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不夜知島  作者: 蓮本 丈二
9/12

3年前の秋

蒸し暑い夏も終わり、涼しげな風が吹き始めたころ彼女たちは来た。その日は雨が朝から降っていた。夕食を食べお風呂へ入ろうかと思った時、玄関をたたく音が聞こえた。母が確認しに行ったがすぐに戻ってきて、父を呼んだ。

玄関から若い女性と僕と同い年ぐらいの女の子が一人の男に連れられ中へと入ってきた。父の仕事の件だとは思ったが、こんな時間に依頼人がやってきたことは今までになかった。父は3人を居間へと案内した。僕もその場にいて話を聞きたいと思ったが、母にもう寝なさいと言われ渋々寝室へといった。その時ちらっと少女の様子を見たが彼女は俯いたままであった。

次の日、起床すると雨はまだ降っていた。それどころか風がではじめていた。居間へ行くと母がいつも通り朝食の準備をしていたが、今日はいつもよりも箸の数が二つばかり多かった。不思議に思い台所を覗くと母ともう一人女の人が一緒に朝食を作っていた。

「あら、坊ちゃん起きたのね。あの子はまだ寝てるのに早起きで偉いわね。」

 こちらに気づいた女の人が笑顔で言った。

 顔を見て確信した。昨日の女の人だった。ということはあの子とはあの女の子の事なのだろうか。そんなことを考えていると父がやってきた。

「おはよう。そちらはおりんさんだ。今度島に連れていく。今日は雨で船が出せないから、雨が止むまでうちの倉庫に泊まってもらうことになった。それと、昨日も会った思うけどもう一人女の子もいる。徳と同い年だそうだ。仲良くしてくれな。」

 父はそういった。

「短い間だけど坊ちゃん、よろしくね。あの子も頼むわね。名前はお菊っていうんだよ。すまないけどまだ寝てるみたいだから様子を見てきてくれないかい。ご飯もそろそろだし起こしてきておくれ。」

僕はすぐ家の裏口から出て倉庫へ入った。倉庫は二階建てになっていて、一階には蒸気船の道具などが置いており、二階には家財などが置いてあった。二階の隅には少し空間があり、ちょっとした部屋になっていた。たまに来るお客さんがうちに泊まるときにはここを使ってもらっていた。

 倉庫の二階へ上がり、部屋を覗くと女の子はまだ寝ていた。起こそうと近づくとあることに気づいた。泣いていたのだ。閉じられた目から涙があふれていて。頬に跡が残っている。

 からだをゆするとまぶたが開いた。ゆっくりと目が動き僕と目が合った。女の子はびっくりして起き上がると涙を拭いた。

「何かこわい夢でも見たの。」

 僕がそう尋ねると女の子は首を振った。女の子はそのまま俯き黙っていた。遠くから母の呼ぶ声がした。

「朝ご飯、いっしょに食べよ。」

 そういって女の子の手を引き倉庫を出て居間に向かった。居間に入ると母とおりんさんが先に座っていた。

「あらお菊、おててなんて繋いでいつの間に坊ちゃんと仲良くなったの。」

 それを聞いた瞬間、女の子は僕の手を振り払った。そのまま女の子はおりんさんの隣に座った。僕もそのあとに続いて母の隣に座った。食卓に父の姿はなかった。母に聞いてみたところ、父は先にご飯を食べて船の様子を見に行ったそうだ。外は一層風が強くなっていた。

 朝ご飯を食べた後、女の子はそそくさと倉庫へ戻っていった。

「ごめんね、あの子まだ人見知りしてるみたいね。」

おりんさんは申し訳なさそうに言ったが、僕も小さいころは人見知りがちだったからあまり気にしていなかった。

夕方ごろになり父が帰ってきた。父は船が風にさらわれないようある程度の準備をしてきたそうだ。夜になり組合の人が父を訪ねて家へ来た。話を聞くにどうもこれからしばらくひどい嵐になるようで外出は控えるようにして欲しいそうで、それと漁港の作業を手伝ってほしいとのことだった。

父は母にそのことを伝えて組合の人とまた外へ出ていった。それから外はもっと風が強くなり、遠くで雷の音も聞こえはじめた。あまりにひどい風で倉庫にいるふたりが心配になり母はふたりを居間に連れてきた。夕食を食べ終わると居間の一角を片付け始めた。母は片付け終わると二人に今晩は居間で過ごしてもらうように言った。

お風呂に入り寝室に行く途中、居間を覗くとあの女の子をおりんさんが膝枕し寝かしつけていた。おりんさんと目が合った。こちらに気づいたおりんさんは僕をそちらに手招きした。

「坊ちゃん、もう寝るのかい。ちょっとこちらへきてお話しましょ。」

 僕は居間に入っておりんさんの正面に座った。窓の外がひかり、すぐに大きな音が鳴った。寝ている女の子の体がびくりと動いた。

「坊ちゃんは雷、怖くないのかい。」

「大丈夫だよ。怖くない。」

「坊ちゃんは偉いわね。この子は雷が怖くてね、安心させるために膝枕をしてたらいつの間にか寝ちまいやがった。」

女の子の頭を撫でながら、おりんさんは優しい声でいった。

「あたいらはね、ここよりもずっとずっと遠くからやってきたんだよ。」

 おりんさんは急に身の上話を始めた。

「この子はね、妹の娘なんだよ。あたいの故郷の村がね大きな地滑りにあってね、この子の親も友達もみんな土砂に埋まっちまってこの子だけ助かったんだよ。」

「おりんさんはなんで助かったの。」

「あたいはね、奉公の為に近くの街で働いてたんだよ。それで難を逃れたってわけ。けどこの子は一人ぼっちになっちまって、仕方なくあたいが引き取ったのさ。けどね、奉公先に居れなくなってどうしようか困ったところにあの島の事を聞いたのさ。あとは知り合いに頼んでここまで来たってわけさ。」

 父の船に乗って遊女たちを島に運ぶ時、僕は彼女たちの世話をしていた。その時に、彼女たちの身の上話を聞くこともよくあった。これよりも悲惨な状況の遊女も少なくない。けど、おりんさんの話を聞いて、そこに寝ている女の子の事がいつも以上にかわいそうに思えて仕方なかった。

「あの島にこの子を連れて行くのは不憫だけど仕方がないことなんだよ。」

 おりんさんは自分に言い聞かせるように呟いた。

「せめてここにいる間はこの子に優しくしておくれ。」

 おりんさんの言葉に僕は強くうなずいた。

「ありがとね。坊ちゃんもう遅いからおやすみなさいな。」

 僕は居間を出て寝室へと向かった。

 次の日の朝、目を覚まし居間へ向かった。外はまだ嵐が続いていた。居間ではあの女の子が窓の外をじっと見つめていた。台所では今日もまたおりんさんと母が朝食を作っていた。

「あら、おはよう徳ちゃん。もうすぐご飯できるからもうちょっと待っててね。」

 とりあえず返事をした。

「それと、昨日はお父さん帰ってこれなかったみたいで今日も作業が続くみたいなの。だから、かあさんあとでおりんさんとごはん届けてくるわね。」

 そういえば昨日父は出ていったきり戻ってきていないことを今更ながら気が付いた。ご飯を食べてすぐおりんさんと母は出かける準備を始めた。女の子は心配そうな顔をしておりんさんのそばを離れなかった。準備が終わっても女の子はそばを離れようとしない女の子に玄関でおりんさんはそっと言い聞かせた。すると、ようやく女の子はおりんさんから手を離した。母とおりんさんは出ていく前に僕にあの女の子を守ってあげてねと言って出ていった。

 おりんさんも母もいなくなった家はしんと静まり返り、ひどい雨と風の音だけが響いていた。女の子は居間に戻り、窓から心配そうに外を眺めていた。嵐はまだ収まりそうにない。窓から見える空がぴかっとひかり数秒後に大きな音が響いた。女の子はびくっとしてその場にうずくまった。

 昨日の話を思い出した。もしかしたら今、この子はあの時のことを思い出しているのかもしれない、そう思うとどうにかして勇気づけたくなった。

「大丈夫。怖くない。僕がついてるから。」

 お菊ちゃんに近づき手を握った。お菊ちゃんはびっくりした顔をしたがそのあとすぐに強く握り返してきた。しばらく僕らは黙って座っていたが、今の状況に恥ずかしさが勝ってきて、気を紛らわすために話をした。喜助から聞いたあの島の噂話や、この村の話、なるべく面白い話を聞かせてあげた。

 はじめお菊ちゃんは何も反応しなかったが、話が進むにつれてクスクス笑うようになった。お昼過ぎになって母とおりんさんが帰ってきた。僕とお菊ちゃんはいつの間にか寝ていたようで、母にゆすり起こされた。目を覚ますと二人が微笑ましくこちらを見ていてまた急に恥ずかしくなった。その日の夜になってようやく父が帰ってきた。

 その日から丸二日嵐は収まらなかった。三日目にしてようやく雨が落ち着いた。風はまだ強かったが次の日には雨も風もやんで久しぶりの晴れの日になった。その日父と一緒に船の様子を見に行った。あれだけの嵐だったが船は大した被害もなく修理はすぐに終わりそうだった。父は明後日には船を出せるだろうといっていた。

 お菊ちゃんとはすっかり仲良くなり、船の修理が終わるまでの間、駅や春眠亭、村の面白いところを一通り案内してあげた。船の出航の日になった。いつもように朝起きて、父の手伝いをした。今日はおりんさんとお菊ちゃんのほかに数人の乗客がいた。準備が終わり、おりんさんとお菊ちゃんの二人を船着き場まで案内した。

 二人とほかの人たちを船に乗せ、父に合図を送った。船内に蒸気機関の音が響き始めた。それからゆっくりと船は動き始めた。船が出航するとすぐに僕は仕事にとりかかった。彼女たちの荷物を台車に積み込み、金衛門に渡す彼女たちの書類を書き始めた。もうすぐお菊ちゃんと離れ離れになると思うともっと話をしていたいが、いつもよりも波が高く作業に手間取りそんな時間はつくれなかった。

 島に着き、いつものように桟橋に船をくくり付けた。荷物の乗った台車を船から降ろし、彼女たちを島に上陸させた。父が先頭に立ち、街に向け歩き始めた。僕もついていこうとしたその時、父に今日はここに残って船の様子を見張っていてほしいと頼まれた。

確かに今日はいつもよりも波が荒く、岸には大きな漂流物が流れ着いていた。ほんとはもっとお菊ちゃんと居たかったが、仕方なく父の言いつけを守り、ここに留まることにした。おりんさんとお菊ちゃんは父のあとについて街に向かって歩き始めた。お菊ちゃんは何度かこちらを振り返って僕の方を見てきたが、ついに岩の合間に姿を消した。僕は桟橋に座りぷかぷか浮かぶ漂流物を眺めた。

そういえば、お別れの挨拶もしてなかったことを思い出した。もう会うことはないのだろうか。するとふいに肩を叩かれた。振り向くとお菊ちゃんが立っていた。

「徳ちゃん、ありがとう。」

 顔を赤らめてそういったお菊ちゃんはすぐにまわれみぎをして走り出そうとした。僕はとっさにお菊ちゃんの手をつかんだ。

「僕、約束するよ。いつか必ず君をむかえに行く。父さんの仕事を継いで立派な大人になって、必ず。だから、君も僕の事を待っててほしい。」

 お菊ちゃんは何も言わなかった。僕が手を離すとお菊ちゃんは街の方へと走っていった。岩の向こうへ消える間際、お菊ちゃんはこちらを振り向いた。

「待ってる。」

 それだけ言ってお菊ちゃんは岩の向こう側へ消えていった。


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