震えの原因
タータは割とすぐに、あっさりと復活した。コップを両手で持って水を流し込む様子は、本当に喉につかえてたようにしか見えない。
「いっぺんに食べ過ぎたのか?小さいんだし無理すんなよ?」
「うっせぇ。違うってんだろ。」
「じゃあ何があったんだ?その身体ってそういうもんなのか?」
「ふぅ、ちょっと言い難いことなんだがな・・・。」
タータが両手のひらを合わせて肘をつき、そこに額をつけて俯いたまま溜息をついた。
「俺は“心の傷”がまだ治ってねぇんだ。」
「マジかよ、たまに新人がかかるアレだろ。狩猟者やっていけるのか?」
「魔獣は大丈夫なんだよ。」
魔獣に相対したとき恐怖を刷り込まれた者は、似たような状況になると動けなくなる。その時を思い出して身が竦み上がってしまい、酷いときはパニックに陥る。それを狩猟者仲間では“心の傷”と呼んでいた。
特に、怖いもの知らずの新人が痛い目をみて罹ることが多い。狩猟者としては致命的だが、それを乗り越えた者は良い狩猟者になるとも言われる。恐怖を制御できることは死と隣合わせの狩猟者にとって重要な技能だからだ。
「俺が気配に敏感だったの知ってんな?」
「ああ。コツ教えてもらったしな。お陰で左腕も骨折で済んだんだ。」
「そうだったな。お前が独り立ちしたあと、それを磨いてたら色々分かるようになったんだ。あぁ、ポトフが冷めちまうな。」
2人が食事を再開する。チェーブは空になった串を置き、パンを頬張りながら尋ねた。
「色々って何がよ?」
「分かることが増えたんだ。殺られる前ぐらいには大体の大きさやその種類、あとは人なら性別なんかも分かるようになってた。」
「すげーな、それ。めちゃめちゃ便利じゃねーか。俺ももっと使えるようにならねーと。」
「言っとくが覗きにゃ使えねぇぞ。」
下卑た表情を見てタータが釘を刺すと、チェーブは肩をすくめた。
「集中しなきゃならねぇし、余計なこと考えてたら分からなくなる。何より姿形が見えるワケじゃねぇからな。」
「人の心を読むなよ。」
「顔に出てんだよ。ったく。だからお前はいつもフラれんだよ。」
「そこはほっといてくれよ。」
心当たりの多いチェーブはむっとする。周りには内緒にしているが、実は最近フラれたばかりだった。
「最近またフラれでもしたのか?」
「俺のことはいいから続きを話してくれよ。」
「あぁ、そうだった。この身体になって、さらにそれが伸びた。今じゃ集中すりゃ動きや形、状態まで大体分かる。」
「それなら覗きに使えるじゃねーか。」
「魔法使いの身体だから出来んだよ。っつーか、シモから離れろ。見た目はガキなんだぞ、俺は。」
「でも中身はタータさんだろ。」
「外聞を気にしろって言ってんだよ。ガキに平気でシモネタ話してりゃ周りに疑われんだろが。前の俺みてぇに変な誤解されて殺されたくはねぇだろ?」
「そりゃまた貴重な助言だな。笑いにくいけど。」
負った傷をネタに話をするのは狩猟者の定番ではある。ただ、自分が死んだ理由をそうする者はいない。普通は死んだら終わりなのだ。チェーブは苦笑しか出来なかった。
「ちょっとは心に留めとけよ?で、続きな。今じゃ意識しなくても周りの気配が分かる。大体俺の足で50歩ぐらいの範囲だ。」
「そりゃ便利だな。」
「いや、そうでもねぇんだコレが。俺の“心の傷”の対象が問題でよ。」
「魔獣じゃないってんなら獣とか馬とか?」
タータはフォークをポトフの芋に刺し、フゥと一息ついてから言い難そうに答える。
「それがな、貴族なんだわ。」
「あー・・・斬られたからか。」
「あぁ。ぶった斬られたときになっちまったみたいだ。さっき馬車が通ったろ?あれに貴族が乗ってた。」
「それを感じて固まってたのか。そりゃ難儀だな。」
「全くだぜ。しかも魔力がデカイと遠くても感じ取っちまう。ここは大通りから十分離れてんだが、さっきのに1人だけ魔力がデカイのがいたんだ。お陰で斬られた時を思い出しちまった。」
タータはため息を付いて、まだ少し残っている白パンにかぶりつく。
「並の貴族なら手が震えるぐらいなんだが、あんなに魔力が強いのがいるとはなぁ。これじゃ、大通りや中央街はロクに歩けねぇか。」
「普段だとそうでもねーんだけどな。普通は商人を呼び出すもんだし。たぶん授与式があるから動き回ってんだろなー。」
「昼過ぎまでなら大丈夫だと思ってたんだがなぁ。」
「いつもは午後の1つまで貴族は出てこねーしな。」
普通の貴族は昼過ぎでもまず外に出ない。夜でも灯りを贅沢に使えるため、夜会や談義に団欒と夜遅くまで活動してるせいで起きる時間が平民と比べて遅いのだ。時刻を知らせる鐘は日が昇ってから正午までに2回、正午に1回、それから夕方までに2回鳴らされるが、貴族が街に出てくるのは午後の1回目の鐘以降が普通だ。
「授与式のせいかぁ。戦争ってのはホントろくでもねぇな。」
「俺は稼がせてもらったからあんま言えねーや。」
「街道警備か。そこで左腕折ったのか?」
「いんや、そっちは騎士団が戻ってくるまで怪我なしだ。ヤバイのは出なかったな。ムステラが出たときは怪我人も出たけど。」
「ほう、言うようになったなぁ。ムステラも余裕か。あのクソガキが今じゃ一流じゃねぇか。」
タータが感心したように声を上げる。ムステラはイタチ系の魔物だ。貴族や上流の商人が飼いならすこともあるが、本質は獰猛な肉食獣だ。魔獣化した際の肉体の肥大化が激しく、猫の魔獣カッツよりも一回りは大きくなる。それを相手して見えを張ること無く事も無げに言えるのは、狩れることが当たり前になったからだろう。
「よしてくれよ。タータさんにもウースさんにもまだ敵わねーって。」
「照れんなよ。お前はあの“振り払う斧”のメンバーなんだ。」
「もう無くなっちまったけどな。」
タータは茶化すこと無く嬉しそうに言うが、チェーブは顔を背けながら参ったと手を挙げる。褒められ慣れていないのもあるし、かつての師匠から認められた嬉しさもあり、どうにも顔がニヤけてしまうのだ。
「お前なら新しくチーム作ってもいいと思うがな。やんなかったのか?」
「タータさんと一緒さ。時々手伝いで入るぐらいが丁度いい。合うヤツもいねーしな。」
「まぁ、あのチームに居たんじゃ他は見劣りすんだろなぁ。」
「おめ、わの鉈ぎったしょや。」
2人が雑談に花を咲かせる中に突然、北の訛りが強い言葉が割り込んできた。