ウースの現状
平民が貴族を侮辱するのは罪だ。ただ普通はそうそう捕まることはない。平民の戯言に本気で怒るのは外聞が悪く、度量が狭いと思われるからだ。
それでも捕まえるのなら、冤罪で別の罪状を使う。こちらが一般的だ。障害未遂でも器物破損でもなんでもいい。あらゆる権限は貴族側にあるのだ。裁定を下すのも貴族なのだから、対立でもしていなければ不利な結果にはならない。にもかかわらず、わざわざ侮辱罪で捕まえるというのは、普通は考えられない。
「理由がまるで想像できねぇな・・・。」
「俺もそうだった。ただ、衛兵の話によるとな。ブナなんとかって貴族に有りもしないことを言ったんだとさ。男爵って言ってたか。」
「男爵が侮辱罪たぁな。」
「最初は俺もビックリしたぜ。」
タータの呆れたような声に、チェーブは大げさな驚いた顔をしたあと、水を一口飲んでから続ける。
「男爵ならそんな面倒事まずやらねー。無能を晒すようなもんだ。私は平民にマジギレする程度の人間ですってな。そしたら他の貴族からは蔑まれるし、悪けりゃ村八分だ。」
「だよなぁ。有りもしない話ってんなら、知らぬ存ぜぬで流してりゃいいだけだ。」
「そもそも侮辱罪なら、俺にまで衛兵が来る理由が分からねーしな。だって侮辱した本人を捕まえてるんだ。もう解決じゃんか。」
「そういやそうだな。」
「衛兵は、誰かが噂として広めてるんじゃないか?ってのを調べに来てたって言ってた。そう正式に依頼されたんだってよ。おっと、料理が来たな。」
女給がまとめて残りの料理を持ってきた。盆に溢れんばかりに乗っているのはほとんどチェーブが注文した分だ。テーブルはとたんに狭くなる。その状況にタータは思わず零してしまう。
「よく食うなぁ、お前。」
「タータさんはこの倍は食ってたじゃんか。身体が資本だって言ってたのは・・・っつーか食うの遅いな。」
「ほっとけ。食事は味わうことにしたんだよ。」
「ホント変わっちまったな。で、その貴族の話な。衛兵も呆れてたぜ。正式な手順を踏んでるとはいえ、こんな下らんことさせる男爵は初めてだってな。うん、やっぱここのは美味いな。」
他の大衆食堂に比べて2倍近い価格の串焼きだ。味も値段に見合ったもで、チェーブは満足げに箸を進める。しかし、タータは期待外れとでも言いたげな表情をしていた。チェーブは少し気にしながらも、残りを頬張りつつ言葉を続けた。
「ンぐ。で、せっかくなんでその“有りもしない話”ってのを聞いた。」
「どんな話だ?」
「ブナなんとか、ブナルールだったかな?そいつは従者や他領の平民を殺して、それを隠蔽してるって話さ。」
「へぇ、それで捕まえたのか。従者ってのも平民か?」
「2人いたらしいんだが、どっちも貴族だってよ。まだ騎士爵しか持ってないが家は男爵だったかな。」
「んなこと吹聴してりゃあ、捕まりもするか。平民ならともかく、同じ貴族を殺したってんなら重罪だ。」
タータが得心が行ったと深く頷く。だが、疑問も残る。貴族の依頼を受けることがあるとはいえ、ただの狩猟者が何故そんなことを知っているのか。
「しかしなんでそんなことをウースが?」
「分かんね。会いに行った知り合いの貴族に聞いたのかもな。でもそのブナルールってのは、そういうことを言われてもおかしくない貴族ではあるらしい。」
「どんなヤツなんだ?」
「元は西のリッグエフタの騎士団員。かなり強かったけど問題も多い厄介者だったらしい。そんで暇を出された。頭を冷やせって。それから国中を周ってたんだそうだ。従者を2人連れてな。」
「騎士様が諸国漫遊の旅たぁ優雅なこったな。」
タータは呆れ顔だ。まるで騎士物語の主人公のような行動に聞こえる。もっともそうなった原因が厄介払いなのだから、むしろ悪役側だろうか。チェーブは串焼きを頬張りながら話す。
「でも国に帰ってきたら、何故かそいつ1人だった。しかもそいつがウロついてた場所じゃあ、評判がすこぶる悪い。村や町からの苦情が代官だけじゃなくて、領主にまで上がってたんだとよ。」
「平民にゃ厄介な野郎だな。」
「貴族にも、だぜ。領地のいざこざに首突っ込んで悪化させたりもしてんだと。なもんで、戻ってきてすぐに謹慎と罰金を食らった。爵位も剥奪予定だったってよ。」
「そこまでかよ。何しでかしたんだか。」
「俺らに分かりやすいのだと、村の連中に手製の長槍を持たせて魔獣、しかもカッツと森で戦わせたんだそうだ。」
チェーブが言いながら肩をすくめると、タータは目を見開いて驚いた。狩猟者であれば駆け出しでもやらない方法だ。
「馬鹿過ぎんだろ。ただの村人が森の中のカッツに勝てるワケねぇ。騎士団は魔獣狩りもすんのに知らねぇのか。しかもロクに振り回せねぇ長槍とは、脳みそ入ってんのかソイツ。」
「ああ、全くだ。お陰でその村は若いのがほとんど死んだってよ。」
「最悪じゃねぇか・・・何のために俺ら狩猟者がいると思ってんだ。」
猫から変化した魔獣のカッツは非常に素早く、森の中では立体的に動くため捉えるのも難しい。1人で戦えばベテランの狩猟者でもかなり面倒な相手で、それを素人の村人にさせても蹂躙されるだけだ。騎士団員であればその程度は知っていて当然なのだが。
「しかも結局、そいつが1人で倒したんだってさ。私がいなければ村は壊滅していたな、って得意顔だったそうだ。最初から自分がやってれば被害はゼロだったんだぜ?」
「ボンクラもいいとこだな。」
「そういう馬鹿げたことを1つだけじゃなく、いくつもやってんだってよ。だから爵位剥奪まで決まってたんだとさ。」
チェーブは鼻で笑いながら串を置いて新たな串焼きを手にして、さらに話を続ける。
「他にもあるぜ。従者が途中で死んだのに、そのときすぐに帰還しなかったってのもおかしいんだ。1人目が死んでから1年以上ウロついてたんだぜ。」
「わけ分かんねぇな。」
「だろ?貴族なら食い物が腐らない魔道具持ってんだからよ。死体にそれ使って、馬車に棺桶乗っけてすぐ帰ればいい。」
「騎士ならそうするって聞いたことがある。なんて言い訳してんだ?」
「1人は魔獣に食われて死体が残ってなかったってよ。遺品もなし。」
「食い尽くされるまで助けなかったってか。」
「しかも、その魔獣を倒したって言い張ってるんだ。」
「あり得ねぇな。」
「だよな。貴族は俺達より装備もいいし、何より色んな魔道具を持ってる。防具だってそうだ。それで死体が残らねーってのは無いよな。」
「前に見たときは、騎士の鎧がカッツの一撃に耐えてたぜ。ワルフやグルズィだと分かねぇが。」
「やっぱ頑丈なんだな。ただワルフやグルズィが相手だったってんなら、逆に倒せたのがおかしい話だ。」
ワルフは狼系の、グルズィは熊系の動物から変化した巨大な魔獣だ。どちらも非常に強く凶悪で、狩猟者であれば30人以上、装備の良い騎士でも20人以上は必要になる。しかもそのうち2~3割は死ぬと言われている。よほどの要所に出たのでない限りは街道を通行止めして、全ての魔獣に訪れる“自壊”による死を待つのが普通だ。
「それに連中は俺らの革鎧と違って魔道具の、しかも金属鎧だろ?魔獣がどうやってそれを外して残らず食うってんだ。さらにもう1人の従者は誘拐されたって言うんだぜ。身代金の要求もないってのによ。」
「ソイツ、間違いなく殺ってんな。」
「でも証拠も証人もない。本人も口を割らない。貴族側もことを荒立てたくないから平民には公表しなかった。そこに現れたのが、何故かそれを知ってたウースさんってわけだ。」
「そりゃ無茶な理由でも捕まえるか。口封じ狙いで。」
「でも謹慎中の怪しい貴族だからな。ウースさんは公爵領のこの街出身で有名な狩猟者だ。男爵の手には渡らず、口封じされる前に半年の鉱山送りになった。」
「貴族が絡んだにしちゃ随分軽いな。さすがは東の公爵様か。ってことはもう戻ってきてんのか?」
テンプトタールのあるここ、グルードクラー公爵領は王族の出身地でもあり、治める領主は王族に近縁だ。善政もあって、王族よりも領民には尊敬されている。公爵としては最東にあるため“東の公爵様”と呼ばれることが多い。
「ところが半年前の戦争でその貴族が大活躍。一躍英雄になっちまった。」
「ん?謹慎してたんじゃねぇのか?」
「勝手に飛び出したんだとさ。普通なら厳罰ものだが、結果を残しゃあ話が変わる。」
「そんなもんかねぇ。」
「俺は詳しくねーけど、歴史上でもそういう事例があるってよ。罰則覚悟で活躍した忠臣ってのがいて、最後には英雄になったんだそうだ。」
「あぁ、下手に罰すると昔の英雄を否定しちまうのか。」
国を治めるのも動かすのも大義名分とそれを納得させる正当性が必要だ。平民の2人にそこまでの見識は無いが、メンツにこだわる貴族が自らそれを貶めることはしないことは理解している。
「だろーな。でも本当に獅子奮迅の大活躍だったらしいぜ。急襲を受けた部隊を単騎で救助するとこから始まって、そっから追撃を倒しつつ分隊へ合流したってよ。」
「そりゃすげぇな。1人でか。」
「らしいぜ。で、迎え入れた分隊の指揮官は思ったわけだ。謹慎中のヤツだとはいえ使える駒だし、情勢が落ち着くまで使ってから追い返そうってな。」
「貴族の考えそうなこった。」
「ところがあれよあれよというまに功績を上げ続けてな。最後には1部隊を任されるまでになったってよ。」
「ふぅん、それにしても詳しいな。」
タータが呆れ気味の半目でチェーブを見る。ただの平民にしてはずいぶんと詳しい。時勢に機敏な商人ならともかく、ただの狩猟者ではあり得ない情報量だ。
「お前、ひょっとしてまた衛兵と仲良くなったのか?」
「まーな。今じゃちょっとした飲み仲間さ。」
「相変わらずだな。俺にゃ出来ねぇよ。」
「衛兵ってのは貴族様とはいえ、ほとんど家を継げない連中だ。俺らとそう変わらねーよ。一緒に酒呑んで愚痴聞いてたら、気心は知れるってもんさ。」
「そういうとこ尊敬するぜ、まったく。」
チェーブは昔から立場に関係なく交友関係が広い。ぶっきらぼうな言葉遣いでも、人当たりの良さは出るのだろう。見た目のせいとはいえ誰からも距離を置かれがちだったタータには出来ない芸当だ。
「そういうことならウースはまだ出てきてないんだな?」
「ご名答。英雄の怪しい噂を広めるわけにはいかないからな。ほとぼりが冷める、っていうより戦勝気分が抜け切ったころに解放するんだろ。」
「それまで生きてりゃいいがなぁ。」
「公爵様の鉱山に入ってるから消されるってことはないさ。むしろ公爵家で匿わてるかもな。英雄の汚点を握ったようなもんだ。」
「まぁ心配したところで貴族が相手じゃどうしようもねぇ・・・うぅ・・・。」
「お、おい。タータさん、どうしたんだ?」
“振り払う斧”についての話が終わりそうなところで、タータの様子がおかしくなった。顔が青くなり、微かに手も震えている。
「なんだ?喉につっかえでもした?ほら、水飲もうぜ、水。」
「違う・・・ちょっと、すぐに治まる・・・騒がず待ってろ・・・。」
少し離れた大通りを馬車が通って行く。その蹄鉄と車輪の音が店内にも届いていた。