5:67「Last Strategy」
「なっ――え!? は!?」
足がつかない!?
それになんか、体絞まって動かない!?
わけわかんない!
確か俺、岩山のところで休憩してて……そしたら、親父とミァさんが逃げろって言いながら走ってきて、空の上にグレィっぽいドラゴンの影が見えて、それからそれから――――!
「まさか……」
瞬間的にパニックに陥った頭が少しずつ働き始め、現状を理解しようと視界を揺らす。
手も足も動かせないので目でしか確認はできないが、大きな手に捕まれていると言う事は間違いないようだった。
傷付いてボロボロではあるが、この手に生えた漆黒のウロコには見覚えがある。
あの場に居て、わざわざ俺だけを攫ってくるなんて……この犯人の正体は、どう考えても一頭――いや、一人しか思い浮かばなかった。
「グレィ、なんだよね……?」
答えは返ってこない。
胴体も顔もあちこちが傷だらけで、声を出す元気もないのかもしれない。
暴走しているハズのグレィがどうしてこんなことをしているのかは、俺にも全然わからない。
それでも俺は、何か行動を起こすわけでもなくじっと流れに身を任せる。(下手したら落ちて死ぬし)
今はただ……擦り傷と切り傷にまみれた体を見ているのが、ただただ辛かった。
それからしばらくの間ノースファルム近辺上空を飛び回った後、グレィは元の岩山の山頂へと戻っていった。
そこは半アーチ状の曲がった岩に囲まれており、丁度天井が空いたドームのような場所だった。
内側の岩は雨にも濡れないためか、道中にあったものよりもゴツゴツとした印象があり、辺りにはこれと言って何があるわけでもない。
強いて言うなら、所々に崩れ落ちた岩片が転がっているくらいだ。
そんないかにもゲームのボスエリアのようなところに降り立つと、近場に俺を置くき、俺たちは互いに向き合い対面するような形になった。
「グレィ……」
「グルルルル……」
正直、なんて言ったらいいのかわからない。
俺の言葉が通じているのかどうかも定かではなく、グレィは目の前に座り込み、じっと俺のことを見下ろしている。
今の彼が正気なのか、それともまだ暴走している状態なのか、どちらともつかない状況下におかれ、戸惑っていた。
「えっと……お、俺のこと、わかる?」
「グル……」
「エルナだよ。お、お嬢のほうがいいかな……貴方の主で、絶対助けにくるって約束し――」
「グルアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「ヒッ!」
鼓膜がやられてしまいそうな、衝撃波を伴う咆哮が俺に向かって放たれた。
綺麗に並んだするどいキバと、ざらざらとした舌。喉の奥まで見えそうな巨大な口が俺の目の前で大きく開かれていた。
滴るよだれは食糧を欲しているように見え、俺の体は知らず知らずのうちに震え上がる。
「おなか……へってる、の……?」
「ギャルルルルゥ……」
「……そっか」
結界の中に閉じこもっていて、ろくに食べてもいなかったのだろう。
それでいてこの体に刻まれた無数の傷跡は、何度も何度も、自分自身で体を傷めつけた証。
本当は飛ぶのだってやっとだったのかもしれない。
でも結界が解かれて……二重の意味で、本能的に俺をここまで連れてきたのだろう。
空腹を満たすため……そして、主である俺を求めて。
震える体にムチを打ち、俺は立ち上がる。
そしてグレィの真っ黒な横顔の――目の前に立ちそっとさすりながら口を開いた。
「……いいよ」
「がるっ!?」
「それで貴方が満足するなら、食べていいよ……ほんとはちょっと怖いけど」
「…………」
少しの間沈黙が続いた。
俺はグレィの前に立ちなおし、軽く両手を広げて待つ。
「さあ、ひとおもいに」
これはチャンスだった。
少し意地悪な話かもしれないが、馬鹿正直に食べられてやるつもりはない。
だってここで俺が死んでしまったら、グレィはもう絶対に後戻りできなくなる。
そうなれば間違いなく、今度こそグレィは殺されてしまうだろう。
それに俺は今さっき彼に言った。
助けに来るって約束したんだ。
これは俺の、俺としての最後の作戦だ。
グレィが重苦しそうに首を動かし、俺の前に大きな鼻が寄ってくる。
すると――
「恵月イイイィィィィ!!」
「なっ!?」
声が聞こえたのは上からだった。
見上げてみると、そこにはラメールの部下二人を除く、本作戦のメンバーが勢ぞろいしていた。
おそらくはシーナさんとエィネの【飛行】の魔法だろう。
だがタイミングが悪い。
もう少し、もう少し来るなら遅く来てほしかった!
そう心の隅で思うも、時すでに遅し――この直後、俺の体はドラゴンの大きな口によって丸のみにされた。
視界が遮られ、体が大きく揺れる。
ぬめぬめとした体の中を、俺の体はまっすぐ胃の中へと向かっている。
正直言って、恋人のものとはいえちょっと気持ち悪かった。
でもそんなことを言ってる暇も、時間もない。
俺は今一度体に魔力の膜を張り、体が消化されることを防ごうと試みる。
そして手さぐりに内壁を探り、できるだけ頭に近い場所を探す。
とは言っても、胃の中まで来てしまえばそんなに変わらないとは思うのだが。
これから俺は、グレィの内側から、彼の精神の中へと入っていかなければならない。
そのための手段として、こうして彼の体の中へと入ってきたのだ。
大討伐隊の時みたいに目が合っただけで入り込めたら世話なかったのだが、さっき目の前に立って、しっかりと目を合わせながら話してみても何も起こらなかった。
となれば、あの時のようにうまくはいかない。
でもあの時と違い、今の俺にはもう一つグレィの精神の中に入る手段を持っている。
賢者の試練の時に母さんを助けるために使ったあの術だ。
神樹さま曰く推奨はしない使い方だそうだが、今の俺ができることと言えばそれくらいしか思いつかない。
たしか【視魂の術】だったか。
これを使うには精神を集中させる必要がある。
暴走しているグレィを前にどうしたらその環境を作れるかと考えた結果、俺はこうしてひとおもいに飲まれることにしたのだ。
一つ誤算があったのは、親父たちが駆けつけるのが早すぎたこと……きっと俺がグレィに食べられてしまったと思って、獅子奮迅してしまうことだろう。
魔力の膜が意識をなくしたままでも使えるかわからないし、どっちにしろもう時間がない。
俺は右の人差し指を肉壁にそっと触れさせて、意識を集中していった。
「絶対に助ける――約束、果たして見せるから」
魔力の膜を無属性のままにしておいたため、今回は双属性の魔法になるわけではない。
もっと言うと、この精霊魔法は普通の魔法とは違う。
普通の魔法は自分の魔力をベースとするのに対し、こちらは精霊の魔力をベースにするため、そもそも自分自身の負担というものは軽減できるのだ。
グレィの頭の中に。
以前行くことができた『王の間』をイメージして、ひたすらに集中する。
そうして指先が青白い輝きを放ち、一瞬の頭痛と眩暈に襲われたところで、あの術式を口にする。
「――スフィーリアム・レムル・ジーィラ!」
魂が運ばれる。
そんな言いようのない不思議な感覚に見舞われて、術が成功したことを認識する。
やっと、やっとここまできた。これが……本当に最後だ。
絶対に救ってみせる。
その覚悟ともに、俺は目を見開いた。




