4:24「ハルワド海岸へ」
アリィと共に服屋を後にした俺たちは、まっすぐ宿泊先の温泉宿へ赴き、まず母さんに海へ行くことを伝えた。
意外な場所でアリィとの遭遇を果たし、ノリノリで「YES」と答えた母さんは、折角だからと親父やミァさん、ののにもこれを伝え、最終的にはこの町に来ている臣稿家の者全員で行くということになった。
ここまでで大よそ15時。この後アリィは例のおばあさんに連絡を入れるからと1人スキップ混じりに宿を後にし、そして――。
「おはようございますー」
「おはようございますです皆さん!」
翌朝午前8時。
早めのチェックアウトを済ませた俺たちは、宿の前で待っていたアリィと、ご丁寧にも降りて来てくれた例のおばあさん――と、それからなぜか一緒に居るリリェさんとの合流を果たした。
「おはよお~りーちゃん♪ ……と、どなたかしら」
「彼女は従妹のリリェです! どうしてもというので連れてきちゃいました!」
「あらあらよろしくねぇ~」
「あ、あなたが誘ってきたんじゃないの!」
「昨日お話している私とエルナちゃんを羨ましそうに見つめていたので」
見つめていたのでと言うアリィに、なぜかリリェさんは大きく動揺して見せる。
しかしそれはそれとして、俺はどうにも気になって仕方がないことがあった。
【転移】役に付いてきてくれるおばあさんが、やたらと俺のことをじっと見つめてきているのだ。
白く色素の抜けたケモミミをぴくぴくと動かしながら、何か疑いの目でもかけられているかのような……。
「……えっと、なんでしょう?」
「娘よ、おぬし寝不足か? 疲労が顔に出とる」
「あぁ……まあ」
そう言うことかと安堵し、俺はおばあさんに苦笑いで以て返事を送る。
寝不足というか、正直眠れてない。
これだけ聞くと遠足前の子供かというように思えるが、実際はまだ一昨日の夜のことを引きずっているだけだ。
一昨日は体の疲労も相まって眠りにつくこと自体はできたのだが、昨日はそういうわけにもいかなかった。
アリィと別れた後は、結局チェックアウトの直前まで何もやる気が起きず、ずっと布団にくるまっていたのだ。
「お嬢……」
「恵月、本当に大丈夫か?」
「お嬢様、無理は禁物です。やはりお休みになられた方が」
「えるにゃん、むぼー」
「だ、大丈夫だって」
俺が思い悩んでいることは、今の所グレィとアリィ、ついでにリリェさん以外には伝わっていないはずだ。
事が事だけにそう気安く相談できるものでもないし、出来るだけ気丈に振舞っておきたいのだが……そんな俺の思いなど露知らず。おばあさんは右手に持った杖で俺を小突きながら話を進めた。
さっきまで杖なんて持ってなかったんだけど……もしかして俺が使ってるのと同じ魔力の杖なのかな。
「そうはいかん。転移魔法は魔力だけでなく体の負担も大きい。身体が万全であってこそじゃ。娘よ、名は?」
「え……エルナ、です」
「ほう? エルナ……か。よし、ちょいとまっとれ」
おばあさんはそう言うと、何やら杖に魔力を集中させ、よく聞こえないがぶつぶつと呪文のようなものをつぶやき始めた。
すると一見シンプルな樫の杖が青白い光を帯び、その先端を俺に差し向けてくる。
「な、何を……」
「〝精霊や、この娘――エルナを癒してやっておくれ〟」
「――――!」
杖に宿った光が俺をふんわりと優しく包み込んでいく。
まるで母親の腕の中で眠りにつくかのような、そんな安心と包容が身体全体を一瞬だけ支配すると、次の瞬間には疲労感と言えるものの一切が取り除かれていた。
「うそ……」
「これで楽になったじゃろ」
ふぅと一息つきながら再度俺を観るおばあさんは、先ほどとまでは全く違う人物に見えた。
一見どこにでもいる……言ってしまえばどこかで隣人と世間話でもしていそうな、何の変哲もない丸腰のおばあちゃんが、今の俺の目には威厳に満ち満ちた大魔法使いであるようにしか見えなくなった。
エィネにすら抱いたことのない、この只者ではない感じは……。
「おばあさん、あなた一体」
「さー、準備が済んだらとっとと行きましょう! 海ですよ海!!」
俺がおばあさんに問いかけようとした直後、興奮しきったアリィが早く行こうとばかりに声を上げる。
アリィ、俺に必要なものはなんだとか言っておいて、結局自分が行きたいだけなのでは……?
「うみー!」
「ほいほい焦るでない」
「ちょっ 話を――」
「ほれっ」
しかし突っ込む暇も問いを続ける暇も与えてはもらえず。
おばあさんの杖がカツンと石畳に打ち付けられると、間もなくして俺の視界は真っ白な光に奪われたのだった。
* * * * * * * * * *
「…………フン」
「グ、グレィ元気出してって。また出番あるって……ね」
「別に悪くしてなどいない。お嬢の方こそ、本当に大丈夫なのか」
「……それは言わないお約束」
出番……俺を背中にのせる機会を失ってご機嫌斜めなグレィをなだめながら、段差を越え正面に見える、広大な青い海を見下ろす。
一度ファメールに旅荷物を置き海水浴の為の準備を整えた俺たちは、早速目的の場所へやってきていた。
屋敷によるついでにファルも誘おうと思ったのだが、生憎今日もレイグラスに赴いているらしく、念のため手紙を残して来た。
この場は公に海水浴場として使われているのか、シーズン真っただ中の海岸には更衣室らしき建物もあり、人の姿が散見される。
「おー! 見て下さいロディさん、リリェ! 海ですよ海!」
「はしゃぎすぎよアリィ……気持ちはわからなくもないけど」
「綺麗ね~!」
「うみー!」
「お前ら怪我するなよー」
アリィを筆頭に、腕を引っ張られるリリェさん、母さん、そしてののが真っ先に更衣室へ駆けていく。
ののはともかく、いい年した大人が大はしゃぎで駆けて行く様はなんだか情けない……。
この場に残っているのは俺、グレィ、親父、それからミァさんにおばあさんとほとんどが男性陣だ。
「本当にキレイなマリンブルーです。南国にでも来た気分ですね」
「そりゃ南国じゃからの」
「「……えっ?」」
何気なくつぶやいたミァさんに対する答えを耳にして、俺たちは驚愕の声を上げる。
確かに場所は指定してなかったし、海と言えば南国かもしれないが、まさかそこまでするとは思わないじゃん?
ちなみに俺たちが住む中央大陸のアルベント王国は、気候的には日本の中心部あたりとあまり変わらない。
南国もそう遠いわけじゃないが……そう言われてみると少し暑い気がする。
「この景色、見覚えがあるな……もしかしてハルワド海岸か?」
「流石英雄、世界を旅した目は伊達じゃないの。その通り、ここは彼のセレオーネ王国有数の海岸ハルワドじゃ」
「っ……!」
セレオーネ。
その単語は出来れば聞きたくなかった。
隣国セレオーネ……ラメールが伯爵として構えるその国は、このタイミングでは絶対に来たくない場所だろう。
ていうか不法入国だけど大丈夫ですか?
ちょっとだけだから平気だって?
しかしだな……
「よりにもよってセレオーネって……」
「なんじゃ、マズかったか?」
「いや、もういいです……ここで」
「フム?」
言い出しっぺはもう行っちゃったし、俺ひとりの事情でそこまでさせる気にもならない。
多少雑念が入るかもしれないが、それでも多少の気分転換にはなるだろう。
少なくとも、屋敷に籠もってたりネリアの町にいるよりかは幾分かマシだ。
「よし、オレらも着替えっから先行ってるな。恵月、折角なんだからお前も早く来いよ」
「あ、うん……行ってらっしゃい」
親父とミァさんを見送り、俺もとりあえず一息つこうかと思ったところで、未だ俺の隣でビクともしない男が目に入った。
「ほら、グレィも行く」
「我は別に……」
「命令」
「ぐっ……わかった」
全く世話の焼ける執事だこと。
会ったばかりの頃の不穏な威厳はどこへやら……本当、ヤツも変わったものだ。
俺は小さくなっていく彼の背中を見ながら深いため息を吐くと、そのまま芝生になっているこの斜面に座り込む。
するとまだ残っているおばあさんが同じようにして隣に座り、再び俺の方へ目を向けた。
「娘よ、何か思い悩んどるようじゃの」
「……おばあさんには、関係のないことです」
「まあまあそう言うでない。老婆の知恵が、何かの役に立つかもしれん」
「で、でも――!?」
右隣……おばあさんのいる方へ目を向けた時。
そこには明らかに獣人ではない、長い耳にかかる銀髪をかきあげ、こちらに微笑みかけてくる――見知らぬエルフのお姉さんが座っていた。
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