潜入そして街へ
それから数日が過ぎ、いよいよ決行日前日になった。僕らはもう一度丘の上の広場にあつまり明日の流れを確認していた。
「とりあえず親たちには春眠亭に泊まりに行くと伝えて、夕方の始発に潜り込む。その後島の駅に着いたら解散し、おのおの朝の最終まで好きに街で過ごす。帰りは隠れる必要もないからそのまま汽車に乗り、それから、春眠亭に再集合し成果を報告しあう。流れは大丈夫だな。」
健がそういって僕たちの顔をみた。彼の言う成果というのは、島でどんな夜を過ごしたか報告しあうのだ。酒を飲んだとか、賭場に入ったとかそういったことを報告しあうのだが、なかでもこの度胸試しの時に、島で女性と一夜を過ごすと、今後仕事や子宝に恵まれるという言い伝えがあった。
毎年これを達成すべく多くの少年たちが勇気を振り絞り島の花街へ潜り込もうとするのだが、大抵は途中で引き返したり、見張りの男たちに見つかり追い出される。ここ数年でそれを達成し村に戻ってきたのものはいないと聞いている。
明日のためにとリーダー格の少年は会議を切り上げ、解散し皆それぞれの家路についた。さすがの喜助も少し緊張しているようにみえ、僕に一言
「じゃあ、また明日。」
といって駅の方に帰っていった。
家に帰ると、すでに夕食が出来上がっていた。僕の家の夕食は決まって魚が主菜だった。しかし今日は違った。食卓にはあまり登場しない柄のどんぶりが置かれていた。先に一人で食卓に座り家族がそろうのを待った。その内、父が帰宅しすぐに食卓へ座った。
どんぶりの蓋を開けると中から湯気と共に食欲をそそるだしとみりんの香りが鼻の奥に広がった。のちに不夜知島でこの料理名がかつ丼と呼ばれるものだと知った。
今夜の母はなんだかそわそわしており、しきりに今日は早く寝なさいと言ってきた。お風呂の後、すぐに布団に入った。どうやら、明日あの島に渡ることはばれているようだった。今日は緊張で眠れないだろうと思っていたがそんなことはなく、僕は意外とすぐに眠りについた。
島の夢を見た。僕の隣に女の人が座っていた。顔ははっきりしないが金衛門の屋敷の中庭のように見えたから、おそらく澄さんなのだろう。彼女は僕に何か伝えていたが、朝目が覚めると何を聞いたかすっかり忘れていた。
布団から体を起こすと、枕元に封筒がおいてあり、父の字で何かあれば使いなさいと書かれていた。開けると中にはおそらく島で一夜を過ごすのに十分なお金が入っていた。
居間に行くといつも通り、母が朝ご飯の準備をしていた。みそ汁とごはんをお盆にのせ、台所から出てきた。食卓に朝ご飯が並び終わるころに、父が外の倉庫から戻ってきた。手には、船の整備のための道具箱があった。
ご飯を食べた後僕はお昼過ぎまで、父の船の整備の手伝いをした。その間父とは整備のこと以外話をしなかった。もちろん、あの封筒の事も聞かなかった。そのことを直接父に聞くのは少し気恥ずかしかったのだ。
客室の掃除をし、備品の在庫確認をし終わるころには駅に向かう時間になっていた。僕は父に適当な事を言って、手伝いを切り上げようとした。父は船首で縄の取り換えをしていた。
「そろそろ約束の時間だから、先に家に帰るね。」
父は何も言わず、手を挙げた。
船から下船し、家の方に歩き始めると名前を呼ばれた気がした。振り返ると、船の上で父がこっちを向いて立っていた。
「がんばれよ。」
そういうと、父は作業に戻った。
父にそんなことを言われるとは思っていなかった。やはり気恥ずかしかった。僕は父の柄にもない言葉に顔がにやけそうなのを我慢しながら、家には戻らず途中に隠しておいた荷物を取りそのまま春眠亭へ急いだ。
約束の時間よりも少し早く春眠亭に着いたが、喜助はもちろんほかの7人はすでに宿の部屋にいた。部屋に入ると先についていたみんなが一斉にこっちを向いた。
「遅いぞ、徳。」
喜助は少し怒っていた。
話を聞くと実はみんな、1時間も前に自然と春眠亭に集まっていたらしく、僕が来るのを待ちくたびれていたそうだ。
持ってきた荷物をおくと一息つく間もなく駅へと向かった。駅は春眠亭から目と鼻の先にあった。始発までまだ時間があった。駅にはすでに汽車が止まっており、整備士たちが車輪などの点検をしているのが見えた。
汽車に乗るにはまず入り口の運賃支払い窓口に並んで運賃を先払いする必要があった。4つある窓口には、この時間すでにかなりの人数が並んでいた。僕らはその列を横目に駅舎を通り過ぎた。
しばらく歩き汽車の貨物倉庫の辺りで足を止めた。左手に立ち入り禁止の立て看板が立っておりその横に一人の男が立っていた。男は今回参加するほかの6人うちの1人の兄だそうで、今回忍び込む貨物室への手引きをしてくれることになっていた。
男について立ち入り禁止区域内を歩いていく。まわりにはこれから汽車に積む予定の食料品や生活用品の入った大きなコンテナが何個も置いてあった。僕らはそれらの脇をすり抜け汽車の方へ向かった。
僕らは汽車の最後尾に着いたが、男は歩みを止めなかった。しばらく車両沿いに歩き貨物車両の一番先頭に着くと男はそこで歩みを止めた。ここから先は客車になっている。車両横の扉を開けると
「ここが君たちに乗ってもらう車両だよ。中の荷物は高級なたばこの葉やお酒が積まれているから、勝手に触っちゃだめだよ。ちなみにこの車両の中には島だけに許されている嗜好品とかもあるから、扉はかなり厳重に施錠される。むこうに着くまでに誰かがこの車両を開けて確認することはないから安心してね。むこうに着いたら、世話役の男が来るはずだから、彼が来るまでは息を殺して静かに待つんだよ。」
と男は優しくいった。
ここまできて誰かにばれ強制送還だけはされたくないというのが皆の共通認識であったから、僕らは真剣な面持ちうなずいた。
それから僕らは貨物に乗り込み、一緒に運ばれる木箱たちに腰をおろした。
「くれぐれも静かにね。じゃあがんばって。」
と男は言うと、扉をしめた。閉め際に彼は彼の弟に手を振ったが弟の方は手を振り返さなかった。僕が父に抱いた感情と同じ心境だったのだろうか。
扉が閉まると辺りは真っ暗になり、小さな隙間からもれる明かりでかろうじてお互いの顔は見えた。車両が動き出すまでの時間誰一人として会話をする者はいなかった。外から聞こえてくる誰かの声でもうすぐ汽車が出発することを知った。
しばらくすると大きな汽笛の音がした。その後、前の方から車両の動き始める音が聞こえ、すぐに僕らの隠れる車両もゆっくり動き始めた。耳につくうるさい音を立てながら徐々に車両の速度が上がっていく。
列車が出発してからも、沈黙は続いた。わずかな隙間は空いているものの、車両の中は蒸し暑く、煙草なのか何かわからない草の臭いで充満していた。車両の中には8人の呼吸の音と汽車の音だけが響いていた。
そのうち隙間からは入る僅かな風に潮の香りが混じって香ってきた。先ほどまでの線路の上を走る汽車の音も変わっていた。下に音が抜けるような感じであった。耳を澄ますとかすかに波の音が混じって聞こえる。どうやら汽車があの大きな橋を渡り始めたらしい。
すると誰かが、
「いよいよだな。」
とつぶやいた。
暗闇の向こうから聞こえてきた。僕も改めて緊張している。おそらくほかの6人も同じだ。いよいよなのだ。それからまた沈黙の時間が続いた。
どのくらいの時間汽車に揺られていただろうか。かなりお尻が痛かった。ふと今まで一定の速さで走っていた汽車の速度が少しずつ緩やかになった。減速している。汽車がどうやら島の駅はすぐそこらしい。しばらくゆっくり進み、そして汽車は止まった。
ひとつ前の客室から乗客が下りているのだろうか、たくさんの足音とはっきりとは聞こえないが沢山の話し声が聞こえる。後ろの車両の貨物室の扉の開く音が聞こえた。貨物を点検する声が僕らのいる貨物室に響く。僕らの車両にはまだ誰も来なかった。出発前に言われた言いつけを守り、誰一人声を出さず息を殺して彼が来るのを待った。
客室からの声が少なくなってきた。僕らのいる車両の近くで二人組の話し声が聞こえる。その声がどんどんと近づいてくる。
「今日のここの貨物はなんだっけ。」
「特別なものは煙草とか酒とかで後はいつも通りだったはずだな。」
野太い声が車内に響く。この男が例の男だろうか。
「先に貨物をあけて積み荷の確認だけしとくか。」
「そうしよう。」
「そういえば最近何かと物騒だし、もしかして誰か先に中にいたりしてな。」
ドキッとした。話の流れからしてどうも世話役の男ではないようだ。扉にかかった鍵がガチャガチャと音を立てている。まずい。おそらくこの二人組に見つかったらすぐに追い返されるに決まっている。うっすら見える喜助の顔がひきつっていた。僕は手汗まみれの自分の手をぎゅっと握りしめた。
「鍵が入らねえ。おい、鍵間違えてねえか。」
「見せてみろよ。ああ、これ前に使ってた鍵だ。この間あいつらが積み荷に手をつけたらしく最近鍵変わったんだよ。」
「そうだっけな。」
「お前それぐらい覚えておけよ。新しいやつを取りに管理棟に行くぞ。」
その言葉を最後に二人の声は遠くへ離れていった。彼らの声が聞こえなくなると僕はほっと息を吐いた。その瞬間、貨物室内にガチャリと鍵の開く音が響いた。誰かが扉を勢いよく開け放った。
「おーい、少年たちよ大丈夫だから降りてきな。」
僕らは互いの表情を確認しあった。まだ心臓がバクバクしている。
「大丈夫。僕は君たちの世話を依頼された者だよ。だから安心して出でおいで。」
その言葉を聞いてホッとした。僕らは座っていた木箱から立ち上がり扉から外へ出た。外へ出ると脇に大柄で優しい顔立ちの男が立っていた。
「よく来たね。迎えに来るのが遅くなって申し訳なかったね。少し面倒なことがあってね。もう少し早く来るつもりだったんだけど。」
彼は申し訳なさそうな顔をしてそういった。
「とりあえず駅の表から出るわけにはいかないから、別な出口に案内するね。じゃあついてきて。」
彼は島に運ばれてきた貨物を置く倉庫の方へと歩き始めた。僕ら8人は彼の後ろを一列に並んでついて行った。歩きながらまわりを見回してみると、ここで作業している男たちのほとんどはガタイがよくみな強面であった。
倉庫へと入り貨物の合間を縫うように進むと目の前に扉が現れた。
「よし、この扉から外に出られる。ここからは君たちの好きに行動するといい。私が案内するのはここまでだ。健闘を祈るよ。」
そういって扉を開けると男はもと来た方へと消えていった。
扉から外へ出るとむこうに大きな門と街を囲う大きな壁が見えた。島の駅から出てきた人たちは皆その大きな門の方へ向かって歩いている。僕らもそちらへ歩いた。ちょうど日も落ち、辺りは薄暗くなっていた。
正面の門はとてつもなく大きかった。僕がいつも入る裏門でも十分に大きいと思っていたが、こちらはその比にならないぐらい大きい。僕らは口々に驚きの声をつぶやいた。開け放たれた門の両側には数人の男たちが橙色の提灯を持ち街の中へと入っていく人々に笑顔で挨拶していた。
門へと入る前に一度立ち止まり道の隅へと僕らは集まり円陣を組んだ。
「よし。いよいよだ。ここからは別々に行動しよう。忘れるなよ、明日の朝またここへ集合だ。みんな、頑張ろうぜ。解散。」
ガキ大将のその声を皮切りに皆バラバラに門の方へと向かって歩き出した。僕だけはその場にとどまり喜助のうしろ姿を眺めていた。いよいよ始まるこの瞬間に少し感慨にふけっていた。僕には目の前のこの大きな朱色の門は大人への入り口に思えて仕方なかった。今日この日を境に僕らの子供時代が終わりを告げる。喜助と過ごす時間も少なくなってしまう。そう思うとやはり寂しさを感じずにはいられなかった。
「おーい。徳、いくぞ。」
喜助がこちらに手を振っていた。僕は喜助のもとへ駆け寄った。
「ぼーっとつっ立って何してたんだよ。」
「ちょっとね。」
「怖気づいたか。」
「なわけないだろ。」
「鴨葱うどん、忘れるなよ。」
「当たり前だろ。」
僕は喜助と二人、門をくぐった。