2:3 「トラウマを乗り越えて」
ヒゲオヤジの顔が見えなくなり、恐怖に飲まれていた頭も正常に働き始める。
「……そうだ……」
そもそもがおかしい。
なぜこんなところにヒゲオヤジがいる?
ヤツは今王都にいるはずではないのか?
じゃあ目の前にいるのは何?
そっくりさん?……いや、そんなわけはないだろう。
冷静になれ、どうしていきなり人影が現れた?
それも絶望しかけたタイミングで、あたかも俺を救うかのように。
……そう、救うかのようにだ。わざわざあのタイミングで人影が出てくるのも都合がよすぎる。
これはそう、希望を持たせておいてどん底に突き落とす―――追い打ちをかけるかのような所業。
「追い打ち……俺の……『トラウマ』……?」
霧に隠れた……なおも静止し続けているヒゲオヤジをあらためて見てでたセリフ。
この『迷いの森』はエルフ以外の者を遮断し、霧の中に閉じ込める。
親父が里とコンタクトをとれていたところを見るに例外はあるのだろうが、おそらくそんな感じだろう。御者さんは出入口に設定する森に展開すると言っていたし、おそらくこの霧の効果時間というのもそこまで長いものではない……しかし今俺が目の当たりにしている現象。
霧に迷い込んだものを生かして返すつもりもないと見える。
「悪い趣味してんな……エルフってやつは……! 人のトラウマえぐってこんな『幻』まで見せて……いや、腕掴まれたし、実体はある……のか……?」
考えてみればなるほど、少しづつ、なんとなくではあるものの、この森の仕組みが分かってきたような気がした。
つまりどういうことかと言えば、この迷いの森……というか霧は、人の死ぬ思いをしたような体験を疑似的に映し出し、追体験させる。
そして最後には精神を犯し、支配して―――殺す。
そんなところだろうか……ヒゲオヤジ(幻)の小刀がなぜ止まったのか、どうしてこの幻が実体を持っているのかはよくわからないが、恐らくそんな感じだろう。本当に趣味が悪い。
まあ、めったに死ぬような思いをする人なんていないと思うけど……こんなところに迷い込むヤツなんざ冒険者かよっぽどの物好き……そんな体験の一つや二つしててもおかしくはないのかもしれない。
「まるで何かの呪いみたいじゃないか……笑えねぇ」
呪いか……そういえば俺呪いに耐性あるんだっけ?
でも仮にこの霧を呪いだとするのなら、俺が引っかかってるのはおかしいだろう。
「霧……幻……幻惑魔法? でもそれじゃ物理的なダメージは……って、今はそれどころじゃない」
いくら頭が冷静になろうとも、未だ体の震えは収まる気がしないし、正直怖いのは隠しようもない。
ヒゲオヤジの幻が俺の腕をつかんだのは確かだ。
実体がある以上、こんなところで立ち止まってるわけにもいかない。
次いつ動き出すかもわからないし。
「どうにかして……どうす――――!!!」
考えようとした矢先、俺の真横を何かがものすごい速さで過ぎ去っていった。
あまりのことに言葉が詰まり、思わず目を見開いてしまう。
――その目でよく見てみると、霧に隠れているヒゲオヤジの影の形が変わっていた。まるで何かを投げた後のようなフォーム……どうやらフリーズが解け、小刀を俺に向かって投げたらしい。
「っ……もうちょっと考えさせてほしかったんだけどな……!」
幻が動き始めたのと同時に左の頬が熱くなるのを感じた。
咄嗟に手を当てると、鋭い痛みと液体に触れた感触が頬から伝わってくる。切り傷だ――投げられた小刀が、俺の頬をかすめて行っていたらしい。
「やっぱり実体はある……でも落ち着け、本物じゃない……たぶん。だから―――!!」
死にたくなけりゃ動け!!!
必死に自分にそう言い聞かせ、身体を奮い立たせようとする。
そんな中でも幻は一歩、また一歩と確実に俺に向かって歩みを進め、霧に隠れていた姿を徐々に露わにしていく。
(動け……! 動け動け動け動け!!)
お願いだから動いてくれ……足……!!
震えは止まらないが辛うじて上半身はある程度動かせる。
……しかし下半身は全くいうことを聞いてくれなかった。
腰が抜け、全く力がはいらない。
何度動けと命令しても、足を叩いても、近づいてくるヒゲオヤジの幻に怯えるばかり。
むしろ、より一層その震えを増しているようにさえ感じた。
(クソ! クソ! 何か、何かアレを消す策は……!? 足は動かないし逃げることもままならない……力じゃ到底敵わない……クソ! 何か! 何か―――!!)
『………喚くんじゃねえよ、テメェが悪いんだ』
「―――――!!!」
俺に冷たい言葉を投げかけながら、幻がとうとう目の前までやってきた。
見上げると彼は拳を掲げ、今にも俺を殴ろうと力を込めているのが分かる。
口ががくがくと大きく震えだし、再び頭が真っ白になりかかってしまう。
策もない、このままじゃやられる――考えてる暇も、頭の余裕も一切ない。死にたくない一心から導き出された結論は一つしかなかった。
「に……逃げ、ないと…………」
動け……動け動け動け動け!!!
動いて!!
動いてってば……!!
お願い……お願いだから……!!!
じゃないと、じゃないと死――――!!!!
〝ドッッゴオオォッ!!!!!!〟
「…………ふぇ!?」
爆発音!?
いや違う、でも確かに、間違いなく何かが吹き飛んだ。
ヒゲオヤジの拳が飛んでくるのと同時に、俺は反射的に目をぎゅっと瞑ってしまっていた。
その直後に聞こえてきた音がこれ。
痛くはないから今以上の外傷はない……と思う。
次から次に一体何が!?
「――――」
恐る恐る目を開けると、目の前は白……ではなく、茶色く染まっていた。
これはそう、霧ではなく―――土埃。
誰がやったのか。
霧が濃い中、こんなことをしてのけるのなら視認できる範囲にいるはず。
そう思い辺りを見回してみても、誰かが現れるというような気配はない。
じゃあ誰が――――。
「……ん――――なっ!!!???」
その時視界に入ったもの。
それは明らかに俺の足元数十センチのところから伸びている――不自然にえぐれた地面。
横槍が入ってできたような形じゃない。
どう見ても、俺を中心とした扇型になっていた。
「ま、まさか…………俺が……やったのか?」
でも俺にそんなことをできるような力がないことなんて分かり切ってる。
そうだ、そもそも俺の体は怯えて何かをするどころですらなかったんだから。
足に動けと念じるだけで精いっぱいだった。
動け動けと、必死に、それこそ全神経を集中させるようかのに、足腰に力を込めて―――。
「……全神経を……集中……させて?」
そういえば、そんな話どこかで……。
力を込めて……神経を集中させるイメージ―――。
「…………あ」
まさか……。
「…………魔法―――!!??」
そうだ、そうに違いない。
今の今まで忘れていた――あの時、自分で母さんに聞いたんじゃないか!
なるほど、こういうことか……手じゃなくてもよかったらしい。
そうこうしているうちに、埃も霧の中へ消えていく。
そしてえぐれた地面の先―――露わになったヒゲオヤジの姿を見て、不安一色だった俺の表情は、今度こそ希望を見つけたとばかりに明るさを取り戻していた。
ヒゲオヤジの幻……その振り下ろしたはずの右腕が、根元から消え去っていたのだ。
断面は血が流れている様子もなく、ただただ真っ黒……やはり本物ではないのだということをありありと証明して見せている。
「……すごい……これ、ちゃんと使えるように出来たら――!」
そして幻だからなのか、それともただヤツが憎いからなのかはわからないが、罪悪感というものは微塵も感じなかった。むしろどこかスカッとしたような、溜まっていたガスを抜ききったような、そんな晴れ晴れとした気持ちになっている。
いつの間にか体の震えも治まっており、今なら何でもできると、そんな気さえもしていた。
『うが……がが、が……』
そんな中、ふと幻から声なのか何なのかすらよくわからない音が聞こえてきた。腕を失ったせいなのか、その姿を保っているのが不安定になっている様子。
さらにどういうわけか、幻がその不協和音を立てるのと同時に、辺りの霧が少しばかり薄れている気もする。
(……―――そうか!)
この幻も『迷いの森の一部』……だとするなら、幻が綻び、不安定になればおのずと霧も消えていく。
つまり――――。
「そういうことか……『倒せばいい』んだな! こいつを―――!!」
一度は殺されかけた。
なぜか―――あの時は何もかもが不意打ちだったから。
俺が魔力の扱い方を知らなかったから。
恐怖に飲まれて、教えてもらった魔力の使い方も実践しきれなかったから。
「―――ゴク」
そうだ、今は違う。
魔力の使い方……さっきたまたまできただけだから、次が成功するかはわからない。
でも使い方は分かった!
さっきとは違う、体の震えも収まった、足も動く!
不意打ちでもない、真正面から食らわせてやる―――!!
「そうだ……今度こそ乗り越えてやる。―――かかってきやがれ!! トラウマさんよ!!!」
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