5:17「自覚」
ミネルバの町の宿へと戻ってきた俺たちは、早速宿泊延長の手続きをした。
しかし今とっている四人部屋は既に先客がいるらしく、二人部屋を隣同士で二部屋借りて延長することとなった。
グリーゲルさんがいる分一人増やさなければとも話したのだが、少し休めば【転移】の魔法が使えるし、あまり里を長く空けるわけにもいかないということで、彼の分の部屋は取らずにおいたのだ。
あんたもその魔法使えるんかいとかひっそり思ったりもしたが、伊達に三千年も生きていないということだろう。
そうして部屋移動を済ませた俺はグレィと相部屋にさせてもらい、その日一日は夜も眠らず、グレィの傍らに腰掛けじっと目が覚めるのを待ち続けた。
翌日になってもそれは変わらず。
再びやってきたグリーゲルさんもベッドを挟んだ向かい側に立ち、ののはその隣で膝を立て、ベッドにもたれかかるように肘を置いている。
親父は俺たちを助けに駆けつけた際、近くの路地に荷車を放って置いて来てしまったせいで全部盗まれていたらしく、今はムンクの叫びさながらの絶望顔で買い出しに向かっているのだが……。
――バタン!
出て行ってから一時間経ったかどうかと言ったところだろうか。
扉が跳ね返るほどの勢いで押し開けられ、実際に跳ね返ったそれが親父の脳天を突く。
その後少し間をおいてから改めて扉が開けられると、額に片手を添えながら苦笑いを浮かべる親父が姿を現した。
「いっつつつつ……い、今のは見なかったことにしてくれ」
「焦り過ぎだな、英雄殿」
「……はやかったね」
「んっ。まあ、こっちが気になって仕方なかったからな。荷物は隣の部屋に運び込んでおいたぞ」
「そう」
いつもなら軽く突っ込むくらいするところではあるが、今はそんな気分にはとてもなれない。
俺はそっけない返事を返すと再びグレィに向き、彼の左手を取る。
「その様子だと、まだか」
「うん」
「この時間が一番つらいな……隣、座るぞ」
親父が丸椅子を俺の隣に置き、グレィを四人で取り囲む形が作られた。
「おじさん。ぐれい、起きない」
「ああ。だからこうして、じーっと起きるのを待ってるんだ」
「起きる?」
「絶対に起きる。だからのーのちゃんも、グレィがお寝坊さんしないように、ちゃーんと見ててくれ」
「わかったー」
向かい合うののと親父の会話。
それを耳にして、俺はグレィの左手を握る手に力を籠める。
言っていた通り、グレィは絶対に目を覚ます。
大丈夫だと言ったのだから、俺がそれを信じてやらなきゃ始まらない。
だからどうか、どうかその目を開けてくれと。
「……グレィ」
――ピクッ
「!!」
俺の手の中で、グレィの指が微かに跳ねた。
祈るように瞑っていた目を見開き、俯きかけていた顔を上げてみると、グレィは小さく開いた虚ろな目で、ただただ天井を見つめていた。
「「グレィ!」」
「おきたー!」
「おぉ……」
俺たち三人が声を上げる中、立っていたグリーゲルさんは感極まってか、崩れるように膝を落とし、「ドン」と鈍い音を床に響かせた。
俺は腰掛けていた丸椅子を突き飛ばす勢いでベッドにもたれかかり、グレィのすぐ隣まで顔を寄せて行く。
するとグレィは俺に気が付いたのか、その瞳をゆっくりとこちらへ向け――。
「――ヒィッ!?」
「え?」
まるで何かに怯えるように顔を大きく歪め、俺から距離を置こうとした。
手も振りほどこうとされたが、まだ体に力が入らないのか、俺の握力でも止まれらる程に弱い。
「い……あぁ……!!」
発せられる声もどこかたどたどしく感じられ、その異様な光景に、俺は戸惑いを隠せずにいた。
「な……何が」
「怯えてるよな……これは」
「どうしたというのだグラドーラン! 英雄殿!! これは一体どういうことだ!」
「おわっ!? 落ち着いてくれグリーゲルさん!」
「ぐれいー……」
グリーゲルさんが半ば正気を失いかけ、親父の肩を掴みかかっている中。
俺は混乱し冷静さを欠こうとしている頭を必死に巡らせ、何故このような反応を示すのかと、その答えを探ろうとしていた。
これはそう、エィネが言っていた通り……何かが壊れている。そう言って遜色のない状態だ。
三回目辺りからとは言っていたが、それに個人差があるであろうことは想像に難くない。
一回目は良くても、二回目で何か失敗するなど十分あり得る話だ。
だがこの怯えようは明らかに普通じゃない。
一昨日まで俺のために命を懸けるとまで言っていた男が、一度死んで生き返ったら俺を恐怖し、距離を置こうとしたのだ。
意識がなかったこの二日間の間に何かがあった。
そう考えるほかない。
でも何かがって、何が?
グリーゲルさんが俺たちの見ていない一日の間に何かを……ということは、今の状況を見てもまず考えにくい。
だがそうなると、今手掛かりとなるものは何一つ……
(――いや、一つだけなら)
俺を怖がっている。
周りには親父やのの、グリーゲルさんだっているのに、俺だけを怖がっている。
そこに糸口があるのかもしれない。
(考えろ、俺を怖がる理由ってなんだ!? 俺が何かをした? いや、そんなはずはない。じゃあ何でこうなっている!?)
糸口があるかもしれないが、思い当たる節がない。
そもそも死んでいた――意識がなかった間にあったことなんて、分かりっこないじゃないか。
思考の片隅でその言葉が浮かび上がった瞬間に、今度はまた別の不安が肥大化していく。
(もしこのまま、いつものグレィに戻らなかったら……俺を怖がって、どこかへ行ってしまったら……)
気がつけば俺は、グレィに勢いのまま抱き着いていた。
いなくなるだなんて、そんなのは嫌だと、思うより早く体が動いていた。
グレィは恐怖し俺を引き剥がそうとしてくるが、そんなことはお構いなしに彼の首へ腕を回し、ぎゅっと顔を抱き寄せた。
もう放したくない。
放したらどこかへ行ってしまいそうで、それが何よりも怖かった。
何よりも嫌で、怖くて、考えるだけで死にそうなほどに苦しかった。
「おねがい……いかないで……」
切実な、今にもこと切れてしまいそうな言葉と共に、一筋の涙が頬を伝って行った。
ずっと一緒に居たい。
例え怖がられて、避けられてしまおうとも、俺はこの手を放したくない。
お願いだから、それ以上は望まないから。
一緒に居てくれるだけで、きっと俺は幸せだから。
涙が止まらない。
もはや俺とグレィのどちらの方が怖がっているのかわかりゃあしない。
ぐすりと、自身の鼻をすする音だけが耳に響く。
しかし、そこに紛れていた小さなつぶやきだけは、何よりも大きく聞こえてきた。
「……お嬢……」
「!!」
小さなつぶやきの後に、俺の華奢な背中へ力なき腕が回ってきた。
この瞬間。
恐怖と不安が安堵に変わり、それ以上にある感情が膨れ上がる。
ずっと一緒に居たい。
どんな時も寄り添って、伴にこの世を歩いていきたい。
いつまでも、どこまでも……何があっても。
ある〝特別な〟感情。
他の誰にも抱かない、何よりも大事な感情。
その感情の正体が、ここでわかった……いや、〝わかってしまった〟。
――俺は、グレィのことが好きだ。
次回は同じ場面をグレィ視点で描きます。