっ……ええっ?」

 何だ、一体何が起こったというんだ。考えろ、可能性を列挙するんだ。

 A:ワイヤーアクション……いや、ワイヤーであの動きは不可能だ。

 B:全く分からない…………これ、答えになって無いよね。

 C:これは夢だから現実では何も起こっていない……ん?

「…………!!」

 これだァッ!

「二人とも、これは夢だか……痛ぁッ!」

「で? 夢は覚めたかしら?」

 また足を踏まれていた。

「いえ、現実でした」

 くっそぅ、だったらコレは何なんだ。蘭堂先生に訊かなければ……あ、その蘭堂先生は大丈夫なのか?

 問題の人物は、腰を摩りながら戻ってきた。

「…………な?」

 いやいや、な? じゃなくて。千鳥足だけど大丈夫ですか?

「ま、いわゆる結界ってやつさ。軽く触れただけで、大人の俺があんな風に飛ばされるんだ。君たちが無防備に突っ込んだら、生きていられるかどうか分からない」

 確かに。あれを不意打ちでもらって頭でも打ったら大惨事だ。

 熟れきって落下したトマトが脳裏に浮かび、寒気がした。

「それで、あれは何が入っているの?」

「結界を見せた後で信憑性も出てくるだろうから、言うよ。ここから僅かに見える塊、あれは古の大魔王だ……と記録に残っている」

 胡散臭い事この上ないな。なるほど、結界を見る前なら鼻で笑って帰っていたことだろう、主に凛火が。

「これは封印なんだよ。アイツはまだ生きている。そしてその封印はもうすぐ限界を迎え、解けるんだ」

「えぇっ? それってマズイんじゃないですか?」

 いくつか似たようなケースを、ファンタジーの本で読んだことがある。封印とは倒しきれなかった相手に対しての、苦肉の策だ。これほど大規模な封印と強力な結界を施せる者でも敵わなかった存在が、この世界に解き放たれたらどうなるか……考えるまでもない。

 現代社会でこんな超常の力を使える人なんて、いるはずがないのだから。

「話は分かったわ、わたくしが選ばれた理由もね。要するにあの虫が復活したら、桜庭家SPを呼んで銃殺すればいいのね」

「凛火様はバカだなぁ。銃なんて効くわけ無いだろ。この結界でさえ物理的接触は無効化されるみたいなんだから……痛ァ!」

 何度踏みつける気だ、アンタ。

「でも残念ながらその通りだ。常識で組み立てた科学では、常識を超えた超常に太刀打ちできない」

「じゃ、どうすんのよ」

 んー、さっぱりだ。そもそも大魔王とやらの力も未知数過ぎる。

「氷花ちゃんはどう思う?」

 僕が声を掛けた時、そこに姿は無かった。そして音と閃光が遠くから放たれた後、一瞬その姿が視界に入って消え、大きな衝突音が鳴った。簡単に言えば、結界で吹っ飛んでいた。

 心配する僕とは裏腹に、当の本人は壁に磔になりながら恍惚の表情を浮かべている。

「ホントに変な子ね」

「そうだね。珍しく同意するよ」

 さて、氷花さんは放置で、一から考えてみよう。

 まず昔、大魔王がいた。それは周囲にとって脅威で、恐らく倒そうとしたのだろうけれど力及ばず、討伐には至らなかった。そして未来に託し、あるいは自分の時代だけを優先して封印と結界を施した。

 この時点で魔法のような超常の力が関わることは明白だ。

 それでは封印が解けそうになった今、僕たちは何をすべきか……いや、ちょっと待てよ。なぜ僕たちなんだ?

 もっと国のお偉いさんとか、賢い学者さんとか、屈強な格闘家とか、対処するのにマシな人間は他に居るだろう。僕らなんか一般の大人の足元にも及ばない。まるで役に立たない。

 じゃあこれは夢か、ドッキリか。

 それも違う。夢は否定されたばかりだし、結界もドッキリにしては手が込み過ぎている。氷花さんも吹っ飛んだってことは万人に作用するわけだから、それこそ本物の結界を張る必要がある。ドッキリ説も却下だ。

 ということは、ある程度の予想がつく。

「ぼく……」

 おっと。

「私達が戦うんですね、大魔王と」

「……なんかノリノリね。ムカつくわ」

 そりゃあファンタジーは大好物ですから。ついでに筋道を立てて考える推理物もね。

「君は勘が良いね。そう、俺たち大人ではダメなんだ。三人組の条件、その一つ目は子供であること」

 そう言うと、蘭堂先生は白衣から綺麗な宝飾品を三つ取り出した。

 ブローチだ。それぞれ翠、紅、蒼と楕円の石が嵌め込まれている。飾りとして、太いリボンみたいなものが二本、宝石の台から垂れている。シンプルで可愛くて、うん、悪くないデザインだと思う。

 宝石は大きいから、とても高そうだ。売り飛ばせば一〇年は余裕を持って暮らせるかもしれない。

「これは今、子供にしか使えないんだ」

「綺麗だねぇ。これは何ですか?」

 いつの間にか氷花さんも会話に参加。

「つけてみれば分かるさ。襟元に装着してみると良い」

 身を屈めた蘭堂先生が、僕らにブローチを手渡した。ずっしりとした重みがある。色にも意味があるらしく、僕が翠色で凛火が紅色、氷花さんが蒼色を選んで渡された。

「……先につけなさい」

 僕は実験体ですか。

 しかしこの高級ドレスに刺すのは気が……ああ、これ首に掛けられるのか。見た目はブローチだけど、つけ方はループタイと似ているんだ。

 僕と氷花さんがつけたのは、ほぼ同時だった。

 目を胸元から離したつもりはない。瞬きだってしたかどうか。ただ、いつの間にか僕たちの服装が変わっていた。しかも、

「うおお、この服めっちゃ可愛い!」

 これはテンションが上がって参りましたよ。膝上二センチの上品なスカート、清潔な白いニーソックス、エレガントなブーツ。あとコレは……肩あて?

 メルヘンチックで活動的、高級感の漂う素敵な衣装だ。

 氷花さんのは、僕とデザインが似ているけど、長いリボンが宙を泳ぐリストバンドが僕には無いものでチャーミングだった。全体的に角がなく、柔らかな印象を受ける。残る違いは……僕のブローチの石が光輝いているのに対して、氷花さんの方は宝石の煌めきしかない。

 あと……そう、小さいから見逃すところだった。僕の右手中指にある指輪も、氷花さんにはなかった。

「うわうわぁ、これ良いねぇ」

 氷花さんも気に入ったらしい。

「これ、大人がつけたらどうなるわけ?」

「サイズが合わないから効果が現れない。そこまで調整するのはさすがに面倒だったからね、こういう仕様さ」

 この言い方だと……。

「まるで先生が作ったみたいですね」

「まぁ、半分は」

 あ、そうなん……マジで?

「この石は蘭堂家に代々伝わる家宝でね。強力な魔法の力を秘めている、いわゆる魔石なんだよ。ただし相当量の魔力を持たない人間は使う事が出来ないし、そんな人間は残念ながら現代に残っていない。だから俺が改造して、微量な魔力でも使えるようにしたのさ。三人組の二つ目の条件、魔力がゼロではないこと」

 へーえ、じゃあ僕にも魔力があるってことなのか。もしかすると、さっき僕達に向けられた機械は、魔力の有無を計るものだったのかな。

 それにしても魔力かぁ……良い響きだ。

「先に言っておくけど、君たちの魔力は有って無いような量だよ。何かを為せるほどじゃないから」

 あ、そうですか。日常生活で何が出来るか訊こうと思ったのに、先に潰された。

「デザインは?」

 今度は凛火が質問する。

「もちろん俺さ。本来の魔石は、あまり機能があるものではないから、ここまで具体化するのには苦労させられたよ。寝る間も惜しんで数年間、頑張った」

「どうしてこのデザイン?」

「もちろん、俺の趣味さ。こういう趣味があるからこそ、小学校の養護教諭になったんじゃないか」

「氷花ちゃんと凛火様、僕の後ろに! コイツは危険だ!」

 爽やかな顔で爽やかに何てことを言うんだ、この変態は。すっかり騙された。この人ただの変態だよ。

「はっはっは、落ち着いてくれよ。俺は幼女の可愛い姿と無垢な心が好きなんだ。だから手を出そうなんて思ったことは生涯で一度もないし、むしろ触りたくもない。触れればその瞬間に汚れが付き、幼女であって幼女ではなくなるからね」

 キリリと顔を引き締める。顔だけは無駄にカッコ良かった。

「ところで、君に『僕』は似合わないな。せっかくお淑やかな容姿なんだから、言動に気を付けても良いかもしれないね。もちろん、君が君らしくあることが一番だけれど」

 あぁそうか。この人、まだ僕が女の子だと思っているのか。まぁ、真実を知られれば逆ギレとかされてどうなるか分からないし、黙っていよう。

「コレ、男よ」

 摘まみ上げられ、パサリと落ちるウィッグ。

「なっ……にぃッ……?」

 雷に打たれたように衝撃を受け、固まる蘭堂先生。

 ていうか凛火テメェ、調子に乗るなと何度も言っているだろ、心の中で。

「…………ども。四年二組、法橋椿です」

 どうしたらいいのか分からないので、まずは自己紹介をしてみた。

「男……男? 野郎……野郎?」

 少し錯乱しているらしく、僕の言葉に反応は無い。

 どうしよう。行動が読めない分、これは恐いぞ。

「………………………………ま、いいか。見た目は可愛いし、子供は誰でも心が無垢なはずだし。うん、オッケーオッケー」

 長考の末、蘭堂先生の中で結論が出たらしい。

「君は幼女だ」

 違う。

「名前もどっちかっていうと女性的だし。な、椿ちゃん」

 な、じゃねぇよ。まぁ否定はしないけどさ。

「さて、ちょっとサプライズはあったけど無事、脳内変換は完了した」

 変換ってことは、最終的に僕は男だと思われていないのか。

「君たちには明日の決戦に備えて、戦い方を知ってもらおうと思う」

「明日ぁ!? 急過ぎるだろ!」

「椿ちゃん、女の子がそんな汚い言葉を使わない」

 だから僕は男だってば。

「仕方ないんだよ。これが完成したのが昨日なんだから。記録にある封印解除の予定日に間に合わせるだけで精一杯だったんだ」

 ふむ、未知の道具を改造するんだから、それはもう大変だったんだろうな。他にも日常生活や三人組の選定もあっただろうから、不可抗力か。遅れを責めるよりも、よく間に合わせたと褒めるべきなのかもしれない。

 だけど凛火は呆れた顔をしていた。

「ちょっと、勝手に進めているけれど、わたくし達の意思は?」

「もちろん尊重するよ」

 そうか、これは命懸けの戦いになるかもしれないんだ。なんとなくやる方向になっていたけど、遊び半分ではいけないし、何より自分の身のことをもっと考えなければならないんだ。

 そもそも勝てる保証はどこにもないじゃないか。

「でも君たちは戦う。これは間違いない」

「どうしてそう言い切れるのかしら?」

 両者の顔は真剣そのものだ。僕が入る隙はない。

「まずは大切な人を思い浮かべて欲しい。もしも君たちの一人でも欠ければ、その人達を含めた、世界全体が無事では済まないはずだ」

 僕も脳裏にみんなの顔を並べる。

 母さん……いつも仕事を頑張っていて、でも家ではそんな素振りを見せなくて、性格は子供っぽいけど、尊敬に値する母。

 麻美姉……優しくて、母さんと同じくらい働き者で、飲み物は水しか飲まない。父親のいない法橋家を支える、もう一人の母さんみたいな存在。

 青梅姉……元気で美人で、掃除からプチリフォームまで、人の住めないような家を綺麗にしてくれている。

 法蓮……歳の割にしっかりしてて、可愛い。僕にとって唯一の妹。

 その他にも立上くんなど、何人もの友人の顔が思い浮かんだ。その人達に危機が及ぼうとしている。護るには、僕が戦わなくちゃいけないらしい。

 一つ、心に綺麗な宝石が出来た。そう簡単には壊れない、僕の戦う意志だ。みんなへの気持ちの分だけ重さが乗っている。きっと凛火や氷花さんの心にも、重くて綺麗な宝石が出来ているはずだ。

「それに、君たちを選んだのには魔力以外にも理由がある。普通の小学生では……普通の人間では出来ない事も、君たちなら出来ると思ったんだ」

 要するに普通じゃないと、変態だと思ったんですね。その通り、変態ですよ。

「さらに……」

 凛火は黙って話を聞いている。

「椿ちゃん」

 え、僕?

「はい?」

「戦っている間は、この恰好でいられるんだ。ちなみに戦わないなら、これは貴重な道具だから返してもらう」

「任せてよ、バッチリ戦ってやるさ」

 心にまた一つ、石が出来た。煩悩まみれで汚く淀んだ、強固な金属含有石。僕の趣味への想いの分だけ重さが乗っている。コイツもそう簡単には壊れない。

「氷花ちゃん」

「は、はいっ」

 この人は初めから迷っていないと思うけどなぁ。

「戦闘になれば、もちろん攻撃を受けることもあるだろう。それはとても痛く、そしてただただ痛い」

 その勧誘はどうなんだ……?

「はいっ、頑張りますっ!」

 ……うん。頑張るのは良いことだ。

「最後に凛火ちゃ……凛火様!」

「なによ」

 凛火はぶっきら棒に返事をする。本気で迷っているわけではないと僕は思うけど、説得はしなければならない。

「俺たちみたいな凡人が壁にぶつかった時、君のような天才の力が必要なのさ。それに戦闘になれば相手を攻撃し放題だ」

 ピクリと凛火が反応する。

「……っていうか、まさか逃げないよね?」

「当り前でしょう、わたくしを誰だと思っているの?」

 うめぇ、乗せるのマジうめぇ。

「これで全員、やる気になったみたいだね。お世辞じゃなく言っておくけど、俺は君たちを信じていたし、これからも……つまり、勝利を信じている。もしも君たち自身が弱気になったら、隣の仲間を見て欲しい。このメンバーなら、どんな相手だって倒せそうだろ?」

 言われて僕は凛火と氷花さんを見る。確かに、僕自身はともかく二人が敗れる姿は想像できない。この二人も僕を見て同じように思っているかは分からないけれど、凛火は氷花さんが苦手……即ち強いと思っているだろうし、凛火は元々頼りになる。

 これなら弱気になることはない。言われた通り、何でも出来そうな気がしてきた。

「なるほど、確かに面白いメンツね。いいわ、見てなさい!」

 凛火がブローチを襟元につけると、その服装が変わった。氷花さんとは対照的に角が目立つデザインだ。チャームポイントはやはり、ゴージャスなハイヒールだろう。

 魔石は氷花さんと同じく、僕のものほど強く輝いてはいないみたいだ。

 あと、なぜか鞭を持っていた。

「実はこの道具、最終調整時には氷花ちゃんと凛火ちゃんは既に使い手として目星を付けていたんだ。だから、それぞれの性格に合った戦い方が出来ると思う」

 それで凛火は鞭なのか、納得だ。仲間であるはずの僕も、なぜかちょっと怖く感じるけど。

「そして椿ちゃん、君は俺の想像以上のメンバーだった。後で詳しく説明するけど、君もこの道具はピッタリなんだよ」

 ほう、それは安心したよ。僕だけ足手まといは嫌だからね。

「決戦は明日だ。頼りにしてるよ、俺の幼女たち!」

 蘭堂先生のじゃないし、僕は女じゃないけどね。

「やってやるさ!」

 大魔王は一体。僕らは三人。負けるはずはない。

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