5:51「魔メイド乱舞」
終始キョウスケ視点です。
「きょー君ダメっ!!」
目の前から来る殺気と同時に、後ろからはロディの叫び声が聞こえてきた。
オレは咄嗟に足を踏みとどまらせ、ワンテンポ遅れて後ろへ飛び退いた。
「っ痛」
喉元が熱を帯び、鋭利な痛みが走る。
前に立つミァの左手には赤い雫の滴るナイフが握られており、この傷がそれによってできた物なのだと教えてくれた。
あと一瞬反応が遅れていたら、今頃オレの首はその辺の岩と一緒に転がっていたことだろう。
「あっぶねぇなオイ……」
「あなた! 大丈夫!? ほら、傷見せて」
「ああ、すまねぇ」
ロディがオレの隣に駆け寄り、一瞬のうちに回復魔法で傷を塞いでくれた。
次いでミァに向かって何か言おうとしていたが、オレはダメだと彼女の行く手を塞ぐ。
先ほどの殺気は間違いなくミァが発したものだ。
この二十数年間、英雄の称号をもらってからは一度も向けられたことのなかったもの。
ミァの様子は明らかにおかしかった。
オレはロディより一歩前に出て、意識を研ぎ澄ましながら口を開く。
「ミァ、オレだ。キョウスケだ……わかるか?」
「……キョウ……ケ、様」
「そうだオレだ! ここで何があった!」
良かった。
辛うじて受け答えは――
「逃げて、ください」
「ッ――!」
逃げろと言いつつも、持ち前の俊敏性でもって一瞬のうちに間合いを詰めてきた。
オレは聖剣を盾のように構え、豪速の突きを辛うじて受け止める。
「ミー君!」
「ロディ! 離れろ!」
一瞬でも気を抜けば押し切られる。
華奢な体躯からは考えもつかないほどの馬鹿力に戦慄した。
ミァの身体能力は、かつてサタンと戦ったときのマ素汚染により、限りなく魔物に近いものへと変わっている。
それは常人の域を超えた、いわば化け物と呼ぶにふさわしい領域だ。
それに加え、本来力が弱かったミァは、その面を補うための支援魔法を習得している。だから今はめっきり使わなくなったが……つまりまだ本気じゃねえってことだ。
これ以上強くなるとか、勝てるビジョンが浮かばねえ。
「なんて弱音吐いてる場合でもねえか……ミァ、いったい何があった。喋れるか?」
イチかバチか、残っているかもしれない正気に訴えかける。
「ゥアアアアアァァァァ!!」
「うぉっ!?」
雄たけびは喋った内に入らねえぞ!
心のうちでそんなどうしようもないツッコミを入れながら、空いている右手でもって殴り掛かって来たそれを受け止める。
どうやら先ほどの逃げろで精一杯だったらしい。
しかしこれじゃあ何がどうなってんのかさっぱり……。
「――ん?」
「がァ!」
「ぐほおっ!」
一瞬気が抜け、押し切られた拳がオレの顔面に炸裂した。
体がよろめき、少しばかりバランスを崩した隙を突くように、ミァはまたナイフをオレに向けてくる。
腰を落とし、膝の腱へめがけて襲い掛かるナイフから逃げるため、オレはそのまま後ろへ転ぶようにして足を浮かせ、縮こまらせた。
同時に両手を頭上へと持って行き、倒れる上半身を支える。
そして地面に付いた手に力を入れて、思いっきり押してやった。
こうすることでくの字に曲がった肘がバネのような役割を果たし、勢いマシマシの両足蹴りをミァの顔面に叩きこんだ。
殴ってくれたお返しというやつだ。
オレが体勢を直し、ミァは蹴られた勢いで後方に飛んでいた。
が、ミァはそのまま着地することはなく、すぐさま次を仕掛けようと地を蹴っていた。
それから何度も何度も、ナイフと聖剣、そして拳を合わせ、互いに傷を重ねていく。
岩陰に避難しているロディは、こちらを覗きながらも動揺を隠せないでいる様子だった。
正直言って、状況は芳しくない。
何故ミァがオレを襲ってくるのかを解明するべく頭を使おうとしても、次から次へと襲ってくる拳とナイフの対処に持っていかれ、体力が減っていくばかり。
対するミァの攻撃スピードは、時間が経つにつれてドンドン上がってきているようだった。
一瞬、また一瞬と反応が遅れていき、少しずつ傷が深くなっていく。
さっき、一発目の拳をもらったときに感じた違和感。
そこに糸口があるような気がするのだが――。
「ぐっふあッ!!」
「きょー君っっ!!!」
完全に遅れた。
聖剣の横を通り抜けていったナイフが、オレのわき腹を貫いた。
ミァのナイフは急所を確実に狙ってくるスタイルであったが故、ある程度予想を立ててギリギリのラインでやり合ってきた。
しかしそれも限界。
ミァは息ひとつ乱さずに、オレの腹の中をえぐってくる。
血反吐がミァの顔を汚しても、なおビクともしなかった。
「水弾!」
「――っ!?」
徐々に体の力が抜けてこようとしていた時。
ハンドボール大の水玉が、ミァの横腹に飛んできた。
間違いなく、ロディの魔法だろう。オレが死にそうになってるのを見ていられなかったか……だがそれは危険な道だ。
案の定、ミァはその鋭い視線と殺気をオレからロディへと移してしまう。
オレは咄嗟にロディへ向けて逃げろと叫ぼうとして踏ん張り、首を回した。
するとその直後、まるで全くの別世界に転移してしまったのかと勘違いするほどに……突然、視界が真っ白に潰された。
何も見えない。
確かなのは腹に感じる痛みと血の流れる感覚。
だがしかし、同時に何だか奇妙な感覚もある。
体全体が、何かにやさしく抱擁されているような……本当に不思議な感覚。
一分ほどその状態が続くと、次第に視界が暗くなっていった。
白から黒へ、ゆっくりと暗転していく中で、抱擁感の代わりに背中へゴツゴツとした肌触りが与えられた。
「なんだ……地獄に、落ちるのか……?」
「しっ、お話は小さな声でねぇ」
「! ……ロディ?」
無事だったか……いやまさか、一緒に地獄に!?
「もぉ。小さな声でって言ったばかりなのにぃ……ちょっと待ってね、【灯火】」
ロディがそう呟いた後、真っ暗だった視界がほのかに黄色い光で照らされた。
見ると上も横も土の塊のようで、仰向けに寝そべっている俺の隣には、回復魔法をかけてくれているロディの姿があった。
「ロディ、ここは……ミァは……」
「光の魔法で目くらましをして、風さんに乗ってちょっと上まで来たの。ここに落ちる時、壁に穴ぼこがたくさんあったでしょ? そのうちのひとつに入って、土の魔法で穴を塞いだのよ」
「ってことは……まだ下に、ミァはいるのか」
「ええ、でも長くは持たないと思うわ」
「……だろうな」
俺を回復するために、わざわざ危険を冒したってことか。
何だか申し訳ねえな……もうちっと格好いいところ、見せてやれると思ってたんだがなぁ。
守るどころか、命を救われる羽目になるとは。
「ははは、情けねぇ……っと、声は小さくだったな。さてと、どうしたもんか……」
「それなんだけどね、わたしわかったかもしれないの」
「何?」
ロディは小さな声で、しかし確かにそう言った。
「ミー君の左手、気づいた?」
「左手? 確かに殴られた時違和感みてえのは感じたが……」
「ずっと握りっぱなしなのよ、何か大事に握りしめてるみたいで。それでね、きょー君が戦ってる間、頑張って見てみようとしたの」
「…………マジか」
岩陰から見てた時の表情は、声も出ないほどに動揺していたんじゃなく、必死にミァの左手だけを見ようとしてたってのか?
それも多分、ただ見るんじゃねえ。
周辺の気の流れとか、魔力の集まりみたいなのも全部に気を配りながらだ。
エルフはそう言ったものに敏感な種族らしいが、あの状況下で、それもただ遠くの岩陰から覗く程度に見ていただけで、即座に不審な場所を見破り、その一点に意識を集中するなんてことはなかなかできるもんじゃねえ。
天才肌だとはわかっていたが、オレはまだ、ロディのことを甘く見過ぎていたのかもしれねえ。
「ミー君が左手に握りしめてるもの。何かはわからないけれど、多分それがこの空間の幻獣さんだと思うの」